第十話 姉妹のとき
ずっと書きたかった朝川家の幸せな過去。愛意が妹のために必死になる理由が、少しでも伝われば幸いです
誰もいない古びたビルの一室で、私は実家に電話をかけた。コール音が空気を震わせ、それから高い女声にその役目を譲る。
「愛意。どうしたの? 電話をかけてくるなんて珍しいわね」
「あのね、お母さん。嬉しい報告があるんだ」
「あら結婚? 愛意にそんな相手いたかしら?」
和やかな声で若干失礼なことを言う母に呆れた笑いを漏らし、私はゆっくりと首を横に振る。そんなつまらないことを、母に聞かせるつもりはない。
「違うよ。あのね、寧音の居場所が分かったの。もしかしたら、また会えるかもしれない」
「うそ、そんなことって……」
私の期待を込めた報告に、母が絶句する。私が探偵として妹を探していた五年間、母も出来うる限りを尽くして娘を探していたのだ。驚きと喜びが混じり、言葉を失うのも無理はない。
「ほんとなの、お母さん。寧音は、由命界総合病院の実験病棟っていうところにいるらしい。眠ってはいるけれど、もうすぐ意識を取り戻すかもしれない。お医者さんがそう言っていた」
興奮気味に私が得た情報を熱弁しても、母は何も言ってこなかった。私は不審に思い、顔をしかめる。母が戸惑うことは予想していたが、ここまで黙られると気味が悪い。
「お母さん? どうしたの?」
なるべく優しい口調を心がけ、母の返事を促す。母はしばらく息を詰めた後、ようやく言葉を返してくれた。
「それ、本当? 騙されてない?」
「え? ええ。社会的に信頼出来る立場の人が言ってたから、多分」
母の本気で心配してくれている様子に気圧されつつ、私はしっかりと今日会った人の話を思い出す。大病院の院長と、政府の人間。彼らが一般人の件について、嘘を吐く必要はない。
「もしそれが本当なら、私、とんでもないことしちゃった」
母が絞り出したのは、後悔が滲む悲痛の告白。探偵をやっていると、こういった状況に直面することがある。何の罪にも問われないが、当人が断罪を望むほど悔いているときに出る、苦しみの声。
私は自分の母からそれを聞くことになるとは思っておらず、震えた唇から理由を訊ねる文を読み上げるしかなかった。
「お母さん、どうしてそんなこと言うの? 何があったの?」
「愛意、私それ知ってた。寧音が由命界の実験病棟にいるって、五年前に教えてもらってた。天王寺先生から、聞いていた」
「天王寺先生って、あのセレンクリニックの?」
「ええ。五年前、寧音がいなくなった三日後だったかに電話がかかってきたの」
母の独白が始まった。私は経験上、これは相槌を打たずに耳を傾けるだけで良いと知っている。相手は口に出すことで楽になりたいのだから、変に同情することは悪手にもなりうるのだ。
「天王寺先生からだったから、私は心配の電話かと思って出たの。ほら、彼女とんでもなく優しいでしょ? 気を遣ってくれたのかなって。だから気にしないで大丈夫と伝えようと思った」
私はそんな母も優しい人だと感じた。
「そしたら、寧音のことではあったけど、急に寧音は由命界にいるから会いに行って欲しいと頼まれた。その天王寺先生の雰囲気から必死の形相が浮かんで、私はそれが嘘ではない直感した。だから彼女にどこの部署か訊いて、私とお父さんはそこを訪ねた。もちろん、そのとき天王寺先生は実験病棟って言ってたよ」
初耳だ。でも当時の私は学生だったし、余計なことを考えなくても良いようにしてくれたのだろう。私は納得し、再び母に耳を傾ける。
「でもね、由命界の受付で実験病棟を訪ねると、そんな部署ないって言われて嘘つき扱いされた。私は天王寺先生に嘘を教えられたと思って、憤りを直接彼女に伝えに行った」
母が、深いため息を吐く。
「そしたら彼女、すごく悲しそうに私に謝ったの。ごめんなさい、もう少し待って欲しい、なんとかする、そう言っていた。でも怒りでおかしくなっていた私は、その言葉を受け取れなかった」
その結果何が起きたのか、私は理解した。それに伴う母の後悔の深さも。
「その後数日は、何度か天王寺先生から電話がきてたけど全部無視した。先生の言葉を信じられなくて、自己判断で遮断した」
「そう」
