第十八話 あなたとのとき
玲の逮捕で揺れる人たちの心。同じ人を想っているはずなのに、それぞれがする選択は違えていく。そして、中心にいる玲の心はもっと遠くにあるような…
私はいつも自分勝手だった。でもあなたは、周りの状況を的確に判断し相手のために行動してきた。そんなあなたを尊敬しながらも、私はあなたを危ぶんでいた。いつか勝手に、どこかに消えてしまうのではと。
だから、遊園地からあなたが帰って来なかったとき、妙に納得した。あなたは勝手に、そういうことが出来る人だ。知っている。知っているから、少しだけでもその気配に気付いてあげたかった。
「天王寺友加さんですか?」
自宅を訪ねてきたスーツの男たち。彼らは、警察手帳を事務的に開く。それを見て、私はすべてを察した。私はこの男たちとともに警察署に行き、取り調べを受けることになる。きっと私の幼なじみが、勝手な行動をしたのだ。
「急にお訪ねしてしまい、申し訳ございません。配流玲さんについてお話を伺いたいので、署まで来ていただけませんか?」
ほら見ろ。私は心の中で吐き捨てた。さすがに、悪態をついてはいけないと理解している。ただこの状況に、少しばかり反抗してみたかっただけだ。
「分かりました。少々お待ちください」
従順なふりをして玄関扉を閉める。落ち着いた大人を演じるため、深呼吸で気持ちを静める。でも、私の心臓は簡単に収まってくれない。不安やプレッシャーで、潰れかけていた。
どうすれば良いのだろう。扉に背を預け、その場にへたり込む。これから私がする一挙手一投足が、幼なじみに影響する。私が変な行動をしたり、奇妙な証言をしたりすれば一発でアウトだ。
「どうしよう……」
思わずこぼれた弱音に、嘲笑がにじむ。こんなふうに、誰かからの助けを待っていてはいけない。私が、玲を助ける側なのだから。
震える足に檄を飛ばし、よろよろと立ち上がる。全身鏡で身だしなみを確認し、笑顔の練習をした。この女が何とかするしかない。私は覚悟を決め、扉を開けた。
「すみません。お待たせしました」
「いえ。では行きましょうか」
家の鍵を閉め、男たちに守られながら進む。今からこの強面の男たちに囲まれ、私はボロを出さずにいられるだろうか。玲にとって不都合なことを、何も言わずにいられるだろうか。
不安は残る。でも、私にしか出来ないことだ。私は玲のために、嘘を吐くことにした。玲を、最愛の人を守れるならば、私はどんな悪行だってする。たとえ、真実を遠ざけることになってもかまわない。
脳裏に探偵たちの顔が浮かぶ。あの子たちにすべてを話したのは、きっと一瞬の気の迷いだ。母にいろいろ言われて、惑わされてしまったのだ。だから、なかったことにしたい。
私は嘘で真実を覆う。それが、今の私がやるべきことだから。
ーーーーー
お前、世間に謝れよ。ニュースを見て、最初に思ったことがそれだった。我ながら、最低なことである。
「篭野先生? どうしたんですか?」
一緒に昼休憩をしていた部下が、俺にスプーンを差し出している。それは俺がさっきまで使っていたもので、俺の左手は空になっていた。
「いきなりスプーン取り落として、ぼーっとして。疲れてます?」
もしかして、俺はそれなりに動揺していたのか。困惑のままスプーンを受け取り、カレーライスに差す。その手が震えていたおかげで、俺は自分が冷静でないことを悟った。
「親友が、捕まった。というか捕まりに行った」
自分でも、何を言っているのかと思う。だが、それが事実なのだから仕方ない。部下は驚いて反射的にテレビを振り返るが、ニュースは次のトピックに移っていた。俺の親友は、それほど報道する価値もないというのか。
そんな支離滅裂な怒りが湧き、自分が恥ずかしくなる。どうして、報道機関が悪いと思うのだろう。どうして、八つ当たりをしたくなるのだろう。自分だって、悪いではないか。
昨日あいつに会ったとき、何か漠然とした焦りを感じた。それは俺が出したものかもしれないし、あいつが出したものかもしれない。悪魔か天使か分からない囁きが、後悔するとだけ教えてくれた。
