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地割れと光と、そして黒髪の少女 ②

 平日の昼過ぎ。昼食を食べ、幸せな気分で休憩を過ごす時間だ。俺が勤める研究所でもそれは例外でなく、皆、休憩終了まで思い思いの時間を過ごしている。俺はと言うと、助手席に所長を、後部座席に無口なミディアムを――という異様な空間が広がる、研究所所有のワンボックスカーを運転していた。

 これは今までの勤務態度に対する罰なのか、それとも課長の嫌がらせか。もしそうなら、反省文を書きながら一日中地割れの近くでリゾマータの測定をしていた方が、遥かにましだ。むしろ、そっちの方が良いから誰か代わってくれ!

 ――兎にも角にも、こんな時間を一秒でも早く終わらせるため、俺は道路交通法に従いながら、最速で目的地を目指していた。


 所長に指示されるがままに運転し、たどり着いた場所は、研究所から車で一時間程の、普通に道路が整備されてい山中の脇道だった。そこには、俺が運転していたのと全く同じワンボックスが停まっていて、二つの人影がせわしなく動いている。車から降りた所長は、その二人に声をかけてなにやら話し込んでいる。研究所の制服である白衣を着た二人。やはりその二人が残りのメンバーのようだ。

 所長に手招きされ、俺と沙良も車を降り、その二人と顔を合わせる。こうして特殊管理課、全研究員がここに集結した。


 北海道支部管理課から異動となった男性、小林純司。

 気だるさを常に漂わせる男。三十二歳。


 北海道支部研究課から異動となった女性、御剣理花。

 眼鏡が印象的なキャリアウーマン風。二十八歳。


 所長から紹介されたが、二人とも知らなかった。研究所に勤めている人間はそこまで多くないので、どこかですれ違ったりして、見た事があってもおかしくはないはずだが。まぁ、俺自身ボーっとしながら歩いている事が多いから、気づいていないだけなのかもしれない。

「沙良ちゃんに研究所のアイドル理花ちゃんまで。いやーこんな可愛い娘二人と一緒に仕事ができるなんて、こりゃ常時両手に花状態だね。二人もこんな素敵な俺と仕事ができて幸せだろ?」

「幸せでも何でもないです。むしろ不幸です。以前から何度も言っていますが、誰も小林さんみたいな、頭に脳味噌詰まってなさそうな人、相手にしませんから安心してください」

 どうやら二人は知り合いらしい。ってか両手に花って……俺は?

「理花ちゃんはキツイなー。ツンデレってやつ?」

「いつ誰が小林さんにデレたんですか」

「じゃあツンツンだね。俺Mだからそーゆーの大歓迎」

「そうですか。なら手始めにそこの崖から飛び降りて下さい」

「えー。そんな事したら死んじゃうじゃない」

「えっ? 小林さんMなんですよね?」

「そうだけど死ぬのはちょっと嫌だな。身体的な痛み系は苦手なんだよね」

「じゃあ今度から小林さんを黙らせる時は、何かで殴れば良いですね。常に鈍器を持ち歩く事にします」


 ――これが俺の上司ですか。そうですか。

 正直、残りのメンバーには期待していた。俺と沙良が同い年という事と、立場上、所長が常に特殊管理課の指揮を執る事は難しいだろう、という予想から、リーダーシップのあるベテランが一人はいると踏んでいた。知識と経験が豊富で、部下に優しく、頼りになる上司。課の名前に特殊と付くぐらいなんだから、そんな理想の上司がいるはずだと思っていた。

 理想とは叶わないからこそ理想なのだ。現実ってのは厳しい。

 今だに続いている二人の掛け合いをBGMに、集結した特殊管理課全員を改めて確認する。


 白衣を着た研究所破り

 何を考えているかわからないテキトー男

 年上に毒舌を吐きまくる眼鏡

 自己紹介以外全く喋らないミディアム


 なんとも奇妙で微妙なメンバーだ。どんな偶然が作用すれば、こんな灰汁の強いキャラが一堂に会するのだろう。所長の意図が全く掴めない。それに、所長がこのメンバーの一人として俺を選んだという事は、俺の事もそんな個性の強いキャラだと認識しているのだろうか? だとしたらちょっとショックだ。

