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第十一話 はなすとき

今まで出番の少なかったヒロイン、友加の覚悟のお話です。友加を好きになっていただければ嬉しいです

 私は今、口から飛び出そうな不満を意地だけで食い止めている。目の前に立つ湯中(ゆなか)(こう)は、雨に打たれる仔犬に似た丸い瞳で私を見上げた。


「別に狡くんを責めたいわけじゃないの。だから安心して、ゆっくりともう一度言ってみて」


天王寺(てんのうじ)友加(ゆうか)先生、あのときの探偵さん御一行がまたあなたを訪ねるそうです」


 本当に一言一句そのまま繰り返された言葉に、私は頭を抱えるしかなかった。狡が敬語を使えたことを褒めちぎりたいのに、それ以上に思案するべきことに気が取られる。


「そっか。あの四人が今からここに来るってことだよね。どうしよう……。何聞かれるんだろう……」


「友加先生? 大丈夫っすか?」


「あぁ、うん。ごめんね、心配かけて」


 前回は上手く誤魔化せたと思った。そして、(れい)のための兆しが見れたと歓喜した。でもそれは、今回への前借りだったようだ。

 おそらく、私が隠し事をしたとバレた。玲が傷付くことを怖れて、真実を告げられなかった。医者として患者を優先出来ない自分は恥ずかしいが、それよりも大切な幼なじみが苦しむことを防げない方が嫌。だから、言えなかった。


 私が寧音(ねね)の居場所を話したら、必然的に誘拐事件の真相まで辿り着ける。その先で泣いている玲を見過ごせるほど、私は勧善懲悪の人間ではない。確かに玲は犯罪に加担したかもしれない。裁かれる立場なのかもしれない。それでも、私にとって玲は、正義よりも守るべき人なのだ。

 そう思えるから、今どうすれば良いのかが分からない。話したら、玲を地獄に送ってしまう。話さなかったら、朝川家の地獄を長引かせてしまう。みんなが幸せになる方法は、もうずっと前に失くなっていた。


 私は、五年前のあのときから玲を第一に考えてきた。それが私の中で、一番正しいことだから。なのに世間的にも人間的にも、私は最も最低な不正解をしていた。

 私には悩む資格もない。とっとと真実を話して、寧音を家族に返すしか選択肢はない。こんなに苦悩している私は、狡くて強欲な悪女なのだ。


 ここまでを高速で導き、私は結論を出した。話そう。寧音の姉にすべてを。私がしたことを、全部。それで玲が傷付いたら、私が責任を取って癒すのみ。抱き締めると、約束したのだから。


「狡くん、私は今からその探偵さんたちに会う。今日私が担当する患者さんはもういないし、セレンクリニックには小児科医があと二人いるから、その人たちに外来を回して。それで明日からの勤務は、大半の外来患者を私に回して良いから。お願いして良い?」


