距離を売る者
王宮で噂が形になるまでに、
時間はかからない。
誰も口にはしない。
だが、
視線が先に動く。
第一王子とフォビア公爵令嬢。
並ぶ姿が増えた。
会話は短い。
距離も適説
それなのに――
近い。
◇
最初にそれを利用しようとしたのは、
ラドウィン・セレスト伯爵子息だった。
家格は中堅。
だが最近、
南区再開発の動きに敏感に反応している。
金の匂いに、
鼻が利く。
そして今、
王宮で一番“使える匂い”は――
第一王子の隣の席だった。
◇
昼の回廊。
わざと人の多い時間帯。
「フォビア公爵令嬢」
柔らかい声。
だが、
呼び止める位置は計算されている。
立ち止まらざるを得ない。
無視すれば目立つ。
私は足を止める。
「短時間であれば」
「もちろん」
彼は笑う。
その笑みは、
周囲への演出だ。
◇
「殿下とは、
順調のご様子で」
まずは探り。
「順調という概念が
何を指すのかによります」
私は答える。
曖昧に返す。
彼は一瞬だけ目を細めた。
◇
「南区再開発の件、
ご存知ですね?」
来た。
「市場は、
殿下の方針を
非常に好意的に見ています」
“殿下の方針”。
まだ公式発表はない。
それを
既成事実のように使う。
「我が家が、
橋渡しを行えれば」
つまり――
第一王子の名前を借り、
ユノスの距離を借り、
自分の家を前に出す。
◇
「殿下の意向は、
そのように?」
私が問う。
一瞬だけ、
彼の言葉が止まる。
「いえ、
しかし」
「でしたら」
一歩、
距離を詰める。
声を落とす。
「私の距離を、
勝手に値付けしないでください」
◇
彼の笑みが、
ほんのわずかに揺れる。
「誤解です」
「いいえ」
私は続ける。
「殿下の隣は、
市場ではありません」
「交渉材料でもない」
視線が冷える。
周囲の空気が、
わずかに張る。
◇
「……では」
彼は立て直す。
「正式にご指名をいただければ」
挑発。
ご指名という言葉を、
わざと使う。
私は、
一拍置く。
「ご指名は」
ゆっくりと告げる。
「役割に対して行うものです」
「関係に対してではありません」
◇
沈黙。
彼は理解する。
これ以上踏み込めば、
“売ろうとした”ことが露見する。
「……失礼しました」
深くない礼。
彼は退いた。
◇
だが、
これで終わらない。
数刻後。
今度は、
別の形で噂が流れ始める。
「フォビア令嬢は、
殿下の意向を代弁している」
「実質的な窓口だ」
言葉は、
少しずつ歪む。
距離が、
役職に変換されていく。
◇
その夜。
第一王子は、
自ら私を呼ばなかった。
代わりに、
偶然を装って廊下で会う。
「聞いた」
短い一言。
「ええ」
「どうする」
命令ではない。
委ねる声。
◇
「訂正はしません」
私は答える。
「ですが、
“窓口”にはなりません」
アレクシアは、
目を細める。
「理由は」
「窓口は、
塞がれます」
私は一歩近づく。
「隣の席は、
開いているように見えるから
価値がある」
◇
彼は、
ゆっくりと息を吐いた。
「……利用される覚悟はある」
「存じています」
「だが」
一瞬。
「守る気もある」
初めて、
王子の声音が混じる。
◇
「守られれば、
値が落ちます」
私は言う。
真っ直ぐに。
「でも」
一拍。
「隣に立ってくださるなら、
値は上がります」
沈黙。
それは、
仕事の話ではない。
◇
彼は、
ほんのわずかに笑った。
「やはり、
商人向きだな」
「違います」
「では?」
私は、
少しだけ目を逸らす。
「……ご指名を受ける側の
心得です」
◇
翌日。
ラドウィンは、
再開発の件から
静かに外された。
誰も命じていない。
だが、
王宮は理解した。
第一王子の隣は、
売れない。
そして、
ユノスは
“代弁者”ではない。
◇
(夜職語録㉕
売れない距離は、
信頼になる)
私は歩く。
距離は、
管理できた。
だが――
次に来るのは、
もっと大きい相手だ。
金は、
こういう確認を
必ずしてから来る。
もうすぐだ。




