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第十四話 幼かったとき

玲を取り巻く人たちの思い。医者の玲と、幼い頃の玲の違い。楽しんでいただけたら幸いです

 あの人との初対面は、俺が研修医のときだった。初期研修を終え専攻研修をする科を選ぶ時期で、俺はずっと悩んでばかりだったのを覚えている。俺の同期たちは自分のやりたいことがはっきりしていたらしく、早々に科を決めては眩しい笑顔で俺に報告してくれた。きっと、優柔不断な俺の背中を押そうとしてくれたのだ。


荒牧(あらまき)くんはどうするの? 私は内科にしたけど……」


 当時良い感じだった同期の子も、一日もおかずに決断していた。それが羨ましくて、遠慮がちなその問いに答えることが出来なかった。


「選べないなら、知ってみるのも良いんじゃない? この病院、図書館併設されてるでしょ? そこで科について調べてみるの」


 八方塞がりだった俺はその提案に頷き、その日の仕事終わり図書館に行った。病院の基本情報についてまとめられた本を数冊取り、席について一冊ずつ開く。


 やはり、どの科も重要な役割を担っている。だから、俺は迷っているのだ。医師を志したのは、人と触れ合う仕事がしたかったから。別に、この科でこんなことをしたいと、決めていたわけではない。なんなら、人と触れ合える仕事なら医師でなくとも良い。

 そんな中途半端な考えの持ち主だから、俺は決断を渋っている。宙ぶらりんなまま出した答えで、人の命を預かるなんて出来るわけがない。


「やめだやめ。帰ろう」


 勢い良く本を閉じ、席を立った。このまま本を読んでいても、知識を得られるだけで自分の考えが変わるはずがない。俺は本を抱え本棚に足を向ける。その瞬間、白衣のポケットからボールペンが転がり落ちた。

 トン、コロコロ。カーペットに優しく受け止められた俺のボールペンは、二転三転とし黒い物体にぶつかり静止する。俺はそれを拾おうと手を伸ばしたが、そんな俺より早く白い手がペンを拾いあげた。


「これ、お前のか?」


 ペンを止めた黒い物体は、革靴だったようだ。白衣を羽織った男が、俺にボールペンを差し出す。その仕草があまりにも優雅で、俺は見惚れて動けなくなった。いや、仕草じゃなく顔に見惚れていた。


「おい、違うのか?」


 灰色の目を細め、男は一歩こちらに近付いた。きつい消毒液の匂いが鼻を刺す。この人は何科の医師なのだろう。俺は不思議に思い観察を始めた。


「おーい」


 しかし視界を横切るように手を振られたことで、観察は中断されてしまう。俺は残念に思いながら、その骨張った手を目で追った。


「なぁ、もしかして俺、遊ばれてる?」


「あ! い、いえ。すみません」


 俺は聞こえた戸惑いの声に慌てて猛省し、ボールペンを奪うように引き抜く。この人で遊んでいたのではない。ただ、目が離せなかった。だがそれをそのまま言う勇気はなく、俺はグリップを強く握る。


「何か言いたいって顔だな。どうした?」


 俺はそんな顔をしているのか。無意識に顔に出ていたと分かり、俺の顔面が熱くなる。そして男が下からこちらを覗き込むので、俺は整ったイケメンフェイスを間近で浴びるはめになった。

 その美しさに理性を保つことが出来ず、浮かんだ疑問が吹っ飛んで行く。俺は素早く男の顔面を視界から追い出し、何とか平静を取り戻そうとした。そして、おもむろに口を開く。


「先生は、どちらの科の所属ですか?」


 絞り出した当たり障りのない質問をぶつけ、俺は男の反応を見た。男は少し困ったように眉を下げ、灰色の瞳を曇らせている。もしかして、医師ではなかったのだろうか。


「す、すみません。ぶしつけに」


 黙り込んでしまった男に焦りが募り、俺は謝ってその場をおさめ逃げることにした。しかし去ろうとした途端男に腕を掴まれ、俺は逃げ道を失った。


「あ、いや。そうじゃなくて……」


 俺が男の方を恐る恐る振り向くと、男は歯切れ悪く何かを言おうとする。何を言っているのかは分からないが、俺に怒っているのではないらしい。俺は安心して男の言葉を待った。


「何て答えれば良いのか分からなくて」


 しばらくの沈黙の後、男はぼそりとそうこぼした。唇を尖らせたその様子からばつの悪さを感じ取り、俺は口角を上げてしまう。目もよく見れば垂れ目なので、どこか可愛らしさといじらしさがある。


