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①婚約破棄劇場

――「セレス。今ここで、僕は婚約を解消する」


 張り詰めた空気を裂くように、男の声は冷たくよく通った。


 彼――私の婚約者の男

 

――に抱きかかえられたA子は、まるで舞台に立つ女優のように、ゆっくりとこちらへ体を傾けた。細い肩を彼の胸に預け、勝ち誇ったように口元だけで微笑む。


「ごめんなさいね、セレスさん」


わざとらしくかけられたその声は甘い音色をしていたが、良く聞こえるように大袈裟であった。


そのとき、A子はさりげなく、けれども確実に、左手をこちらに向けてくる。

指先のダイヤモンドが、光を受けてぎらりと輝いた。

まるで「あなたから奪ったのよ」と誇示するように。


「いったいどうしてよ、理由を聞いても?」


 自分でも驚くほど、声はかすれていた。けれど、なんとか声を張り上げる。


「君が僕に繰り返した無礼と、特にA子への嫌がらせ。証言は揃ってる」

 彼は私に一歩近づき、さげすむような冷ややかな視線を突きつけてきた。


「いったい何を言っているの」


 思わず一歩後ずさると、床の段差で体のバランスを崩し、その場に座り込む。


「セレスの悪行は全て調べた。彼女に対する犯罪まがいのものも含めてな」

 私は必死で泣き出しそうな声を演出し、喉が裂けるほどの大きな声を絞り出した。


「いいわ! そっちの女がそんなに良いっていうなら、別れてあげる!」

 バンッ、と乱暴に自分の胸元に手を置く。その瞬間、自分で自分に喝を入れたような気がした。


「婚約破棄よ!」


私がそう宣言し終えると、男と私はモニター画面の“はい”ボタンを同時に押した。


『アナタタチノ”婚約破棄”の申請ヲ受理シマシタ』


『シカシ、審査ノ結果、

 鈴木スズキ 星流宙セレス様ト

 田中タナカ 零無限コスモ様ノ、


 “婚約破棄”ヲ認メルコトハデキマセンデシタ』


 感情の欠片すら含まない機械の声が、薄暗い判定室に冷たく落ちた。


『理由ヲ開示シマスカ? ――はい/いいえ』


 無機質な一声のあと、モニター中央の文字がゆっくり点滅する。

 私たちは言葉を交わすでもなく目を合わせ、短くうなずいて“はい”を押した。


『判定理由ヲ開示シマス』


次の瞬間、画面に格式ばったフォントの文字列が縦に並んだ。


――――――――――――――――――――――――――――

・セレス様がコスモ様に行ったとされる無礼や、特にA子さんと呼ばれていた”夢咲ユメサキ 夢現アイ様”への嫌がらせの事実を、当システムで確認することができませんでした。


・コスモ様・セレス様の間に、「お互いを嫌いだ」という感情値を測定できませんでした。

 感情値測定結果:

《セレス様→コスモ様 ―― 測定信頼度:高【好意:中~高】》

《コスモ様→セレス様 ―― 測定信頼度:高【好意:高】》


・両者ともに経済状態が悪く、別れてしまっては生活が成り立たない可能性があります。


上記内容をよく確認し、以下のいずれかの状態にしてから再申請してください。

①経済状態を改善すること

②お互いもしくは一方に嫌いの感情がある


上記の「①」「②」のどちらかを満たした上で再申請をお願いします

―――――――――――――――――――――――――――――


『結果、婚約破棄ヲ認メルコトガ出来マセンデシタ。ナオ、“コノ情報”ハ貴方タチノ個別AIサポートツールニ送信シマス』


最後の一文が表示されたとたん、部屋の隅に置いてあった私の端末と、コスモの端末が同時に淡く点滅した。通知が届いた合図だ。

 画面の無表情さと、端末の穏やかな光の対比に、妙なむなしさが胸をかすめる。


『日々ノ、ゴ愛好、誠ニアリガトウゴザイマス。』


『マタノ、ゴ利用、オ待チシテオリマス。』


 天井スピーカーから、いつもの機械的な音声が流れた。

 モニター下部には、古臭いフォントで

《THANK YOU FOR USING》と、薄く明滅している。


 この旧世代の窓口AIは、状況に応じて“言葉を選ぶ”ということができない。

 どんな修羅場だろうと、どんな感動的な別れ話のラストシーンだろうと、最後は必ずこの一言で締めくくる。


「何が『日々のご愛好』よ。ふざけないで頂戴!」


 さっきまで、私たちの修羅場芝居を天井から見下ろしていた黒いドームカメラに向かって、心の中の苛立ちを思いっきりぶつける。

 カメラの下には、小さな赤いランプがまだ点灯していた。


 隣にいた“私の彼”ことコスモが、慣れた様子で私をなだめた。


「まあまあ、セレス、落ち着いて。機械に怒ってもしょうがないじゃないか」


「気を落とさずに。次もいろいろとやってみようよ」


 コスモは、いつもの柔らかい声で、私に向けて優しい笑顔を作ってみせた。

 ついさっきまで、AI判定カメラに向かってあんなに冷酷に私を罵倒していた人間の顔とは思えない、いつもの柔らかい笑みだ。


 その妙に達観した余裕が、余計に腹立つ。……愛おしいところでもあるけど。


「私の演技がダメだったかしら……」


 正面の椅子――いかにも“役所仕様”の簡素なチェア――

 に座っていた“A子役”、夢現アイ(通称:夢子)が、しゅんと肩を落とした。


 ついさっきまで涙声で「いじめられてます!」と叫び、机を震わせてすすり泣いていたのが嘘のようだ。

 今の彼女は、レンタル用の安物リングを指から外し、タブレットに書き込んである台本を膝に伏せて、すっかり“いつもの舞台女優”の顔に戻っている。


 涙の跡も、メイクのヨレもない。さっきの号泣は、全部コントロールされた“演技用の涙”だという証拠だ。

 さすが、場数を踏んだ役者は違う。


「夢子ちゃんは悪くないわ。寧ろすごい演技でこっちが感動したわ。それにこの問題は、私とコスモの感情値をどう誤魔化すかですもの」


 私たちは社会人でありながら、この無機質な部屋でありとあらゆる“嫌い合ってるフリ”のバリエーションを披露してきた。


 決しておふざけなんかじゃない。本気だ。


 怒鳴るタイミング、視線をそらす角度、椅子から倒れ込むときの姿勢。

 それから、決定的な一言を叩きつける「間」に至るまで――すべて綿密に計算された、本気の台本だ。


 演技の練習だって、夢子の職場仲間である現役俳優たちから、わざわざオンラインで指導を受けている。

 声の震わせ方、息の詰め方、涙をこぼす順番。

 感情トラッキングアプリで自分たちの表情をチェックしながら、プロのノウハウまで導入した、“ガチの破局劇”だった。


 そんな、血と睡眠時間を削って作り上げた「お互い本気で嫌い合ってます」ムーブが――


 壁に埋め込まれたAIの感情センサーには、一蹴されてしまったわけだ。


 システムでは未だに私たちの感情値を測定しており、モニター上には


《セレス様 ―― 測定信頼度:中~高【怒り:中】》

 文字列が、皮肉みたいに光っている。


 機械に「本物の嫌悪を感じている」と認めさせることが、まさかここまで難しいなんて。


 私は立ち上がり、夢子のそばまで歩いていって、軽く腰を落とし、そっと肩を叩いた。

 その、ほんの一瞬の親しげな仕草だけで、夢子の目がぱっと輝く。


「セレス様。やっぱり配役ミスですよ、これ」


 小さく眉を寄せながらも、どこか楽しそうに笑う。舞台女優の顔が、ふっと表に出た。


「配役ミス?」


「はい。私たちが“婚約破棄を突きつける側”で、コス君が“一方的に言い渡される側”をやればよかったんです。

 そっちのほうが、斬新で物語的に説得力ありますって」


 夢子は、舞台慣れした手つきで身振りを交えながら、一気にアイデアをまくし立てる。

 指先で空中に人物配置を描き、視線の動きだけで「ここにカメラ」「ここでクローズアップ」と、見えないカメラワークを指定していく。


 言葉の選び方、間の取り方、視線の泳がせ方まで、全部“経験者”のそれだ。


 彼女の語る「私と夢子がくっつく」というハチャメチャなストーリーは、案外よく練られていて、

 台詞を聞いているだけで、この無機質な判定室に別の舞台セットが立ち上がるような情景が頭に浮かんでくる。


「そして、ここで私とセレス様で手を固く組んで――」


 夢子は自分と私の手を取る仕草をして、芝居がかった声で続けた。


『私たち、もうあなた抜きでやっていくことにしたから。

 あなたみたいな、甲斐性無しで優しさしか取り柄のない男、私たちの世界には必要ないわ』


「って言い放って、きっちりビンタして去る。……ね、完璧でしょ?」


「うわ、それ、ストーリーとしての完成度は高いんだけどさ。最後のセレスのビンタは、普通に痛そうだから、そのプランは勘弁してほしいかな」


 コスモは苦笑いを浮かべ、恥ずかしそうに頭をかいた。

 

「なんですって? 演技上ではなく、今ここでやってあげましょうか」


 椅子から腰を浮かせながら、わざとゆっくりと指をぽきぽき鳴らしてみせる。

 その動きに反応して、天井カメラのレンズがわずかにこちらを向いた気がする。


モニター上には【怒り:高/信頼:高】が表示される


「え、ちょっと待ってセレス? 話せば分かる、話せば――」


 コスモが、判定室の狭いフロアを情けない顔で逃げ回る。

 そして、それを追いかける私と、その様子を椅子に座り頬杖をついて笑いながら見ている夢子。


 ついさっきまで婚約破棄の修羅場の中心にいた三人が、今はもう、いつものような和気あいあいとした空気を取り戻していた。


 ――こうしてすぐにふざけ合ってしまうあたりからして、AIに「破綻していない」と判定されるのも、まあ当然なのかもしれない。


 なぜこんな私たちが、今こんな茶番じみた婚約破棄劇なんてやっているのか。

 それを説明するには、ちゃんと順序立てて話さないといけない。


 結婚制度のこと、AIのこと、私たちの馴れ初め――いろんな要素が、よりによって最悪の形で重なってしまった結果だからだ。


 だからまずは、一番最初のところから話そう。


 私と、コスモと、あの出会いから。


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