 小林と御剣さんの会話がヒートアップする中、見かねた所長が二人を制する。

「ところで、準備は終わったのかな?」

 会話はぴたりと止み、二人は大慌てで作業の続きに取り掛かった。俺はあたふたする二人を見て、ありがちなシチュエーションに笑いを堪えるのが大変だった。

 先に停まっていたワンボックスには測定用の機材がぎっしり積み込まれていて、小林と御剣さんはその機材を弄繰り回している。初めて見る機材ばかりで、二人が何をしているのかさっぱりわからなかったが、特殊管理課の仕事は、今まで自分がこなして来たそれとは違う、異質なものであるという印象を受けた。

 所長は二人が準備に戻ったのを確認すると、俺と沙良に仕事の説明を始めた。

「二日前の事だが、この山中でリゾマータが噴き出る地割れ――噴出口が確認された。地割れの規模、リゾマータの噴出量、共にかなりのもので、具象石が発生している事も考えられる。今回の仕事はリゾマータの測定と具象石の確認、及び回収だ。突然で申し訳ないが、現場には上射羽君と沙良君に行ってもらい、小林君と御剣君はここで二人のサポート役をお願いしよう」

 特殊管理課の初仕事。所長自らが動き、新たな部署を設立し、ミディアムにまで協力を要請して行う仕事は、俺がいつもやっていた仕事となんら変わりのないものだった。具象石の回収は、今までにやったことがなかったが、測定に出る時はいつも「発見次第すぐ回収!」とうるさく言われていたので、それほど難しくはないのだろう。やる気のない俺にも任されていた、そんな仕事だ。噴出口の規模が大きいにしたって、所長自身が、ましてミディアムが出てくる必要はあるのだろうか。

 腑に落ちないでいる俺を尻目に、小林がニヤニヤしながら何かを担いで近づいて来た。

「んじゃま、上射羽君はチャッチャとこれ着てね。――いやー似合うじゃない。言うなれば、お姫様を守る白衣の王子様ってとこかな?」

 白馬の王子様や星の王子様なら聞いた事があるが、白衣の王子様はあまり聞かない言葉だ。っていうか、これ白衣でもないし。まるでこれから月面に足跡を残しに行くかのような、外見からは顔しか確認できない、全身を覆う白いスーツ。かなり余裕のあるサイズで動きづらく、なにより暑くて、臭い。

 「最初は俺が行く予定だったから、このスーツしか用意してなくってさ。まぁ、自分の身を守るためと思って我慢しなきゃ。着るのは初めてってわけじゃないだろ?」

 実際、着るのは二回目だ。初めて着たのは、研修の一環として、新人全員で藻岩山にある噴出口に行った時だったかな。

 リゾマータに対する拒否反応を起こさないよう、大量のリゾマータから身を守る防護服。一応、RP特殊スーツという名前が付いているが、名前が長いし、言いづらいし、センスがないし――で、誰も正式名称では呼んでいない。スーツ、もしくは防護服と言うのが普通になっている。

 この防護服が登場した事で、少し不安になった。これから向かう噴出口は、防護服を着用しなければいけない程の規模と言う事だ。今まで俺が行った事のある噴出口は、防護服を着なくても問題のないレベルだった。

「……これを着ないといけないような場所なんですか?」

「うーん……一応だよ。一応。ってか俺、あんまり説明聞いてなかったんだよね」

 ――やっぱり不安だ。本当に大丈夫なのか?

「ところで、上射羽って名前――実際に呼ぶと長いね。あだ名とかないの?」

「いえ、特にありませんけど……」

「そっかあ。じゃあどうしよっかな。うーん……」

 小林は、しかめっ面で悩み始める。どうやら俺のあだ名を考えているらしい。仕事の説明はろくに聞きもしないくせに、こういうくだらない、どーでもいい事には真剣なようだ。考えている顔が輝いている。小林はしばらく悩み続けたが、突然スッキリした顔つきになった。漫画的な表現を使うならば、頭の上に電球のマークが表示されているだろう。何か思いついたようだ。

