⑦婚約破棄劇_セカンドシーズン(前)
シャワーも済ませて、部屋の灯りを落とし、ベッドの上でひとり。
天井をぼんやり見上げながら、手元のデバイスだけが小さく光っている。
画面には、今までの婚約判定ログの履歴がずらりと並んでいた。
《感情値:好意》
《信頼度:高》
《総合判定:破綻状態とは認められません》
(……見事なまでに、“破綻してません”のオンパレードね)
婚約破棄劇を、もっと“精度高く”しないと、このAIは絶対首を縦には振らない。
頭の中で状況を整理する。問題点は、大きく三つ。
ひとつ目は――どうやっても、「演技だけ」では感情値をごまかしきれていないこと。
AIが感情を読むときは、判定室のカメラから、目・口・眉といった顔のパーツの細かい動きと、表情筋の変化をずっと監視している。
どのタイミングで、どんな表情になって、どれくらい強く揺れたかを全部データにして、
そこに「何をしゃべったか」と「声のトーン」まで合わせて、最終的な“今の気持ち”を決めている――らしい。
つまり。
(セリフや設定だけ取り繕っても、“私の素の顔”がついてきてないところは、全部バレてるってことよね)
枕に頬を押しつけながら、小さく息を吐く。
そこで、ひとつの結論に行き着く。
――もう、表情そのものを「私じゃない顔」にするしかない。
具体的には、映像を映せるタイプのフェイスマスクをかぶる。
夢子の劇団で使っている本番用のマスクを、その日だけ特別に借りて、
私の顔の上に「別人の顔」をかぶせてしまう。
そこに乗せるのは、私の中にある“マイナスの感情”――怒り、不信、失望、諦め。
それを事前に撮影してデータ化し、その表情パターンをマスクに投影する。
演技の流れに合わせて、表情が自然に変わるように、そこは専用のサブAIに一任する。
「このタイミングで眉を下げる」「ここで目線を落とす」みたいな細かい動きを、自動的に同期させてもらう。
顔はAIに任せて、声は私が担当。
私は歌い手だから、声を震えさせたり、冷たくしたり、少し潰したり――喉の使い方でかなり調整できる。
(顔はAI、声は私。……この構成なら、今までよりずっと“本物っぽく”見せられるはず)
ふたつ目の問題は、シナリオ。
前みたいに、昼ドラ三倍濃縮みたいな愛憎劇をやってしまうと、
どうしてもどこかで「普段とのギャップ」という綻びが出る。
AIは、その「綻び」もきっちり拾ってきて、「データと不一致」と判断する。
(次は、“私たちの現実でも起こりそうなレベル”に落とし込まないとダメね)
ちょっとしたすれ違い、お金の価値観の違い、創作への温度差、仕事と家事のバランス。
そういう“ありそうな理由”をベースにしたほうが、AIから見ても自然に見えるはずだ。
そして三つ目。
一番やっかいで、一番うれしくて、一番致命的な問題。
――どのパターンでも、コスモが私への好意を隠しきれていない。
台本上では冷たいことを言っているはずなのに、
ふとした視線の向け方や、沈黙のあとにこぼれる一言に、どうしても“本物の優しさ”がにじんでしまう。
その結果が、毎回ログに残る。
《コスモ様:セレス様への愛着・保護欲求:高》
(……嬉しいのよ。嬉しいんだけど、今は正直ジャマ)
胸の奥がくすぐったくなるのを、自分で苦笑しながら打ち消す。
(婚約破棄を通したいって一点だけを見るなら、これは完全にマイナス要素)
フェイスマスクとシナリオだけでは足りない。
コスモ本人の“役づくり”も、根本から組み直す必要がある。
そう結論づけて、私はベッドから身を起こした。
◇
リビングでは、コスモが液タブ付きデスクに向かって、ペン型デバイスを走らせていた。
画面にはコマ割りとラフな線が並んでいて、空気が少しだけピリッとしている。
ドアのところで立ち止まると、センサーが反応して照明の明るさが少し変わった。
コスモが顔を上げる。
「ん……セレス? どうしたの、こんな時間に」
作業用アプリを一時停止し、ペンをスタンドに戻して、きちんとこちらを向く。
その仕草だけで、「話を聞く体勢に入った」のが分かる。
「あのね、ちょっと試してみたいことがあるの」
私は、さっき頭の中で組み立てた“新しい婚約破棄劇プラン”を、できるだけ冷静に、でも熱を込めて話した。
最初、コスモの顔には分かりやすいくらいの戸惑いが浮かんだ。
眉が上がり、視線がテーブルの端と私の顔を行ったり来たりする。
「……ヤンデレ役を、僕が?」
「そう。今までみたいな“冷たい浮気男”だと、どうしてもあなたの優しさが漏れるのよ。
だったら、いっそ“愛情のほうが重くて怖い側”に振り切ったほうが、AIには筋が通って見えると思うの」
「いやいや、その発想どうなのさ……」
苦笑しつつも、きちんと最後まで聞いてくれる。
フェイスマスクのこと、AIの読み取り方の仮説、感情値をどうコントロールしたいか――
一通り話し終えるころには、コスモの表情は「困惑9割・納得1割」くらいに変わっていた。
「……セレスはさ、そこまでして婚約破棄したいんだね」
その言葉に、胸のどこかが、ちくりとする。
「“婚約破棄したい”んじゃなくて、“性別をちゃんとしたい”だけよ。そこはブレてないつもりなんだけど」
「うん。分かってる」
コスモは一度、深く息を吐き、それから観念したように頷いた。
「分かった。やってみよう。正直、嫌な役だけど……まあ、一番現実的な作戦っぽいしね」
少しだけイヤそうに笑いながらも、最終的にはちゃんと協力してくれるあたりが、やっぱり彼だなと思う。
◇
そして数日後、私たちは再び窓口AIの前に立っていた。
今回は夢子の出番はない――はずだったのに。
「お二人の“究極の修羅場”、観客として見届けに参りましたわ!」
その台詞と同時に、夢子はいつもの慌ただしさで現れ、測定室の中まで入って来ようとする。
(ほんと、この子はブレないわね)
私は内心でつぶやきながら、深いため息を吐いた。
彼女は食い下がって部屋に入りたがるが、今回は録画だけで我慢して、と説得すると、
夢子は渋々といった形で、録画機器を取り出した。
かなり良い値段がしそうなそれを、しれっと差し出してくる。
「絶対に綺麗に録画してくださいね!。いくらセレス様相手でも、ミスがあったら”ぼかーん”ってなりますよ!」
と、わたし本気で怒りますよと演技する夢子に、私は渋く笑って機器を受け取った。
私たちはフェイスマスクを被り、判定室の中へへと入る。
空気は前回と同じく冷たく、モニターの白い光が顔色を浮かび上がらせている。
床の低い振動、エアコンの規則正しい息遣い、そして周囲に広がる無機質な金属の匂い。
その異質な空気に緊張感は静かに高まっていった。
モニターが起動し、いつもの無機質な文字列が点滅を始める。
私はコスモの手にほんの一瞬だけ触れて、目で「行こう」と伝えた。
彼はかすかにうなずき、二人でモニターに向き直る。
いよいよ、演技が始まる。




