第六話 再会のとき
今回は、ずっと出したかったあのキャラを書けたので良かったです。筆が乗った回です。ぜひご覧ください
猛暑日に照りつける日光を遮るため、俺はポークパイハットをかぶり会議所を出た。岸片大学で考古学教授を務めるかたわら、俺は化石についての研究をしている。今日はその研究報告会が、ここで行われていたのだ。
現在は大学に拾ってもらえ、そのおかげでかなりの高層マンションに住めているが、昔は世界中の遺跡を調査していたために住所不定者だった。なのでこういった公の場に肩書きをもって臨めると、自分の成長ぶりに驚いてしまう。
そうだ。今日のことを親友にメールしよう。きっとあいつも、俺がちゃんと仕事をしていると知れば喜ぶだろう。住所不定者だったとき、彼にはたくさん迷惑をかけたと自覚している。
既読の表示のないメール画面を開き、キーボードを呼び起こす。フリックで文を入力し送信ボタンを押した。五年前からいきなり連絡が途絶えてしまったが、それでも俺は彼を親友と思っている。いつかこのメールが読まれることを願って、スマホの電源を落とす。
日照りが続く道を大勢に紛れて進んで行くと、目の前から女性が走って来た。その女性は軽くウェーブのかかったロングヘアを揺らし、俺に手を振っている。
「ちーくん」
人波の中心で足を止めた天王寺友加が、俺を昔からのあだ名で呼んだ。この子と最後に会ったのは、俺の教授着任を報告したときだったから、三年ほど前か。
「友加ちゃん。久しぶりやね」
「うん、久しぶり。元気にしてた?」
「めっちゃ元気やったで。そっちはどない?」
「私は元気にしてたけど……。お察しのとおり玲がね」
俺は先日、友加にメールを出したことを思い出した。探偵の助手を名乗る高校生が訪ねて来たことで、玲に何かが起こったと確信した。その何かの部分は分からないが、玲が好奇の目に晒されていることはネットを開けばすぐに予想出来る。
「俺は探偵助手はんから、朝川寧音って子が失踪した件に玲が関わっとる、そう言われた。せやけど、俺は玲が犯罪が出来るようなしたたか男やとは思えへん」
「ちーくん……」
「俺は事件について何も言わへんかった。その代わりに、俺が知っとる玲について話しといた。そんで、君んところに行くよう言うて」
正直、あれは悪手だったと思う。友加にだって話したくないことはあるし、友加を追い詰めることは玲を追い詰めることにもなる。だからメールを出したのだが、あれから三日、未だに返信は無かった。
「うん、来たよ。みんな揃って。でもね、私も何も言えなかった。言うべきだって分かってる。玲や寧音ちゃんのために、真実を明かすべきだって理解してる」
うつむきながら、友加は進み始めた。俺はその左隣を歩き、自分の住んでいるマンションに誘導する。
「俺、近くに住んでるんやけど、うち来ぃひん?」
そう言ったのは、マンションの真ん前に着いたときだった。友加は俺の思惑に気付いたのか、俺と目の前のマンションを交互に見てから曖昧に首を動かす。
「分かった。お邪魔します」
入り口で部屋番号を押し、エレベーターで最上階まで上がる。簡素なデザインの扉たちを視界の端で流し、一番奥の扉を開けた。
「どうぞ。ようこそ、我が家へ」
「ありがとう」
不愉快そうにする友加は、それでもパンプスをしっかりと揃えてから中に入る。俺も革のローファーを脱ぎ、リビングに案内した。
「そこのソファで待っとって。コーヒー淹れて来る」
「良いの? なら遠慮なく」
友加はもう、俺の思いどおりにしか事が進まないと気付いたようで、大人しく言われたとおりにする。その顔にはまだ不服と書いてあるが、それはパフォーマンスだと知っているので無視することにした。
「ほら、友加ちゃんの大好きな砂糖たっぷりアメリカーノやで」
机にコーヒーカップを置くと、友加は一言感謝をしてから視線を左に流した。壁一面に埋め込まれた大きな窓ガラス。そこから街が一望出来る。と言っても、ここから見えるのはビルばかりで、青空すらも目視出来ない。