「了解。内線かけとくな。それと探偵への返信も」


「ありがとう。お願いね」


 慌ただしく事務室に消えた狡の背を見送り、私は昼休憩に入った医者たちに挨拶をする。


「午後からの外来、よろしくお願いいたします」


「ああ、湯中から内線きてたやつな。明日からはこき使わせてもらうぞ」


「はい。よろしくお願いします」


 休憩室の扉を閉めた私は、一瞬のためらいを挟み院長室に向かう。この時間なら、母はそこで書類整理に明け暮れているはずだ。


「院長、ご在室でしょうか?」


 ノックの後室内の様子を伺うと、白衣が擦れる音とこちらに向かう足音が聞こえた。


「ええ。どうぞ」


「失礼します」


 院長の天王寺美加(みか)が扉を開け、私を中に招き入れる。後ろ手で施錠を済ませた彼女の目は、部下ではなく娘を見ていた。


「友加、どうしたの? あなた顔が固いわよ。何かあったのでしょ?」


「やっぱりバレちゃうか、お母さんには」


「もちろんよ。あなた、あの一件からずっと暗いの。むしろ自分で気付かなかった?」


 周りに心配をかけないために気丈に振る舞っているつもりだったが、母親の目敏さには敵わなかったらしい。私は苦笑いで、美加の言葉を受け流す。


「ごめん、隠せてると思ってた。寧音ちゃんの件は、全面的に私たち側が悪いから。誰かに相談するのもおこがましいって……」


「友加、そう。あなたがそう考えるのも分かる。でもね、お母さんは相談して欲しい。母親として力になりたい」


 美加は私と並んでソファに座り、私の手を握り込んだ。自覚していなかっただけで、私の拳は小刻みに震えていた。母の優しさが全身を巡り、心臓へ注がれる。


「それにここに来たってことは、私に聴いて欲しいことがあるのでしょ? あなた、分かりやすいのよ」


「分かりやすい? そっか。三十過ぎても子供みたいだね、私」


「じゃあ子供らしく、母親に泣き付いてもらおうかしら」


 歯を出して笑う美加に、私は果てしない頼もしさを感じた。そこに不安を預けるように、自分の中で禁断と定めていた疑問をぶつける。


「お母さんありがとう。私、お母さんに聞きたいことがあったの。お父さんの研究所が潰れたとき、業界から覚えのない悪事によって石を投げられたよね。あのときどうしてお母さんは、お父さんを信じて支えられたの?」


 小学生の頃から疑問に思っていた。私の父は今では心臓外科手術のエキスパートとして知られているが、昔は心臓血管外科を専門とした研究者だった。仲間たちとハートラボという研究所を作り、毎日彼らと研究に没していた。私と玲はそこで育ったのだが、私たちが小学生の頃に突如として閉めることになった。


「お父さんが研究所を閉めることにした理由は、そこでの功績が認められて由命界(ゆうめいかい)総合病院に引き抜かれたから。でも、それが気に食わない人たちは有ること無いこと騒ぎ立てて」


 何故だか、今の私たちが置かれている状況と似ているような気がする。だから母に話せば、少しは私の心も固まるのではないかと思った。


「友加は、まだ子供だったもんね。私に何度も、お父さんは悪いことをしたのかと訊いてきた」


 その言葉に、私は黙って頷く。当時は、学校に行けばクラスメイトに悪人の娘と決めつけられ、町を歩けば近所の住人から白い目で見られた。民主的で多数決がすべてを決定すると教え込まれていた私には、それだけで父の噂が正しいと感じられた。


「でも、その度に私が否定した。お父さんはそんなことしないって。友加だって知ってるよねって」


 そう。母はそんな私の考えを、たった一言で捩じ伏せた。父を信じて良いのだと、大多数の意見が常に正しいわけではないと、私に教えてくれた。


「お母さんのおかげで、私はお父さんを信じようと思えた。そして、お父さんは悪人ではないと仲間たちが証明してくれたおかげで、お母さんは報われた。お父さん、今では由命界の外科部長だよ」


「ええ。まあ私も、そこまで出世するとは思ってなかったけど」


 美加が懐かしむように微笑む。父が外科部長に就任した日、母はたちの悪い夢だと言った。自身の夫が人の上に立てる器を持っていないと、分かっていたのだろう。玲から聞いた話によると、外科部長としての父は、上司というより同僚という感覚の方が近いらしい。

 それを知って、私は笑った。腹の底から、心の底から笑った。そして同時に感心した。あのとき母が信じて支えてやらなければ、今の父は存在しない。だからこそ、母がそう出来た理由を知りたいのだ。


「お母さんは、疑わなかったよね。夫のことも、自分のことも。夫が悪いことをするわけないと信じて、そう信じたことも疑わなかった」


「そうね」


「正直、同じ土俵に立つことは失礼だと思う。私も玲も、悪いことをしたから。でも私だってお母さんみたいに、玲を信じた自分に自信を持ちたい。最後まで玲の味方でいたい。だけど、それで良いのか分からなくなって…」


 それが私の本音だった。玲と同じ方を向いて生きていきたい。今までと同じ、そんな毎日を送りたい。それなのに、玲に正しくて高潔な自分を見せ付けたいとも願っている。玲が安心出来る背中を、向けてやりたい。