「そうなんですね。もしかして、お医者さんではないとか?」


 先ほどまでの申し訳ない思いはどこへやら。俺は丁寧な口調をなんとか保ちながら、子供を相手している気分になる。冷静な自分が元に戻そうと働きかけるが、一度なってしまった気分はそう簡単には崩れない。俺は自分より数センチ小さな男に、目線を合わせた。


「一応、研究職を」


「すごいですね! 俺、落ち着けない人間なんですよ。一日中じっとしてられない。学生時代のあだ名、マグロでしたからね」


 純粋な驚きと称賛で、言う必要のない情報が口をつく。おそらく、こういうところがマグロと呼ばれる所以なのだろう。


「でも、マグロってあだ名になったの、俺の名前が関係してるのかもしれませんね。俺、荒牧(みなと)って言うんですよ。港だから、海の生き物になったのかも」


「そうか。俺は配流(はいる)(れい)。まだ名乗ってなかったな」


 俺のあだ名うんぬんはどうでも良いのか、配流玲は礼儀正しい所作で握手を求めてくる。俺は不承不承ながらその手を握り、思わずかっと目を見開いた。

 冷たい。生きているのか分からないほど、玲の手からは温度が感じられなかった。もう片方の手で玲の手の甲にも触れてみたが、やはり温度なんてない。

 俺はそのことが信じられずに玲を凝視する。すると玲が乾いた笑い声をあげた。それにはどこか、諦めに似た心苦しさが含まれている。


「心配しなくても、俺は生きてるよ。それにこれが平熱だから」


「そうですか。なら良いんですけど……」


 笑い声と同じで、俺に心配をさせないためのセリフも玲は苦しそうに言った。医大でつけた知識の中には、もちろん低体温についてのものもある。だから、簡単には納得出来ない。それでも、玲に線引きされてしまったので引き下がるしかなかった。


「それじゃあ俺、まだ仕事があるから。気を付けて帰るんだよ」


「は、はい。お疲れ様です」


 勝手に話を切り上げた玲は、そのままこちらの返事など待たずに去って行く。その背中を見送っていた俺は、玲の白衣から何かが落ちるのを見逃さなかった。俺は抱えていた本を机に置き、それを慌てて拾い上げる。


「実験病棟……」


 玲が落として行ったのは、この病院のネームホルダーだった。玲の顔写真と名前、そして所属部署が印刷された紙が入っている。俺は玲の所属部署の名前を口にしてみたが、聞き覚えも言い馴染みもない。

 玲は研究職だと言っており、部署の名前に『実験』と書かれているので彼の発言は真実のはずだ。しかし、研修中や病院のパンフレットで見かけたことのない文字列だということも本当である。


 俺は若干パニックになりながら、震える足で図書館を出た。玲に訊ねようと思っていたが、廊下は暗闇が続くばかりで人影など見当たらない。完全に玲を見失った。力が抜けた俺は、その場にへたり込む。

 このネームホルダーは、落とし物として総務部に届けなければならない。だがそうしてしまったら、俺は実験病棟のことを知れないし二度と玲に会えなくなる。この二つは、どうやってでも避けたい。

 俺は知恵を振り絞る。そうして、馬鹿げた考えを導き出していた。院長に訊けば良いんだ。院長ならこの病院のすべてを知っているはずだし、これからこの病院で働く俺に隠し事をしたり嘘を吐いたりする必要がない。そしてもし叶うなら、実験病棟で専攻研修をしたいと直談判をしよう。


 俺は本を片付けながら、疑問点と意見、要望を整理する。そして覚悟を決め、ネームホルダーを握りしめて院長室に向かった。


ーーーーー


 俺は懐かしさを噛み締めて、わずか五ヶ月前の思い出を話す。そんな俺を探偵とその助手たちは、心底不思議そうに見続けていた。


「俺は院長から実験病棟のことを聞いた。実名は伏せられたけど、過去に起きた権利問題のことも。それでも玲先生のもとで働きたい思いが強くて、専攻研修の部署に選んだ。院長も玲先生も、陣内(じんない)先生も受け入れてくれて助かったよ」


「港がすっごく必死に頼んできたからな。こいつは絶対に折れないと、俺たちに思わせたんだ」


 俺の上司の陣内(なぎさ)もまた、懐かしそうに首を縦に振る。今思えば、あのときの俺はとんでもない問題児だった。あの俺を部下として引き入れる決断が出来るなんて、玲と陣内はそうとう肝が据わっているように思えた。