「ちーくんは本当に変わったね。良かったよ」
「そうか? 俺ときどき、驕ってしまいそうになるんやで。この景色も三日で飽きた。せやのになんでか、自分が偉い人間やと誇示してまう」
「そんなことないと思うけど」
可愛らしくきょとんとする友加の向かいに座り、俺はアメリカーノを飲み干す。熱さだけが口の中を占めてくれたおかげで、苦味を感じずに済んだ。
「だって、あの帽子をまだ使ってくれてるじゃない。あれは、ちーくんが教授になる前に玲が誕生日プレゼントとしてあげた物。ちーくんは親友からの贈り物を素直に受け取れる。そこだけは変わってない」
「そりゃな、玲がせっかく選んでくれたのに、捨てるわけないやろ」
何、当たり前のことを言っているのだろうか。親友からもらった大切な宝物を、手放せる人なんてこの世にいるはずがない。
「そういうところ」
友加はニコニコと笑い、弾むように言葉尻を上げた。真っ直ぐに伸ばされた指は、俺の目を中心にくるくると回る。友加の世界に入り込んでしまうような、不思議な感覚が俺を襲う。
「私も一端の社会人だからね。周りを見下す愚か者を、それなりには見てきたつもり。あの人たちはね、偉くなった途端にそれまでの苦労も恩義も忘れて、自分が王だと思い上がる。そして、周りからの声に耳を貸さなくなる」
それは、俺がなってしまった姿ではないだろうか。少女が失踪したら、自分の身内でなくとも心配する。それを理解しながら、俺は自分勝手なことだけ言ってたくさんの人を傷付けた。
「でもちーくんは、まだ玲のことを対等な存在だと思ってくれている。帽子を未だに使っていることがその証拠」
口角を上げて友加はこちらを覗いた。そしてアメリカーノを一気に呷り、顔を大きく歪ませる。それがあまりにも滑稽で、俺は気付いたら吹き出していた。
「カッコつけといてお子ちゃま舌なん、おもろいわ。やっぱ友加ちゃん最高や」
「もう! 笑わないで!」
「いやいや。無理やて!」
笑う俺に怒ってくる友加の後ろからは、ぷんすかという擬音が聞こえてくる。この怒り慣れていない感じも、この子は変わらない。
「砂糖、足りひんかった?」
ひとしきり笑って落ち着いた俺は、まだ口をすぼめている友加に聞いてみる。すると友加は小さく頷き、カップをソーサーに戻した。空になったカップとソーサーがぶつかり、軽い音が鳴る。
「うん。でも、もう飲み終わったから大丈夫」
「なんや。遠慮せんくてもおかわりあるで」
「ううん。いらない」
いつも温厚で人の意見を尊重する友加には珍しく、きっぱりとした口調で俺の提案を断った。友加の目は俺をしっかりと見つめ、逃げることなど許さないと言わんばかりだ。何かを言われる。そう予感し、自然と背筋が伸びた。
「ちーくんは、五年前のことあんまり知らないよね?」
やはりその件か。最初から、お互いにこの話を切り出すタイミングを探っていた。何と言ったって、俺たちは玲のことでしか会話を成り立たせられないから。
友加に初めて会ったのは、玲と親友になってから暫く経った高校一年の初夏だった。玲の家に遊びに行くと、夕飯の支度をしている友加がいて、俺が玲の親友だと知ると手を叩いて喜んでくれた。そして自分は玲の三つ年下の幼なじみだと、自己紹介をした。それからだ。玲を中心に三人でいるようになったのは。
そう。あくまで俺と友加は、共通の知人がいるだけの薄い関係に過ぎない。話題も自然と玲に関してのことになるし、玲がきっかけにならなければ、そもそも関わろうとしない。そんな二人だからこそ、玲の身に何か起きれば心は必ず一つになる。
「俺は朝川寧音の件は、新聞やニュースで報じられた程度しか知らへん。でもあれを境に、玲と連絡がつかなくなった」
