第四話 兆しのとき
天王寺友加がどんな人なのか伝わると嬉しいです。
よく晴れた真夏の土曜日、僕は事務所から正式に活動自粛を言い渡された。この前までの僕なら自宅で大人しくするはずだが、今の僕はこれ幸いと変装をして、朝川探偵社に向かった。
今日は愛意たちとセレンクリニックに行き、天王寺友加から話を聞く。玲から幼なじみの話をされたことはなかったので、友加という存在は僕にとっても未知数だった。いったい、玲とはどんな関係を築いているのか。
探偵社で愛意、新希、明日斗と合流し、四人で歩いてクリニックまで行く。道中では、誰も言葉を発しなかった。全員の緊張が伝染し合い、空気が張り詰めていたのだ。
クリニックに到着した僕たちは、まず入る人を譲り合うように顔を見合せた。気まずいその空気に一番最初に音を上げた新希が、我先にと中に入って行く。僕たちは感謝しながら、その後に続いた。
「こんちは。用件どーぞ」
「え。あ、あの。天王寺友加先生に用があって」
新希が声をかけた受付の青年が、無愛想に対応した。そのことに戸惑いつつも、新希は用件を伝える。すると青年はパソコンで何かを確認してから、新希に目線を戻した。
「友加先生なら奥の部屋にいる。案内すっから、着いて来い」
そう言った青年は席を立ち、こちらを一瞥して背を翻した。目的地に向かって歩き始めた青年を、数人の患者や受付嬢が頬を赤らめて目で追う。
確かに青年は整った顔立ちをしていて、純粋さが溢れ出ている。モテるタイプだとは分かるが、この人たちはあの愛想のなさでも良いのだろうか。
そんなことを考えて歩いていると、目的の部屋に着いたようで、青年がノックをしてから扉を開けた。ミントグリーンの落ち着いた部屋の中から、消毒液がかすかに香る。僕たちは中に入り、ぐるりと部屋を見回した。
横に長いデスクの上には、大きなパソコンが三つと写真立てが置かれている。診察台の上には子供たちに人気のキャラクターがデザインされたタオルケットが、綺麗に畳まれていた。
「天王寺先生って、子供たちに人気なんですね」
壁に数枚の似顔絵を見つけた新希が青年に訊ねると、彼は満足げに笑った。
「ああ。あの人はすげぇ人だからな。この絵もほんの一部にすぎねぇ。友加先生は、たくさんの子供から慕われてるんだぜ」
友加宛ての似顔絵や手紙を指差し、青年は胸を張って答えた。友加のことを、よほど自慢に思っているようだ。僕が一息ついたそのとき、デスク脇の扉が開き、一人の女性が入って来た。
背は低く小柄で、顔にもあどけなさが残っている。しかし、白衣がよく似合っていた。医者としての威厳も、人としての優しさも、すべて一目で分かる。僕はこの人を、直感的に綺麗な人だと思った。それは新希や明日斗も同じのようで、二人は彼女に見惚れたまま動かなくなっている。
「こんにちは、初めまして。小児科医の天王寺友加と申します」
友加は背を直角に曲げ、深く礼をした。顔を上げた友加は、首を傾げながら僕たちに微笑みかける。こちらの不安や悩みをすべて包み込みそうなその温和な笑顔に、僕も自然と笑顔になった。
確かにこれは、子供たちから慕われておかしくない仕草と安心感だ。
「ここまでうちの湯中に、失礼はありませんでしたか?」
青年に目をやった友加が眉を下げ、こちらを気遣わしげに見た。その途端青年が顔色を変え、焦ったように友加に近づく。
「別にいいだろ。んなこと」
「よくないよ。狡くん、この前苦情来てたんだからね」
声を潜めて話しているが、二人の会話はこちらに筒抜けだった。湯中狡というこの青年は、無愛想が原因で何度か患者や同僚から怒られているらしい。
「天王寺先生。その人、教育し直した方が良いですよ」
呆れた様子で、明日斗が狡を指差した。すると狡は分かりやすく怒りで顔を歪ませ、明日斗をメンチをきるように睨み付ける。どこからどう見ても、町のヤンキーでしかない。
「ごめんなさい。この子、昔相当ヤンチャしていたみたいで。一度染み付いてしまった口調は、なかなか矯正出来ないのですよ。口悪いですね」
すみませんと重ねてもう一度謝る友加に、哀れみの感情が芽生える。礼儀正しいと言えばそれまでだが、友加は自分に関わる誰かの非礼を、まるで自分事のように捉えているのだと直感した。