「最終的には俺が根負けさせたけど、けっこう二人のガード強かったんですよ」


 俺は試練と呼ぶにふさわしい、数々の苦行を思い出す。あれを乗り越えようとする度に、自分が歓迎されていないことを思い知った。そして乗り越える度に、自分の諦めの悪さに驚いた。そんなこんなで身に付いた根性は、いつか役に立つのだろうか。


「薬品の調製は段階を踏んで難しくなり、玲先生手作りの専門用語テストは激ムズで、陣内先生からは面接もどきの食事に誘われ。本当に大変だったんですからね」


「悪いな。最初は追い返す気しかなかったんだ」


 そう笑い飛ばせる陣内が、正直羨ましい。俺にとってあの期間は、今までの比ではないくらいの挫折と絶望を味わった地獄みたいなときだった。

 そして、人を信じるという行為の意味を、一度だけ疑ってしまったときでもある。玲から教えられた真実に、俺は試されてしまった。


「俺を追い返すつもりなのは、分かってましたよ。だって、五年前のことを言ってきたじゃありませんか。自分たちは悪い奴らだから近寄るなって」


 陣内におどけてみせた俺は、ちらりと横目で探偵たちを見る。俺の目論みどおり、彼らは目をまん丸に見開いていた。それが顕著なのは、朝川(あさかわ)愛意(あい)。今日の俺のターゲットだ。

 俺は今日、玲から伝えられた事実を彼女に教える。そんなミッションを自身に課していた。俺には、朝川寧音(ねね)と俺たち医師の関係をきちんと説明する責任がある。患者の家族を安心させることも、俺たち医師の使命なのだから。


「五年前と言えば、私の妹の件ですよね?」


「はい。ですが、俺の知っていることなんて、もうみなさん聞いていると思いますよ」


天王寺(てんのうじ)友加(ゆうか)って子から聞いただろ? 朝川寧音が事故に遭い、玲によって実験病棟で治療されることになったって。港は最近うちに来たから、事故の真相は知らない」


 陣内が補足してくれたおかげで、愛意たちの肩から力が抜けたように感じた。俺は陣内に軽く頭を下げ、部屋をぐるりと見回す。室内の空気もだいぶ和らいだようで何よりだ。


「でしたら荒牧さんは、何の情報を共有してくれるのですか?」


「先ほどは藤條(とうじょう)瑠伊(るい)のことを言っていましたが……」


 夜野海(やのうみ)新希(あらき)昼凪(ひるなぎ)明日斗(あすと)が順々に口を開く。俺は二人を黙らせるために軽く愛想笑いをし、ソファに座り直した。そして深呼吸をして、心の整理をつける。ようやく、話せるときがきた。


「まず、俺たち実験病棟と朝川寧音ちゃんの関わりについて説明させてください。五ヶ月前に初期研修を終えた俺は、専攻研修の部署として実験病棟を選択しました。そのときに、玲先生に脅されたんです。この部署で働けば、君も共犯者になると」


「共犯者?」


「はい。あなたの妹を監禁したとして、自分とともに裁かれることになると、玲先生に言われました」


 愛意が息を呑む音が聞こえた。愛意は、ただ驚愕しただけではない。俺が罪人になる覚悟を決めてまで、玲についていったことが単純に信じられないという様子だ。


「だから俺は訊ねました。ならどうして、寧音ちゃんのことを通報していないのかと。そうしたら、玲先生は言ったんです。彼女を事故に遭わせた人が自首するまでは、自分が責任を持って彼女を守らなければならないのだと」


「つまり玲は、朝川寧音を轢いた人間を庇っている。そしてその人の心の整理ができたら、自分も協力者として名乗り出るつもりなんだ。だからそこに、他の誰かを巻き込まないと決めている」


 それまで存在感を消していた貝塚(かいづか)璃王(りお)が、声を上げかけて口を押さえた。友加からの情報によると、璃王は幼い頃から玲と知り合いだったらしい。玲が陣内の発言どおりのことをする人間だと、分かっているのだろ。


「俺は、玲先生を尊敬しています。あの人は、患者のためなら自分の身を顧みない。外科部長にだって、院長にだって、突っかかっていける。患者を救うために一生懸命になれるし、ぶっきらぼうながらちゃんと他者のことを考えてくれる」


