第三話 決意のとき
決意することは簡単ではないし、決意したとしてそのとおりにことが進むわけでもない。だけど、己の気持ちと向き合うためにも、決意することは大切なことだと思います。
『弊社所属タレントのSNS投稿についての謝罪』というタイトルでSTARSプロダクションがホームページを更新したのは、僕の炎上から五日経ってからだ。
『弊社所属タレントの貝塚璃王の投稿について、たくさんの意見を頂いております。この件に関して、担当マネージャーの内容確認が不十分であったことはまことに遺憾であります。また、実際に起きた事件や実名に触れての投稿は、弊社としては関知しておりません。今後、貝塚にはSNS投稿を控えさせます。また、所属タレントのネットリテラシーを向上させるため、指導を徹底していく所存であります』
今更だと、世間は思っている。マネージャーに全責任を押し付けていることにも、気付いている。この五日間は、まるで地獄のようだった。
スマホを開けば僕を批判する言葉が羅列され、テレビをつければ専門家と呼ばれる人たちがネットリテラシーだの倫理的だの言って僕の行動を分析していた。玲からの返信も無かった。
それもそのはずだ。僕の投稿を見た一部の人が、真実を解明するために動き、『配流玲』という存在に気付いた。配流玲は、五年前に朝川寧音の担当医だった男だ。そして、寧音の失踪から数日間、仕事を休んでいる。たった二つ、この情報を突き止めただけで、世間は玲を寧音を誘拐したのだと決めつけた。
玲がそんなことするわけない。人を救うことに誇りを持ち、自分の命も省みずに人命救助に走る。そんな正しさでできている玲が、犯罪に手を染めるはずがない。僕の怒りと比例するように、世間は玲を晒していった。
最初は名前と顔写真、そして学歴を晒された。次に過去の職場やそこでの立場、明らかに隠し撮りされたであろう仕事中や休憩中の写真。それから、玲の同僚たちまでもが、同じように晒された。
これが、僕の投稿から一日の間に起きたことだ。今は玲を断罪しようとする動きが活発になり、五年前に玲が勤めていた由命界総合病院の前でデモにも似た騒動が起こった。玲の現在の職場は突き止められていない。しかし、犯罪を許せない人たちにはそんなこと関係ない。中には、由命界総合病院の院長に責任があると主張する者までいる。
今ネットを開けば、STARSプロダクションの謝罪文への批判か、玲を吊し上げる文言しか目に入らない。僕はこんなことになって欲しかったわけではない。何度も自分の中で言い訳をする。
ただ、寧音が見つかって欲しかった。事務所に迷惑をかけるとか、大切な玲が悪意に曝されるとか、まったく思っていなかった。本当にただ、寧音と愛意の再会に力を貸したかっただけなんだ。
誰かを不幸にしたかったわけではないんだ。
ーーーーー
岸片大学の北棟、その建物の中で僕、夜野海新希は迷子になっていた。先ほどまで一緒にいたはずの愛意と明日斗は、いつの間にか消えている。どうしてこうなったのだろう。僕はつい二日前のことを思い出した。
璃王の投稿で世間が動き、『配流玲』という存在、そしてその関係者が明らかになった。そのせいで、配流玲の高校時代からの友人に、岸片大学で考古学教授をしている者がいると知った愛意が、探偵事務所から近いという理由だけで大学に聞き込みに行くことを決めてしまったのだ。
しかし今日来てみれば、大学の構内はかなり広く、また人があちらこちらにいるせいで、なかなか考古学部のある北棟まだ辿り着けなかった。そして、辿り着いたのは僕一人だけ。おそらく、途中で集団と出くわしたのでそこではぐれたのだろう。
それに、僕も北棟に来たはいいが教授を見つけられずにいた。何度も何度も同じような廊下や階段を進んだせいで、現在地を正確に把握出来ていない。構内図を見ようにも、まずそれがどこにあるのか分からない。
僕は廊下に置かれているスツールに座り、明日斗にメールを入れた。すぐに明日斗から『もう少しで着く』という旨の返信が来る。今頃必死でこっちに向かっている明日斗と愛意を想像すると、自然と笑みが溢れる。
