第二話 燃えるとき
今回は、五年前の事件についての情報の開示と重要キャラの本格登場になります。読んでくださると嬉しいです。
全部が闇に沈んだはずだった。真実は誰かの目に触れることもなく、影でひっそりと息をして、一人の男の首を絞め続ける。そのはずだった。
貝塚璃王の投稿から一晩。あの投稿は夜が明けた今も、多くの人の目に留まり、多くの心をざわめかせている。街はいつもの静けさをとうに失っていた。
母親が院長を勤めるクリニックで医者として働いている私、天王寺友加は、その騒がしさを振り払うように駅を抜け、職場に向かった。タイムカードを押し職員玄関から入れば、母親、いや、院長の天王寺美加が心配そうに駆け寄ってくる。
「友加、昨日のアレ、大丈夫?」
多くは語らない母の言葉。それでも、口調から私と同じ出来事を思い浮かべていることが分かる。
「お母さん、私は大丈夫だよ。……私はね」
「そう。ごめんなさいね。変なこと聞いて」
申し訳なさそうに眉を下げた院長は、遠くを見る目付きになり、そのまま踵を返した。私は白衣を羽織り、その後に続く。
切り替えていかなければならない。私たち医者が立ち止まってしまえば、救える命も救えなくなる。私は何とか残っている頭の冷静な部分を総動員し、院長とともに仕事に向かった。
ーーーーー
彼女が、パソコンの画面を食い入るように見る。その目付きは真剣そのものだったが、今はどこか狂気を孕んでいるようなものになった。
「社長。そろそろ休んだらどうですか? 昨日の夜から一睡もしてませんよね」
「まだ大丈夫よ。それに今は、どんなに小さな情報でも見逃せないの」
ファイルを整理しながら明日斗が、愛意に苦言を呈する。客である僕に紅茶を出しながら、新希も不安に揺れる瞳を愛意と明日斗に向けた。
繁華街の外れにある雑居ビル。その三階に朝川探偵社はあった。
投稿の件でお礼がしたいと明日斗から連絡を受けた僕は、身バレに注意しながらここを訪れた。すると出迎えたのは明らかに疲れきっている新希で、中に入ると更に疲れきった様子の明日斗が、ため息混じりに歓迎の言葉を吐いた。
「すみません。昨日の夜からこれで。社長も明日斗も、休むことなくネットとにらめっこですよ」
「新希くんは? ちゃんと休んでる?」
新希は他二人よりは薄い隈を携えた顔で、呆れたように顔をしかめた。
「自分のことは棚に上げて、休めってうるさいので仕方なく。社長の助手は僕なのに、どうして明日斗ばっかり無理するんだろう……」
そう言えば、昨日貰った新希と明日斗の名刺に、新希は助手と書かれていたが、明日斗は何も書かれていなかった。
「明日斗はただの雑用係だっていうのに。僕より社長の役に立ってるし、僕より頑張ってる」
新希の視線の先で、愛意が明日斗に何か指示を出す。明日斗はすぐに頷き、部屋の奥に消えた。それを見れば、新希が悩んでいる理由も分かる気がした。
「明日斗くんのようにならなくても、新希くんには新希くんだけの良さがあると思うよ。明日斗くんはすごく頭が切れる。そして君はコミュニケーション能力が高い。それぞれやれることが違うのだから、無理して自分を変える必要は無いよ」
新希を元気付けるために言ったのだが、新希は明らかに肩を落としてしまった。どうやら、僕の推測は大きく外れていたらしい。
「ですよね。僕は明日斗みたいになれない。今日だって、僕だけ学校に行かせて自分は社長のお手伝い」
歌うように、でも自分を卑下するように新希は続ける。
「明日斗からも社長からも、役立たずだと思われてるんですかね」
「そんなこと、あるわけないだろ」
新希の両目から涙が流れた瞬間後ろから響いた声に、新希は勢いよく振り返る。脇に段ボールを抱えた明日斗が新希に近づき、空いている方の人差し指で涙を拭った。
「いつも、お前の明るさに救われてる。俺と社長だけだったら、依頼者は安心して心の内を明かしてはくれないだろう。お前の底なしの明るさが、依頼者の心を照らしているんだ」
そこまで言って、明日斗はようやく顔を赤らめた。
「ったく。言わせるなよ、こんなこと」