私はようやく、口を挟める隙を見つけた。母に噛みつきたくなる娘の人格を封じ、冷静沈着な探偵の人格を使う。
「つまり、天王寺先生は寧音の誘拐について知っているってことね」
「愛意……。そうだと思う。いや、そのはず」
天王寺友加は、誘拐事件について言えることはないと私に言った。でも、当時母に寧音の居場所を伝えている。
それにまだ、配流玲が誘拐犯と決まったわけでもない。寧音が彼の元にいるというだけで、もしかしたら真犯人がいるのかもしれない。そしてそれは、間違いなく配流玲にとって大切な人。
心当たりのない少女を急に預けられて、その子が行方不明になっている人物だと分かれば、普通なら警察に通報する。自分の職場で匿う必要はない。でも、配流玲はそうした。
配流玲自身が犯人なら、彼を追及すれば良い。でも、真犯人を庇っている場合は安易に詰め寄ると、そいつを逃亡させるおそれがある。それに、大切な人を守るために偽証を謀るかもしれない。
天王寺友加。配流玲の幼なじみで、寧音の居場所を知っていた人。そして、私たちにその事実を隠した人。私の中で彼女への猜疑心が膨らみ、記憶していた優しい笑顔がどす黒く塗り潰された。
彼女なら、寧音の自宅の場所を知っている。問診表には住所の記載欄があった。また、寧音は彼女によく自分のことについて話していた。そこで寧音の帰宅時間を知ることも出来る。
幼なじみなら、庇うのではないか。私には幼なじみと呼べる人がいないから分からないが、小さい頃から同じ時間を過ごしていれば、相手のことを大切だと思えるのではなかろうか。私はひっそりと、天王寺友加への疑惑を強くする。
そのとき、私の意識を現実に戻すように、母の息が吐かれる音が聞こえた。私は我に返り、母へどうしたのかと訊ねる。
「いえ。遂にこのときがきたのかって」
「お母さん?」
「愛意はすごく頑張ってくれた。警察官になる夢を棄ててまで、探偵として寧音を探すと言ってくれた。お父さんも、休日はいつも駅前でビラ配りをしてくれた」
母は静かだった。何の感情もこもっていない、静かで無表情な声しか聞こえない。
「でも、私は何も出来なかった。毎日朝がくる度に今までのは悪い夢で、リビングに行けば家族四人で笑い合えると信じるしか出来なかった」
「お母さん。これからは、そうなるよ。絶対に」
「愛意、私慣れたの。自分の無力さに打ちひしがれる思いにも、現実を突き付けられる絶望にも。そんな反吐が出そうになる毎日に、いつの間にか慣れていたの」
今度は私が、返事を出来なくなる番だった。いきなりの母からの吐露に、脳の処理が追い付かない。
「だから、もう心が前のようには戻らない。いっそのこと、寧音が帰って来なくても……」
「バカなこと言わないで! 寧音はあなたの娘なのよ!」
母が口走ったことに、私は脊髄反射で激昂していた。怒りやら呆れやらがみぞおちでない交ぜになり、心拍数を底上げする。
「あなたが寧音のいない生活に慣れていようが、そんなこと関係ない! 寧音はきっと、自分の母親に会いたいと望む。だから、あなたは母親でいるべきなの」
「愛意、でも私、そんな不埒な理由で寧音に会えない」
「お母さん……」
私はそのとき悟った。母はいろんな口実を並べ立て、結局は逃げているのだと。娘に会うことを怖れているのだと。
薄々勘づいてはいた。母の心が安寧を求めて、母の意思に断りもなく諦めを求めていることに。でも、母は強いと信じていたから心配していなかった。
「私、知ってるよ。お父さんも私も寧音のことばかりになったとき、お母さんだけは今までどおりに家で待っていてくれた。ご飯も作ってくれたし、洗濯も掃除もしてくれた。それが嬉しかったし、それがあったから大丈夫だと思った」
あのときの私には、母が冷淡な女のように感じられた。でも社会に出て様々なタイプの人間と触れれば、その考えは覆っていた。
「お母さんは、寧音がいつもの我が家に帰って来られるようにしてくれていたんだよね。そんな優しいお母さんになら、きっと寧音も会いたいと言ってくれる。自分が何もしていないなんて思わないで。大丈夫。寧音はあなたを拒まない」
というより、拒んでもらっては困る。私の願いは、また家族四人の形に戻ること。いや、私だけではない。父も母も、心ではそう願っていることを知っている。