ある日突然、送ったメールが読まれなくなった。電話も繋がらなくなった。何日も何ヵ月も待って、心が持たなくなって、ようやく過去のやりとりを見返した。すると、六月の中旬から連絡がとれなくなっていると気付いた。
それは、朝川寧音が失踪した時期と一致する。そして最近、玲と彼女に接点があったことをネットで知った。だから俺は、玲の音信不通と寧音の失踪を結び付けた。
きっと玲には人に言えない事情があると思い、勝手に玲を守ろうとした。それに、あの責任感の強い玲が沈黙を貫くなんて、何か玲の大切なものを壊す真実があるからなのだと思った。
それで、探偵助手にお願いをした。真実が持つ人を傷付ける力を、親友に使わないで欲しいと。その後に忠告したのは、玲が守ろうとするものに心当たりがあったからだ。
由命界総合病院。玲の勤め先で、政界の鍵を握る存在。つまり、由命界を守ることは国家を守ることと同じ意味を持つ。玲は誰からも頼まれていないのに、国を背負った。そんな気がしたのだ。
「俺は、玲が何かを隠してるんやなくて、守っているんやと思う。なぁ、友加ちゃん。友加ちゃんは全部知っとるんやろ? 玲にいっちゃん近い人やもんな」
友加は縦とも横ともとれる方向に首を動かした。
「教えてくれ。玲は何を大切にしとるん?」
「ちーくん、あのね……」
カタカタと、カップとソーサーが激しい音を奏でる。友加の瞳は潤み、震える口元からは荒い呼吸が聞こえた。緊張、恐怖、あとは焦りだろうか。友加も友加で、抱え込み過ぎるところがある。
「私、誰かに話したことないから、ちゃんと伝わるか分からない。どこまで話すべきかも、分からない。それでもね、ちーくんには、知っていて欲しいと思う」
「ああ。なんぼでも聴いたる。そんで誰にも言わん。約束するで」
関係は薄っぺらくとも、友加は俺にとって大切な存在だ。俺はこの子にも、絶対に傷付いて欲しくない。そして苦しんでいるのなら、それを分けてもらいたい。
「俺を信じろ」
ありきたりのクサいセリフしか吐けなかったが、友加は安堵の表情で涙を流してくれた。それを指でなぞり、友加はこちらを向く。覚悟が固まったらしい。
「ありがとう、ちーくん。聞いて欲しい」
俺は居ずまいを正す。友加の誠意に応えるために。
「玲のお兄さんについて」
ーーーーー
俺は用意した書類を何度もめくり、誤字脱字の最終確認をする。今日初めて実態調査に立ち会うので、心臓が異様なスピードで動き平静を保てずにいた。
「港、落ち着け。まずは深呼吸だ」
隣の実験台から、先輩である陣内がいつもどおりの声を飛ばす。この人は今年度の頭に二条大学病院から異動して来たのだが、その前はここ由命界総合病院にいたので、実態調査が初めてではないのだろう。本当に、いつもと変わらない。
「玲、お前もだ。怖い顔してるぞ」
陣内の発言に視線を動かせば、実験病棟の統括長が重苦しい雰囲気を醸し出していた。灰色の目を細め、思い詰めた様子で実態調査の案内を凝視している。
「仕方ないですよ。玲先生はここの統括長。つまり、一番偉くて一番責任を問われる立場なんです。緊張していてもおかしくありません」
「だな。もしくは……」
陣内が歩み寄ると、玲はゆらりと目線を上げた。顔つきは険しく、血色が悪い。
「藤條瑠伊とよほど会いたくないか」
「それはないです」
すぐに玲がばっさりと切り捨てた。いつもどおりの無表情に戻った玲は、陣内の眼前に立ち目線を落とす。
「先輩は俺の前任でしたよね。統括長を経験したことがあるのですから、俺の思いが分かるはずです。そうちゃかさないでください」
「俺は藤條瑠伊のことが苦手だったよ」
「先輩は、ですよね。俺は別になんで」
陣内のことを尊敬している玲にしては珍しく、きつく当たるように吐き捨てた。玲は去り際に俺の実験台に置いてある書類を取り、パラパラと目を通してから俺を視界に収める。
「荒牧、この資料良くできているな。ありがとう」
「本当ですか? 安心しました」
「ああ。これなら、藤條さんも理解してくれるだろう」