だから、『法助』と呼んで欲しいなんて、実際はどうでも良いことをねだった。何でも良いから、彼との繋がりを強くしたかったのだ。でも俺は、あいつを引き留める力を持っていなかったようだ。
「バカな奴だよ。ほんっとにバカだ」
状況が掴めずきょとんとする部下を残し、俺はカレーにぱくつく。皿を持ち上げ一気に掻き込み、咀嚼もせずに飲み込んだ。
「ごちそうさま。俺、先に戻ってる」
部下にから笑いをし、席を立つ。返却棚に皿を戻してから、俺は食堂を出た。だが足は、外科医局に向いていない。自然と休憩室へと歩いてしまう。
その理由に気が付き、俺は小走りで休憩室に駆け込んだ。壁面に設置されたロッカーに白衣をぶち込み、スマホと財布が入ったカバンを肩に掛ける。
休憩時間が終わるまであと十分。この時間で、行って帰って来ることは不可能だ。ならもう、仕事をバックレるしかない。残念なことに、俺は医師としての使命より親友の方が大事な男だ。だから簡単に、そういう選択が出来る。
俺は天王寺友仁外科部長に午後から半休を取ることを伝え、由命界総合病院を後にした。
ーーーーー
「講義どころやあらへんなぁ」
スマホのニュースアプリを閉じ、俺は誰に聞かせるでもなくのんきに呟いた。しかし、研究室には書類を取りに来ていた助手がいる。彼女は驚いた様子で、俺を振り返った。
「千歳教授? 午後も二コマ講義が入っていますよ?」
俺が冗談を言ったとでも思ったのか、助手は呆れたように腰に手をかけた。そのしっかり者仕草に、無意識に親友を重ねてしまう。もしかしたら、この子を助手として雇ったのは、親友の面影を見てしまったからなのかもしれない。
「それって補習やろ? 別に、俺がおらんくともええやつ」
「わざわざ夏休み期間中に、学生が来てくれるんですよ」
午後の予定は、先日の定期考査で基準点を満たさなかった学生のための補習。今回のテスト範囲をまとめた課題プリントを解いてもらい、俺が解説をする。だが、今回の課題は基礎問題を中心に構成されているため、難易度はそこまで高くなく、解説なんて誰にだって出来る。
「それこそ、俺だってわざわざ休みを削ってまで来てるんやけどな」
心にもない不満を口にし、助手の反応を窺う。やはり俺には拒否権がないらしく、助手は蔑んだ目でこちらを見下げていた。だからどうして、この子は俺の親友に似ているのだ。
「昨日、旧友たちと楽しく遊園地に行ってきたそうではありませんか? 遊んだ翌日には、しっかりと働いてもらいますよ。サボるなんて許しません」
親が子を叱るときの口調で、助手は大の大人である俺に説教をしてくる。しかし、まったくもって彼女の言うとおりなので反論することは出来ない。俺はふてくされ、唇を尖らせた。
「説教しなさんなや、ねえちゃん。分かっとるて」
今までのことを冗談で済まし、助手の脇を通り準備室に避難する。後ろ手に部屋の鍵をかけ、俺は再びスマホのニュース画面を開いた。
仕事柄文字を読むことは好きなのに、この文字列だけは目で追いたくない。そう思いながらも、俺は記事を何度も読む。だって、読みこぼしがあったら困るから。読みまちがいをしていたら、大変だから。
「玲って、演技上手いよな。昔っから嘘吐きやったもんなあ」
なぜだろう。心から思っていることなのに、俺の口から出る言葉は感情を持っていない。まるで大根役者の棒読みだった。俺は、千歳巡という役にハマっていないのかもしれない。
「玲の嘘吐き。最低。最悪」
今度は、憎しみが混じった。こんな感情なら、混ざらない方がマシだ。こんな気持ちを、親友に抱きたくなかった。そしてそれを、自覚したくもなかった。
「なんで、簡単に嘘吐けるん? 嘘吐いても自分にええことないやろ」
逮捕されに行った親友に、しっかりと毒を吐く。これくらいは、許されて当然のことだ。バカなことをした親友に怒りたくなって、何が悪いのだ。怒りと情けなさが、追いかけ合っている。
「玲の大バカ者が」