照れ隠しなのか、持っていた段ボールを大きな音を立てて床に置き、明日斗はまた愛意のデスクに戻った。そこで一言二言交わし、二人揃って僕と新希のもとに来る。そして四人で、部屋の中央のテーブルを囲んだ。
「悪いわね。せっかく来てもらったのに、出迎えられなくて」
そう言って、愛意は新希の淹れた紅茶を口にした。
「いえ、お気になさらず。それより、何か情報は集まりました? 昨日の今日ですけど」
「そう言っても、もう午後の四時過ぎです。かなりの情報が集まりましたよ」
僕の問いに、明日斗は楽しそうに答えた。隣に座る愛意も、満足そうに頷く。
「トレンドランキングにも寧音の名前が載った。朝のニュースで少しだけだけど、取り上げてもらえた。私がにらんだとおり、あなたの影響力は偉大だった。この機会を私は絶対に逃さない」
愛意の目に、決意の炎が燃え上がる。もしかしたら、もう既に真相に辿り着きつつあるのかもしれない。
「真相、掴めそうですか?」
「ええ。貝塚さんのおかげで。本当にありがとうございます」
明日斗は今が人生の絶頂期だと言わんばかりの笑顔で、僕たちにタブレット端末を差し出した。そこには、ネットの書き込みを種類ごとに分別したデータファイルが表示されていた。愛意はまず、『確定している情報』というファイルを開く。
『・五年前の六月十五日、寧音は小学校からの帰宅途中に失踪
・当時、寧音は一人で下校
・寧音は校門前で午後十五時半に友人と別れてからの消息が不明
・警察への通報はその日の夜二十二時に寧音の父親が行う
・翌日から捜索が始まるが、一ヶ月後に打ち切り
・暴力団の関与疑惑が浮上(当時、組同士の抗争が活発化していたため、偶然その場に鉢合わせし口封じのため誘拐された可能性あり)
・寧音の担当医が十五日から一週間休暇をとる(本人の病気の治療のため)』
羅列された言葉たちは、おそらく大きな意味を持っている。しかし何度読み返しても、僕にはそれが読み取れなかった。
「補足すると、通報が遅くなったのは私のせい。この日は父の仕事が休みで、母は夜勤のため午後から家にいなかった。私が学校から帰ってきたら寧音がいなくて、心配になった私は父に頼んで一緒に探しに出てもらった。そんなことしてて、気づいたら夜になっていて。そこで父が、警察に通報してくれたのよ」
愛意は悔しそうに口元を歪める。しかしすぐに表情を変え、タブレットを操作した。
「次は、私たちや警察が聞き込みをして得た目撃証言をまとめたものね。人から聞いたものだし、警察も裏を取れていないため公表しなかった、信憑性の薄いもの」
そう言って愛意は、『未確定の情報』のファイルを開いた。
『・寧音の自宅付近に黒いベンツが停まっていた
・寧音の自宅付近の路地裏で長身の男が目撃された
・寧音は担当医と親しくしていた
・寧音の担当医は身内に権力者がいる
・寧音の失踪から数日間、不審な男たちが寧音の自宅付近の住宅を訪ねていた(暴力団絡みだと思われる)』
僕は一通り読んでから、ふと湧いた疑問を口にした。
「あの、こういう情報ってどこから仕入れるんですか?」
「基本的にはやっぱり、寧音さんと交流があった人たちからですね」
僕の疑問に、新希はタブレットに表示されている文言を指差しながら答えた。
「この寧音さんの担当医の話二つは、おしゃべり好きのおばさまから聞いた情報です。寧音さんとはよく話していて、そこで何度も自分の担当医のことを自慢されていたそうですよ。寧音さんは人懐っこい性格で大人とも仲良くできるタイプだったので、担当医と仲良くても違和感無いらしいです」
「権力者が身内にいる医者と仲良くできるなんて、寧音ちゃんはすごいな。僕だったら怯えて何も出来ないと思う……」
僕が素直な感想を口にすると、新希は苦笑しつつ訂正を始めた。
「いえ。担当医の家族に、権力者と呼べる立場にある人はいませんでした。おそらく、担当医の勤める病院が由命界総合病院なので、そう思われたのかと」
「由命界って、あの?」
聞いたことのある病院名に驚き、声を上擦らせてしまう。明日斗は肯定の言葉を口にし、僕に段ボールから出したファイルを見せた。
「日本一の総合病院、通称『白の要塞』。高度な医療技術を備え、どんなに重篤な患者でも救う。そして、秘密保持力も高いため、著名人からも御用達にされている」