俺は心の中で大きくガッツポーズをする。実態調査では最初に活動報告の書類を提出しなければいけないと知り、自ら志願して制作を始めた。何度も徹夜をして、文字どおり身を粉にしたので、褒められると努力が報われたようで嬉しくなる。俺はもう一度、玲に感謝をした。
そのとき、壁に掛かっている鳩時計が鳴き始めた。見れば午前十一時、エントランスに厚生労働省の調査員たちが到着する時刻を指している。
今日の実態調査はうちの部署から始まる予定なので、誰かがエントランスに彼らを迎えに行き、ここまで案内しなければならない。俺は昨日、その役割を任された。
「では、先輩方。エントランスに行って参ります」
「ああ。よろしく」
「港、しっかり挨拶するんだぞ」
玲と陣内に送り出され、俺は急いでエントランスに向かう。実験病棟はエントランスのある本館とは別の建物にあり、移動が大変なのだ。遠いというのに、本館と繋がる通路は一つしかない。そのため、遠回りもショートカットも出来ない。
正直に言えば、面倒くさいことこの上ない。本館に行く用事が入ると、俺たち実験病棟の医師には卑しい譲り合いの精神が芽生える。そしてこれが一番辛い。毎回俺が折れて終わるからだ。これだって、普通に考えたら統括長の玲がやるべきことなのに、昨日話し合いと譲り合いが勃発したために俺の役割となった。
でも受け入れた以上、俺は自分の役目をまっとうするだけ。愚痴を心にしまい、俺はエントランスで列を成す黒いスーツの男たちに頭を下げた。
「初めまして。実験病棟の荒牧です」
エントランスに、俺の声がこだまする。本来いるはずの見舞い客や医師、看護師が一人もいないから、静かで違和感だらけな空間だった。国の役人を出迎えるにあたり、院長が規制でもしたのだろうか。
「こちらこそ、初めまして。厚生労働省保険局医療課保険医療企画調査室の藤條瑠伊です」
長ったらしい部署名とともに、藤條が腕を差し出す。俺は藤條と握手を交わし、その妙に整った俳優顔負けの顔面を観察した。
奥二重につぶらな瞳、ぷっくりと膨れた涙袋。目元だけでも情報量が多い。鼻筋もまっすぐに通り、唇は厚みがない代わりに色が濃く、妖しい艶やかな気品を感じさせた。役人になんてならずとも、食っていけただろうに。
「それでは、実験病棟に案内いたします」
藤條の観察を終えた俺は、彼らを案内するため先頭に立つ。すると藤條が俺の隣に並び、胡散臭い笑みを浮かべた。
「隣でかまいませんか? お話をしながら行きたいので」
「ええ、かまいませんよ。俺は」
後ろの藤條の部下らしき人たちは、全員諦めた様子で俺から顔を背けた。こういった藤條のわがままは、今に始まったことではないらしい。先ほどの藤條から有無を言わせない圧を感じたが、それは気のせいではなかったのか。
俺は藤條が医師から嫌われる理由をなんとなく察した。だが俺はまだ、嫌いになっていない。立場を得た者が傲慢になるなんて、ありふれた話だからだ。逆に、藤條瑠伊が普通の人間のように思えた。
「三階の連絡通路から行きます」
俺たちはエレベーターに乗り、三階を目指す。二階に入ろうかというところで、ガラスの壁面から院内を見下ろしていた藤條が首を傾げた。
「こんなに広い病院なのに、部署は違う棟にあるのですね」
「実験病棟は八年前にできた比較的新しい部署ですし、院長が存在を秘匿しているので」
「連絡通路も、三階ではなく一階に作れば移動が楽になる気がしますが」
「それは俺たちも常々思っています」
チン、と軽やかなチャイムが到着を知らせる。俺は扉の開閉ボタンを押し、全員が外に出るまで待った。
「ありがとうございます」
両手を合わせエレベーターから降りた藤條の後に続き、再び二人で先頭を歩く。すると連絡通路から、清掃員の制服を着た男が走って来た。その男はスピードを落とすことなくまるで馬のように突進し、そして、藤條の胸元に飛び込んだ。
「す、すみません」