玲は犯罪なんてしていない。それなのに、なんで自首なんてしに行ったのだ。捜査の撹乱をしたとして、犯人隠避をしたとして、別の罪が生えてくるだけなのに。バカだ。考えれば分かることなのに。
「せやけど、俺もバカやで。どうすればええんか分からへんもん」
面会とかって、今から行けるものなのだろうか。確信がもてず、怯んでしまう。それに、俺があいつに何を言ってやれるというのか。あいつにかけるべき言葉を、見付けられずにいる。
「仕方ない。講義しますか」
あいつは遊園地で、愉快な親友を演じてくれた。そのおかげで、昨日の思い出は『楽しい』の一言で表せるものになった。ただただ、感謝しかない。
なら、俺も演じてやろう。陽気な考古学教授という役を、俺のハマり役を。プライベートなあいつのことを考えるのは、役をおりた後で良い。
俺は教科書を持ち、講義室へと足を向けた。
ーーーーー
僕たち四人は、惨敗したのだろう。僕は、朝川探偵社で食い入るようにテレビを見つめる。昼のワイドショーが伝える内容に、嫌な汗が背中を伝った。それから一歩遅れて、口から言葉の成り損ないがもれた。
「玲さん……」
彼の名前を呼んだはずだが、耳がその音を拾うことはなかった。僕は流れかけた涙を呑み、彼女のデスクに近寄る。この事務所の主は、悔しさに顔を歪め、テレビを睨め付けていた。鬼気迫る、鬼の形相でいらっしゃる。
「愛意さん、良かったですね。これで寧音ちゃんと会えますよ」
喜ばしいことで気を逸らそうとしたのに、朝川愛意は睨む対象を僕に変えた。その目力だけで、僕が言ったことは間違っていたと分かる。それほど強く、僕を射るように見た。
「何も良くないわよ。私は自分の手で、真相を掴みたかった。ちゃんと自分で寧音に何があったのかを理解して、寧音を傷付けないようにしたかった。何も知らないのに、寧音に会ったり出来ない」
愛意の拳が、古びたデスクに直撃する。悔しそうに、苦しそうに涙をこらえる彼女に、昼凪明日斗が紅茶を差し出した。ほんのりと甘い、アールグレイが優しく香る。
「社長。俺たちにだって、まだ出来ることはありますよ。陣内先生や荒牧先生から現状を聞き出すことも、警察の協力者から捜査状況を聞き出すことも。俺たちにはまだ、やるべきことがあります」
「報道を鵜呑みにして良いならば、配流玲は寧音さんを轢いたのも自分だと供述しています。まだ警察だって、真実を知りません。僕たちで真実を掴む余地は、まだまだあります」
明日斗の慰めに続いた夜野海新希のそれには、騒がしいほどの活気が充ちていた。愛意に寄り添おうとしている明日斗とは逆で、新希は自分も勘定に入れて発言している。推理小説の中の名探偵に憧れる少年は、自分たちの力で事件の謎を解明したい。だからこんな状況になろうとも、諦めるということはしない。
「少女を轢き、それを隠蔽するためにその子を誘拐。そして五年間も、自分のもとに置き監視していた。今回自首したのは、ネットで噂になったことで知り合いに迷惑がかかり、そのことに耐えきれなくなったから。……だいたいどこの局でも、こんなことが言われているわね」
立ち直れたのかは怪しいが、愛意は新聞紙、ネットニュース、ワイドショーで報じられている情報の比較を始める。だが玲が自首をしたのは昨日の夕方なので、比較検討が出来るほど情報が揃っていない。裏を返せば、一晩で報道が出来る量の供述が得られたということなのだが。
「ネットは荒れていますよ。前に噂になったとき以上に、配流玲という人物への世間の評価が厳しいものになっています。罵詈雑言を飛ばすものが大半ですし、見ていて良い気持ちにはなれませんね」
「寧音さんのことを案じるものより、配流玲に対する誹謗中傷の書き込みの方が多い。そしてやはり、千歳教授や陣内先生、荒牧先生などの周囲の人間にも飛び火しています」
芸能人として、ネットの声がもつ重さは理解しているつもりだ。ネットの声と世間一般の評価は、必ずしもイコールで結ばれるわけではない。ネットを観覧している人は多いが、自分の気持ちを書き込むために活用している人は全体の一握りである。だが、業界が窺うのはその一握りの人たちの顔色だ。