寧音がどうか知る術はないが、寧音が帰って来られる場所を作っておくことは、家族としてのつとめだ。それに、寧音は家族が大好きと言ってくれた。そんな妹が私たちを傷付けることはしないと、たかをくくる。
「お母さん、怒鳴ってごめんね。でも、私が絶対に寧音を助けるから。そのときは寧音に会ってあげて」
母は無言で電話を切った。でも、何かを言いかけていた。燻る余韻は母への期待か、それとも真実への探求心か。私は答えを出せずに、ソファに沈み込んだ。深く大きく息を吐いてから、体を横にして腕で視界を覆う。
私は真っ黒な世界で妹を想い、その中で眠りについた。
ーーーーー
「お姉ちゃん、見て見て!」
高校から帰った私に、妹の寧音が弾ける笑顔で駆け寄る。手には何か布らしきものが握られており、私はすぐに状況を理解した。
「寧音ってば、また刺繍したの。どれどれ? お姉ちゃんに見せてみて」
「最近はね、お花を作るのにはまってるんだ。これがヒマワリで、こっちはタンポポ」
玄関でしゃがみ込み寧音と目線を合わせれば、嬉しそうに色とりどりの刺繍を指差してくれた。寧音は手先が器用で作業することが大好きなので、こうして作品を完成させると私に一番に見せてくれる。
「すごいね、寧音。かわいい!」
「でしょでしょ。かわいいでしょ?」
「うん。すっごい上手」
誇らしげに自慢する寧音が微笑ましく、私も思ったとおりに称賛を口にした。飛び跳ねてはしゃぐ妹とともにリビングに行くと、テーブルにクッキーが置いてある。私はその隣の書き置きを読み、寧音を椅子に座らせた。
「寧音、お姉ちゃん手洗って来るからちょっと待っててね。そしたらお母さんのクッキー、一緒に食べよ」
「うん! 分かった」
私は一度自室に行き荷物を置いてから、洗面所で手洗いうがいを済ませる。ふと鏡に映った自分を見ると、髪の長さが目についた。背中まで伸びた黒髪。そろそろ、短くしても良い頃合いではないだろうか。
「寧音、お姉ちゃんが髪切るならどれくらいが良いかな?」
「うーん。あ、思いきってボブとか。ほら、お姉ちゃんなら何でも似合いそうだし」
「それも良いわね。寧音とお揃いになる」
私は寧音の向かいに座り、手拭きを渡す。それで手を拭いた寧音は、肩まで届く髪を揺らしてクッキーを取った。それを寧音が一口かじると、サクッと小気味良い音が鳴り、香ばしいアーモンドの香りが部屋へと広がる。
「おいしい! さっすがママ」
寧音はとても母お手製のアーモンドクッキーが気に入ったようで、今度は一度に何枚も頬張る。そして幸せそうに破顔した。
私はそんな寧音に和み、自分も食べようとクッキーを口に運ぶ。すると、口の中でアーモンドのほのかな苦味とバターの甘じょっぱさが重なった。
「うん。すっごいおいしい。後でお母さんにお礼言おうね」
「了解! お姉ちゃん」
寧音は敬礼の真似事をして、更にクッキーを食べ進める。結果、寧音が大半を食らい尽くしてしまい、私は三枚しか食べられなかった。私だって母の作るスイーツが好きなのだが、妹の笑顔の方が大切なのでぐっとこらえる。
「残りのクッキーは、お父さんとお母さんの分にしよっか。二人が帰って来たら渡そうね」
「うん。パパたちも食べなきゃ損だもん」
私はクッキーが入ったお皿にラップをかけ、冷蔵庫の一番上にしまう。ついでに冷蔵庫の中を見回すと、野菜がないことに気が付いた。今日はカレーを作る予定だったが、これでは作れそうもない。
「寧音。お姉ちゃん、これから買い物行って来るけど、一人でお留守番出来る?」
「えー! 付いてっちゃダメ?」
腕に纏わり付き、いじらしくおねだりをしてくる寧音の頭を撫でる。本当は連れて行ってあげたいが、あいにく外は暗くなっている。こんな時間に、小学生を出歩かせるわけにはいかない。
妹と目の高さを同じにし、私は代案を考える。何か、寧音を家で待たせるための良い提案はないだろうか。しばらく考えを巡らせた私は、とある頼みごとを思いつき白いハンカチをポケットから取り出した。
「寧音、お姉ちゃんのリクエスト聞いてくれる? さっき見せてくれた刺繍、すごかったよね。だから、私のにもして欲しいんだ。このハンカチに、赤いチューリップ。作ってくれる?」