 玲は口が悪い。傍若無人を絵に描いたような人だし、人を寄せ付けない雰囲気を出している。それでも、そこに秘められた彼の信念は、どこまでも純粋な医者だった。


「初めて俺が研究に参加したとき、どうしても実験で安定した数値を得られなかったんです。でも玲先生は怒ることも呆れることもせず、もう一度やってみろと言うだけでした。それが嬉しかった。見捨ても導きもせず、俺が俺だけの力で成果を出すまで待ってくれる。俺が成長出来たのは、確実に玲先生のおかげです。だから俺は、玲先生を守ると決意した」


 あの人は変わっている。それはすぐに理解した。でもだからこそ、もっとたくさんの人と関わって欲しいと思った。玲が大勢と関わりを持ち、大勢の人を救っていく。そうなるまで、俺が玲の人生を守りたいと思った。


「俺が玲先生の共犯者になると決めれたのは、単に玲先生のことが大好きだからです。彼一人に罪を背負わせてはいけないと、本能が悟っていた。俺も罪人になることで、玲先生の罪を少しでも軽くしようとした。そしてそれは陣内先生も同じだったようで、俺たちは事故の犯人が判明するまで寧音ちゃんを隠すことにしました」


 そう言い終わるやいなや、愛意が立ち上がり俺に詰め寄った。愛意の瞳からは涙が溢れ、拳は怒りで震えている。それが当然の反応だ。俺は自分が犯した罪の重さを知っている。そのため、彼女の憤りから逃げることはしない。


「愛意さん。俺は正しいことをしようだなんて、微塵も思っていません。あなたが妹さんを大切に想い取り戻したいと願っているように、俺も玲先生に恩を感じ彼を救いたいと願っている。俺は俺の都合で、憐れな一般市民を切り捨てました。到底、許される行為ではない」


「それは俺もだ。実験病棟の設立以前に、一人の研究者が悲劇に襲われた。そして玲は、俺にとって実験病棟での部下だ。言い訳にしかならないが、俺はまた部下を失うことだけは避けたい。玲をあらゆる苦しみから遠ざけることが、自分の使命だと錯覚していた」


 俺たちの判断と行動は間違っている。どんな理由で飾り付けようとしても、俺たちは結局、身内を守りたくて患者を利用している醜い男たちでしかないのだから。善良な人間である愛意が、憤慨しないわけがない。


「俺たちは玲先生の味方ですが、あなたたちと対立したいわけではありません。真相の判明が遅れるほど、玲先生が辛くなると分かっていますから」


 俺は背筋を伸ばし、愛意の潤んだ瞳をしっかりと見つめた。この気持ちをきちんと言葉に出来なければ、俺がここまで来た意味はなくなってしまう。


「お互い協力しましょう。動機が違うだけで、我々の目的は同じです。事故の犯人を見つけ出し、それぞれの大切な人を救いましょう」


「俺たちは朝川寧音に危害を加えないし、玲を匿ったりもしない。信用出来ないなら、盗聴機や監視カメラを使ってくれてかまわない。絶対に君たちに損失をもたらさないと誓おう」


 陣内の援護を受け、俺は愛意に手を伸ばした。握手を求めるためではなく、こちらに敵意がないことを示すためだ。しかし愛意はこちらに白い目を向けるだけで、信用してくれる気配はない。


 俺はてっきり、ここまで話せば協力し合えると思っていたので面食らってしまう。どうやら、俺の考えはまだまだ甘いらしい。八方塞がりとなった俺は、助けを乞うように陣内に視線を投げた。しかし陣内は我関せずといった様子で、ライダースに付着したゴミを払っている。

 俺がそんな先輩に文句をつけようとした矢先、それを遮るように新希が声をあげた。怯えるような震え声だったが、視界に入ってきた新希の顔には恐怖なんて滲んでいない。新希が何を言うのか見当がつかず、逆に俺の方が身構えてしまった。


「社長、僕は陣内さんの言葉に嘘はないと思います。もちろん、社長が不審がるのも理解出来ます。でも、彼らはあのときの璃王さんと一緒なんです。配流玲を信じて、真相を求めているだけなんです」


 新希の訴えに、愛意は喉仏を上下させる。名前を出された璃王は、新希の言葉を肯定するため力強く首を縦に振る。俺たちの決意表明は、とっくの昔にアイドルに先を越されていたのか。