「君、友加先生のことどう思ってる?」
変装用のキャップとマスクを外した僕は、ステップより軽い足取りで狡に歩み寄る。僕の顔を認識した狡は、途端に目を白黒させた。
「て、てめえ。まさか……」
はくはくと、狡が開閉させる口から息が漏れる。驚愕を露にした狡が何を言おうとしているのか。僕は期待を込めて、最上級の笑顔になる。
「今、テレビですげぇ叩かれてる」
「コラ!」
狡の言葉を、友加が間髪入れずにお叱りで遮った。僕は『アイドル』として名指しされることしか考えていなかったので、隠すことなく不機嫌と不愉快の空気を狡に送る。するとそれを感じたのか、友加が狡から僕に視線をスライドさせた。
「すみません、うちの湯中が。あの、気にしなくて大丈夫ですからね。ああいう人たちは、人気のある人たちの言動をいちいち揚げ足とって、自分の知名度を稼ごうとしているだけですから」
「ありがとうございます。でも、大丈夫です。今回の件は、僕にも非がありますから。しかし、何もかも否定されるとムカついてくるんですよね」
気にしてはいるけれど、怒りの気持ちもあるので大丈夫だと、心配してくれている友加に伝えた。すると友加は口元を緩め、何かを言おうとする。だがその前に、しびれを切らした愛意が言葉を割り込ませた。
「天王寺先生。私たちがどうしてあなたを訪ねたのか、分かりますよね?」
「ええ。そうですね、そろそろ話さなければ……」
愛意の問いに友加は神妙な面持ちで答え、狡を退出させる。友加は部屋の奥にあった丸椅子を並べ、僕らに薦めた。デスクチェアに座った友加と向き合うように愛意が先に席に座り、僕たちも適当に位置を選んだ。
「名刺、渡しておきますね」
愛意が名刺を差し出すのを見て、新希と明日斗はそれにならう。僕もそうしたかったが差し出せる物は無いし、先ほどの会話からちゃんと身バレしていると分かったので、真向かいでニコニコしていることにした。
「聞きたいことというのは、私の幼なじみの件、ですよね」
「ええ。もしかして、その写真の人が配流玲」
「はい。これは、玲の医大の入学式での写真です」
デスクに飾られていた写真立てを、友加は僕たちに見える位置に置いた。灰色の瞳を細め、僕の知らない玲が眩しく笑っている。
僕と玲が出会ったのは、僕が物心ついたばかりのときだった。当時玲は高校三年生で医大受験を控えていたため、一緒にいられる時間は少なかったが、玲が医大に入ってからはよく遊んでもらっていた。
あまり友達ができなかった僕にとって、玲は唯一の繋がりだった。でも、玲には幼なじみや親友がいて、医者になってからは新しい仲間や患者に出会って。僕は玲にとっての唯一ではなかった。それを見せつけられているようで、自分が惨めになる。
「素敵な写真ですね。配流玲は、本当に医者になりたかったのだと分かります」
「玲は、私の父に憧れて医者になったそうですよ。私の父、天王寺友仁は、心臓外科手術のエキスパートとも呼ばれている人なので」
「俺、その人知ってます。確か、小児の先天性心疾患を専門にしていますよね?」
「ええ。玲も小さい頃、いろいろあって。父のお世話になってから、父に憧れ医者を目指したそうです」
友加の言葉に、胸がきゅっと縮こまった。また、僕の知らない玲だ。
「そんな配流玲が医者になり、たくさんの患者を担当した。その中に、私の妹の寧音がいる」
愛意が友加に寧音の写真を見せる。すると友加は、見開いた目を怯えたように震わせた。
「五年前、寧音が風邪をひいたとき、私の家族は寧音をここに診せに来た。でも検査の結果、精密検査が必要な数値が出たから、由命界総合病院への紹介状を書いた。そうよね? 天王寺先生」
「ええ。寧音ちゃんの診察と検査を担当し、紹介状を書いたのは私です。この近くの大きな総合病院といえば、由命界しかありませんから」
「由命界で寧音の担当になったのは、あなたの幼なじみの配流玲。これって偶然?」
「偶然ですよ。そもそもうちが紹介状を書くのなんて、由命界にだけです。由命界での検査の結果、寧音ちゃんはただの貧血だったのでしょう。それに、玲に寧音ちゃんが回ってくるのは、妥当と言えば妥当なように感じますし」
「あの、一ついいですか?」