男は大慌てで藤條から身を離す。眼鏡と清掃員用の帽子で顔は見えないが、明らかに若い男だ。その場であたふたとする男が気の毒になったのか、藤條が彼の肩に優しく触れた。突然のことに固まっていた俺は、その瞬間に我に返る。
「僕は大丈夫ですよ。小さい頃から鍛えていたので、体幹が強いみたいです。それより、君は怪我していないかな?」
「俺も大丈夫です。すみません! 本当に」
「いえいえ。これからは気をつけてくださいね。お仕事お疲れ様です」
男と目線を合わせた藤條は、彼と嘘偽りのない朗らかな顔で会話をし、そのまま手を振って見送った。その藤條の小さい子供を相手しているような言動に、俺は眉根を寄せる。藤條は、過去のインタビューで子供が苦手だと言っていたが、克服したのだろうか。
そして、どうしてこの連絡通路に清掃員がいたのだろうか。普段はこの連絡通路も実験病棟の一部として、俺たち医師が掃除をしている。わざわざ今日のこの時間に、清掃員を働かせる理由が分からなかった。
「藤條さん、後で寺島病院長に報告するべきでは?」
「その必要はありませんよ。僕の不注意でもあるので」
「ですが、あなた様の立場を考慮して……」
「僕の立場? 笑わせないでください」
部下を鼻で笑った藤條は、ひきつった口できつく言葉を紡ぐ。
「あなたが大臣に恩を売りたいだけでしょう?」
冷静な藤條の意見が図星だったのか、部下は唇を噛みしめて後ろに下がる。こんなことには慣れてしまったらしい藤條は、部下を振り返ることなどせずに実験病棟の入り口まで進んだ。俺は慌ててカードキーをかざし、扉のロックを解除する。重い機械音を立てながら、扉が左右にゆっくりと開いた。
「どうぞ、藤條さん」
「荒牧先生、でしたっけ? あなたも報告は不要ですから」
「承知しました。大臣のご子息も大変なんですね」
もし、本物の善意から藤條のために行動してくれる人が現れたとしても、藤條にはそれを確かめる術がなく疑うことしか出来ない。自分に近づいてくる人は、自分ではなく自分の父親にしか興味がないと考えなければならないからだ。
俺は藤條の立場に同情した。しかしすぐにその考えを追い払い、彼らを中に入れる。先ほどまでここにいたはずの先輩たちはいったいどこに行ったのか、二人の姿はなかった。俺はため息をぐっとこらえ、藤條に実験室の説明を始める。
「三階は見てのとおり実験室です。火が使える台や水が出る台、熱湯が出る台などたくさんの種類があります。作る薬や実験の内容によって、その都度用途にあった台を使用しているのです」
藤條は壁面をなぞるように設置された薬品棚を見回し、数名の部下に指示を出す。すると統率のとれた動きで、一斉に実験台の調査が始まった。何を調べているのかは知らないが、持っているタブレット端末に数値やら何やらを打ち込んでいる。
「我々は違法な薬品が無いか調べます。立ち会いをお願いします」
「それは俺がやる」
俺が了承の意を示す直前、いきなり現れた陣内がジャンパーを着た調査員の前に躍り出る。さすがに一言欲しいと俺は距離を詰めるが、陣内は調子に乗ったウインクをするだけだった。
「医師の陣内だ。よろしく」
陣内が握手のために手を出すが、調査員はそれを無視しさっさと薬品棚に向かう。陣内は一瞬だけ唇を尖らせ、すぐに棚のガラス戸を開けた。部屋に充満する消毒薬の匂いが強くなる。
「港は玲と一緒に、入院病棟の方に行ってくれ」
「了解です」
俺は藤條と先ほど叱られていた調査員を連れ、入り口脇の螺旋階段を下る。透明の自動ドアをくぐると、アパートの廊下と同じ作りの空間に出た。
「ここがうちの入院病棟になります。一階も同じようになっていて、病床数は合わせて八床です。今は一階に一人入院しているので、その部屋以外で調査をお願いします」
「荒牧先生。もしその話が嘘で、怪しい部屋を隠そうとしているのなら?」
内緒話をするノリで藤條に質問されるが、内容が内容なので俺は答えに窮した。