「それに、五年もあったんですよ。寧音さんの口を封じたいなら、既にやっているでしょう。寧音さんの意識が戻ったとき、寧音さんが事故の犯人を名指しする。それを配流玲は最も恐れている。それなのに寧音さんを生かしている時点で、彼ら医師には患者を害するという選択肢がないと分かります」


 明日斗の冷静な状況分析に、俺は間髪入れず何度も頷いた。そうだ、そのとおりだ。俺たちは、患者を助けるために存在している職種の人間だ。


 玲の思いが晴れる前に、犯人が判明することは俺たちも怖い。それでも、それを阻止するためだけに自分たちが預かった命を壊したりはしない。壊させもしない。絶対に最後まで守り抜く。


「新希くんと明日斗くんの言うとおりです。俺たちは、玲先生を信じる心と寧音ちゃんを守る決意、この二つを同居させている」


 俺は自分の思考を振り返る。この心と脳で何をどう考え、どんな決断を下したのか。はっきりと言語化出来なければ、この人たちと協力し真実を見つける道は閉ざされる。


「俺たちが真実を欲する理由は一つだけ。それさえ手に入れば、玲先生を救える確率が上がるから。玲先生が抱えたものを一緒に背負って、真実を世間に明らかにしようと背中を押せるから」


 そこまで言って、俺は一番最低な理由を思い出した。それに自嘲しながら、また口を開く。


「あと、俺たちが真相を知ったとなると、さすがの玲先生も折れるでしょう。バレてしまったなら仕方ないって、諦めると思うんですよ。玲先生、諦めが悪いことで有名ですから、先生の悔しい顔見てみたいんですよね」


 後ろで陣内が吹き出す音が聞こえた。きっと、陣内も薄々思ってはいたのだろう。玲の悔しがる様子を見て、この人も同じ人間だって安心したい。そんなバカげた願いだけは、ずっと俺の中にあった。


「港、それは部下としてどうかと思うぞ。でもまぁ、玲が折れて世間に真相が知れ渡れば、俺たちが朝川寧音を隠す必要もなくなる。誰にとっても、良い話だとは思わないか?」


 うまい話には罠がある。古来より言い伝えられて来た常識だ。しかし陣内も俺も、目の前の彼女たちに罠を仕掛けたつもりはない。単純に、真相を掴んで大切な人を救いたい。それだけなのだ。


「もう一度言います。お互い協力しましょう」


 俺はまた、愛意に手を伸ばした。だが今度は、確実に握手を求めるためだ。俺はまっすぐ、愛意の両の目を注視する。そこには、先ほどまでの迷いが浮かんでいなかった。


「分かった。手を組みましょう。あなたたちの気持ち、本当だって信じるから」


「ありがとうございます! 愛意さん」


 愛意がすべてを受け入れたのではないと、その声で分かった。でも、言質はとった。愛意が俺たちと手を組むと言ってくれた。俺は感激のあまり、愛意の手を勢い良く握る。そして強引に、握手の形にもっていった。これで契約は成立だ。溢れる笑顔が止められない。


「俺からもありがとな。探偵さん」


 上機嫌な陣内のお礼に、愛意は曖昧に頭を下げた。そして、俺の手からするりと抜けソファに腰かける。それを合図に、今まで立っていた人たちも全員が椅子についた。

 室内の空気感が、それだけで変わる。協力出来る喜びを噛み締めている者なんて、もうここにはいない。探偵たちが、俺からの情報提供を待っている。俺はその空気に肯き、話す順序を熟考した。


「あの玲先生が、自分の人生を棒に振ってまで庇おうとする人物が事故の犯人です。よほど玲先生にとって大切な人物なのだと予想出来ます」


「君たちは心当たりあるか? 玲の大切な人に」


 陣内の質問を受け、愛意が璃王に視線を向けた。璃王は顎に人差し指を当て、目線を伏せる。それからしばらくして、璃王はその指を立てて沈黙を破った。


「幼なじみの友加先生! それから、篭野(かごの)先生や千歳(ちとせ)さんとかの学生時代の親友。あとは……僕とか?」


「あ、うん」


 予測していた答えで終わると思っていた。だから璃王が自信満々で自分を指し示したことに、一瞬理解が追い付かなかった。

 だがよく考えれば、この子には玲に庇われたという経験がある。それが今の自信に繋がっていても、何らおかしなことではない。ただ、それを披露する場所がここではなかっただけだ。