玲から聞いたことがある。この病院に勤める医療従事者は、全員がエリートと呼ぶべき人たちだと。
「なので由命界総合病院には、権力者と呼ばれる立場の人が多く出入りします。寧音の担当医が病気の権力者の担当医となったときに、その人と話しているところを見て、寧音が身内だと思い込んだのでしょう」
「寧音は昔から、思い込みやすかったからね」
愛意が懐かしむように微笑み、新希も同意した。
「このおばさまも、寧音さんから聞いたと言っていました。寧音さんは、自分の担当医とその患者が高級車に乗り込むところを見たそうです。それを、このおばさまに言った」
「同じ車に乗るのが、身内だけだということはありません。それにもしかしたら、その高級車が担当医本人のものだった可能性もあります。医者って給料良いですし」
新希と明日斗、それに姉の愛意の言い分から、寧音の担当医は、身内に権力者なんていない普通の医者であると分かる。おそらく、おしゃべり好きのおばさまが話を盛りたくなったのだろう。
「それにしても、こんなに目撃証言があるのに、五年も解決できていないんですね」
「言ったでしょ? 未確定だって」
愛意はため息とともに、どこか棘を含んだ声を出す。
「黒いベンツを目撃した日は、人によって十四日だとか十五日だとか十六日だとかバラバラだし、長身の男は誰もそれ以上の特徴を覚えていないし、自宅付近をうろつく不審な男たちは黒いスーツを着ているという理由だけで、暴力団と思われている。正直、黒いスーツなんて暴力団じゃなくても着るし、暴力団は自分たちの存在を警察に知られたくないはずだから、こんな目立つ行動しないと思うのよね」
話すにつれて愛意の棘は削れていったが、なんとなく愛意の怒りを感じとれた。自分の家族が突然姿を消し必死に探しているというのに、こんな役に立たないような情報ばかりでは嫌にもなるだろう。
僕は、玲のことを思い出す。玲は僕の前から姿を消した後、職場にも姿を見せなくなったらしい。彼の職場である由命界総合病院に何度も通ったが、今日は来ていないと言われ、追い出されるだけだった。
僕と玲は端から見ればただの知人なので、僕には玲の行方不明者届を提出する資格がなかった。でももし、何かの間違いで僕の言葉で警察が玲の捜索を始め、そしてこんな使えそうにない情報ばかりを渡されたら……。
僕は、愛意の怒りを理解できた。
「ねぇ、投稿をもう一度だけしてくれない? 間違いなく、人々はあなたの投稿に反応した。その結果、新しい情報もいくつか得られた。お願い。私はこの熱狂を逃したくない」
身を乗り出した愛意の瞳には、炎が揺れていた。どこか陽炎にも似ている、揺れてばかりの危ない炎。でも、燃えている。
愛意の気迫に気圧されそうになる。僕は本当に役に立てているのか、分からない。だけれど、愛意がそれを望むなら、それが愛意や寧音のためになるのなら。
「分かりました。次はなんて言えば良いですか?」
「何でもいいの。大事なのは、アイドルが発信したという事実。はっきり言うと、私はあなたの人気を利用したい」
愛意のその狙いには気付いていたけれど、いざ本人から断言されると来るものがある。しかし、アイドルがファンの前で弱気になってはダメなので、僕は気にしていないふりをした。
「なら、内容は貝塚璃王が正しいと思うものにします。僕個人として考えますね」
「……そう。お願い」
一拍おいてから、愛意はそれだけ言ってデスクに帰った。必死に取り繕っているようだが、愛意の顔が一瞬面食らったように固まったのを僕は見逃さなかった。
『アイドル』として利用するはずだった男から『個人』という言葉が出てきたことが、予想外だったのだろう。僕だって、正直どうすれば良いか分かっていない。僕個人が正しいことをするためには、アイドルの僕が必要不可欠になるからだ。
それでも、僕が正しいと思ったことをする。そうすれば、僕のなりたい玲に近づけるような気がした。
ーーーーー
朝川探偵社から自宅に戻った僕は、ソファに沈みスマホを確認した。探偵社にいるときに通知を確認できていなかったためか、実琉からの連絡が大量に溜まっている。それにしても、多過ぎやしないだろうか。