 私は自分の考えを整理し、そしてあまりにもな身勝手さにため息を吐く。しかし美加は、他人事のように軽い調子で声を上げ、人差し指を立てた。


「それはね、信じた先に希望があるから」


「何、それ?」


「私だって、友加が思っているような高尚な人間じゃないよ。ただお父さんとなら、私が愛したこの人となら、地獄に堕ちても幸せだなと思えただけ。もちろん、お父さんに寄り付く黒い噂は全部叩き落としたかった。そうすれば万事解決。幸せな家庭に戻れる」


 美加は、ゴミを払い落とす真似をした。


「だけどね、それが出来なくて周りから見放されても、この人が居れば良いなって。友加や玲くんには酷だけど、私は夫と二人で生きていこうって決めたの。だって、愛する人が隣にいること以上の幸福が、私には分からないから」


「愛する人が隣にいる幸福」


「うん。友加は玲くんのことが、恋愛的に好きなんでしょ? だから分かってくれると思うな」


 私は自分の行動と感情を振り返り、母の質問に首を振った。玲のことを大切にしてきたのは事実だ。でも、そこに愛があったとは断言しづらい。


「私、玲に傷付いて欲しくないって、そればかりを言ってきた。玲が苦しんでいたら傍で支えて、それで良いって思えてた。違うのかな? 私、最初の最初から間違えていたのかな?」


「もう、友加。何言ってるのよ。傷付いて欲しくないって、それはもう完全な愛じゃない。胸を張りなさい。恋愛的というのは誤っているかもしれないけど、あなたは玲くんを愛している。それも、とっても深くね」


 私の脳内で、母の放った単語が反芻し共鳴する。私は玲を愛している。そう言われると、自分の胸が正解音を鳴らそうとした。


「あなたはお母さんに似て、バカなのよ。愛が大きくて深くて、依存のようになってしまう。相手が壊れると自分も壊れて、自分が崩れると相手も崩れる。そんなふうに、考えたんじゃない?」


「分からない。私、自分の感情を言語化出来るほど賢くないから。でもね、玲が傷付くと自分のことのように苦しかった」


 苦しむ玲を抱き締めていたはずが、私自身までもを癒そうとしていたのか。自分のことなのに、理解が追い付かない。それでも、これが私なりの愛だと言えるなら、胸を張ってこの愛を手渡したい。


「お母さん、ありがとう。私分かったかも。一緒に傷付いて、一番に癒す。それが私の、玲へ渡せる愛」


「うん。さすが友加。物分かりが良いね」


「だから、自分が見たものをそのまま愛意ちゃんたちに話す。それがみんなのためになる」


 私はもう一度美加に礼をして、出口に向かって歩き始める。そのとき背中に視線を感じ振り返ると、美加が慈愛の込もった目でこちらを見ていた。


「ねぇ、友加。私は玲くんのことも我が子だと思って育ててきた。だから言わせて。お父さんの件で友加が苦しんでいるとき、あなたを支えたのは本当に私だけ?」


 その問いかけに、私は面食らった。灯台もと暗しとも言うべきか。自分だけうじうじ悩んで、人から与えられていた愛に気付けてなかった。


「愛って素敵ね」


 母の言葉に、私は微笑み返し肯いた。院長室の扉をしっかりと閉め、一階の受付ロビーへと降りる。そこで電話対応を終えた狡が、こちらに気付き会釈をした。


「友加先生。もうすぐ探偵たちが来るらしい。またあの四人で。大丈夫か?」


「ん? 大丈夫って何が?」


「いや。大丈夫そうならそれで良い」


 事務室の角に私を手招きした狡は、ひそめた声で心配の言葉を口にする。しかし私がそれに首をかしげると、狡は自分の発言を撤回するように手を振った。


「でも俺、友加先生を信じるって決めたから。何かあったら頼ってくださいよ!」


「う、うん。分かった……」


 いきなり妙なことを言った狡を訝しみながら、狡と別れて正面玄関に行く。するとちょうど目の前にタクシーが停まり、あのときと同じ四人が姿を現した。


「こんにちは。ごぶさたしております。朝川(あさかわ)さん、夜野海(やのうみ)さん、昼凪(ひるなぎ)さん、そして貝塚(かいづか)さん」


 全員を見回し、大人としての威厳を見せるために名字で呼んだ。朝川愛意(あい)は私を睨むように直視し、夜野海新希(あらき)と昼凪明日斗(あすと)は身を寄せ合って眉尻を下げている。それから貝塚璃王(りお)は、信じられないほどに腰が引けていた。言われなければアイドルと分からないほど、気弱で内気な印象を受ける。