「でも、璃王くんは年齢的に五年前に免許持ってないでしょ」


「すみません。ちょっと言いたくなって」


 肩を落とした璃王に苦笑しつつ、俺は話を進める用意をした。こんなことにいつまでもかまっていては、話が一向に終わらない。


「今回容疑者を絞るのに重要なのは、自動車免許を持っているかどうかです。一応玲先生が自分で起こした事故を隠蔽しているということも考えましたが、玲先生は六年前から運転していないそうです。昔はベンツとか乗り回してたらしいですけどね」


「友加ちゃんも、容疑者からは外して良い。あの子は、自動車免許持っていないからな。二輪免許だけだ。セレンクリニックの駐車場に、黒いレブル停まってただろ? あれ、友加ちゃんのバイク」


 (わたり)(みつぐ)の調べで、交通事故現場に残されていたタイヤ痕が自動車のものだと判明した。よって、バイクしか運転出来ない友加は容疑者ではないことになる。


「友加先生、バイク派だったんだ。意外……」


「人は見かけによらないんですね」


 なにやら璃王と新希が失礼なことを言っている気がするが、放っておこう。だって自分でさえ、友加がバイクに乗っているところを見たとき、あまりの衝撃で腰を抜かしたのだから。


「俺が聞いた限りだと、法助(ほうすけ)は自動車免許を持っている。だが、千歳(じゅん)教授は車を運転しているところを誰も見たことがないらしい。どうやら、自転車を愛車にしているそうだ」


 いつの間に調べていたのか。陣内が吐いた情報は、俺も初耳だった。これが年長者の余裕なのだろう。


「なんか、配流玲が自動車免許を取った理由が察せられますね」


 明日斗がげんなりと呟いたそれに、俺は同意してしまう。たしかに、周りが誰一人として免許を取らなかったら自分が取らなければならないのかと、思い込んでしまうはずだ。そんなことを考えながら、俺は陣内に向き直った。


「それじゃあ、陣内先生は篭野先生が一番怪しいと思っているんですか?」


「いや、もう一人いるだろ? 玲と深い関係を築いていた奴が」


 きた。俺は陣内が指す人物に、心当たりがある。ついに、誰かに話すときがきたのか。俺は深く頷き、陣内の言葉を待った。


「藤條瑠伊。あの人と玲は、幼い頃に出会っている」


 その瞬間、明日斗が大きな音を立てて立ち上がった。目を見開き、腕を震わせている。予想外な反応だったが、心のどこかでこうなる可能性にも気付いていた。この子たちが実態調査を盗聴していたと分かったとき、俺たちと同じラインに立ったのだと感じた。


「『玲くん』。藤條瑠伊は、配流玲のことを小さくそう呼んだ。そしてその後、他人のような距離感に戻った。二人の間に、何かあったのですか?」


 明日斗の問いかけに、陣内は腕を組み変える。陣内は多分、彼らに藤條家のことを話す。あの秘密を知っているという優越感に浸っていたかったが、協力しようと言った手前、陣内を止めることは出来ない。俺は黙って、陣内に話し手の立場をパスした。


「まず約束して欲しい。これから話すことは、気安く口外しないでくれ。良いな?」


 陣内の念押しを、愛意たち四人は揃って承諾する。それに陣内も満足そうに笑い、ゆっくりと話し始めた。


「藤條瑠伊は、現厚生労働大臣、藤條勝磨(かつま)の実の息子ではない。三十三年前、とある養護施設から藤條勝磨が引き取り、特別養子縁組をすることで実の息子として育てることにした」


 特別養子縁組。事情により実の親が育てられなくなった十五歳未満の子供を、家庭裁判所の審判を経て法的に実の子とする制度。これをすると、法律上の実親との親族関係は完全に終了し、育ての親との離縁は原則として認められなくなる。


 つまり瑠伊は、幼い頃何らかの事情で施設に預けられた後、藤條勝磨に引き取られたことで彼の実子として生きていくことになった、というわけだ。彼もなかなか、ハードな人生を送っている。


「藤條瑠伊がかつていた養護施設。そこで、瑠伊と玲は出会ったんだ」


「当時、施設に勤めていた人に話しを伺いました。二人はとても仲が良くて、玲先生は藤條さんのことを『お兄ちゃん』と呼んで慕っていたそうです。あと、藤條さんの『玲くん』呼びはこのときからあったそうです」