友加の話を脳内で整理していた僕は、どうしても気になったことがあり、二人の会話に口を挟む。愛意は心底嫌そうな顔をしたが、友加は優しく続きを促した。
「僕は、あの、六年前まで、玲さんとは仲良くしていました。でもいろいろあって、その、現在まで玲さんとは連絡がとれていなくて。それで六年前、僕は玲さんと音信不通になってから えっと、由命界を訪ねたんですけど、今日は休みだと追い返され、最後は病院を辞めたとまで言われて。どうして、その、五年前に由命界で、寧音ちゃんの担当が出来たんですか?」
事実を思い出しながら話したせいで、文章がぐちゃぐちゃになってしまったが、友加は頷きながら聞いてくれた。そして僕が話し終わると、ゆっくりと口を開いた。
「六年前、あなたがおっしゃるいろいろのせいで、玲は外科から実験病棟に部署を異動したのです。あの部署は由命界でも一部の人しか知らないところで、だから、辞めたと言われたのでしょう」
「実験病棟? 初耳です」
友加の口から出た言葉に、新希は眉をひそめる。僕も初めて聞く言葉だったため、隣で深く頷いた。
「実験病棟は、通常の治療では完治が難しい患者や、処方された薬が体に合わなかった患者を対象に、新薬を開発する部署です。玲から聞いた話では、寧音ちゃんは鉄剤の副作用が大きく出たので、実験病棟に回されたそうです。五年前の実験病棟の医師は玲一人でしたから、玲が寧音ちゃんの担当医になることはごく自然な流れですよ」
僕は不思議な部署だと感じた。友加の話から、実験病棟は重宝されるべき部署だと分かるのに、実際は内部の人間も一部しか知らず、一般向けには公開されてすらいない。隠す必要なんてない。なのに、隠されている。
「どうして、何も……」
どうして、玲は何も言ってくれなかったのだろう。部署を異動したのなら、そう言ってくれれば良かった。隠さなければならない部署だというのなら、忠告さえしてくれれば僕が口を割ることはなかった。
何度も由命界総合病院を訪ねて、何度も玲は辞めたと言われた。それしか情報が無くて、それを疑いながら信じた。それなのに、本当はずっと由命界総合病院で医者をしていた。
嬉しい思いもあるのに、ふつふつと怒りが湧いてくる。それは玲に対してではなく、玲の医者としての信念を信じてあげられなかった自分に対してだった。
「私は何も知りません。玲の気持ちは、玲本人に聞いてください。その方が、良いですから」
友加はそっと僕の手に触れ、包み込んだ。小さな友加の手でも、その温もりは充分過ぎるほど感じる。
「玲は由命界にいます。あなたが会いたがっていると知れば、喜ぶでしょう」
僕から手を離した友加は愛意に向き直る。その顔には、笑顔がなかった。
「探偵さん。寧音ちゃんの事件について、私から言えることはありません。ただ、玲がそんなことをする人間でないことは知っていてほしい」
「そんなこと、私には関係ない。私は真実を追及する。そこに私情なんて挟ませない。私は配流玲を徹底的に詮索し、彼がどんな人間なのか理解する。あなたと私では、配流玲に対する思いが違う」
友加の切実な願いを、愛意の探偵としての切実さがかき消した。玲の知り合いの僕は、友加の気持ちがよく分かる。だけど、玲のために真実を追及すると決意した僕は、愛意に同意だった。
「友加先生。僕も、玲さんのこと信じています。これからもずっと、信じ続けます。だからこそ、真実を求めているんです。僕たちは、必ず真実を突き止めます。寧音ちゃんのために、玲さんのために」
友加の無表情が、恐怖とも安堵ともとれるものに歪んだ。ぐにゃりという音が聞こえてくるほど、ゆっくりと確実に友加が顔色を変える。
「そう」
友加の返事は淡白で、表情からは想像できない、吐き捨てるような声音だった。この人も、何かを隠している。でも、踏み込めない。
「天王寺先生。今日はありがとうございました。明日、由命界に行き配流玲を訪ねます。いいですね?」
「止めても聞かないのでしょう」
言葉尻を上げて言った友加は片手でパソコンで操作し、ショートメッセージを送る。すると間もなく、狡が部屋の扉を開けた。
「好きにしてください。私も、あなた方が掴む真実を知りたいので」
