⑫すれ違い
そこから夢子を引き連れて夜通し飲んで、気づけば外が白み始めていた。
酔いと眠気で足元がふらつきながら、自宅ドアのロックパネルに手をかざす。
ピッという認証音とともに、施錠ランプが青に変わった。
うちに入ると、リビングの灯りはついたままであった。
玄関脇のハンガーにコートをかけながら、頭の中で言葉を並べ替える。
何から話すべきか、どこまで話すべきか――そればかりが、ぐるぐると回っていた
恐る恐るリビングに入ると、彼は私が家から飛び出した時と同じ所に座っていた
テーブルの上には、さっきと同じインスタントのスープと、コンビニのおにぎりが二つ。
スマートポットのパネルには未だに《保温中》の表示が点いている。
「おかえり」
時計の針は朝の四時を過ぎている。
シャツは少し皺だらけで、目の下には濃いクマ。私の姿を見ると、彼はほんの少し驚いたように顔を上げた。
「……遅かったね。どこかで泊まってきたの?」
声は優しい。だけど、眠気と疲れがにじんでいる。
問いかけられた瞬間、胸がきゅっと締め付けられた。
何か責められるかもしれないと、どこかで身構えていた自分が、ひどく情けなく思えた。
黙って首を左右に振ると、彼は小さく息を吐いた。
「じゃあ寝てないんだ。じゃあこの話は起きてから話そうかな」
いつもの優しい口調が少し震えている。
目の下のクマが普段より濃く見えて、寝ずに待っていたんだと分かると、胸の奥がズキリと痛んだ。
「いや、今でいいわ」
そう言った自分の声が、少し他人事みたいに聞こえた。
本当は、結論なんて出さずに、なあなあに先延ばしにしたかった。
でも、それをしてしまうと、自分がもっと弱くなる気がして――早く決着をつけたかった。
「ごめんね。昨日は言い過ぎた。……僕、セレスのこと、本当に好きなんだ。婚約をなくしたくない」
言葉は静かで、丁寧だった。
その中に“好き”という単語が混ざっただけで、胸がぎゅっと熱くなる。
「でも、セレスが歌を何より大事にしているのも知ってる。
今、君の活動の足枷になっているのは、僕だった」
そこで、彼の声が小さく揺れた。唇が、ほんの少し震える。
「頑張ってずっと応援していたかった。」
「でも……僕じゃ力不足みたいだ」
喉の奥で何かがぷつんと切れたみたいに、ぽたん、と涙が頬を伝う。
それを見た瞬間、言葉にできない罪悪感と、彼をここまで追い込んでしまった自己嫌悪で、目の奥が熱くなった。
「僕は、セレスの意見を尊重する。君がそうしたいなら、合わせるよ」
彼はそう言って、自分の意思を飲み込むようにうなだれた。
本当は私は――
絶対に婚約破棄はしないって、駄々をこねてほしかった。
「ずっと一緒にいよう」って、この関係が変わるのを、強引にでも引き止めてほしかった。
そうしてくれたら、「アバターの件は諦める」「私こそごめんなさい」って、素直に言えたのに。
そんな我儘で醜い自分がいる一方で、
こんなにも優しい彼が、私がそばにいることで、どんどん消耗していく未来も見えた。
もし私が「一緒にいる」と言ったら、彼はきっと、諦めずに努力を続けてくれる。
でも、その努力は、彼自身を削ってしまう。
そんな光景を想像した瞬間、喉が詰まって、うまく息が吸えなくなる。
部屋の中には、朝の冷たい空気が流れていた。
淡い電灯の光が、二人分の影を長く伸ばす。静けさが重く、時計の秒針がやけに大きな音で響く。
私は自分の気持ちを整理しようと、深く息を吸った。
涙がこぼれそうになるのを必死でこらえ、なるべく無表情を装う。
「じゃあ改めて、婚約破棄をしに行きましょうか」
彼は一瞬だけ目を閉じ、ゆっくりとうなずいた。
ただそれだけの小さな動きが、とても大きく見えた。
「――分かった」
声に、わずかな震えが残っている。
彼が、悔し気に拳を強く握りしめる。その姿が視界に入った瞬間、私の胸は押しつぶされそうになった