 璃王は釈然としない顔で、首をきょとんと傾げた。いきなりこんなことを言われて、脳が情報を処理しきれていないのだろう。俺は璃王に同情しながら、陣内に続きを促した。


「職員から聞いた話だから、認識の齟齬があるかもしれない。だが真実を追う者として、俺は君たちに伝えておかなければならない。その養護施設での、玲と瑠伊のことを」


ーーーーー


「ねぇ、一緒に遊ぼ」


 広い部屋の角でお絵描きをしている少年。僕はその灰色の瞳に吸い寄せられるように、彼に声をかけていた。

 ここは養護施設だから、両親と離ればなれになってしまった子供たちがたくさんいる。その中で、僕はそれなりにみんなと仲良く出来ているが、この子はそうではない。ここに来てから一ヶ月が経とうとしているのに、この子はまだ一人ぼっちだ。


「お兄ちゃん、で良いよ。僕も玲くんって呼ぶから」


「お兄ちゃん?」


「うん。お兄ちゃん。あ、兄さんでも良いよ」


 呼び方を提案すれば、不思議そうにこちらを見上げてくれる。どうやら、僕に興味を示してくれたらしい。僕は嬉しくなり、玲の隣で体育座りをする。


「瑠伊さんって、呼ばなきゃじゃないの?」


「それは今じゃないよ、玲くん。お兄ちゃんでいたいんだ。ダメかな?」


 ここに来たばかりの頃にした会話を、まだ覚えていたのか。僕は過去の自分を叱りながら、玲の瞳を覗き込む。灰色はどっち付かずの色なのに、玲の灰色はいつも正直に心模様を写してくれる。


「ダメじゃないよ。お兄ちゃんって呼びたい。俺、お兄ちゃん大好きだから」


「はは。ありがとう。玲くん」


 玲は、自分の兄のことが大好きだ。眩しいくらいに、兄のことを尊敬している。だから、これからの僕はちゃんと玲の兄をしてやりたい。ここに来る以前は出来ていなかったことを、ここでは思いっきりしてやりたい。


「お兄ちゃん!」


「何? 玲くん」


「遊ぼ! 俺、かけっこしたい」


「分かった。じゃあ、お外に行こうか」


 玲の手を引いて、一緒に中庭に出る。その瞬間、玲は弾かれたように駆け出した。しかし、その走り方はどこか変だ。走り慣れていないような、体の使い方を知らないような、そんな不恰好な走り方だった。

 それでも、玲が笑っている。楽しそうに、芝生を踏みしめて走っている。それを眺められて、僕は幸せだった。だから、玲を守るという決意が僕の心でどんどんと強くなる。


 玲と僕が仲良くするようになって、施設側の対応も明らかに変わった。別々だった自室は一つになり、起きているときも眠っているときも、玲と一緒にいられるようになった。そして、隣でご飯を食べて、隣でおしゃべりをして、一緒にかけっこやおままごと、ボードゲームなんかもした。

 玲がすぐ近くにいる。隣を見れば、玲が笑っている。楽しかった。幸せだった。こんな日常が、ずっと続くものだと思っていた。


「あなたの親になりたいという人が見つかったの」


「え? 僕の?」


 ある日、いきなり呼び出された僕は、職員に突然そう伝えられた。どうやら、勉強も運動もそれなりに出来る僕を優秀だと思い、息子にしたいと頼み込んできたらしい。

 この施設の子供たちは、施設のお金で学校に通える。玲はいつも施設にいるが、僕は学校に通っていた。もしかしたら、学校での生活を知られたのかもしれない。教師の言うことに従っているだけの僕のどこが、優秀と言えるのだろう。


「その人は、玲くんも息子にしてくれますか? 僕、玲くんと離れたくないです」


「あなたの気持ちは分かるわ、瑠伊くん。でも、残念ながら……」


 職員が目を伏せた。それがどうしても、許せなかった。僕の気持ちが分かるなら、どうしてその人を説得してくれなかったのか。憤る自分とは反対に、その理由が分かる自分も存在した。


 こういう施設は、施設で暮らす子供の数を減らしていきたいはずだ。だから、引き取ってくれるという人の意見はすべて受け入れ、それに従うしかない。僕の親を名乗り出た人は、僕しかいらないんだ。