半ば強引に寧音にハンカチを握らせると、私は彼女の頭を軽く叩き、それから撫で回した。反論を封じられた寧音は口をへの字に曲げ、一心に顔で抗議の意を示す。それがなんとも可愛らしく、私の胸が暖かくなった。
「お願い。そうしてくれたら、お姉ちゃん嬉しいな。そうだ。スーパーで何かお礼買って来るよ。何が良い?」
「ほんと? じゃあプリン! 焼きプリン買って」
「オーケー! 良い子で待っててね」
私はもう一度寧音を撫で、玄関のポールハンガーからショルダーバッグを取り肩にかける。スニーカーに足を入れると、寧音が渋々といった様子でお見送りの言葉をくれた。
「行ってらっしゃい、お姉ちゃん。なるべく早く帰って来てね」
「うん。寧音も留守番よろしく。バイバイ」
妹に手を振り、玄関の鍵を閉める。私は街灯に照らされた道を小走りで進み、ものの五分ほどでスーパーに着いた。すぐに買い物リストを書いたメモ帳を開き、籠に野菜たちを詰めていく。
詰め放題のニンジンをあるだけ袋に放り、半額のじゃがいもだけを持つ。玉ねぎは時間短縮のため、みじん切りされた冷凍のものを買う。カレールーは、内容量と値段から導き出した一番安いものにした。
レジで渡されたレシートを確認し、私はその安さに頷く。それから近くの洋菓子店に行き、そこで焼きプリンを買った。寧音にはスーパーで買うと言ったが、我慢させてしまったのだから、これくらいの贅沢はさせてあげたい。会計を済ませた私は、来たとき同様に走って家へ帰った。
「ただいま」
家の奥まで届くように声を出したが、リビングからの返事はない。しかし、私は気にせず手を洗いキッチンに入る。カウンターの向こうを覗けば、案の定真剣な眼差しで作業をしている寧音を見つけた。
寧音は昔から、集中すると周囲の変化に疎くなる。私は完成間近のチューリップに微笑み、カレー作りに取りかかった。
お米を洗い、炊飯器のスイッチを押す。出来れば炊き上がりと同時に、カレー作りを終了させたい。私はフライパンに油をしき、冷凍しておいた豚肉を炒める。次にまな板と包丁を出し野菜を刻むと、それらをフライパンに投げ入れ火にかけた。
玉ねぎがあめ色になったところで、水を加え沸騰させる。そして火を止め、ルーを割り入れてから再び点火させた。私は火を弱火に調節しフライパンに蓋をしてから、手を洗いリビングに行く。
「できた! やったぁ! って、お姉ちゃん! いつの間に...…」
私が帰宅の挨拶をしようとした直前、寧音が勢いよく立ち上がり両腕を突き上げる。その腕が私に触れたことで、寧音はようやく私が帰宅したことに気付いたようだ。
「ついさっきだよ。ただいま」
「お帰り! ねぇねぇ、それよりこれ見てよ。お姉ちゃんのリクエスト、完遂させましたよ!」
もったいぶった口調とともに、寧音は私にハンカチを返した。その左下には、赤いチューリップが一輪咲いている。思ったとおり、綺麗な花だ。
「ありがとう、寧音。大切にする」
「うん。私だと思って大事にしてね! それと、失くさないでよ」
「もちろん。それは安心して」
私が胸を張ると、テーブルに置いていたスマホからいきなりけたましい音が鳴り響いた。私が寧音に断りを入れスマホを確認すると、父親から電話がかかってきている。いたずらっ子の顔をしている寧音を軽く睨み、私は父の通話に応答した。
「もしもし、お父さん。仕事終わった?」
「ああ。今ちょうど、母さんと会ってね。これから二人で帰るよ」
「分かった。こっちはカレー煮込んでるところ。もうすぐできるよ」
「おお! 愛意のカレーか。これは楽しみだな」
父は何度も私を持ち上げる言葉を口にして、最後は自分の妻に強引に通話を切られてしまった。そんないつもの仲良し夫婦な姿に和んでから、私は寧音に向き直る。
「お父さんとお母さん、もうすぐ帰って来るって。二人が帰って来たらご飯にしよっか。ほら、机の上片付けちゃって。それと、勝手に人の着信音変えないこと!」
「はーい」
元気良く返事をした寧音は、手際よく広がった裁縫道具たちをどかしていく。最後の私的は無視されたらしい。私は何も無くなった机を布巾で拭き、カトラリーを用意し始める。