そのとき、ふいに視界が暗くなった。驚いて視線を上げれば、誰かが目の前に立ちこちらを見下ろしている。三十代くらいの背の高い男性の影が、僕に落ちているのだ。
「あの、何か?」
僕は警戒しながら、口を開いた。すると男は心外だと言わんばかりに、優しく微笑む。しかし、目の奥が全く笑っていない。僕は下から男を観察する。
「俺はここで考古学を教えている、千歳巡っちゅうもんや。よろしくな」
軽快な関西弁。握手を求めて伸ばされた右手も、握ってみればその暖かさに安堵を覚える。しかし、やはり目が笑わない。
「ここで何しとるん? うちの学生やないやろ」
「あ、あの。僕は夜野海新希です。お話良いですか?」
学校で作らされた名刺を手渡すと、巡はどこか嬉しそうな顔になった。彼の目の奥に、少しばかり光が差す。
「明林堂高校か。俺も二十年前までは通っとったわ」
「本当ですか?」
「ああ。生涯の親友に出会えた、思い出深い古巣やな」
巡は懐かしみながら、僕の名刺を人差し指と中指でくるくると回す。そして僕に向き直るとともに、その動きをピタッと止めた。
「そんで、探偵助手がこんなとこで何しとん?」
声は好奇心に満ち溢れていた。でもまた彼の目から、光が消えている。僕は逃げてはいけないと覚悟を決めて巡を見つめた。
「この大学に、配流玲の友人がいると聞きました。僕たちは、朝川寧音失踪事件を追っています。何か心当たりありませんか?」
「心当たり、ねぇ」
思案するような顔をしたと思ったら、巡はいきなり僕の隣のスツールに腰を落とした。至近距離で巡の暗い瞳を見ると、改めて飲み込まれそうな深さだと感じる。
「そうか。顔を晒されたんはお医者さんたちだけで、友人っちゅうんは、存在だけが明かされたんやったな」
巡がこちらに向き直り、妖しく笑った。
「配流玲の友人で考古学教授をしている人。それ、俺なんやで」
まるで、好きな食べ物の話をしているたかのような明るく弾んだ口調。それなのに、巡はとんでもないことを口にした。
「そうなんですか!」
「せやで。でも、俺が言えることなんてなぁ……」
「どんな些細なことでも構いません。お願いします。話を聞かせてください」
巡ははぐらかしたいようだが、僕がここで引き下がる理由は無い。勢い良く頭を下げ、巡に食い下がる。
「せやけど、過去の話しか出来ひんで」
なおも眉を下げ会話を拒否してくる巡に、文句が飛び出そうになった。しかし、あのときの推しと親友の言葉が脳裏に甦り、僕は自分自身を落ち着かせるために深呼吸をする。
「それ、ものすごく聞きたいです。僕は配流さんのこと、全然知りません。なので、疑っていいのかすら分からない。あなたから見て配流さんって、どんな人ですか?」
人から情報を聞き出すとき、相手が僕たちの欲しい情報を喜んで話す可能性は大きくはない。なのでそういうときは、相手がしたい話題から自分が聞き出したいことの話題に違和感なく変える必要がある。
巡は今、寧音の件に言うことは無い、過去の話しか出来ないと言った。なら、過去の話から配流玲という人間を推測することは出来る。
案の定、巡は嬉しそうに笑っていた。ここから、中に入り込むしかない。
「玲とは一年生のときに出会って、そっから三年間同じクラスやったんや。いつも大人しく教室の隅で分厚い本読んどるような子やったけど、ノリが悪いわけやない。むしろ、俺の化石語りに笑顔で付き合うてくれたんや」
「そういうことは、あなたにだけだったんですか?」
「せやな。まぁ、玲本人が人と関わろうとせえへんかったからな。押してどうにか世間話が出来るようになるくらい、警戒心が強いというか人間不信というか」
僕は意外に思った。配流玲は確か医者で、寧音と仲良くしていたと言われている。巡の話からは、多くの人と関わる職業を選ぶタイプだとは感じられなかった。
「ですが、医者になった配流さんは自分の患者さんと仲が良かったと聞いています」
「そりゃ、玲は子供には好かれとったからな」