「こちらを信じてもらうしかありませんね」
突然声が聞こえたと思えば、意地悪にこちらを挑発してきた藤條に、螺旋階段の上から玲がそう返してくれていた。コツコツとスニーカーから出るはずのない足音で、玲が藤條へと歩み寄る。
「配流さん。こんにちは」
「藤條さん。我々はそう言うしか出来ませんよ。こちら側が何か不審なことをしているかどうかの判断は、あなたにしか下せませんから」
「それもそうですね。僕としたことが。おかしなことを言ってしまいすみません」
自嘲する藤條を横目で睨んだ玲は、病室の鍵を開け中に全員を通す。普段はベッドしか置かれていない部屋の中には、点滴棒やベッドサイドモニターが、まるでそこに患者がいるかのように並べられていた。
その光景の異様さに、俺は吐き気をもよおした。人前だというのにえずいてしまう。こんな部署には患者なんていらない。そう思えば思うほど幻覚を見る。俺は階段の手すりに体重を預け、背中を丸めて吐き気を逃がす。
何回か深呼吸を繰り返し、ようやく落ち着いた頃には廊下に誰もいなかった。俺は立ちくらみを起こしながら病室を覗き、ほっと息を吐いた。
玲が藤條たちに、設備の説明をしている。玲はかなりの口下手なので内心不安だったが、なんとかやれているみたいだ。俺の出番はない。
そう思い階段脇で待っていると、玲が出て来て他の病室も開け始めた。そして藤條の部下が、タブレット端末で室内を写真に収める。
「確かに、この階の病室はすべて同じ作りになっていますね」
「でしょう。次に一階もご案内します」
得意げに鼻を鳴らした玲は病室を施錠し、二人を後ろに一階へ下りて行く。俺はするべきことも分からないまま、その背を追いかけた。
先ほどと同様に、玲が解錠した部屋を藤條たちがくまなく調べる。器具の動作確認や予備電源のスイッチ、コードが繋がっている箇所など、文字どおり隅から隅まで調べられた。
「荒牧、体調は平気か?」
「はい。なんか見慣れない光景にびっくりしちゃって。もう大丈夫です」
「そうか。なら良いんだが。無理するなよ」
部屋の前で藤條たちを待っていると、俺と同じく手持ち無沙汰になった玲が気にかけてくれた。俺が正直に答えると、玲は俺の背中を擦りまた藤條の元へ行く。口ではああ言っていたが、まだ気をもんでくれていることは目で分かった。彼と出会って二年弱。彼の感情が目に出やすいことは、もう常識だった。
「三部屋とも調査終了しました」
「ありがとう。さて、配流さん。患者がいる部屋こそ、我々に見せておくべきなのではありませんか?」
藤條が、期待を込めた眼差しを玲に向ける。言葉は丁寧だし言い分もまっとうだが、玲があの部屋を開けるわけがない。朝川寧音のことが知られてしまう。俺は玲が目を泳がせていることを確認し、藤條と玲の間に身を割り込ませた。
「藤條さん。あなたのおっしゃることはごもっともですが、患者に負担をかけたくない統括長の気持ちを、分かっていただけないでしょうか?」
「荒牧……」
「それもそうですね。私も、出来ればあなたたちの考えを尊重したい。しかし、こちらもこれが仕事です。病院に巣食う危険の芽は取り除かなければならない」
「危険なんてありません。もう七部屋も見たでしょう。どこに危険なんてありましたか?」
「例外があるかもしれません。大多数が正しいという甘えた考えを採用するほど、我々も落ちぶれてはいません」
売り言葉に買い言葉。いや、その土俵にも上がれていない。俺はただそれっぽいことを言って、都合の悪い真実を隠そうとしているだけ。自分の使命を果たそうとしている藤條の方が、よっぽど立派でよっぽど正しい。
でも、やっぱりダメだ。朝川寧音の存在を認知されれば、玲が何も悪くないのに裁かれてしまう。俺たちは、玲を失うことになる。それだけは、どうやってでも避けたい。
「荒牧、ありがとう。でも大丈夫だ」
「え?」