「寧音、カレー味見してくれるの?」
フライパンの中のカレーを興味津々で覗く寧音に問えば、予想どおり目を輝かせてくれた。私はお玉でカレーを掬い、息を吹き掛けてある程度冷ます。そしてそれを、寧音の口元に近づけた。
「暑いよ」
一応忠告はしたが、寧音は聞く耳を持たずにお玉へとかぶりついた。そしてすぐに目をまん丸にして、親指を立てる。
「すっごいおいしい! さすがお姉ちゃん、天才!」
「寧音にそう言ってもらえて良かった。もう少し煮込むから、その間に冷凍のおかずチンしといて」
寧音はピッと敬礼をして冷凍庫を開けた。そこから毎週配達してもらっている冷凍の主菜と副菜を選び、電子レンジで解凍をする。今日は寧音のセンスにより、主菜がハンバーグ、副菜がポテトサラダになった。
解凍が進み、ハンバーグにかかったデミグラスソースの香りが部屋中に充満したとき、見計らったかのようなタイミングで玄関が開く音が聞こえた。両親が帰宅したらしい。
そしてそのタイミングで、炊飯器の終了メロディーも鳴る。私はことごとく起こるミラクルに感服しつつ、ご飯とカレーをそれぞれの器によそった。
湯気の立つカレーとおかずたちを机にセッティングししばらく待つと、私服に着替えた両親が姿を見せる。二人は嬉しそうに席につき、食卓を見回した。
「二人とも、お帰り! お仕事お疲れ様」
「ただいま、寧音。愛意も」
「それにしても、今日はやけに豪華だな。父さん、感動しているぞ」
大袈裟な泣き真似を始める夫の頭をはたき、母は私を気遣わしげに見つめる。私はその意図を察し、口角を持ち上げて首を振った。
「全部一人で作ったんじゃないよ。おかずは寧音が用意してくれた。それに、カレーって意外と簡単に作れるからね」
「そうなんだ。愛意も寧音もありがとう」
「うんうん。二人とも偉いな。それじゃあ、ありがたく。いただきます」
父の号令で全員が手を合わせ、一斉に料理にがっついた。父は仕事疲れで空腹だったのか、カレーを一気に掻き込み半分まで減らした。母はお行儀良くハンバーグを切り分け、それを丁寧にカレーにトッピングする。
「おいしいな! さすが愛意だ。もうお嫁に行けるだろ」
「お父さん、愛意には愛意のペースがあるの。でも確かに、前よりおいしくなってる」
「二人とも、ありがとう。今日は寧音が太鼓判を押してくれたからね。自信作なの」
妹と目を見合せて笑い、二人で鼻を高くする。いつもは自分で味見をしているのだが、今日は気まぐれで寧音に頼んでみた。それは正解だったようで、やはり誰かに褒めてもらえると自信がつく。
「そうか。姉妹の共同作業ってやつか。本当に仲が良いな、愛意たちは」
「そうね。寧音は産まれたばかりの頃から、母親じゃなくて姉にべったりだったんだもの」
「え! それ本当? 覚えてないのが悔しい……」
本気で悔しそうに顔を歪める寧音に、私の記憶が刺激される。赤ちゃんのとき、ぷっくりとしたほっぺたを擦り付けてくれた寧音。ハイハイをして寄って来る寧音。舌足らずの不安定な滑舌で、私を初めて『お姉ちゃん』と呼んでくれた寧音。
そんな赤ん坊期を過ぎ保育園、小学校と進んでも、寧音は私に懐いたままだった。もちろん、両親のことも好いてはいる。でもそれ以上に、私を慕ってくれた。それが嬉しくて、私はその思いに応えようとする。この流れが周りの人たちの目に仲良し姉妹として映るのだろうと、私は当たりをつけていた。
「みんな、今日はデザートも買って来てあるから。楽しみにしてて」
フードファイター並みのスピードで食べ進める家族に注意し、私はゆっくりと料理を味わう。カレーは最初はスパイスが効いていておいしいが、食べ慣れてしまうと無味に感じる。今度はもう少しスパイスを増やしてみよう。
次の計画を立てていた私は、ふと父の話を思い出す。そういえば、父は来月から単身赴任に行くんだった。なら、それまでにカレーリベンジを果たさなければ。
「お姉ちゃん、そろそろデザート出して良い?」
全員の箸が止まると、寧音は待ちきれないと言わんばかりに冷蔵庫へ駆けた。私は食器をシンクに運び、寧音に許可を出す。寧音は興奮しながら冷蔵庫を開け、感嘆の息を漏らした。
「プリンだ! 私が一番好きなやつ!」
「良かった。喜んでくれて」