「天王寺先生。電話で申し上げたとおり、私たちはあなたが嘘を吐いた理由を知りたい。話してくれますか?」


「ええ。その節は本当に申し訳ございませんでした。今度こそ、あなた方にきちんと話します」


 私は深く腰を折り謝罪をする。そして再び顔を上げ、まっすぐに愛意を見つめ返した。もう大丈夫。私は逃げたりなんてしない。


「では、以前の診察室で良いですか? 案内します」


 逃げるな、なんて言える立場ではないのに、自分にそう何度も言い聞かせながら彼らを診察室に通す。薄い壁の向こうから、同僚と患者の声が聞こえた。


「すみません。ここしか自由に使えないので」


 誰に伝えるわけでもない言い訳をして、椅子を並べる。そこに四人を座らせると、私もデスクチェアに腰を下ろした。交わる全員の視線が、この場に緊張感を演出する。


「どこまでですか? 分かったのは」


「寧音の状況と居場所。そして、そこがあなたの幼なじみの職場、由命界総合病院実験病棟だということです」


「そうですか、そこまで。すごいんですね」


 予想出来ていた答えに、心からの称賛を送る。愛意たちが真相を掴むことは分かっていたが、まさかここまで早いとは。最近の若い子は、私たちの代に比べて優秀なのだろう。


「これは私の母から聞いた話だから、真実かどうかは分からない。でも、あなたなら答えられるはずです。五年前、寧音が由命界にいることをあなたは母に伝えた。これは本当ですか?」


「最初から知っていたのではありませんか? 初めて会ったあのときから、私を泳がせていた」


「そんなことありません。私が母からこのことを聞いたのは昨日なので」


 愛意のその返答は予想外だった。てっきり、この数日は記憶と私の言葉を照らし合わせている期間だと思っていた。そこで見つけた私の過去の行動との矛盾を、勇んで突き付けに来たのだとばかり。


「そうですか。五年前、私があなたのお母様に寧音ちゃんの居場所を教えたことは事実です。早く彼女に安心してもらいたかったのですが、実験病棟が表立った部署ではないことを失念していまして」


「母は、あなたを嘘つきだと思ったそうですよ。実験病棟なんて存在しないと言われたから」


「友加先生。実は前に僕と愛意さんで伺ったときも、同じことを言われました。実験病棟なんて部署はないと。それと、篭野(かごの)法助(ほうすけ)先生も知らないようでした」


 私は苦笑するしかなかった。身近な人間が勤めているから感覚が麻痺していただけで、実験病棟は口外してはいけない部署として位置付けられている。

 実験病棟の存在を知るには、そこに製薬の依頼を出すか部長レベルにまで昇進するしかない。昇進は一握りの人間にしか出来ないし、プライドの高い医師が多い由命界総合病院で誰かに頼るという発想は出る方が珍しい。法助が実験病棟を知らないのは、彼が普通の医者であり誰かを頼る必要がないくらい優秀なことが原因だろう。


 そして受付スタッフは最も強く箝口令がしかれていて、たとえ実験病棟を訪ねる人間が現れても、院長が許可した者しか通してはならないと定められている。そのルールが、朝川家を引き離した。

 やはり私は中途半端な人間だ。言うだけ言って、後は放置。あのとき院長に話をしていれば、五年前の時点ですべてが丸く収まっていた。しても遅い後悔が我が身を襲う。


「そうなりますよね、やっぱり。私のせいなんです。申し訳ございません」


「天王寺先生。別に私たちは、謝ってもらいたいわけではないんです。教えてください。あなたが見たことを」


 私の謝罪は、ぴしゃりと愛意に切り捨てられた。しかしそれで良かった。いつまでもこんなやりとりをしていれば、前に進むことはない。真剣な色をした愛意の瞳に、力なく笑みを浮かべた自分が映る。


「私がこの件に関わったのは、玲が寧音ちゃんを自分の家に連れ込んでからです。なのでその前に何があったのか、言い換えれば、どうして寧音ちゃんが拐われたのか、それは答えられません。それでもかまいませんか?」