だから、今こうして叩かれてしまえば、世間はそちら側に流されていく。配流玲は悪人、その周囲の人間も同罪。それが世間の評価となり、だからどんなことを言ってもかまわないという考えが根付き始める。
そうなってしまえば、テレビもそちらに擦り寄らざるをえない。これから玲たちを断罪する声は、大きくなる一方だろう。それこそ、被害者が実在することを誰も意識しなくなるほど。
「僕は玲さんが何をしたのかじゃなくて、どうしてそうしたのかを知りたい。そしてそれを、世間の人にも分かってもらいたい。そうすれば、その言葉の嵐も少しは止むと思う」
まだ、すべてが明らかになったわけではない。明日斗と新希の言葉とおり、僕たちにだって出来ることがある。そしてそれを、僕自身が成し遂げたいと思っている。大切な人のために、真実を突き止めたい。初志貫徹だ。
「何も知らずに玲さんを攻撃している人たちはもちろん許せないけど、同じく何も知らないのに手をこまねいている自分はもっと許せない」
「貝塚さんは、やっぱり変わりませんね」
「うん。玲さんのためって、ずっと思ってる」
その理由はもう見失ったし、見付けようとも思っていない。だって、論理的な説明が不要なくらいに心が彼を求めているから。頭より先に心が、僕を玲のもとに突き動かしている。
「そう。なら私のお願い、聞いてくれる?」
「もちろんです。僕に出来ることなら何でも」
得意気な顔でこちらに微笑んだ愛意に、僕も胸を張って答える。僕たちの目的が、あのときからぶれたことはない。たとえ状況が一変しようとも、世間が荒れようとも、真実が闇の中にある限り僕たちはそこに手を伸ばす。
そのための努力も協力も、惜しむことはしない。目的が一緒なので、愛意たちは僕の望む未来を叶えてくれる。だから、疑うことなく頼みを聞ける。
「配流玲に、会って来てくれない?」
「玲さんに、ですか?」
前言撤回をしよう。いくら何でも、さすがにこれは裏があると勘ぐってしまいたくなる。愛意は自分の手で真実を掴むと言った。だが僕が玲に会いに行けば、真実を知ることだって可能になってしまう。
玲が真相を話すわけがないと言われればそれまでだが、僕が現れた時点で真相を訊ねるためなのだと玲なら察する。もし玲の気まぐれで僕が真相を知ってしまえば、それは愛意が望む未来ではなくなる。愛意の希望とは、矛盾しているではないか。
「あなたには、ただ話をしてきてもらいたいの。彼が何をしたかではなく、何を思い何を考えたのか。それを聴いてきて欲しい」
「玲さんの心の声。僕にとっては、一番知りたいものです。でも、本当にそれで良いのですか?」
愛意のお願いを忠実に遂行したとして、得をするのは僕だけだ。四人でやると決めたのに、それでは不公平になってしまう。抗議をしかけるが、愛意の表情を見て僕は押し黙った。その顔が、すべてを物語っている。
「いえ。何でもないです。僕で良ければ、今すぐにでも行ってきますよ」
愛意が言外に、これで良いのだと笑う。でもそれは、僕に期待しているからではないのだろう。僕が真相を聞き出してこられるわけがないと、分かっているからだ。そして、僕もそのことを知っている。
「お願いね。その人の思考回路を読み解くことは、真相解明にも繋がるから」
「そうですね。では行ってきます」
「待って!」
勇んでドアノブをひねった僕に、愛意が慌てて大声を飛ばす。僕はその声に驚き、反射でノブから手を離した。僕が振り返ると、愛意は困ったように眉を下げる。そして両手を合わせ、謝罪の言葉を口にした。
「ごめんなさい。今すぐはやめた方が良いよ」
「どうしてですか? 善は急げ、ですよ」
「それはそうなんですけどね」
明日斗がカウンターの奥から出て来て、こちらにスマホ画面を見せてくれる。そこには『留置場の面会ガイド』という見出しで、起訴前の被疑者との面会について、概要が書かれている。僕はそれを読み、自分の浅学を恥じた。
「逮捕から勾留決定までの三日間は、原則として面会が出来ない……?」