「それはまた、どうして?」
「目や」
静かにそう答えた巡は、ポケットから一枚の写真を取り出した。フィルム加工されているそれは、鮮やかに二人の高校生の笑顔を写していた。若い頃の巡とおぼしき人とその隣で優しく笑みを作る人。二人とも、明林堂高校の制服に身を包んでいる。
「目の色、普通とちゃうかったからな」
その言葉に合点がいった。写真の中で優しく笑う彼の二つの瞳は、灰色に煌めいていた。不気味がられても不思議ではないほどに、宝石と見間違えてしまうくらい強い光を放っている。しかし、子供からしてみればきっと、本物の宝石に見えるのだろう。好奇心がくすぐられる瞳だ。
「玲は目の色を理由に、いろんな理不尽な目に遭うてきた。それでも、自分の目を嫌いにならへん強い奴なんやで。まぁ、初恋の幼なじみに好きや言われたら、嫌いになんてなれへんやろうけど」
「幼なじみですか?」
「せや。可愛ええ子でな。俺も惚れてまいそうやった」
「その人って、何をしている方なんですか?」
巡の言い方から、配流玲の幼なじみが女性であることは確実だ。しかし、晒されてしまった配流玲の関係者の中に女性はいなかった。それでも、幼なじみという親密な関係にある人からならば、何か重大な情報が得られるかもしれない。
身を乗り出す僕とは対照的に、巡は一歩引くように身をよじった。眉間に深く皺を作った巡は、顎に手を置き考え込む体勢になる。しかしすぐにそのポーズを解き、こちらに笑顔で向き直った。
「『セレンクリニック』って知っとるか?」
「はい、もちろんです。駅前の大きなクリニックですよね。僕も何度かお世話になったことがあります」
「そこの小児科医に天王寺友加って先生がおる。玲の幼なじみや。訪ねてみ」
笑顔のはずなのに、巡の声はどこか硬かった。直感的に、この人は真実に触れて欲しくないのだと思った。僕にこうして話してくれはしたが、僕が捜査を続けることを善く思っていない。なんとなく、そんな気がした。
「ありがとうございます。明日にでも、天王寺さんを訪ねてみます」
これは鎌だ。巡の真意を知るために、巡の顔を覗き込み、じっくりと観察する。
「なぁ、楽しいか?」
巡の表情が急速に温度と色を失い、作り笑顔すらも無くなった。前髪に隠れた目から、感情を読み取ることは出来ない。ただぽつりと、巡から言葉が漏れた。
「探偵の助手っちゅうんは、楽しいもんなんか?」
「それは……」
僕は答えに窮した。正直助手になってから、悩むことも、苛立つことも、悔やむこともあった。それでも、高校一年生の頃から始めた探偵助手という仕事を三年生になった現在まで続けてこれたのは、明日斗が隣にいてくれたからだ。別に、仕事自体にやりがいや楽しさを見出だしていたわけではない。
「親友が側で支えてくれたから、助手を続けていられるようなものです」
これも、コミュニケーションを円滑に進めるための技術だ。相手の本音を聞き出したいなら、自分も本音をぶつける。僕の素直な答えに、巡は大きく目を見開き僕を凝視した。それから口元を緩め、目線を逸らした。
「そうか」
スツールから立ち上がった巡は数歩進んだところで足を止め、首だけ回して僕を視界に収めた。その目が、隠すことなく怒りを露にしている。
「俺は玲の親友やった男やけど、玲は俺の親友なんや。一生それは変わらへん。せやからな、玲には傷ついて欲しくない」
「同感です。僕も、親友にはずっと笑顔でいて欲しい」
僕もスツールから立ち上がり、巡の真後ろに立つ。怒りに燃える瞳が、まっすぐに僕を見下ろした。
「なら、分かって欲しいな。真実が誰かを傷つけることもある。玲は繊細で傷つきやすい。あの事件の真実が親友を壊すためにあるなら、俺は真実を暴こうとする君たちを許せへん」
そこまで言って深く息を吐いた巡は、体ごと僕に向き直った。その瞬間僕は、驚きで息を呑んでいた。僕を見つめる巡の瞳に、怒りの色はなかった。そればかりか、心配するように僕を見ている。
「無駄な忠告しとくで。君や君の親友のためにも、あの事件には深入りせん方がええ。ほんまに無駄やと思うけどな、念のため」