 あの日、父の研究所だった廃屋に行くと見覚えのある女の子がいた。その子は傷を手当てされた包帯だらけの姿で、胸を上下させて眠っていた。そしてその隣で、私の幼なじみは魂が抜けたようにへたり込んでいた。

 状況を飲み込むまで、時間がかかった。いや今も、知識として知っているだけで飲み込めてはいない。私は頭の中で年表を作り、愛意に向き直る。


「かまいません。寧音が理不尽な目に遭った理由を突きとめることは、私たちの仕事なので」


 愛意の決意に安堵し、私は視線を落とした。とてもではないが、彼女たちの煌めく瞳を見つめてはいられない。


「五年前の六月十五日、その夕暮れ時でした。玲から電話がきて、父の研究所を使って良いかと訊かれました。そこはもう使われていなかったのですが、処分が面倒くさくて父が設備などをそのまま放置していました」


「ハートラボ、ですか。天王寺友仁(ゆうじん)が所長を務めていた」


「ええ。あそこは研究所と名乗っておきながら、病院と同じ医療機器が揃っていました。玲はそこで、交通事故に遭った少女を治療したいと申し出たのです」


 あれは突拍子もない頼みだった。それでも私がたった一瞬で許可出来たのは、玲の声が尋常ではないほどに上擦り、荒い呼吸を繰り返していたからだろう。


「私も医師の端くれとして手伝おうと思って、研究所に行きました。そしたらそこで、寧音ちゃんが眠っていたんです。事故に遭った少女が彼女であることは、すぐに分かりました」


「つまり、寧音が事故に遭ったという話は事実なのね」


「ですが、玲が正しく応急処置をしたので安心してください。眠ったままですが、命に別状はありません。私がこの目で確かめましたから」


 あからさまにトーンを落とした愛意を安心させるため、私は慌てて両手を振った。寧音の状態は毎日私が確認している。それが本来の目的ではないのだが、ありがたい副産物とでも言うのだろうか。


「寧音ちゃんの着替えや清拭、体位変換は私がやっていますから、その度に彼女の状態を診られるのです。玲、いくら医師とはいえ女性に触れることに抵抗があったみたいで、私がやることに」


「それで、寧音は大丈夫だと」


「はい。玲も何度か検査をして、きちんと安定した数値を確認しています」


 私は愛意に微笑みかけた。患者の家族はときに、患者本人よりも不安に駆られる。それを落ち着かせて必要なサポートをしてもらうのも、私たち医師の仕事なのだ。


「あ、すみません。話がずれましたね」


 私はふいに話の最初を思い出し、焦って軌道修正を図る。しっかりと、あのときのことを話して彼女たち家族を安心させなければ。


「ハートラボの一室で眠る寧音ちゃんの隣に、玲を見つけたのです。そのときの玲は視線を宙に投げて、床にへたり込んでいました。私の呼びかけにも応じず、ただ一点を見つめて動かなかった」


 その視線の先にある物を知った瞬間、私は玲が壊れたことを察した。懐かしむような、それでいて訴えかけるような視線。それが注がれていたのは、壁に画鋲で留められた古い写真だった。


「玲は、お兄さんと撮ったツーショットの写真を見つめていたのです。幼い兄弟が好奇心から撮り、今では二人の仲の証明書として息をしている物です」


 私はスマホにその写真を表示し、四人に示した。子供の頃、玲が何を大事にしているのか知っておきたくて、こっそりと写真に納めていたのだ。


「あ! 確かに二人ともそっくりですね。特に目元が。二人とも二重で涙袋があって、ここだけだと同じ人に見えます」


「うん。でも、片方しか瞳が灰色じゃない。こっちが玲さんだね」


「それによく見ると、身長や体格も違う。あと髪の毛だって、全体にパーマがかかっている方と毛先だけうねっている方で違いがある」


 さすが、探偵助手と玲に懐いた変わり者。新希、璃王、明日斗の指摘の鋭さに、私は拍手を送りたくなる。


「みんなすごいね。そう。見分けるポイントとしては、目の色が一番だけど他にもある。端的に言うと、背が小さくて痩せている、髪の毛全体が天然パーマの方が玲。もう片方の、背が高くて筋肉の着いた、毛先だけ癖っ毛の少年が玲のお兄さん」