「はい。なので、今行ったとしても追い返されるだけです」
「それに、被疑者は一日一回までしか面会に応じられないし、捜査の都合で不在の場合もあります。事前の確認なしに行くのは、無謀じゃないですかね?」
物知りな高校生二人に忠告され、僕は縮こまりながらソファに戻った。硬めのクッションに沈み、顔を隠す。
「みんな物知りだね……。すごいよ」
僕は六つの瞳から憐れみの視線を向けられ、ソファの上で膝を抱える。
こうして僕は、四日間のお預けを食らうはめになった。
ーーーーー
受付を済ませた僕は、面会室に通される。そこは白にも灰色にも見える部屋で、居心地の悪い場所だった。四日間も待たされたというのに、まったくワクワクしてこない。中央には、部屋を二つに隔てるアクリル板がはめられている。こちら側と向こう側で造りに大差はないが、向こうには机が一つ置かれていた。
「入れ」
扉が開く音がし、二人の男性が入ってくる。青い警察官の制服に身を包んだ方は、もう一人を椅子に座らせて自分は角の机についた。この面会の記録をとるのだろう。
「久しぶり。玲さん」
僕も椅子に腰かけ、目の前に座る男に挨拶をする。僕が最後に見たときよりも、彼の体は小さくなっているように感じた。体は痩せて線が細くなり、顔も頬骨が目立ち、目の下に濃い隈ができている。
「元気にしてた?」
見るからにそんなわけないが、定型文が口をつく。玲は僕の質問が聞こえていなかったのか、黙って僕を見つめてくる。そんな玲に、僕はアイドルスマイルをつくった。
「どうしたの? 僕が相変わらずイケメンだから、びっくりしちゃった?」
「いや。そんなことないが」
昔みたいに軽口をたたいたつもりだったが、玲はのってくることなく口ごもる。その瞬間、僕は焦りを感じた。もしかして、昔と同じ関係性に戻れると思っていたのは、昔と変わっていないと思っていたのは、僕だけだったのだろうか。
「なんで来た? 大人気アイドル様が、こんなとこ来たらダメだろ」
「そんなこと分かってるよ。僕も一応、芸歴八年だからね」
「だったら今すぐに帰れ。帰ってくれ」
口を開いたと思えば、玲は僕を追い返そうとしてきた。なんとなく、避けれることは予想していた。それだけのことはしたつもりだし、それだけの年月が過ぎていた。だが、やっぱり寂しいものだ。
「玲さん、ごめんなさい。僕がしたことは、決して許されて良いことではない。僕が玲さんを苦しめたことは、まぎれもない事実だ。でも、僕はあなたと話をしたい」
わがままだが、ここで引き下がりたくない。愛意に頼まれたからとかではなく、あくまでもそれは口実なのだ。僕が玲と、言葉を交わしたい。
「ごめんね。分かってる。玲さんは僕のことが嫌いになったんだよね。なのに僕があなたを忘れられなくて、こんなにしつこくしてごめん」
謝れば許してくれるほど、玲は甘くない。それを分かっていながらバカみたいに謝り続ける僕は、さぞ滑稽なことだろう。嘲笑を浮かべる玲を想像し、顔を上げる。だが、目に入った光景に僕は息を呑んだ。
「そんなこと、ない」
玲が、悔しそうに唇を噛む。そこからこぼれた震え声は、僕の最も欲しかった言葉をくれた。否定して欲しかったのだ。嫌われて当然の出来事だったのに、玲にだけは嫌われたくなかった。今の僕の大部分を構成する要素である玲に、遠ざかって欲しくなかった。
「あれは、俺が完全に悪い。璃王はまったく悪くないし、あの人も悪くない。全部、俺だけのせいだ」
「玲さん? 違う、違うよ。玲さんは被害者なんだから、悪いことなんてしてない」
僕は首を振って否定に入るが、玲がそれを受け入れる気配はない。玲から、後悔の念がにじみ出ているのが分かる。本気で自分を責めている人の態度だ。
「あの人は、お前が参加したデビューオーディションでお前に負けた人の恋人だったらしい。夢を絶たれた恋人の絶望に耐えきれず、お前を恨むようになった」
「うん。だから、僕のせいなんだ」
当時の所属事務所からその動機を聞いたとき、すぐに自分のせいだと理解した。僕がそのオーディションで勝たなければ、恨まれることはなかった。つまり、玲が傷付けられることはなかったのだ。