それまで明らかに悩み込んでいた玲が、スッキリとした顔つきで俺を抑える。意味の分からない俺は、されるがまま後退りするしかなかった。
「藤條さん、約束してください。入り口から部屋の中を見回すだけにしていただきます。中には入らず、今見てきた部屋と比較する。この方法なら、統括長として許可出来ます」
「配流さんって意外と頑固なんだね。いつもなら僕に意見する人はいないのに。まぁ、それを言うなら、噛み付いてくる人もいないけど」
背を翻した藤條は、満足そうに玲と朝川寧音のいる部屋に向かった。珍しいものを見たと、藤條の後ろ姿が語っている。俺は、藤條に褒められたのか貶されたのか判断出来ずに戸惑い、藤條の部下に話しかけていた。
「あの、藤條さんがああいうこと言うのって、人に釘を刺すためですよね?」
「いえ。あれはだいぶ喜んでいらっしゃるので、おそらくあなたのことを褒めたのですよ」
あれが喜んでいる人の笑顔なのだろうか。俺は藤條から邪悪さとこちらを見下す雰囲気しか感じ取れなかったため、釈然としない気持ちで首を傾げる。
「この子が君の患者さんか。まるで眠り姫だね」
約束どおり病室の入り口に立った藤條が、静かに玲へ話しかける。
「朝川寧音は確かに眠ったままですが、数値は安定しているので、もうすぐ目覚める可能性があります」
からかうように笑っていた藤條が、玲の淡々とした説明に目を見開く。しかしそれはたった一瞬で、目を細めた安堵の笑みに変わる。
「そうか、良かった」
藤條の声が、わずかに震える。
「目が覚めると良いね」
社交辞令に聞こえるセリフだが、そこには確実に願いがこもっていた。心の底から、患者回復を祈っている。それは、玲や俺たちと同じ思いだ。
厚生労働省の役人と聞いて、医療の法や制度にしか興味がないと思っていた。だが藤條は、医療従事者に近い目線で患者のことも考えている。
もしかして、玲はどこかでこのことに気付いて、シンパシーを感じたのだろうか。だから藤條が苦手と言った陣内に、あんな態度をとったのか。
俺は藤條への思いを改め、調査員たちを見送った。
ーーーーー
陣内と荒牧が定時で上がり、夕陽の差し込む実験病棟で俺は一人、今日の片付けをしていた。瑠伊たちが来るため病室を再現しておかねばと思い、昨夜器具などを用意していたのだが、驚かせてしまったようだ。俺は患者の気配漂う病室にえずいた荒牧を思い出し、申し訳なくなった。
次回からは必ず事前に相談しよう。過去二回の調査は一人で回していたので、その癖が出たのだろう。俺は反省しながら実験室に戻った。ここの片付けが終われば、俺も帰れる。今日はちゃんと家に帰ってご飯を食べよう。なんだか、友加の料理が恋しくなった。
俺は四階の自分の研究室で、帰り支度を始める。今まで溜め込んでいた空のペットボトルをすべて入れると、俺のカバンはすぐにパンパンになった。リュックにはタブレット端末とファイルを入れる。家で出来る仕事は持ち帰ろう。
戸締まりをして、三階に下りる。俺は実験室の鍵をかけようとしたそのとき、入り口の台に放置されている資料を見つけた。荒牧が作ってくれた、今日提出するべき資料。
俺は舌なめずりをする。調査のときに瑠伊に渡す予定だったが、他のことに気を取られて忘れていた。今までの調査で瑠伊は実験室の担当をしていたが、今日は入院病棟に来た。朝川寧音のことを知られないように俺は気を張っていたし、瑠伊は俺に会って動揺でもしていたのだろうか。仕事を忘れるなんて、瑠伊らしくない。
俺は実験病棟を閉め、帰路に着く。病院から徒歩五分のところにある、小さな一軒家。俺はそこの鍵を開け、我が物顔で中に入る。
「友加。いるか?」
俺がリビングに向かって声をかけると、ドタバタと激しい足取りで友加が現れた。
「玲! どうしたの? いきなり来て。言ってくれればご飯作って待ってたのに」
「今から出てくる。だから朝川寧音の見守りをお願いしたい」
「別に良いけど……」