「うん、ありがとう! お姉ちゃん大好き」
寧音は他のカップスイーツも持ってリビングに行く。しかし、私はしばらく動けなかった。妹からの純粋な『大好き』。打算でも何でもなく、自然と溢れた言葉。それに心を撃ち抜かれ、床に足が固定された。
どうやら、私は重度のシスコンらしい。こんな些細なことで急に動けなくなる。いや、それとも寧音が魔性の女なのだろうか。
私はどちらもだと思いながら、なんとかリビングに戻った。
ーーーーー
カラスがダミ声で朝を知らせる。私はソファで寝ていたせいで痛めた体を起こし、床に転がり落ちた。まだ眠気が取れていない。懐かしい夢を見たせいで、体が休息をむさぼれなかった。
そのとき間抜けなチャイムの音ともに、探偵社のドアが叩かれる。時刻を確認すれば、時計の針は九時を指していた。この時間ということはつまり、新希と明日斗が到着したということだ。
二人は高校が夏休みに入ってから、毎日うちに通っている。この期間は、寧音を見つけることに時間を最大限割くそうだ。嬉しいが学業はどうするのかと疑問に思い、二人には朝早く来てもらい昼頃には帰ってもらっている。まさかそれが仇になるとは。
「社長。いないんですか?」
「いる。でももうちょっと待って欲しい」
「社長、その声。まさか起きたばかりなんですか?」
新希のきっぱりとした問いかけに答える私の声がよほど不自然だったらしく、明日斗に見破られてしまう。私は健康な生活をしている高校生を羨み、言葉にはせずとも扉越しに悪態をついた。
「そう。昨日寝るのが遅くなってね。おかげで寝不足」
「お疲れ様です、社長」
「うん、ありがとう。五分で終わらせるから、そこで待ってて」
言い終わると私はすぐに洗面所に駆け込み、洗顔とスキンケアを済ます。そして住居スペースでワンピースを着て、さっとシースルーのカーディガンを羽織る。それからもう一度洗面所に行き、自慢のボブヘアを整えた。事務所のカウンターに置いてあるクッキーで腹ごしらえをして、やっと二人が待つ外に出る。
「おはよう。待たせたわね」
「いや、まだ五分経ってないんですけど……」
腕時計を眺めていた明日斗は、目を白黒させて私を観察する。そして私に引くように、背を反らせた。
「早いんですね、支度。新希はいつも十五分は使うのに」
「ごめんって、明日斗。いつも起こしに来てくれてサンキュ」
恋人の痴話喧嘩らしきものを始めた二人を残し、私はビルの外階段を下る。今日は、昨日の母の言葉を確かめに行きたい。
「二人とも、やる気があるなら着いて来て。天王寺友加に会いに行く」
「何かあったんですか?」
「あの人は私たちに隠し事をした。寧音の居場所を知っているのに、何も言うことはないと嘘を吐いた」
いつの間にか、私のすぐ後ろには新希たちがいた。昨日の母との電話で分かったことを伝えると、新希は首をひねり明日斗は顎に指をかける。
「どうしてだ? あの人が嘘を吐くメリットはないと思うが」
「僕、天王寺先生が犯罪に関わっているなんて思えない。あんな優しそうな人なのに……」
私は明日斗と新希の呟きに内心で同意し、探偵社を後にする。そして唐突に浮かんだキザな顔に舌打ちをし、二人を振り返った。
「明日斗、セレンクリニックに電話をして。湯中さんなら、話通じると思う。それと、新希。あのアイドルにも連絡しておいて。貝塚さんのことだから、全部知りたいと思うはず」
私の指示で、二人がそれぞれのところに電話をかける。明日斗は事務的な問答を繰り返し、新希は幸せそうに会話をした。
新希の好きな芸能人だからという理由で最初は受け入れようとしたが、私の中には貝塚璃王への不安が芽生えている。あの人は探偵ではないのだから、乱闘騒ぎになった場合に対処出来ない可能性がある。そして最有力容疑者の配流玲と知り合いなので、真実を誤認する精神環境に陥るかもしれない。
だが、後者に関しては私も同じ条件だ。被害者家族として、犯人への憎しみは人一倍ある。その怒りをどう制していけば良いのか、正直まだ分かっていない。それに、私は貝塚璃王に当たってしまったこともある。
私は己の感情をコントロールするため、強く拳を握りしめた。
読んでくださりありがとうございます