「へー。でもパッと見じゃ分かりませんね」


 唇を尖らせる璃王に同意して、私はもう一度愛意と視線を交わす。私ってば、寄り道ばかりして。本当に申し訳ない。


「玲とお兄さんは、両親が亡くなったことで施設に保護されたのですが、お互い別々の家に引き取られることになりました。なので兄弟の写真はこれだけで、玲はこれを宝物として、まるで兄そのものかのように大事にしています」


「なるほど。そんな代物を見て呆然としているなんて、確かに不自然ですね」


「後で玲に訊ねたのですが、もう兄に顔向け出来ないから目に焼き付けておくためだと言っていました。玲は自分がしたことが、兄を苦しめると分かっていたのです」


 私は息を調える。ここからが、私が話すべき本題だ。


「だからか玲は当初、自分一人で解決しようとしました。私が何度、寧音ちゃんの事故を通報して寧音ちゃんを病院に連れて行くべきだと言っても、聞く耳を持ってはくれませんでした」


 何度も説得を試みた。しかしその度に、お前には関係ないと、心の門前払いをくらった。私を巻き込まないためだとは分かっていたが、それでも自分が無力なようで悔しかった。


「病院に行かなくても、ここには医師免許を持っている自分がいて設備も十分にあるのだから大丈夫だと。これは私の勝手な所感なのですが、玲は寧音ちゃんの命を繋ぐことを最優先にしていました。でもその裏で、兄に迷惑がかかることを恐れていたように思います」


 一人で抱えて、一人で何とかしようと四苦八苦する。正直あのときの玲と接すると、手のかかる子供を相手しているような感覚になった。


「その数日後に、私はとある提案をしました。寧音ちゃんを由命界の実験病棟に入院させようと。そこなら部外者は簡単に立ち入れないし、玲の職場なので怪しまれることなく治療が出来ると思いました」


 玲も職場とラボとの往復で疲れていたのか、私のその提案をすんなりと受け入れてくれた。そして、寧音を実験病棟に入院させるために、院長にすぐさま許可をとった。


「院長から入院の許可をとれた玲は、私に言いました。院長は優しいから、すべてを告白しても責めてくることはなかったと。そして、勝手に玲がしたことを口外する気はないと言われたそうです」


「すべてを告白した? なら寺島院長は、寧音さんの事件の真相を知っているってことですか?」


「はい。そしてその口振りだと、院長は口外しなかっただけでなく、何も知らないように振る舞ったということですね」


 あの人らしいと思った。一つの大病院を守るためには、嘘の仮面で着飾る必要も出てくる。彼はその仮面の着脱を、あっさりと出来てしまうのだ。


「院長にすべてを話した玲は、もう第三者にバレてしまったからと、ようやく警察に通報することを決めました。そのときには既に寧音ちゃんの事故から三日が経っていて、寧音ちゃんは誘拐されたのだと報じられていました」


「確かに、寧音の失踪は次第に誘拐事件として世間に知られていった。でもそのタイミングで通報すれば、警察も信じて動いてくれたはずですよね?」


「いえ。いつどのタイミングでかは定かではありませんが、防犯カメラ映像が紛失していたそうです。そのせいで、寧音ちゃんが事故に遭った事実は確認が出来ず、玲の通報は虚言扱いされた」


「待ってください!」


 突然大声を上げ、璃王が椅子を蹴り立ち上がる。その顔は、怒りの飽和で震えていた。


「防犯カメラの映像がなくても、現場となったところに行けば、何か証拠や痕跡が見つかったはずです。その捜査すらも、行われなかったんですか? それで玲さんを嘘つき扱いだなんて」


