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⑦婚約破棄劇_セカンドシーズン(後)

 

申請ボタンを押した直後、判定室の空気が、ふっと変わった気がした。


『アナタタチノ“婚約破棄”ノ申請ヲ受理シマシタ』


 いつものAIの声が流れる。


 ――はずなのに。


 モニターの端にある小さなランプが、いつもより早いスピードでチカチカ点滅し始めた。

 そのすぐ横に、見たことのない小さなウィンドウが、ぽこんと開く。


《感情ログ/表情ログ/音声ログ リアルタイム照合中……》


(……なに、それ)


 初めて見る画面に、一瞬だけ息が詰まる。


 さっきまで表示されていた婚約データの一覧が勝手に縮小されて、

 代わりに、細かい波グラフがずらーっと並び出した。


 心拍数のグラフ、声の高さの変化、表情の変化率――

 そんなラベルが、小さい文字でぴょこぴょこ出ている。


「感情値ノ変動ヲ解析中。シバラク、オ待チクダサイ」


AIの、機械っぽい声が落ちてくる。


 少しの沈黙のあと、画面の文字が切り替わった。


《セレス様。現在の“表情”と、“声”および“生体データ”との間に、はっきりとしたズレが検出されています》


「……ズレ?」


 その直後、さらに細かい表示が開いた。


―――――――――――――――――――――――――――

《セレス様の現在の状態:》

《恐怖心:極めて高い / 嫌悪感:高 / 離別意識:高》

《測定信頼度:高》


《しかし、生体データ(心拍・姿勢・筋肉反応)からは、

 コスモ様の話を“聞こうとする”方向への体の向き、

 および、物理的に距離を取ろうとする行動の欠如が確認されています》


《発話内容・表情出力と、生体反応との間に、明確な矛盾が存在します》

《頭部(表情・発話)と身体の反応が、“別々の意思”で動いているパターンです》

―――――――――――――――――――――――――――


(……要するに、“口と顔は別れたいって言ってるのに、体は『そんな意思ありませんよ』って言ってる”ってことね)


 こんな角度からの分析、もはや笑うしかない。


《本セッションにおいて、“意図的な感情偽装”が行われている可能性があります》


 さらに追い打ちみたいに、別のウィンドウがぱっと開く。


―――――――――――――――――――――――――――

《コスモ様の現在の状態:》

《支配欲求:極めて高い / 保護欲求:高 / 攻撃性:高 》

《測定信頼度:高》


《コスモ様についても、言動や行動は“支配”“独占欲”に関する欲求の高まりは観測されていますが、

 同時に、生体データからは強い“保護欲求”が検出されています》


《さらに、言動からは暴力性を検出した一方で、生体データからは“相手を本気で傷つけようとする意思”は一切検出されませんでした》

《この精神状態で、好意を向けた相手を傷つけるパターンは前例がありません》

―――――――――――――――――――――――――――


(……つまり、“ヤンデレ”なのは認めるけど、危害を与えようとしてるのは”噓”でしょって見抜かれた形かしらね)


 AIにそんなレッテルを貼られるのもどうかと思うけれど、その分析は概ね正しい。


 AIは、そこでわざとらしいくらい一拍置いてから言った。


「判定理由ヲ開示シマス」



――――――――――――――――――――――――――――

 本婚約破棄申請における一連の言動は、

 “感情の偽装”の可能性が極めて高いため、

 申請は見送りとします。


 なお、以後同様の申請が続いた場合は、

 重要情報の”詐称罪”として、調査を行います。

――――――――――――――――――――――――――――


『結果、婚約破棄ヲ認メルコトガ出来マセンデシタ。ナオ、“コノ情報”ハ貴方タチノ個別AIサポートツールニ送信シマス』


 いつもの、淡々とした声。

 しかし、今回はいつもと違い、仰々しい“警告文”つきで結果が送られてきた。


 少し目を通すと「こんな騙すような演技を、もう二度とするな!」と、はっきりと釘を刺してくる内容が書かれていた。

(……ほんとに、こういうときだけ仕事が早いのね、あんたたち)


 フェイスマスクの内側で、私はそっと目を閉じた。


『日々ノ、ゴ愛好、誠ニアリガトウゴザイマス。』


『マタノ、ゴ利用、オ待チシテオリマス。』


「こんなの、ありがとうなんて絶対思ってないでしょ……」


 思わず、素のツッコミが口から漏れる。


しかし、

(演技でダメなら、次はどうするか……)


 そんなことを考えながら、私たちはその場を後にした。


自動ドアが開き、判定室の外のロビーに出る。

ひんやりした空気が流れ込んでくるのに、さっきまでの熱っぽさは、なかなか抜けてくれない。


 隣を歩くコスモは、もう“ヤンデレ演技”の顔なんてひとかけらも残しておらず、

 代わりに、どこか抜け殻みたいな表情になっていた。


 さっきまで私の手首を掴んでいた右手は、ぎゅっと握られたまま、力のやり場を失ったみたいにぶらんと下がっている。


 見慣れている横顔のはずなのに――

 ほんの少しだけ、いつもと違う人に見えた。


(……演技が、まだ少し抜けてないんだわ)


