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⑪選択肢


「ふーん。そんなことがあってセレス様が、珍しく一人でここに来たんだ」


 夢子――この店では源氏名を使っているけど、私の前ではずっと“夢子”のままの彼女が、カウンター越しに身を乗り出す。

 バックバーのボトル群の間で、小さなホログラムのメニューがふわふわ浮かんでいた。


 ここは、彼女が夜だけ働くバー。

 私とコスモが、ライブや締切を乗り切ったあとの打ち上げでよく来る店だ。

 普段なら、隣に彼が座って、グラスを傾けながら饒舌に喋っているはずなのに、今日はその姿がない。


「マスターがさ、『セレスちゃんが魂の籠った歌を歌ってくれたから、お代はいらないよ』って言ってくれたんだ。だから、今日はガンガン飲もうよ、私も付き合うから」


 夢子は、カウンター端末に指を滑らせて、オーダーを確定する。

 カクテルディスペンサーが静かに動き出し、鮮やかな色のリキッドが自動でシェイカーに注がれる。

 くるりと手首を返して、最後のひと振りだけは自分の手で行い、氷と一緒にグラスへと注ぎ込んだ。


 差し出されたグラスの縁に、水滴がふわりとついて、ゆっくりと垂れていく。

 見慣れた彼女の所作だと思いながら手を伸ばすと、グラスの冷たさが指先に伝わった。


「あなたは明日早いんでしょ?」


 夢子は俳優や声優の仕事をいくつも掛け持ちしている。

 それでも疲れた顔を見せず、ストローをくるっと戻しながら笑う。

 けれど、その瞳だけはちゃんと私の表情をスキャンするみたいに探っていた。


「いやいや全然。それに、セレス様を独占できるなんて、こんな役得、誰が手放すかって話でしょ?」


 冗談めかしているけれど、その目は鋭い。

 いつもより一歩ぶん距離を詰めてきて、私のグラスにはアルコール少なめ・氷多めの配合を注いでくれる。

 酔いにくくしてくれているのが分かって、変にほっとする自分がいる。


「で? ケンカの原因は、ざっくり言うと――お金と夢と婚約とAI、って感じ?」


「ざっくりまとめすぎよ」


 でもそれが全部当たっているから、言い返せない。

 私の黙りを答えと受け取ったのか、夢子は小さく「ふうん」と相槌を打つ。


「ねえ、セレス様」


「なに?」


 夢子は少し角度を変えて、真っ直ぐ私を見る。

 さっきまでのホステス然とした柔らかい雰囲気から、一瞬で“役者”の目になる。


「コス君のこと、まだ好き?」


 その問いは、グラスの氷よりも冷たく、喉の奥にすとんと落ちていった。


「……どういう意味かしら」


「いやー、最近はなんか“恋人”というより、“共同経営者”って感じだったからね」


「共同経営者?」


「ほら、“赤字続きの店をふたりで切り盛りする”みたいな。

 収支表アプリとにらめっこして、“どうやって今月を乗り切るか会議”してさ」


「何が言いたいのかしら」


「いや、コス君のこと応援したいとか、共同生活でも支えたいって気持ちは分かるよ?」


 夢子はカウンター越しに、トン、と私のグラスの位置を整える。

 その指先の動き一つひとつが、妙に落ち着いていて、逆に居心地が悪い。


「けどさ、それって“結婚してまで”やることなのかなーって、ちょっと思ってね」


 図星を刺された気がして、言葉が詰まる。


 夢子は、このバーや撮影現場で、いろんな人間模様を見てきている。

 こういうところだけ、やたら鋭い。


「もしさ、“恋人”じゃなくて“共同経営者”を続けたいだけならさ」


 彼女はストローをくるくる回しながら、さらりと言った。


「その”AIアバター契約”でがっつり稼いで、そのお金をコス君に貢いであげたほうが、お互いwin-winなんじゃないの?」


「……どういう意味」


「セレス様は歌で有名になれて、安定的に稼げる。

 コス君は、生活の心配が減って、自分の創作に専念できる。

 立派なパトロンができるわけですわ」


「それでは私は、五年も恋人を作れないことになるわ」


「セレス様は、歌が恋人じゃない?」


 あまりにも真顔で言うものだから、笑い飛ばそうとして――


 笑えなかった。


「……そんな、歌だけの人間じゃないわよ」


「ふーん」


 夢子は、すこし首をかしげる。

 カウンター奥のミラーパネルに映る私の顔を、一瞬だけちらりと見てから、もう一度視線を戻す。


「だから聞いてるの。コス君のこと、まだ好き?」


 グラスの中で氷がカランと鳴る。

 音が、やけに大きく感じる。


 夢子の言葉は続く。柔らかい口調なのに、内容は鋭い。


「歌とお金と夢とコス君、全部抱えようとしてるセレス様、見ててしんどいよ。

 本当にそれ全部を同時に守れるの? だったらどれを“手放したくないか”だけは、はっきりさせたほうがいい」


「そんな簡単に順番なんてつけられない」


 私がそう言うと、夢子の声が少し低くなった。


「うん、そうやって全部抱え込んで潰れる人、何人も見てきたからね」


 彼女は静かに言葉を選ぶ。

 カウンターの上の照明が、彼女の横顔に柔らかな影を落としていた。


「“コス君を失いたくないからアバター断る”のか、

 “歌のためにコス君との形を変える”のか、

 “コス君のために歌い方を変える”のか」


 一つひとつ区切るようにして、夢子は続ける。


「――それのどれが一番“嫌”かだけでも、決めておきなよ」


 私はその言葉を、胸に刺されるように受け止める。

 どれも嫌で、どれも選べない。指先が小さく震えるのに気づく。


「それにね」


 夢子は、ストローを口から離し、少し得意げに付け加えた。


「5年間の活動中は婚約できないっていう縛りは確かにあるけど、その後の行動を完全に縛る契約は、今の法律的にかなり難しいの。多分、“強めのお願い”レベルよ」


「……そうなの?」


「うん。AI業界のスキャンダル裁判、勉強したからね。

 もし破って裁判を起こされたとしても、まず敗訴することはない。よっぽど悪意を持ってやらかさない限り」


 私のサポートAIも似たようなことを言っていた気がする。

 でも、人間の夢子から聞くと、少しだけ安心する自分がいた。


「だからさ、5年は長いけど、その間にお互いの気持ちが変わらなかったら、そのときに改めて婚約すればいいんじゃない?」


 グラスの氷が、ゆっくりと溶ける音だけが、しばらく続いた。

 店内のBGMに流れるジャズアレンジされたアニソンが、妙に遠く聞こえる。


 私は目を閉じて、自分の胸の奥を探る。


(どれが一番“嫌”か…………ね)



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