⑨AIアバター
事務所に着くと、自動ドアの上に埋め込まれた顔認証センサーが、ピッという小さな音を立てた。
虹色のラインが一瞬だけ私の輪郭をなぞり、《認証済》の表示が空中に浮かぶ。
「こんにちは! セレスさん!」
ロビーに入ると、受付カウンターからぱたぱたと駆け寄ってくる足音。
まだ入ったばかりの新人の女性――美空が、ぱっと花が咲いたみたいな笑顔で頭を下げた。
胸元にはバッジをつけておりそこには「TRAINEE」と表示されている。
「……こんにちは、美空ちゃん。今日も元気ね」
内心、とても穏やかとは言えない状態だったが、一応プロとして、口元だけは形どおりの笑みを作る。
制服のジャケットがまだ身体に馴染んでいない彼女は、緊張と嬉しさが入り混じったような、落ち着きのない瞳で私を見上げてくる。
視線の先では、受付端末に映る私の過去ライブ映像サムネが、ちいさくループ再生されていた。
「あの、今日もすごく素敵です……! この前のライブ、アーカイブ配信で観ました! “生”のセレスさんがこうして事務所にいるなんて、ほんと信じられなくて……!」
言葉が転がりすぎて、ところどころ溶けている。
けれどその真っ直ぐな好意が、子犬みたいで、いつもなら思わず頬がゆるむところだ。
が、今日は違った。
「そう、ありがとう。配信、チェックしてくれてたのね」
できるだけ柔らかい声を心がける。
けれど、自分の声の奥底に、ざらついたものが混じっているのが分かる。
「もちろんです! セレスさんの歌に憧れて、この事務所入りたいって思ったんですから。
わたし、セレスさんみたいに“AIの時代でも輝いている歌手”になりたくて!」
きらきらした目でそう言われて、胸の奥がちくりと痛んだ。
(……変な世界に引き込んでしまったわね)
この業界の、ひどくいびつな土台の上で、それでも歌を続けている自分の背中を、彼女は「かっこいい」と信じて疑わない。
その事実が、今は、少しだけ息苦しかった。
胸の奥のざらつきを、無理やり飲み込むようにして、話題を切り替える。
「マネージャーAIと打ち合わせをしたくて来たんだけど、今は空いているかしら」
「あ、はい。さっきまで使ってた方はもう帰られたので、今は誰も使ってないはずですよ。」
「そう。ありがとう」
そこでいったん言葉を切り、彼女の顔を正面から見る。
「それと――貴方も、私ではなく、もっと先を目標にしなさい」
「え?」
「私は、貴方と“並んで”歌ってみたいの。背中だけ追いかけるような真似は、よしなさい」
一瞬きょとんとしたあと、美空の顔がぱあっと明るくなる。
「……はい! 私、セレスさんと同じ場所に名前が出るくらい、頑張ります!」
その目の輝きに、苦笑いがこぼれそうになるのをなんとかこらえて、軽く手を振って別れた。
◇
事務所の奥、所属アーティスト専用の、小さな予約制防音ルームに入る。
扉を閉めると同時に、室内の壁一面に埋め込まれたスクリーンが、自動で点灯した。
《所属アーティスト:セレス様 マネジメント・インターフェースへようこそ》
天井スピーカーから、落ち着いた中性的な声が流れる。
照明が私の顔認証を終えると、部屋の空調が「セレス仕様」の好みの温度に自動調整された。
「……相談があって来たの。仕事のこととでね」
《了解しました。こちらからの連絡事項もございますが、先にセレス様の要件を優先します》
「私への依頼内容を確認してちょうだい。まだ受けていないもので探して」
《照会します。――未受領の依頼はこちらになります》
ジェスチャー操作に反応して、目の前に半透明のパネルが幾つも展開される。
地方イベントのゲスト、タイアップ候補、企業CMの仮歌、深夜枠のバラエティ出演依頼まで、案件名がびっしりと並んでいく。
画面右下には、各案件の「ギャラ予測」「ブランド適合度」「炎上リスク指数」がカラーバー付きで表示されていた。
《ただし、セレス様のブランドイメージ的に、こちらの案件群はお受けになるべきではありません》
ズラリと並んでいたリストの大半が、すっとグレーアウトする。
残ったのは、先ほどの一割ほど。
《残存案件は、セレス様のこれまでの活動方針・ファン層・長期的価値を踏まえて選別したものです》
さらに数件が弾かれ、最終的に「候補」として残った案件だけが、明るく表示される。
それぞれの案件には、「既存ファン好感度予測」「新規層獲得率」の円グラフがくっついている。
《これらの中でセレス様に負荷が少なく、ファンが希望しており、単価の高い仕事を“美味しい案件”と定義し、セレス様の体調ログ・移動時間・既存業務とのバッティングリスクを考慮してスケジュールを再構成します》
スケジュール表が切り替わる。
ホログラフィックのカレンダーの上で、赤と青と緑のブロックが、自動的にスライドしていき、隙間なくきっちりと並び替えられていく。
《こちらでいかがでしょうか》
びっしり、とは言わないまでも、空白は最小限に詰められていた。
それでも、さっき事務所に来る途中、頭の中で思い描いていた「詰め込みスケジュール」よりは、だいぶ控えめだ。
「……もう少し、仕事を増やせないかしら。あと、もう少し単価の高い仕事も受けたいのだけど」
できるだけ冷静に尋ねる。
マネージャーAIは、一拍置いてから答えた。
《これ以上仕事を増やすことは、労務管理上許可できません》