立ち上がった友加は、最初に見たのと同じ温和な笑顔を浮かべていた。そしてゆっくりとお辞儀をし、部屋を去って行く。その背中が満足感を漂わせていることには、すぐに気がついた。僕たち四人は見送るわけでもないのに、友加がいたところを黙って見つめてしまう。みんながきっと、友加の言葉の意味を考え咀嚼しているのだ。
「なあ、アイドルさん。話をして良いか?」
突然の狡から僕への呼びかけで、部屋に訪れていた沈黙が破られる。僕は狡の言葉に疑問を抱きつつ、とりあえず頷いた。
「大丈夫だよ。えっと、二人で?」
「ああ。出来ればそうしてほしい」
狡の頼みに愛意たちを見れば、僕の思いが伝わったようで、愛意はひらひらと手を振った。
「じゃあ、私たち先に帰るから。後でちゃんと探偵社に来てね」
「璃王さん、また後で」
「お先に失礼します」
愛意、新希、明日斗はそう言って部屋を出た。残った僕は狡の方を向き、話し始めるのを待つ。しかし狡は待てど暮らせど黙ったままで、僕は途方に暮れるしかなかった。
「場所、変えて良いか?」
ようやく口を開いたかと思えば、狡はそんなことを言い部屋を出る。僕はどうしたのかと心配になりながら狡の後に付いて行き、暫く歩くと、クリニックの裏の庭へと出た。色とりどりの花が、あまりにも綺麗に咲いている。
「ここ、すげぇ落ち着くんだ」
二人でベンチに座ると、狡が柔らかく言葉を落とす。僕は目の前のヒマワリを見て、首肯した。
「さっきお前に聞かれてから、答えを考えてた。俺は友加先生のこと、信頼してる」
「え? あ、ああ」
唐突なこと過ぎてすっとんきょうな声を出してしまったが、すぐに何の話か思い至った。友加に話を聞く前に、僕が狡に訊ねたことの答えだ。友加との話が濃すぎて、僕の記憶から消えてしまっていた。
「どうしてもこの口調直せなくて、そのせいで、就職うまくいかなくて。むしゃくしゃしてたときに、友加先生と出会った。いつも大人は、すぐに矯正しようとしてきたけど、友加先生は俺のペースを尊重してくれた。ゆっくりでも、変われるなら素敵だねって」
友加なら言いそうだと、あの短時間の関わりでも分かった。あの人は、人の思いを大事に出来る。
「そっから、たまたま街ですれ違っただけの俺を雇ってくれた。俺がテキトーでも敬語使えれば、褒めてくれた。でも、悪いことしたら叱ってくれる。あんな大人、初めてだった。だから、この人についていこうって思えた」
「そうなんだ」
「でも、俺ダメなんだ。やっぱり敬語使えねぇ。俺、思ったことそのまんま言うタイプだから、敬語に脳内で変換するなんて出来ねぇんだよ」
頭を抱えて項垂れた狡が、長いため息を吐く。僕は、狡が現状に甘えているのだと思っていた。でも、見当違いだった。狡は甘えたうえで抗っている。それは、とても難しいことのように感じた。
「僕は、ここで働いているわけでもここに通っているわけでもない。だから何も言えないけど、友加先生のこと信頼しているなら、その気持ちを裏切っちゃダメだよ」
狡がゆっくりとこちらに顔を向けた。迷子の子犬にも見える、心細げな顔だ。
「僕もね、とある人を信じた自分の気持ちを、最後まで裏切らないって決めたんだ」
玲を信じると決意した瞬間、胸が軽くなった。その安心感を、狡にも抱いていてほしい。
「狡くんも、そうしな!」
お得意のアイドルスマイルとともに、僕は狡に元気よく言った。すると狡は一瞬目を細め、それからふっと笑みを浮かべて立ち上がる。
「ありがと! ……ございます」
最後に恥ずかしそうに敬語を添えて、狡は走りながら建物内に戻って行った。元気が出たなら良かった。僕は安堵しながら、約束の探偵社へと向かった。
ーーーーー
返事がないと知っていながら、私は幼なじみの研究室の扉をノックする。中にいることは分かっているので、私はすぐに扉を開けた。
「玲、お疲れ様」
オレンジ色の常夜灯の下で、私の幼なじみはファイルを整理している。玲は私の方に一瞥くれると、すぐに戸棚に向き直った。
「友加か。何の用だ? こんな夜遅く」
「夜遅いのはお互い様でしょ。玲、最近ちゃんと寝れてる?」
許可されるより前に部屋に入り、私は玲の顔を覗き込んだ。やっぱり。そう思うとため息が出る。玲の目の下には、濃くはっきりと隈ができていた。