「違う。お前がアイドルに興味をもっていたから、俺が軽い気持ちでオーディションを受けるように勧めた。俺の軽はずみな言動に、あの人もその恋人も、そしてお前も人生を壊されたんだ」
「玲さんだって、僕を庇ったせいで人生がめちゃくちゃになった。どうして、自分だけ傷付いてないみたいに言えるの?」
「俺は罰が当たっただけだ。当然の報いなんだ」
これ以上、議論を続けても無駄だ。僕も玲も、折れてやるつもりは毛頭ない。お互いに自分を責めて、それで終わり。得るものも失うものもない、虚無の時間が流れるだけ。そんなこと、分かりたくもなかった。
「そっか」
だから、納得しないまま僕は会話を断ち切った。玲はくすんだ灰色の瞳で、遠くに目線を投げる。呆れられたのだと思うが、玲には何の表情も浮かんでおらず、正解を確かめることは出来なかった。
「玲さん、なんで今まで連絡してくれなかったの? 自分のせいだと思っていたなら、僕に謝罪の一つくらいちょうだいよ。僕は見ず知らずの女に襲われて、目の前で玲さんが血を流すのを見て。僕だって、けっこうつらかったんだからね」
一旦玲の言い分にすりより、別の話題へシフトする。玲からの連絡を待ち続けた六年間は、僕にとって最低最悪の期間だった。これに関しても玲を責めるつもりはないが、玲にはこれくらい強く言わないといけない。そうでないと、簡単にかわされて終わってしまう。
「ごめん、璃王。どうしても、連絡しようと思えなくて」
「その理由って、聞いても良い?」
僕は追及の手を緩めない。身を乗りだし、アクリルに手を付ける。玲の顔に手を被せ、そのまま拳を握る。焦りからか、恐怖心からか、僕の手はじっとりと汗ばんでいた。
「先に言っておく。お前のことを、嫌いになんてなっていない。むしろ、ずっと応援してた。グッズを買って、出演番組を見て。ずっと応援してたよ」
「玲さん!」
「だからかな。お前に連絡出来なかったのは。アイドルとして活躍するお前の邪魔だけは、したくなかった」
「玲さん……」
玲の言葉に一喜一憂する僕を、玲はさらっと鼻で笑う。自分が人の気分を上げ下げしていると、気付いていないのかもしれない。
応援していると言われ、喜ばない人はいない。承認欲求の強い僕なら、なおさらだ。応援は、純粋な称賛なのだから。
だから、だからこそ、アイドルと一般人という越えられない壁を感じてしまう。僕がデビューしたての頃は、それ以前と変わらず近所の子供として接してくれた。それなのに今はもう、僕をアイドルとしてしか見てくれていない。
「連絡して欲しかった? いらないでしょ。俺からのなんて」
「玲さん、ひどいよ」
思わず出た寂しさに、玲が片方の眉を上げる。僕の目は潤み、気を抜けば涙がこぼれそうになる。でも、今言わなければならない。玲がくだらない勘違いをしているから、今すぐにそれを正さなければならない。
「連絡が欲しかったのはそうだけど、一番は玲さんの声を聴きたかった。無事を確かめて、安心したかった」
「安心は昔にしただろ。先生に、命に関わるような怪我ではないって言われたんだから」
「怪我はそうだよ。でも、目の前で大量の血を流す姿を見て、その診断だけで安心出来ると思う?」
「そうか。それは俺の配慮が足りなかったかも……」
玲は自身も医師だから、怪我の具合をしっかりと分かっていた。だから僕に、『大丈夫』なんて無責任なことを言えたのだ。僕の心配は、玲からしてみればどこ吹く風だったのだろう。
「勝手にいなくならないで欲しかった。僕は不安のまま、玲さんがどこで何をしているのか考えてばかりいた。玲さんは昔から自分のことには無頓着だったから、ちゃんとご飯を食べているのか、ちゃんと寝ているのか、ずっと心配してたんだよ」
「俺、そんな子供じゃないよ。それに友加がいたから」
「それが! 僕は気に食わないの!」
唐突に現れた玲の幼なじみの存在に、僕は机を強く叩く。友加のことは嫌いではないし、なんなら好きなのだが、玲が紹介してくれなかったことだけは許せていない。