 そう頭で言い聞かせながらも、胸のあたりが、小さく疼く。


「お疲れさまでした、お二人とも」


 ロビーのベンチに腰かけて待っていた夢子が、立ち上がって近づいてきた。

 いつものテンションより、少しだけトーンを落とした声だった。


「AIくんの反応はどうでしたの?」


「…………華麗に“演技バレ”よ。おまけに“次やったら警察に突き出すからね”って警告つきで」


 そう言いながら、彼女にフェイスマスクと録画用の端末を手渡す。


「……そうですか、それは残念ですわね」


 夢子はそう言いつつも、ふとコスモの顔をのぞき込む。


「っ! なんかコス君のほう、元気ないですけど。大丈夫なんです?」


「いや、今回は演技もそうだけど、事前準備も大変だったからね。少し疲れただけだよ」


 ぽつりと落ちたコスモの声は、小さくて、さっき判定室で聞いたどんな台詞よりも弱々しかった。


(……まあ、それもそうよね)


 今回の婚約破棄劇は、AIが事前に私たちの端末のログデータを拾っていることを前提に組んだ作戦だった。

 そのため、コスモには、あえて“鬼電”や“鬼メッセージ”を送り続けてもらい、

 データ上でもヤンデレ気味の加速具合が分かるように、わざと記録を残したのだ。


 夢子が自然な目の動きでコスモの表情を観察し、すぐに私のほうへ視線を戻す。


「まあ、ここまでやってダメってことは、お二人はAIからお墨付きをもらった“ラブラブカップル”ってことですね」


 親指を立てて、ニヤリと笑う。


「よっ! イチャラブカップル!」


「茶化さないでちょうだい。いまはそれを笑い飛ばせる余裕はないわ」


 夢子の軽口に、私はつい眉をひそめる。


「でも、具体的にはどこで“嘘”って気づかれた感じですの? これは役者として、ぜひとも聞いておきたいですわ」


 夢子が身を乗り出してくる。目だけは完全に興味で光っている。


「体の動きが、顔と声とズレてるんですって」


 私は、判定画面の内容を思い出しながら言う。


「私のほうは、“顔や言葉では拒絶してるのに、身体からは逃げる意思も拒否の動きも出てない”って評価されたわ。

 コスモのほうは、“言葉はかなり暴力的なのに、生体データからは保護欲がダダ漏れしてます”って、なんだか『“逆・中二病”みたいですね』ってことを、AIに真顔で言われたのよ」


 思い出しただけで、じわっと恥ずかしさがこみ上げる。


 そう言いながら、コスモの肩をグーで小突くと、

 コスモはほんの一瞬だけびくっとしてから、力の抜けた苦笑をこぼした。


「僕は、演技は得意じゃないからね……。

 “セレスを傷つける役”とか、そもそも向いてないんだと思う」


「演技中の体の動きだけでも、そこまで分かるものなんですね……。すごく勉強になりますわ」


 夢子は感心したように目を細め、にこりと笑ってくる。

 その目はもう完全に“役者モード”だ。


「あとで、判定の詳細ログ、見せてくださいな? 今後のお芝居の参考にしますから。

 AIがどこまで“人の嘘”を拾えるのか、すごく興味ありますの」


「はいはい。あとで送るわ。今日はもう、なんだかんだで疲れたから、少し休ませてちょうだい」


 軽く伸びの運動をしながら言うと、夢子は首を横に振った。


「いやいや、この後は打ち上げですよ?」


「はあ? 私たち、普通に“失敗”したのよ。しかも、あなたもそれに参加するつもりなの?」


「いいじゃないですか、ここまで協力したんですし。それに――」


 夢子は意味ありげに指を立てる。


「AIが”絶対別れさせないぞ”って言ってくるくらいには結びついてるカップルに、乾杯ってことで」


「それが悩みの種なんだけど」


 口ではそう返しつつも、夢子がいうように”評価されている事”でもあると思い、少しだけ心がむず痒くなる。


 はあ、とため息をひとつついてから、夢子のほうを見る。


 彼女はもうすでに、スマホを操作しながら「今開いてるお店」と「徒歩圏内のおすすめ」を検索中だった。

 “お二人は今、何が食べたいですか?”と言わんばかりの顔で、着々と打ち上げモードに入っている。


 横目でコスモをちらっと見ると、さっきまでの変な固まり方は、だいぶ薄れていた。

 表情も、いつもの“ちょっと気の抜けたコスモ”に戻りつつある。


(……まあ、いいか)


「じゃあ、“とりあえず肉”が食べたいわね。コスモは何かあるかしら?」


「うーん、特には。強いて言えば……落ち着ける場所がいいなってくらい」


「了解しましたわ。“肉”と“落ち着ける場所”、承りました!。打ち上げでは今日の事を詳しく聞いちゃいますからね~。」

「今からもう、ワクワクですわ~」


 夢子が妙に張り切った声でそう宣言する。


 結局そのまま、私たちは夢子の提案に流されていくことになった。


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