《過去一年のセレス様の睡眠時間・声帯負荷・ストレスレベル・医療記録から算出した“安全稼働上限”に、すでに限界値近く達しており、この状態が1年間継続されています。》
画面の片隅に、体調ログの折れ線グラフと、音声診断アプリが自動取得した声帯コンディションのヒートマップが呼び出される。
ところどころに、警告マーク付きの赤いラインが刺さっていた。ライブ後の微熱、長時間収録のあとに出た声帯炎症の記録などだ。
《また、単価の高い仕事の多くは、現状のセレス様のブランドイメージと乖離しています》
別ウィンドウに、“高単価案件”のサンプルが表示される。
過激なバラエティ番組のドッキリ企画、過度に煽情的なCMソング、意図的な炎上を狙ったコラボ案件。
横には、それぞれの「短期収入+」「中長期ブランド毀損リスク」のシミュレーション結果が並んでいた。
《これらをお受けになることは、一時的な収入増にはなりますが、セレス様のイメージダウンにつながり、長期的な活動に支障をきたす可能性が高いと判断されます》
「……可能性って、どれくらい?」
《現在のシミュレーションでは、“短期収入+15%~+27%”に対し、“三年以内のファン離脱率+32%”“案件単価の中長期低下リスク”が68.3%の確率で発生します》
数字だけが、冷静に並べられる。
《ゆえに、当マネジメントAIとしては、“高単価だがブランド毀損リスクの高い案件”を、お勧めすることはできません》
どこからどう見ても、正しい判断。
私は息が詰まる。そんな様子はお構いなしに、マネージャーAIは淡々と続ける。
《ひとまず、この予定で各案件元に仮承諾の申請を送信します。人間側との調整が発生した場合は、随時アラートを上げます》
《さて、こちらからの連絡なのですが、セレス様にご相談したい新規案件のオファーが来ております。もしかしたら、今のセレス様には“最適解”になりうる選択かもしれません》
「……それは、なにかしら」
わずかに嫌な予感を覚えながら尋ねると、画面に新しいタブが開いた。
契約条件の冒頭だけが、強調表示される。
《“AIアバター化”のお話です》
「AIアバター……?」
《はい。セレス様ご自身をベースにした公式AIアバターにならないか、との打診が来ております》
《アバター運営元は、セレス様が以前から好意的に言及されているアニメ制作会社です。アニメ風3Dにデフォルメしたセレス様のビジュアルと、音声ライブラリとして収録した声質データを使用し、配信・広告・バーチャルライブなどに展開したいとのことです》
「……そういうのは、あまり興味がないって、前にも言ったでしょう」
できるだけ柔らかく、しかしはっきりと告げる。
マネージャーAIは、予測済みとでも言いたげに、すぐ次のデータを表示した。
《承知しています。しかし、今回は条件が“破格”です》
《期間は5年で契約金は一億円》
数字が、淡い金色で画面中央に浮かび上がる。
思わず、息をのんだ。
《この一億というのは最低限担保されている金額で、契約内容次第ではそれ以上の上乗せが可能です。それに加え、アバター活用で発生した利益の一部は、継続的にセレス様へ還元されるレベニューシェア契約となっています》
耳の奥で、さっきまで見ていた婚約違約金の額がよみがえる。
足りない、足りないと指折り数えていた桁が、いとも簡単に埋まってしまう。
《この条件は極めて好条件であり、当マネジメントAIにも、“セレス様の承諾を何とかしてもらってこい”との指示が、人間側マネジメントチームより出ております》
「……“何とかして”ね」
どこか乾いた声が、喉から漏れた。
《ただし、本契約中はセレス様ご本人の行動が、一定以上制限されます》
《おそらく、セレス様がもっとも引っかかるであろう点は、“婚約状態”に関する条件です》
「婚約……」
嫌な予感が、輪郭を持ちはじめる。
《先方としては、セレス様には“未婚の状態”を五年間キープしていただきたい意向です》
《さらに、もしその後に結婚を希望される場合、“ブランドイメージが損なわれない相手”としか結婚してほしくないため――》
画面が切り替わり、“条件”の一覧が表示される。
そこには、「契約期間中:婚約登録禁止」「契約終了後:パートナー候補リストより選定」などの文字が並んでいた。
《先方が提示した候補リスト内から、パートナーを選んでいただくか、あるいは“独身継続”を選択していただきたい、とのことです》
候補リストの欄は、まだ空欄だった。
条件的にそこに、コスモの名前が載ることは――まず、ない。
私は、しばらく何も言えずに画面を見つめていた。
《さて、どうされますか。AIアバター契約中も、現在の音楽活動に関して大きな制約はありません》
《当マネジメントAIとしては、この契約を受けることを“強く”お勧めします》
「……少し、時間をくれるかしら」
《もちろんです。一次回答の期限は三日後、正午までとなります》
《なお、本オファーはセレス様の現在の婚約状態および世帯情報とも連動しており、必要であればそちらへのフォローアップも行います。》
(こいつらは、どこまでの情報をお互いに共有してるのかしら)
私はそれ以上聞いているのが嫌になり、マネージャーAIをシャットダウンさせ早々に部屋を退出した。