「僕がものすごく心配してる裏で、幼なじみの友加先生とイチャラブしてたってことでしょ! 僕の心配返してよ」
「イチャラブはしてない! 断じてしてない!」
「でも、同棲してるんでしょ? 愛意さんが言ってた。それってさ、僕の心配はどうでも良いけど、友加先生は放っておけなかったってことだよね。差別だよ、それ」
僕がしかめっ面を近付けると、玲は拗ねた子供のように顔を背けた。その両頬が、うっすらと赤らんでいる。どうやら、愛意からもらった情報は正しいようだ。玲は口こそ悪いが、感情が態度に出やすい。分かりやすくて、本当に助かる。
「同棲なんて、そんな賑やかなことじゃない。友加に無理矢理引きずり込まれたんだ」
「でも、嫌そうじゃないね」
口では否定しながらも、玲の頬は緩んでいた。どこかまんざらでもない様子に、僕の中で確信が強くなる。
「友加の優しさは、あったかいから。俺はガキの頃から、友加にご執心だよ」
「そっか……」
結局そうなのだ。玲が嬉しそうに笑うのを、僕はぼんやりと見つめる。玲にとっての一番は友加で、僕とは顔見知りくらいの距離感。友加の存在が玲の中で大き過ぎて、彼女に敵う気がしない。
「玲さんは、友加先生と一緒に居られて幸せだった?」
「ああ。とってもな」
間髪いれずに、玲が自信満々で答える。その答えが出されることを、僕は知っていた。玲と友加が互いに想い合っていることは、話していればよく分かる。愛しているという感情が、言葉にしなくともあふれ出ている。だから、玲が幸せに過ごしていたことなんて、すぐに理解出来た。
「だったらどうして、誘拐なんてしたの? 友加先生が悲しむし、友加先生と一緒に居られなくなるんだよ。玲さんは頭が良いから、こんな簡単なこと分かってたでしょ?」
「璃王。俺は……」
「友加先生も、警察の取り調べ受けたって。何も話さなかったらしいけど、それって玲さんのためなんじゃないの?」
友加の名前を出せば、玲ははっきりと動揺を示した。瞳孔が揺れ、呼吸が浅くなる。そんな玲を、僕は睨むことしかしない。玲が、僕の知りたいことを話してくれるまで待つしかないのだ。
「それしか、俺にはなかったんだ」
震えた声。震える唇。玲がおもむろに話し始める。僕は居ずまいを正し、その続きに耳を傾けた。
「俺には、守りたいものがたくさんある。その中で優先順位を決めて、大切なものを守ろうとした。朝川寧音を拐うことで、俺が大切に思うものを守れると分かっていたから。俺は、あの人を守るって、救うって決めたんだ」
「その人は、友加先生より大切なの?」
玲の口ぶりから、『あの人』が友加ではないと分かる。しかし、友加と同じかそれ以上に、玲はその人のことを好いている。犯罪者になってまで、守りたいと思える人だ。
「そうだな。あの人のことを考えると、周りが見えなくなる。友加の言葉に耳を貸すことは出来ても、頷くことは出来なくなる。俺はあの人のために、友加さえ裏切った」
前に会ったとき、友加は玲のことは自分に任せて欲しいと言っていた。その言葉の裏には、幼なじみとしての自信やプライドみたいなものがあったのだろう。だが、玲は止まることをしなかった。それによって友加がどれだけ傷付いたのか、僕には計り知れない。
「玲さんは嘘吐きだよ。友加先生と一緒に居て幸せを感じたのに、大好きな友加先生を苦しめる選択をするなんて、どうかしてる。どうして、そんなことしちゃうの?」
玲は、バカみたいに優しい人だと思う。だってそうじゃなきゃ、一人ぼっちだった僕に話しかけたりなんてしない。モノクロの僕の世界に、玲は色彩を与えてくれた。玲といると、僕は明るい気持ちになれる。
口の悪さ、意地悪な性格。それにモヤモヤしたこともあったけど、それ以上に玲と話すことが楽しかった。そのままそう伝えたとき、玲は笑ってくれた。これからも気が向いたらおしゃべりをしてくれるって、約束してくれた。玲は、嬉しみとか幸せとか、そういった人の感情を大切にしてくれる。