そう言って、巡は今日初めての僕に対する笑顔を見せた。大人が幼児を安心させるときに見せる笑顔にそっくりだったけれど、目の奥まで優しく笑っていた。
巡はそんな笑顔を僕に残して、紅く染まった廊下を歩いて去って行く。その小さな背中を見送る僕は、巡は寂しいのだと感じた。
巡はきっと、自分が配流玲の親友であるという自信がないのだ。ネットで晒されなかったということは、自分が配流玲と一緒にいる人物だと、周りから思われていなかったことと同義だ。だから、僕に過去の配流玲を話すことで、自分は彼の親友だと再確認しようしたのかもしれない。
「あ、いたいた」
突然廊下に響いた声に振り返ると、明日斗と愛意が駆け足で近づいて来た。二人とも相当迷子になっていたようで、肩で息をしている。
「社長、遅いですよ。もう配流玲の親友から話聞き終わりましたよ」
「新希、お前一人でやったのか?」
「そうだよ。いつも明るい僕が、話を聞いたんだ」
昨日のことを思い出し恥ずかしくなったのか、僕の親友は瞬時に顔を赤らめた。
「それで? 何か情報掴めた?」
期待を込めた眼差しで愛意が僕に訊ねる。僕が巡から聞いた『天王寺友加』という女性のことを話すと、愛意は満足そうにうなずいた。
「なら、明日はセレンクリニックに行こう。今日と同じように、うちに集合ね」
「分かりました」
「了解です」
僕と明日斗が返事をしたそのとき、明日斗のポケットからスマホの着信音が聞こえた。明日斗が取り出したスマホは、璃王からのメールの着信を伝えている。
「社長、探偵社に戻りましょう。貝塚さんが訪ねてくるそうです」
「何の用?」
「分かりません。話があるとだけ」
首を傾げる明日斗に、愛意も眉をひそめた。もちろん僕も、璃王が自分たちに何の話があるのか分かっていない。それでもわざわざ断る理由がないので、僕たちは怪しみながら探偵社に戻ることにした。
ーーーーー
アイドルはいつも笑顔で、誰にでも優しく、愛と希望を与える存在。そう言われて芸能界に入った僕は、いつの間にか『アイドル・貝塚璃王』の仮面を作っていた。でも活動自粛を命じられた今は、ただの『貝塚璃王』が顔を覗かせている。それで良いと、それが良いと思った。
僕は今から勝負をする。大切な人を信じたい自分と、真実を知りたい自分。どちらが勝ったとしても、僕はそれに従うと決めていた。
雑居ビルの三階まで階段で上り、インターホンを押す。気の抜けた軽い音が鳴り、短髪の青年が僕を中に招き入れた。
「急にごめんね、新希くん。愛意さんに話があって」
僕がそう言うと、デスクでパソコンをいじっていた愛意が顔を上げる。その顔は、驚きと訝しみがちょうど半分ずつ混じったものだった。
「愛意さんに、聞きたいことがあります」
「分かった。そこ座って」
ぶっきらぼうに、愛意はカウンターのイスを指し示した。僕がそこに座ると、愛意も隣に腰かける。奥の小部屋から出てきた明日斗が、僕たちにコーヒーを淹れてくれた。
「それで? 聞きたいことって何?」
「どうして愛意さんは、寧音ちゃんが誘拐されたと思ったんですか?」
今日一日一人で、何が出来るのかを考えていたら浮かんできた疑問だった。寧音の件は警察の発表でも報道でも、すべて『失踪』と言われている。それなのに、愛意は頑なに『誘拐』だと言っていた。それなら、寧音が誘拐されたという確証が愛意にはあるはずだ。
僕が答えを求めて愛意の顔を見ると、愛意は信じられないと言わんばかりに目を大きくして、僕を見ていた。
「それはそうでしょ。怪しい人物や車の目撃情報がある。なら、寧音の身に何か起こったと考える方が自然じゃない」
呆れた様子で、愛意は半笑いしながらそう言った。しかし、そんな答えでは僕を納得させられない。僕は姿勢を正し、愛意の瞳を射貫くように見つめた。
「愛意さんが言ったんですよ。それらは確証のない情報だって。寧音ちゃんと関係あるか、分からないんですよね」
「それは……」