陣内(じんない)さんが知り合いの刑事さんから聞いた話では、そのようですね。捜査に出ようとしたら、上から止められたと証言している人がいるそうです」


 定期的に、陣内と荒牧(あらまき)の二人から報告を受けていたことが功を奏した。私は答えられたことに胸を撫で下ろし、心の底から二人に感謝する。


「揉み消されたんですか? 寧音さんの事故」


「そんなドラマみたいな話……」


「ええ。そうです。だから、どんなに玲が事故は起きたと騒いでも、世間に知られることはなかった」


 本当のことを言っているのに、嘘つき呼ばわりをされ鼻で笑われる。そんなことを三年も繰り返して、警察内部でも寧音の件が風化してきた頃、玲の心はついに折れた。正しいことをしたとて、必ず人を救えるわけではないと、認めてしまった。


「それでも私は、寧音ちゃんの入院が決まった日に朝川さんに連絡をした。真相なんかよりも先に、寧音ちゃんが無事であることを教えたかったんです。でも私が院長への許可どりを忘れていたせいで、朝川さんは実験病棟に入れなかった。会わせてあげることが、出来なかった。本当に申し訳ございません」


 私は椅子を後ろに蹴飛ばし、空いたスペースに膝をつく。そして、手のひらと頭を床に押し付ける。こうしていわゆる土下座の体勢をした私に、愛意たちが息を呑む音が聞こえた。

 土下座は謝罪が安っぽく見えるため忌避していたが、やはり誠心誠意の謝罪を示すにはこれしかない。私は重ねて何度も謝った。私の甘さがなければ、こんなことにはならなかった。愛意たち家族には、謝っても謝りきれない。


「天王寺先生。先ほども言いましたが、私はあなたに謝って欲しいわけではないんです。ただ、妹に会えて真相を知れればそれで良い」


「朝川さん……」


「顔、上げてください。今までの話を聞いても、あなたを責める理由は見当たりませんでした」


 肩に愛意の手が添えられる。私はその優しさに甘え、ゆっくりと顔を上げた。溜まった涙が溢れないように、目元に力を入れてこらえる。


「寧音は事故に遭い、配流(はいる)玲に救われた。そしてあなたは、二人まとめて支えてきた」


 愛意の声音は柔らかかった。憤りをぶつけられることを覚悟していた私は、それに少々驚いてしまう。


「後は私たちがやります。寧音を事故に遭わせた奴を捕まえて、どうして配流玲が兄の存在を気にかけていたのか探る。そして、必ず寧音を取り戻す」


 愛意の覚悟が、私の身を震わせた。こんな若い子に、ここまでの覚悟を決めさせてしまった自分が情けない。


「朝川さん。私には、玲が苦しんでいるように見えた。でも、どうしてそこまで苦しんでいるのかは聞けなかった」


 私も決意を固める。寄り添うだけが愛ではないと、母に教わったから。


「時間をください。私が幼なじみとして、玲にちゃんと向き合う時間を。そこで必ず、玲の抱えている苦しみも真実も吐き出させます。そして玲に絶対に、面会許可書を提出させます」


 私は玲という人間をよく知っている。だから、どうして兄の存在に怯えているのかも、どうして苦しむことを選ぶのかも、全部察しがついている。それでも、知っているだけでは何も変えられない。


 寄り添って、癒して、愛したい。そのための時間が欲しかった。


「分かりました。配流玲は先生に任せます。私たちはその間に、事故の犯人を突き止める。だから、信じてますから、必ず寧音に会わせてくださいね」


 犯人を突き止める。それは玲にとって、一番辛いことなのではないか。でも、それは声に出せなかった。だって、辛いことを信じて耐えた先には希望があるから。

 それに、愛意の言葉が復讐宣言ではなかったから。姉として、妹の身に起きたことを受け止める優しき宣言に感じた。


「もちろんです。お約束します」


 私も、愛する人に起きたことを受け止める覚悟だ。愛意と頷き合い、互いの決意を共有する。もう立ち止まることも、後戻りもしない。

 私はそう心に誓い、若者たちを見送った。心なしか、みんなの背から清々しい気が出ている。私もやるべきこととやりたいことが一致し、胸が軽くなっていた。


 そんな晴れやかな気分で自分の診察室に戻り、私はスマホのメールアプリを開く。宛先を玲に設定し文章を打ち込み、推敲することなく送信ボタンを押した。


「話したいことがある」


 私はこの想いが、彼にきちんと届くことを願った。

読んでくださりありがとうございます

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