僕は首を傾げつつ、実琉に折り返しの電話を掛けた。
「璃王さん! 大変です!」
スマホから飛び出して来てしまいそうなほどの、耳をつんざく大声。聞こえる実琉の呼吸は荒く、どこかを走っているのか小刻みに足音が響く。
「実琉さん。どうしたんですか? とりあえず落ち着いてください」
実琉はハッとしたように息を呑み、深呼吸を始める。暫くそうしていると、落ち着いてきたのか実琉が口を開いた。そしていつの間にか、足音は止んでいた。
「すみません。俺の確認不足でした。璃王さんは気にしないで大丈夫です。全ての責任は俺にあります」
「ちょっと待ってください」
思わず僕は叫んだ。いきなり謝られても、背景が分からなければ僕も身の振り方を決められない。それに実琉が責任を問われるなんて、高確率で僕が何かしでかしてしまったに違いない。
「何があったんですか? 説明してください」
「それは……」
「お願いします。早く!」
言い渋る実琉に焦りからか、責め立てるように食い付く。話を聞かなければ、実琉だけの責任かどうかは分からないのに、実琉は全部一人で背負うつもりでいる。それがどうしようもなく、もどかしかった。
「璃王さん、本当に心当たりありませんか?」
数分の間をおいて実琉から吐き出された言葉は、とても小さく、しかし僕の心に刺さるものだった。
心当たり。そんなのあるに決まっている。だから、こうして実琉に抗議しているのだ。
「投稿の件ですよね。あれほど、女性や政治、事件に関する投稿は気をつけるようにと言ってくださっていたのに……。すみません」
「いえ。投稿を許可した俺に責任があります。社長は事件に触れることは許可したけれど、璃王さんの個人的感情や要望はまずかったと、おっしゃっていました。あの言葉を入れたせいで、璃王さんが探偵さんと親密な関係にあると考える人は少なくありませんでした」
スマホを握る手に力がこもる。もっと先のことを考えるべきだった。後悔が心の中で渦を巻き、僕を襲う。
「僕はどうすれば……」
「とりあえず、昨日の投稿を削除して欲しいとのことです。そして暫くは自宅待機をお願いします」
「仕事、断られちゃいました?」
覚悟していたことだが、恐怖で口がひきつる。自分が上手く話せているのかさえ分からない。
「収録していた分は予定どおり放送します。しかし、これから収録予定だった番組は、出演を見送らせて欲しいと先方が」
そりゃそうだ。僕は諦めに似た納得感を覚えた。
ここ『STARSプロダクション』は、自慢に聞こえるかもしれないが、僕が初めて売れた所属芸能人なのだ。新しくできた小さい事務所ということもあるが、有名人という判を押されて違和感のある所属者が大半だ。
そして皆、素行が良い。こんな風に世間からのバッシングを受け、炎上騒動が起こるなど前代未聞なのだ。まだ、この騒動に対処できるほどの経験値がこの事務所には無い。
先方もそれを理解しているから、僕に下手に動かれないよう、待機を言外に命じているのだ。
なら、それに従うしかない。
「分かりました。何かあれば呼んでください。僕は家に居ますから」
「すみません、璃王さん。お願いします。失礼します」
「はい。こちらこそ、申し訳ございません」
実琉との通話を切り、愛意に謝罪のメールを入れる。事務所が動くほどの炎上ともなれば、もう一度事件について投稿するなんて、文字どおり火に油を注ぐことになる。
愛意からは返事がなかった。でも明日斗から、こちらを案じる言葉が来た。その温かさに、涙が浮かぶ。
ソファに横になり、SNSを開いた。実琉がしてくれたのか公式アカウントのコメント欄は閉じられているが、あの投稿を引用したたくさんのコメントが、検索せずとも流れてくる。
『璃王くんが正義感強い子なのは知ってたけど、これは影響力ある人がやっちゃいけないよ』
『判断が甘過ぎる。今まで応援してたけど幻滅した』
『これご家族に許可とった? 良かれと思ってやったことでも、迷惑になってるんじゃない?』
『事務所もちゃんと管理するべき。本人任せのSNSは危険すぎる』
分かってる。分かっていることばかりだ。もっと考えて、考え抜いてやるべきだった。正しいことをしたいだけの自分の浅はかさが、露呈しただけなのだ。