それを知っているから、玲が友加を裏切ったと言えることに驚いた。だってそれは、友加の幸せも自分の幸せも、捨て去ってしまったという意味なのだから。玲は、嘘を吐いている。
「俺は、恩は絶対に返す主義なんだ。過去に俺は、あの人を無意識に苦しめ続けた。そのことに目をつむってくれた恩を、返さなければならない。俺にはその責任がある」
「だからって、誘拐は度が過ぎるよ」
「分かってる。璃王の言うとおり、友加を傷つけたことも、誘拐がいけないことだということも、もう分かってる。だけど俺は、友加にだけは甘えてしまう。友加なら、いくら俺が悪いことをしても仕方ないなって笑って許してくれるんじゃないかって思ってしまう」
僕の脳裏に、湯中狡の不愛想な笑みが広がった。僕も狡の話を聞いたとき、同じことを思った。友加は人の思いを尊重している。だから、その包容力ですべてを許してくれるのではと期待してしまう。友加なら、本気で怒ることはしないだろうと。
「友加は自分が傷付いても、それを教えてくれない。俺はそこに甘えて、自分勝手に生きてきた。周りの状況を的確に判断し、相手のために行動する。そんな友加を尊敬し、同時に危ぶんでいた。でも、友加なら大丈夫だろうって思ってしまった。ほんと、俺は自分勝手だよ」
玲が天を仰ぎ、顔を覆った。玲のごつごつとした大きな手は、片方だけで玲の小さな顔を隠せてしまう。でも五指の隙間から、目に光るものが覗いていた。
「俺は、あの人に恩を返せないことが怖い。返さなければいけないと分かっているから、あの人の望むこと以外はしたくない。けどそんなわがままで、幼なじみに借りだけ作っていたら世話ないな」
玲が手をどかし、僕の瞳を射抜くように見る。そこに、諦めにも似たあざけりを感じた。僕に向けたものではなく、自分自身に向けた皮肉な笑顔。そんな顔で、僕に向き直る。
「さっきの話に戻るけど、お前に連絡が出来なかったのも、俺のわがままなんだ。俺の存在がちらつくことで、恩返しにばかりお前の意識が割かれると思った。お前は優しい奴だから、あのとき俺に恩返しをしてくれようとした。でも、俺が蒔いた種だし俺が勝手に庇っただけだから、気にしないでもらいたかった」
僕が玲に恩義を感じていることは事実だ。あのとき玲がいなければ、僕は生きていないかもしれないし、今いるファンたちに会えなかったかもしれない。だから恩返しをすることは当然のことなのに、当時の玲もこうやって拒否してきた。
「俺が恩返しに気を取られて友加を蔑ろにしたように、お前も俺のせいでファンのことをおざなりにするかもしれない。その可能性に気付いた瞬間、俺はそれだけは避けようと思った。お前が一番輝くアイドルという地位を、俺のせいで追われて欲しくなかった」
「玲さん。僕のことを考えて……」
「でも、お前はこの前まで渦中の人物だった。その原因となった事件は、俺が起こしたもの。なんだかんだ言って、俺のせいでお前を追い詰めてしまった。すまない、璃王」
玲が深々と僕に頭を下げる。玲の言っていることは、間違ってはいない。でも、あれは僕が無責任に発信をしたことへの当然の報いなのだから、玲が責任を感じる必要はない。僕がそう言おうとした矢先、玲は後ろの警察官に目配せをした。
「そろそろお時間です」
警察官が立ち上がり、玲を連れて扉の前まで移動する。玲はそこで一瞬足を止め、それから逡巡するように目を動かす。そしてこちらを向くことはせずに、床に視線を放った。
「璃王、今日はありがとう。久しぶりに話せて良かった。だけど、もう二度とここには来るな」
「玲さん。僕は、もっとあなたと話がしたい。ダメかな?」
「ダメだ。変な噂がたって迷惑するのは、お前だからな」
僕を気遣う言葉を残して、玲は面会室を去った。僕も部屋に漂う余韻から目を逸らし、案内に従い建物の外に出た。燦々と照り付ける太陽は、まるでスポットライトのようだと思った。
僕は軽く伸びをし、朝川探偵社に向かう道を歩きだす。そのとき近くで、カメラのシャッターが切られるような音がした。
読んでくださりありがとうございます!