「分かりました、先生。僕も、もう十歳になったんで。そろそろわがままは封印します」


 本当は、この場で駄々をこねたかった。でもそんなことをしたところで、結果は変えられない。僕だけが親を得て、玲を一人にする。

 本当は、玲と離れたくないのではない。玲を、一人にすることが怖いのだ。体が弱く、心が繊細なあの子を孤独にしたくない。それだけだった。


 職員から今後の予定を聞き、僕は自室に戻った。玲と二人で過ごした部屋。でもあと三日で、玲だけの部屋になる。寂しいなんて、僕が言って良いのだろうか。


「あれ? お兄ちゃん、お話終わったの?」


「ああ、玲くん。ちょっと良いかな?」


 外で遊んでいたのだろう。土の付いた玲を、自分の傍に引き寄せる。こんなかわいい子を傷付けたくない。でも、大人の決めたことには従わなきゃならない。そして今ここで玲に言わなければ、僕は一生伝えられないだろう。


「お兄ちゃんね、三日後にここからいなくなるんだ。玲くんとは、それでバイバイ。ごめんね」


 玲の目を見てやれなかった。ただ、膝の上で震える己の拳を見続ける。でも、玲が息を呑んだ音は聞こえた。


「お兄ちゃん、いなくなるの? もう会えないの?」


 玲の涙声に、僕は黙って何度も頷いた。否定してやれない自分が、惨めでしかたない。かっこ悪過ぎて、悔し過ぎて、僕の目からも滴が落ちた。


「ごめんね、ごめんな。玲くん」


「お兄ちゃん……」


「ごめん、ごめん。一人にして」


 泣きながら、何度も謝った。謝って謝って、言葉の限りを尽くした。そうして正気に戻ったときには、隣に最愛はいなかった。


 それから、玲に徹底的に避けられた。ご飯は先に一人で食べているし、自由時間は昔みたいに部屋の角でお絵描きをしている。五歳の男の子に、誰かがいなくなるという事実は、理解し難いことだったのかもしれない。


 ときの流れはあっという間で、そのまま玲と一言も交わさずに三日が経った。今日施設の前には、見慣れない黒い車が停まっている。車に詳しくない僕でも、それが外国製の高級車であることは分かった。

 僕は前々から用意していた荷物を抱え、施設の外に出る。車の傍に立っているスーツの男たちに荷物を預け、恰幅の良い男に近付いた。この男が、これからの僕の親らしい。


「瑠伊と言います。よろしくお願いします」


「そんなに畏まらないでくれ。それより、お別れは済ませたか?」


 藤條勝磨という男は、見かけに寄らず優しい男だった。僕の背中を押して、施設の方を向かせてくれる。見送りに出て来てくれた子供たちに手を振りながら、僕は玲の顔を探した。でもやっぱり、そこに玲の姿はない。


「はい。もう大丈夫です」


 僕は残念だと思う自分を制し、車に乗り込む。僕がドアを閉めたことを確認し、勝磨もスーツの男たちも乗り込んだ。そして、車のエンジンがかかる。


 僕は涙をなんとかこらえ、もう戻らない建物を見た。そのとき、子供たちを掻き分ける一人の男の子が目に入る。玲だ。灰色の瞳から大粒の涙を散らし、こちらに走って来る。


 僕はシートベルトを外そうとした。しかし震える手では、それが叶わなかった。僕はせめてもと窓を開け、前進する車体から身を乗り出す。


「玲くん!」


 小さな体に、僕は吠えた。三日間も呼べなかった彼の名前を、ようやく呼ぶことが出来た。僕の頬を涙が伝う。


「お兄ちゃん! ごめん!」


 玲が走りながらこちらに叫ぶ。そんなに走ったら後で熱が出るかもしれないと、前の僕なら玲に言っただろう。でも、今の僕は玲を止めなかった。玲の声に耳を傾ける。


「お兄ちゃんがいなくなるの、嫌だった。だからお兄ちゃんのこと、嫌ってやろうと思って避けてた。ごめんなさい、お兄ちゃん!」


「玲! 僕は玲のこと、これからもずっと大好きだよ! 玲の理想のお兄ちゃんでいるから。だから、また会えるよ! 絶対に!」


 人間の脚力で、車に追い付けるはずがない。遠ざかっていく弟に、僕はあらんかぎりの大声を出した。それが聞こえたのかは分からない。でも、玲が笑ったような気がした。


 僕は目元を擦り、涙を拭う。前に座る勝磨が、僕に優しく微笑みかけた。その笑顔は嬉しかったが、やはり本当のお父さんのとは大違いだ。


 僕は、家族四人で囲んだ食卓を思い出す。絶対にもう一度、玲に会うんだ。それまでに、どんな困難も乗り越えて立派な男になってやる。新たな誓いとともに、僕は藤條瑠伊になった。

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