言葉に詰まった愛意が、僕から顔を逸らした。それだけで、なんとなくの答えを得られたような気がした。
「愛意さんは、姉だから分かったんですよね。妹が、自らの意思で失踪なんてするはずないって。寧音ちゃんの、姉だから」
愛意の答えは沈黙。だが、それが肯定を含んでいることくらい簡単に分かった。愛意は項垂れるように、首を縦に振る。
「あの日の前日、父が単身赴任から帰って来たの。寧音はお父さんっ子で、あの日の朝、学校から帰って来たら遊んで欲しいって父に頼んでいた。あの子は、家に帰ることをあんなに楽しみにしてた」
愛意が鼻をすすった。よく見れば、目頭が赤くなっている。
「だから、寧音は自分から姿を消したわけじゃない。寧音が、そんなことするはずがない。そう思ったから、私は寧音が誘拐されたと考えている」
愛意が勢いよく立ち上がり、イスがその反動で床に倒れる。大きく部屋に響いたその音が、愛意の感情の高ぶりをそのまま伝えた。
「私の知っている寧音は、失踪なんてしない! 断言する。絶対に、寧音は誘拐された」
強い眼差しだった。自分の知っている妹を、どこまでも信じている強い人の瞳。僕はそれを見上げながら、二人の自分の対決に勝敗を決めた。僕は話すべきことを精査してから、徐に口を開く。
「愛意さんは、配流玲が誘拐犯だと疑っているんですよね?」
「決めつけてはいない。ただ、一番可能性があると思っているだけ」
「玲さんはそんなことしない」
愛意が息を呑んだ。驚いたのだろうか。僕が、配流玲を下の名前で呼べる人間だということに。
「愛意さんと同じです。僕は配流玲という人間を知っている。強くて、優しくて、人の命を救うことに誇りを持っている人。そんな玲さんが、誘拐なんて卑劣な犯罪を犯すわけがない」
「そんなの分からないでしょ!」
いきなり、愛意に胸ぐらを掴まれる。しかし、その手はかわいそうなくらい震えていた。僕はそっと自分の手を重ね、愛意の手を離させる。
「僕は、玲さんがこの世で一番大切です。玲さんのことを信じています。だから、この状況が許せない。愛意さん、僕は真実を知りたい。玲さんの無実を証明したい」
大切な人を信じたい自分と、真実を知りたい自分。その対決の勝者は、真実を知りたい自分だった。でも、玲のことは信じ続ける。玲が犯罪者になるなんてありえないと知っているなら、真実を知ることは怖くない。一分一秒でも早く真実を明らかにし、玲は無実だと声高らかに宣言したい。
「愛意さんが、寧音ちゃんが失踪するなんてありえないと信じているのと同じくらい、僕も玲さんのことを信じています」
愛意の目をまっすぐに見据えた。僕は逃げないと、目線で伝える。
「大切な人のため、一緒に事件の真実を突き止めませんか?」
愛意の目が左右に泳ぐ。迷っているのだろう。無理もない。僕はただのアイドルで、事件の捜査なんてやったことがない。だけれども、この決意だけは絶対だ。何を言われようが、変わらない。僕は頭を下げた。
「お願いします」
「やめて! 頭上げて!」
半狂乱のように愛意が声を上げた。そして助けを求めて、新希と明日斗に視線を送る。しかし、新希は申し訳なさそうに顔を伏せた。
「明日斗、私は、どうすれば良い?」
視線はかち合っているのに、明日斗は唇を噛むだけで何も言わなかった。だが明日斗は目を閉じ、今度は大きく目を開けた。その目は、強かった。
「社長。どうやら、貝塚さんは配流玲と親しい仲のようです。なら、彼から情報を得られるかもしれませんし、彼目線で配流玲の行動を洗い直すこともできます」
「そう、ね……」
「貝塚さんを、利用しましょう。もともとそうして出会ったのだから、その延長線上です」
明日斗は優しく微笑み、倒れたイスを元に戻す。それから明日斗は愛意を見ることなく、新希とともに小部屋に消えた。
取り残された愛意は迷子のように辺りを見回し、ようやく見つけた僕と向き合った。弱々しい芯の無い瞳。これが、愛意の隠していた本当の自分なのだと確信した。
「愛意さん、僕のこと利用してください。僕も、あなたたちのことを玲さんの無実を証明するために利用させていただきます」