「心配いらない。それより最近、荒牧と先輩が二人で忙しそうにしているんだ。会話が聞こえてきたんだけど、二人であの事件を探っているらしい」
「そうなんだ」
「でも、どうやら難航しているみたいだ。多分、真実には辿り着かない」
玲は一言も挟ませないような早口で言い切ると、戸棚のガラス扉をそっと閉めた。そこに反射する玲の顔からは、悲しみと焦りが読み取れる。
「そう言う割には、安心してないんだね。真実が知られないなら、玲は嬉しいはず」
私は考える演技をしながら、更に玲と距離を縮める。
「玲はあの二人のこと優秀だと知っているから、いつか真実に辿り着くことを分かっているんでしょ?」
「俺は、荒牧のことは、経験が浅いはずなのに的確な判断が出来る医者だと思っている。先輩は、俺を研究者として育ててくれた恩人だ。二人とも、信用している」
玲がくるりとこちらを向いた。玲の灰色の瞳が、私の口元を凝視する。
「でもそれは、医者としてだ。医者として優秀だからといって、探偵の真似事がうまくいくわけじゃない。あの二人には無理だ」
「そうなってほしいから、だよね」
視線が絡み合うことはないが、私は強く玲の瞳を睨み付けた。
「自分だけが、あの苦しみを味わっていれば良いって。大切な人たちを苦しめたくないのよね。分かってる。私にも、あなたはそう言ってくれた」
あのとき、玲は涙を流し呼吸を荒げ、私に言い聞かせた。何もするな。その言葉は、五年経った今でも明確に思い出せる。
「陣内さんと荒牧くんが真実を知ったとき、彼らの行動が彼ら自身を苦しませないために。分かってるよ。玲は優しいね」
「友加は俺を買いかぶり過ぎなんだよ」
玲の口調が珍しく、きついものになる。焦り過ぎた。玲は繊細だから、彼の心に踏み込むときは慎重にならなければいけない。私自身が定めたルールなのに、あまりにも言いたいことがあり、焦ってしまった。
「俺は、最低な人間だ。産まれたときから、そう決まっていた。友加や巡と一緒にいたくて、恥ずかしくない自分になろうとした。でも、俺は変われなかった」
玲がガラスを叩くと、ガラスに玲の拳を中心としてヒビが入る。壊れている。そう玲に対して感じた。
「ごめん。玲の気持ち、勝手に推察して決めつけた。でも私、玲のことを優しい人だと信じ続けるよ」
「好きにしてくれ。でも、お前一人じゃ何も出来ない。それならいっそのこと、俺を見捨ててくれればいい」
玲が、投げやりになった。玲は昔から誰かのためは考えられるのに、自分のためは考えられない。だから私が傍にいて、玲のためを考え支えてあげたかった。だけど、確かにそれは一人では難しい。一人では。
私はようやく本題に入れると、気合いを込めて深呼吸する。そして、今度こそ慎重に言葉を選んだ。
「今日ね、うちのクリニックにお客さんが来たんだ。探偵の愛意ちゃんって子と、その助手の新希くんと明日斗くん。それから、璃王くん」
「璃王?」
「そう。あなたが高校生の頃からよく遊んでいた、あの子。あなたの言うとおり、甘いマスクに切れ長の目で、すごくイケメンだった。もちろん、人の良さも溢れ出てたよ」
「なんで璃王が、探偵なんかと……」
玲が不安から目を伏せる。今、彼の視界に私はいるのだろうか。
「愛意ちゃんは、寧音ちゃんのお姉さんなんだって。だから寧音ちゃんを、真実を探している。璃王くんはあなたのことを信じて、愛意ちゃんたちと一緒に捜査しているんだって」
「璃王が俺のことを?」
「うん。璃王くん、言ってたよ。寧音ちゃんと玲のために真実を求めているって」
昼間に会った若い四人を思い出す。みな、それぞれ違った覚悟を持っていた。そしてみな等しく、真実を欲している。
「玲。私の勝手な予想だけど、あの四人は真相に辿り着くよ。そしてきっと、玲のこと分かってくれる」
「どうしてそう言いきれる?」
「勘だけど、あの四人は敏いと思った。だから真相に」
「そうじゃなくて!」
玲の怒号が、部屋中のガラスを揺らす。玲は荒れた呼吸を整えながら、今日始めて私の両目を見た。
「真相に辿り着くとかそんな話じゃなくて。どうして、俺が誰かから理解されると思った?」