「…………カミィでいい?」

「は……はぁ?」

 考えた割りに何もひねってねぇ……

「あはは。いいねいいね! ピッタリだ! じゃあよろしくねカミィ!」

 今ここに世界中で小林しか使わないであろう、俺のあだ名が誕生した。

 不安になっている俺を和ませようとしているのか、あるいはただの冗談か、どちらにしても絡みづらい。本当にこの人はテキトーだ。

 そんな中身のない会話をしながら、防護服を着用する。俺が防護服を着終わる頃には、御剣さんと沙良の準備も終わっていて、後は現場に向かって出発するだけ――準備万端整っていた。なんだか緊張して変な汗が出てきた。

 今度は御剣さんからトランシーバーと測定用機材一式が差し出される。その測定器を見た瞬間、不安が絶望へと変わった。重量感たっぷりの、正に機械の塊。ショルダーハーネスが取り付けられている所を見ると、誰かが背負って持ち運ぶ事を想定して設計されたのだろう。もちろん、これを背負って運ぶのは、今いるメンバーから判断すると俺しかいない。

「連絡はこのトランシーバーで、指示はこっちから伝えるから、現場の状況を詳しく報告してちょうだい。測定器は色々とオプションが付いているから重いわよ。頑張ってね。オプションに関しては説明するけど、測定器とトランシーバーの基本的な使い方はわかるでしょ?」

 御剣さんの説明は、かなりざっくりとしたもので、彼女の性格がなんとなくわかった気がした。しかも俺が操作して使うものはほとんどなく「これには触らないで」としか言われなかった。その、なんのために付いているのかよくわからないオプションの所為で、元々重い測定器がさらに重くなっている。これを背負って山道を登らなければいけないのだから、大変な道のりになりそうだ。

「では気をつけて」

 所長達に見送られながら、俺と沙良は噴出口に向けて山道を歩き始めた。



 ――獣道すらない山中をひたすらに歩く。重い機材を背負い、暑くて臭い防護服を纏い、草を掻き分けながら進む。疲れた。身体的にも精神的にも。恐らくこの精神的な疲れは、出発してからだいぶ経つというのに、沙良と一言も会話をしていないからだと思う。彼女はただ黙々と、俺の後ろについて歩いている。俺はこんな辛い状況にも関わらず、彼女のために道を作って差し上げているのに。トランシーバーから逐一進むべき方向の指示が流れるので、それほど会話に困っているわけではないが――それにしても、世間話の一つや二つあってもいいだろう? これから一緒に働いていく仲間なのだから。しかし彼女は出会った時と一切変わらず、無口、無表情、無関心を貫き通している。一体何を考えているのか、小林以上によくわからない。ミディアムってのは、皆こんなものなのだろうか。

 息苦しさに耐えられなくなった俺は、自分から話を切り出すことにした。

「あの……沙良さんは防護服を着てないけど、大丈夫なんですか?」

「ええ」

「やっぱりミディアムだから、そこらへんは平気なんですか?」

「ええ」

「へえ、すごいっすね」

「……」

 会話終了。撃沈。

 いや! 諦めるな俺!

「でも俺、ミディアムの方に初めて会いましたよ! 結構たくさんいるんですか?」

「さぁ」

「さぁって……他のミディアムの方と交流とかないんですか?」

「ええ」

「……」

 違う言葉を引き出す事には成功したものの、なんとなく触れてはいけない部分に踏み入ってしまったような気がした。何をやってんだ俺は……

 自己嫌悪に陥っていると、トランシーバーから御剣さんの声が鳴った。

「上射羽君、もうすぐ噴出口に着くはずよ。リゾマータの量も増えているから気をつけて」

 腕に取り付けているメーターに目をやる。五つのリゾマータをそれぞれ測定し、表示するメーターの針が、全て大きく右に傾いている。出発地点より、明らかにリゾマータが増えているのが一目瞭然だ。噴出口が近い。