「……分かった」
小さな声で呟いた愛意は、いつものように笑っていた。よく見れば、愛意の笑顔は口角の上がり方が非対称で、高飛車な印象を与えてくる。
「お互い利用し合いましょう。真実のために」
「はい。もちろん」
力強く、握手を交わした。この力が、きっとそのまま僕たちの結束力になる。
僕は決意した。絶対に真実を暴く。そして必ず、もう一度玲と会う。
ーーーーー
ピッ、ピッ、ピッ。単調に電子音が響く白い部屋で、一人の少女が静かに眠っている。固く閉ざされた瞳は開かれる気配がなく、寝返りもうたないせいで、まるで死んでいるようだと思った。
「ここにいたのか、玲」
「陣内先輩。お疲れ様です」
音も気配も匂いもなく、俺の医者としての先輩である陣内渚は、俺の後ろに陣取っていた。ヘビースモーカーだというのに、陣内からタバコの香りはしない。それに忍び足が得意なせいで、いつも陣内がどこにいるのか分からなくなる。
「港から聞いたよ。一人で警察に行こうとしたって」
「先輩も、荒牧と同じ意見ですか?」
「さぁな」
おどけて言いながら、陣内は俺の隣に立った。そして、眠り続ける少女、朝川寧音を慈しみの目で熟視する。
「でも、お前だけが苦しむ必要はないと思っている。頼れよ、ちゃんと。俺でもいい、港でもいい、法助でもいい。あ、友加ちゃんの方がいいか?」
「先輩!」
「冗談だ。でもな、この子を助ける前にお前が倒れたら、元も子もないからな」
からかいつつも、陣内が俺のことを心配してくれていることが、痛いほど伝わってきた。だからこそ、こんな優しい人たちに迷惑をかけないためにも、俺一人ですべて終わらせるに限るというのに。
「どうして先輩は、俺の味方をしてくれるのですか? 荒牧も、俺がいなくなるのが嫌だって言っていて……」
荒牧の気持ちなんて、陣内には分からないだろう。しかしどうしても気になり、訊ねてしまっていた。陣内は寧音に掛かる白い毛布の位置を調整しながら、考え込むように唸る。
「そうだな。この子を助けたいから、じゃ、ダメか?」
「え?」
「この子はお前の患者だ。つまり、お前がいなくなったら、この子は救えない。俺も港も医者だ。患者が助かるに越したことは無いだろ」
「患者のため……」
初めて、誰かの不毛な行動が腑に落ちた。そうだ。医者の上澄みが集まるこの由命界総合病院で医者をしている人間なんて、患者のために命をかけられる奴らばかりなんだ。患者のためなら、何だって出来る。
尊敬する先輩というフィルターを外した陣内も、元気印な青年というフィルターを外した荒牧も、どちらもちゃんと、由命界総合病院の外科医だ。俺を庇うくらい、余裕で出来る。
「そうですね。早くこの子が目を覚ますように、俺も頑張ります」
「ああ。頑張れ」
俺の肩を叩き激励した陣内は、そのまま部屋を出て行った。残された俺は、寧音に取り付けたモニターの示す数値を電子カルテに打ち込み、点滴を確認した。
数値も安定しているし、点滴の減りも正常だ。文字どおり、寧音は眠っている。いつ昏睡状態から回復してもおかしくない。
もし寧音の意識が戻ったら、どうなるのだろうか。この子は、誰のせいでこんな目に遭ったのか理解しているのだろうか。自分を傷つけた奴を、名指しするのだろうか。
医者として寧音を助けたいのに、この子が意識を取り戻すことが怖い。この子の一言が、俺からすべてを奪っていくような予感がする。
俺はいったい、どうすれば良いのだろうか。
ーーーーー
玲と別れた俺は実験病棟から出て、近くの定食屋に向かう。深夜まで営業しているそこは、日を跨いだばかりのこの時間でも柔らかな明かりを溢している。
「いらっしゃい!」
元気に接客してくれた中年の男に焼肉定食を注文し、俺は目当ての人物の隣に座った。俺を実験病棟に勧誘した張本人で、今日のお目当ての人物の荒牧港は、俺に気付き会釈をした。
「お疲れ様です、陣内先生」
「お疲れ。休みなのに、こんな時間に誘っちゃって悪いね」
「全然大丈夫ですよ。こんな遅くまで、お疲れ様です」