ぼやける視界には、まだまだ読みきれない量のコメントが映っていた。
『アイドルが正義面してて腹痛い』
『炎上芸? そこまでしないと売れないとか、アイドルって大変だね』
『探偵ごっこしたいならアイドル辞めろ』
『実際に起きた事件で人気稼ぎとか、人として終わってるよ』
『自分が一番正しい人間だと思ってそう』
僕は耐えきれなくなり、震える指で例の投稿を取り消した。その途端、またネットの波が激しくなった。
『璃王逃げた?』
『事務所に怒られちゃった? ダサすぎ』
『正義面したいなら、最後までやれよ。中途半端が一番カッコ悪い』
『ここまで計算しての計画炎上だったら、さすがに天才すぎるし性格終わりすぎ』
『もうSNSも芸能活動もするな』
実体の無い刃物が突き刺さり、僕から流れ出た体液がソファにシミを作る。
こんなとき、玲なら何て言ってくれるのだろう。隣で笑いながら、バカだねって僕を貶すかもしれない。それとも昔みたいに、何も言わずただ隣に居てくれるのだろうか。
そういえば、玲が救助活動に行って怪我をしたとき、僕は玲をどうしてこんなことをしたのかと問い詰めた気がする。そうしたら、あの言葉が返って来たんだっけ。
ああ、あのときの玲はきっとこんな気持ちだったのだ。自分が信じる正しいことは、万人が正しいと答えるものではない。それが悔しくて、自分が間違っているようで悲しみに暮れた。
あのときの玲みたいに、胸を張って自分は正しいと言いたい。でも、僕は間違えたのだ。誰かのために行動したいという心構えまでは合っていた。そのやり方を間違えただけだ。終わり良ければすべて良し。その逆もまた、しかり。
どうしようもなくて、あの声を聴きたくなって、僕は考え無しにメールを送っていた。玲にたった一言『助けて』と。
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バカだな。最初に浮かんだ言葉はそれだった。俺はノートパソコンでニュースサイトを開く。今を輝く人気アイドルの炎上が、様々なサイトで毛色を変え語られている。
実際に起きた事件についての投稿。確かに、世間が騒ぐのも無理はない。俺は記事を読みながら、ため息を吐いた。あいつらしい、優しさに溢れる文章が実際の投稿文として載っていたからだ。
打ち合わせで会っただけの人間の家族について、心の底から心配して、こんな投稿をしたのだろう。
「璃王……」
俺にその名を呼ぶ資格は無いと知りながら、あいつの名前がこぼれ落ちる。
こんな風に世間から批判を受け、繊細な彼の心は耐えられている訳がない。柄にもなく心配をしてしまう。
彼の味方はいないのかと、白衣のポケットに入れているスマホを取り出す。しかしSNSを開く前に、大量の通知が目に入った。その内の一つを見ると、渦中の彼からメールが届いている。いつもは長文でだらだらと意味の無い言葉を送ってくるというのに、これにはたった一言しか書かれていない。
「ごめんな。俺には無理だ。人を救うなんて」
たった一言の『助けて』。それだけで、胸が締め付けられるように苦しくなった。反射的に返信をしようと思った。しかし、今まで一度たりともメールボックスを開いたことも、返信をしたことも無いと思い出し、指を止める。
それに、俺がまだ璃王のことを考えているなんて知られれば、あいつはまた悩むことになる。世間からの批判で傷つき柔くなっている彼に、余計なことを考えて欲しくはない。
そこまで熟考して、スマホを白衣のポケットに戻す。すると、遠慮がちなノック音が聞こえた。
深夜二時の病院の実験病棟。俺の個室に誰が何の用だろう。訝しみつつ扉を開ければ、肩で息を整え険しい顔をしている部下と目が合った。
「荒牧、こんな遅くまで残って。早く帰って寝ろ」
「大変です! 玲先生」
部下の荒牧港は、上司である俺の話を遮り大声を上げた。その焦り様からただ事ではないと感じ、俺は荒牧を部屋に招き入れる。
「一旦落ち着け。話はそれからだ」
デスクの隣に備え付けた小型冷蔵庫からペットボトルの水を出し、荒牧に手渡す。荒牧は受け取りはしたが、飲む気配はなく、気まずそうに休憩用のソファに腰をおろした。