玲は、怒っている。私が甘言を吐いたから、夢を見せてしまったから。そう思うと、玲の排他的思考に胸が痛んだ。
「玲が愛されているからだよ。陣内さんや荒牧くんが、玲に内緒で寧音ちゃんの事件の真相を探っているのは、玲が背負っているものを一緒に背負いたいから。そして、璃王くんはあなたのことをずっと信じると言ってくれた」
玲の頬をゆっくりと撫でる。驚くほど、そこに温度はなかった。私の体温が、少しずつ玲のものになる。
「ちーくんからね、玲を心配しているってメールがきたの。ちーくんも、親友がこんな大変な目に遭ってるのが嫌なんだよ」
玲の高校時代からの親友である千歳巡。私がちーくんと呼ぶ彼から、昨日メールがきた。内容は玲を心配し、頼ってほしいと、ただただこちらを気遣ってくれるものだった。
彼も、玲のことが大好きなのだ。そのことを、しっかりと伝えたい。
「玲は一人じゃない。大丈夫だよ」
ゆっくりと優しく、彼の古傷に響かぬよう、私は玲を抱き締めた。玲の病的に痩せ細った体は、私の両腕の中でも収まりがいい。冷えきった体に温もりを宿すため、私は背中を擦った。
「大丈夫。私がいる。ずっとここにいるから」
「ほんとに? 昔からずっと一緒で、疲れてない?」
「そんなことないよ。むしろ、離れたくない」
トクトクと、弱くはあるが確かな心音が聞こえる。生きているのだ。まだ、手離してはいけない。
「それに、愛意ちゃんとあなたが似ているとも思ったの」
私は今日感じたあの既視感を言語化するため、脳をフル稼働させた。
「傷つくことを恐れて、自分の思いどおりにことを進めようとする。自分の想定を大きく外れたら、パニックになるけどなんとか立て直すために、きつい物言いをしてしまう。ずっとどこかに、弱い自分を隠して強い人間を演じている」
私は愛意と話しているとき、常に以前の玲を思い出していた。怒りを帯びた口調、軌道修正のための言葉。身に覚えがありすぎた。
そしてだからこそ、吉兆だと感じた。
「似ているって、理解のための第一歩だと思うな」
「なあ、その探偵が俺と似ている性格になった理由って俺だろ? 理解されると思うか?」
玲の言い分は芯を食っていた。おそらく、いや確実に、愛意があの性格になった原因は、妹を失っショックによる精神防御のためだ。広く言えば、玲の行動のせいということになる。
「でも、これは兆しだよ。真実は必ず白日の下に晒される。そして今、それをしようとしている人たちは、あなたを想っている人や、あなたと同じ思考回路をもつ人」
私が顔を上げれば、玲の灰色と視線がかち合う。
「何故か分からないけどね、私、もう大丈夫だと思う。今度こそ、玲の言葉は信じてもらえる」
「もしそれが、……ただの友加の予想に終わったら?」
「そうしたらまた、私があなたを支え続けるよ」
今までも、これからも、何があったとしても。私は玲を支えるという決意を、覆したりはしない。だってあのとき、孤独に震え、寂しさに涙を流す玲を見た瞬間に、そう決めたのだから。
「何度も言わせないで。ずっと傍にいるよ、玲」
そう言いながらも、私は玲の顔色を窺う。もし玲に傍にいることを拒否されたら、そのときは潔くこの場を去ると決めている。私にとっての最優先事項は、玲の幸せなのだから。
玲は首を傾げながら、顔のすべてのパーツを使い哀れみを表現する。玲はよく私にこの顔をするのだが、いったいこの表情には、どんな感情が込もっているのだろうか。
「お前がそこまで言うなら、もう好きなだけそうしていてくれ。だけど、真実が明るみになったとき、糾弾されるのは俺だけだ」
「玲?」
「お前は関係ない。良いな?」
良くない。そう言いたいのに、糸で縫い付けられたのか口が開こうとしなかった。そんな私を見て納得したと思ったようで、玲は満足そうにデスクに戻る。
パソコンでカルテ整理を始めた玲は、もう私の声を聞いてくれない。もう何も言わないでほしいと、玲の猫背が語っている。
私は、せめて今日見えた兆しが神による幻影ではないことを祈りながら、研究室を出た。
読んでいただきありがとうございます。誰かの決意に触発されることってありますよね。
次回は過去の話になりますので、本筋はあまり進みません。ですがぜひ、次回も読んでいただきたいです。