港は、深夜とは思えないほどの明るさだった。やはり若い子は、疲れ知らずだ。港に感心しつつ、運ばれて来た焼肉定食のお盆を受け取る。
「港は? 何か食べた?」
「いえ。先輩より先に、俺が食べるわけにはいかないので」
「悪いね。なら奢るよ。何が良い?」
「でしたら、焼鮭定食をお願いします。代金は明日以降に必ず返しますから」
俺は昼休憩の時間に、夜に飯でも食べながら話そうと港を誘った。つまりそれから、港は飯を食べていないということだ。その胆力に圧倒されながら、俺は港の分の定食を注文した。港は俺の隣で、目を輝かせている。
「いただきます」
よほど腹が減っていたのか、定食が届いた瞬間に港は手を合わせた。そして、鮭の身をほぐし口に運ぶ。
「美味しい! 美味しいですよ、これ」
「そうか。良かったな。じゃ、俺も。いただきます」
定食にがっつく港に和み、俺も定食を口にする。飾らない素朴な美味しさが、口いっぱいに広がった。
「美味しいな」
「はい。初めて来ましたけど、俺このお店気に入りました。誘っていただき、ありがとうございます」
良い笑顔だった。港は目を細め、口を大きく広げて笑っている。玲にはない素直さと純粋さに、俺も頬を緩めた。まぁ、玲も玲で素直なんだが分かりにくいからな。俺はかわいい後輩に、心の中で悪態をついた。
「それで、話って何ですか?」
二人とも定食を食べ終え、食後の一息をついていると、港がふいに言った。港の口調は軽く、今から俺が話そうとしていることは果たして話していいのだろうかと、俺を不安にしてくる。しかし俺は腹をくくり、湯のみのほうじ茶を流し込んだ。
「玲が、だいぶまいってる。このままじゃダメだ」
「それは俺も思いました。俺たちに何か、出来ることは無いんでしょうか?」
同意を示した港は湯のみを手で包み、目を伏せる。玲を思ってくれていることは、よく分かる。だからこそ、俺は港を相棒に選んだ。なのに、迷っている。
「あるにはある。だけど、危険だ。出来ればお前を巻き込みたくない」
「それでも! 出来ることがあるんですね。俺、玲先生のためなら何でも出来ます!」
「本当に? 本当に、何でもするのか?」
港が玲に憧れていることは知っていた。しかし、まさかここまでとは。港の言葉に、嘘はない。港は本当に、玲のためなら何でも出来る。
「します! むしろ、やらせてください!」
「分かった。分かったから、落ち着け」
腰を浮かせて切望する港をたしなめ、なんとか静かにさせる。俺は息を整えてから、不安そうにこちらを見る港に口を開いた。
「まず確認させてくれ。お前は五年前のことについて、どこまで知っている?」
「玲先生が、交通事故に遭った寧音ちゃんを病院で治療することにして、それから寧音ちゃんの家族に連絡したけれど、取り合ってくれなかった。これくらい、です」
「そうだ。俺もそのくらいしか知らない」
港の目から不安の色が消えた。希望を湛えた瞳で、俺を見る。
「だが、不思議だよな。あの日、交通事故が起きたという事実はないと言われている。玲が嘘を吐く理由もない。そして、玲の異常なほどの罪悪感」
「闇に葬り去られた真実がある」
港が冷静に呟いた言葉に、俺は強く頷く。
「ああ。それを、俺たちで突き止めないか? 玲のためにも、寧音の家族のためにも」
「もちろんです! やりましょう!」
案の定、勢いよく食いついてきた港に安心した。こいつは、絶対に玲を裏切らない。
「だが、必然的に危険も伴う。覚悟はいいか?」
「もうできてますよ。玲先生に初めて会ったときから、決めていたんです。必ずこの人の役に立つと。だから、玲先生のためになるなら、俺は何でもやります」
「分かった。よろしくな、港」
かわいい後輩のために、燃えてくれている新人。そんな港の決意を無駄にしないためにも、俺はこいつを守り、真実を突き止める。
俺は決意を新たにした。
誰かのための決意。それは自己満足になってしまうのか。次回は、決意を目の当たりにしたあの事件の真相を知る者たちに注目してください。