「すみません。騒がしくして」
眉を下げ、荒牧が口を開いた。開口一番に言うことがそれなのかと呆れはしたが、荒牧らしいと言えばそのとおりだ。俺はデスクの側に立ち、荒牧に視線で話の続きを促した。
「でも、大変なんです。貝塚璃王の投稿、見ましたか? あれのせいで、本当に」
「炎上の件なら、俺たちには関係のない話だろ。正しいと思ってしたことが、他人から批判される。よくある話だ」
「そうじゃなくて……」
しびれを切らしたのか、荒牧は怒りと焦りの混じった表情で持っていたタブレット端末を操作し、画面をこちらに見せた。
「晒されているんです! 玲先生のことが。何もかも」
ネット掲示板のまとめサイトのようなものだろうそれに、俺の名前、顔写真、職場、経歴などがびっしりと書かれていた。そして、こいつが朝川寧音を誘拐したという一つの書き込みが火種となり、サイトは過激に燃えている。
「何だ、これ……」
絞り出した声は掠れていた。荒牧からタブレットを奪い、震える指で画面をスクロールする。俺だけではない。荒牧のことも、先輩の陣内のことも、同期の篭野のことも。全部全部、晒されている。
その中に、璃王との関係を示すものはなかった。そのことにほんの少し安堵したが、俺の心に芽生えた不安は止まることを知らず膨れ上がるばかりだ。
ネットの情報のほとんどが、出所不明なもの。どこで誰に何を見られているか、聞かれているか、分からない。もしかしたら、俺と『あの人』の関係を知っている人が現れるかもしれない。
背筋に嫌な汗が流れた。体が震えて、立っていられなくなった。へたり込んだ俺に、荒牧が駆け寄る。
「玲先生。俺は大丈夫です。でも、玲先生や陣内先生、それに違う部署の篭野先生まで、こんなことになって。一度、院長に相談するべきだと思います。院長なら、もしかしたら」
「相談して、どうなる?」
自分でも驚くほど、冷えた声が出た。
「朝川寧音が、ここにいることは事実だ。俺がしたことは、誘拐なんだ」
荒牧が無言で首を横に振る。泣きそうな顔で、一生懸命に否定しようとしてくれているのだ。
「でも、そうだな。無関係のお前たちまで巻き込まれることはない。院長に相談してから、警察に出頭しよう」
「そんなこと、する必要ありません。だって玲先生は、無実なんだから。そもそも、警察に行ってどうなるんですか? あの人たちは、ただの国家の犬ですよ」
早口で捲し立て、荒牧は涙を散らした。どうしてこんなに俺のためを思ってくれているのか、分からない。俺は彼に一体何をしたのだろう。
「荒牧、落ち着け。こうなることは覚悟していた。だけど、お前たちが傷つくことは許せない。俺のわがままでしかないが、俺にこの事件を終わらせてくれ」
「嫌です! 玲先生がいなくなってしまう。それだけは、絶対に」
お互いに、引くつもりは毛頭無いらしい。見つめ合ったまま、じりじりと時間が過ぎてゆく。俺は部屋を出ようとしたが、それを察知した荒牧がドアの前に立ちはだかる。
「荒牧」
「嫌です」
また、荒牧は上司である俺の言葉を遮った。こうなった荒牧は、自分の意見が通るまで意地を張り続けると、一年にも満たない経験からでも分かっている。
どうするべきか。深呼吸をしながら、考えを巡らせた。このまま、俺が院長にネットでの騒動を相談した足で警察に行くことが、誰にとっても最善の選択のはずだ。荒牧はどうして、俺を止めようとしているのか。
荒牧は、五年前、朝川寧音に起きたことを俺が話したので知っている。全てを分かった上でこれなら、もうどうしようもない。
諦めとも安堵とも取れない息を吐き、俺はデスクチェアに座った。それを見た荒牧が、嬉しそうに笑顔を満開に咲かせる。その笑顔が俺には眩しすぎた。
「玲先生。寧音ちゃんのことは、俺にだって責任があります。一人で全部の罪を背負おうとしないでください」
荒牧も気付いているはずだ。これはただ、問題を先送りにしているだけだということに。それなのに、どうしてこんなにも爽やかな笑顔でいられるのだろう。
配流玲は部下に気取られぬよう、一人不安を色濃くした。
次は、それぞれの決意が物語を動かします。楽しみにしてくださると嬉しいです。