友加は顎に手を当て、考え込むポーズをとる。
「帰り何時になりそう? ご飯作っとくよ」
「ありがとう、友加。厚労省まで行って来るから、一時間くらいかな」
「厚労省! あんた何したのよ」
「何もしてない! 何もしてないから」
今にも射殺さんとばかりに詰め寄って来る友加に、俺は慌てて弁明する。
「今日の実態調査で提出し忘れた書類を届けに」
「そっか。じゃあ、瑠伊さんに会うんだ」
分かりやすく安心した友加は両手を組み、いつもの笑顔に戻った。
「いや、あの人は忙しいから。多分他の職員に渡して、それで」
「なるほどね。分かった。いろいろ了解」
敬礼をしてくれた友加に、携帯型デバイスを預ける。入院患者の数値や異変を教えてくれる、由命界総合病院の医師に支給される優れものだ。
「それじゃあ、行って来る」
「うん。気をつけてね。人通りのないところと暗いところには行かないこと! いい?」
「分かってる。ありがとう」
母親が幼子に言い聞かせるのと似た口調で、友加は指を立てて念を押す。少し過保護だとも感じるが、あんなことがあったのだから仕方ない。
「ねぇ」
「リクエストなら無いよ」
「え?」
「作ってくれるだけで、ありがたいから」
友加は自分が聞く前に俺に答えられたことが不思議だったようで、目をパチクリとさせる。その様子から俺の予想が当たっていたと分かり、安堵した。小さい頃から一緒にいると、友加が何を考えているかなんてすぐに分かる。そろそろ友加にも俺の脳内が分かるようになって欲しいが、鈍感なところがかわいいので難しい問題だ。
「玲、ありがとう。行ってらっしゃい。気をつけて」
「ああ」
玄関から外に出ると、湿った熱気に襲われた。夕陽に照らされる街はまだ明るく、さすが真夏だと感心する。厚生労働省の庁舎まではかなりかかるが、タクシーを拾うのも面倒なので歩いて行くことにした。
友加の言い付けを守り、人通りの多い道を退屈になるほど進み続けると、ようやくビルがそびえ立つ官庁街に入った。俺はそこ、中央合同庁舎の第五号館で受付に声をかける。ここが厚生労働省の庁舎なのだ。
「すみません。由命界総合病院の配流といいます。藤條瑠伊さんはお手すきでしょうか?」
「お約束はございますか?」
「いえ。ですので、本人でなくともかまいません。書類を渡すだけですので」
「でしたら、少々お待ちください」
受付スタッフは内線でどこかに電話をかけると、ここで待つようにと俺に頭を下げた。俺がそれに従いすることもなく棒立ちしていると、エレベーターホールから若い女性が走って来る。受付スタッフがその女性に俺を示すと、彼女は深くお辞儀をした。
「藤條瑠伊の秘書をしています、天羽ゆりです。本日はどのようなご用件で」
「今日の昼頃に藤條さんが実態調査をされた、由命界総合病院実験病棟の統括長です。提出し忘れていた資料を届けに参りました。ご迷惑をおかけして申し訳ございません」
俺から資料を受け取ると、天羽は眉を八の字にして再び背を折った。
「こちらこそ、申し訳ございません。藤條の確認不足により、ご足労をおかけしてしまい」
「いえ、俺は大丈夫です。なのでお気になさらずに。藤條さんに、よろしくお伝えしていただけないでしょうか?」
「もちろんでございます。本当に申し訳ございません。こちら、確かにお受け取りいたしました」
最後まで謝罪の姿勢を崩さない天羽のプロ意識に感服し、俺は庁舎を去った。あんな良い人が傍で仕事をしてくれるなんて、きっと瑠伊の努力が報われたのだろう。自分の事のように、それが嬉しかった。
俺の足取りは浮ついていた。それは久しぶりに、あの家に帰れるから。おいしい料理と友加の待つ、あの暖かい家に帰れるから。帰る場所がある幸福を、自分を待ってくれている人がいる至福を、俺は改めて噛み締めた。
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