 今までよりも歩みを遅め、慎重に辺りを見回す。木だらけ、草だらけの山中に、一際目を引く場所があった。

 ――あそこだ。あそこに間違いない。

 胸の鼓動が一気に早まる。緊張しながらも、吸い寄せられるようにその場所へ近づいていった。

 するとそこには、木も草も何もない、開けた空間が広がっていた。しかも開けていたのは空間だけではなく――地面も、文字通り開けていた。

 噴出口。

 でかかった。考えていたより、想像していたより、ずっと。噴出口は全てを飲み込むかのように、堂々とその場所に存在していた。視界がぼやけてしまうぐらいの、淡白い光を放ちながら。今まで行ったことのある噴出口は、最大でも人間一人がやっと納まるぐらいの大きさで、これ程の――ざっと見積もっても十メートルはある噴出口での測定は初めてだ。

「上射羽! 到着したの!? 状況を報告して!」

 御剣さんの声が響く。俺はしばらく噴出口を眺めていたようで、沙良はすでに周辺の調査を始めていた。

「あ……すみません。今到着しました。えっと、噴出口の大きさは――」

 大体の規模と状況を報告すると、具象石の捜索をするよう指示が出た。リゾマータの測定は、俺の背中にある測定器から、御剣・小林ペアのいる場所まで、通信で測定結果が送られているので、具象石の捜索が最優先――とのことだ。

 しかし、ここは獣も道を作らない山の中。そこら中に石が転がっているのは当然であり、噴出口の近辺以外は草が伸び放題で、その石すら見つける事が難しい。そんな状況で具象石を見つけなければいけないのだから、どうしたものか。とりあえず名案も浮かばないので、疲れていた所為もあり、地面に座り込んで一つ一つ確認していく事にした。何時間掛かるかもわからない、地味な作業の幕開けだ。

「あったわ」

 沙良の一言で、開けたばかりの幕が閉じていった。

 いくらなんでも早すぎるだろ! まだ到着してから五分も経ってないぞ!

 沙良のもとへと駆け寄り、指し示された場所を覗き込むと、そこには誰かが丹念に磨き上げないとそうはならないであろう、まんまるの石が無造作に転がっていた。そう、具象石の見た目の特徴、共通点は――完全なる球体であることだ。しかし、見た目だけではこれが本当に具象石かどうかはわからない。ただのまん丸の石である可能性もある。

「……これ本当に具象石なんですか?」

「そうよ」

 自信たっぷりに言う沙良。色々と質問したい所だが、「そんなことも知らないの?」と嘲笑されそうな気がしたので、とりあえず信じることにした。

「上射羽より御剣さん。具象石らしき石を発見しました」

「わかったわ。回収してちょうだい。くれぐれも慎重にね」

 石を手に取る。本当に丸いな――と何度も感心してしまう。ただの石にしか見えないが、沙良曰く、この石がリゾマータを具現化してしまう石であり、この石が近年多発する自然災害の原因の一つなのだ。

 具象石もリゾマータ同様、完全に解明されていない物質で、謎が多い。一般的には危険な石として認識されているが、研究者や一部の人間にとっては、貴重な石として重宝されている。リゾマータをその特異な力で具現化することができるミディアムとは違う、一般人や俺のような凡人は、この石を使わない限りリゾマータの具現化は不可能だからだ。まぁ、リゾマータを必要としない人々にとっては、危険な石であることに間違いない。

「まずは本物かどうか調べる必要があるわね。上射羽君、疲れているとは思うけど、それを持ってこちらに戻ってきて」

「戻ってきてって――今からですか?」

「今からよ。沙良ちゃんも一緒に一旦戻って」

「……でも、まだ十分なデータ取れてないですよね? だったら俺がここで確認しますよ」

 この重い測定器を背負って来た道を戻り、また同じように山道を登ってくるのは正直しんどい。幸い、測定器には具象石に反応を起こさせるための放電装置も装備されている。この場で済むならそれに越したことはない。

「待ちなさい! 上射羽君!」

 御剣さんの声が聞こえると同時に、俺は放電装置に具象石をセットし、スイッチを押していた。

 その瞬間、手元から火花が飛び散り、空気を切り裂くような鋭い音を立て、強烈な光が無数の柱となって現れ始めた。

 突然のことに焦った俺は、放電装置ごと具象石を手放してしまった。眩しくてよく見えないが、火花と光の柱は、地面に落ちた放電装置から出ているみたいだ。

「早くスイッチを切って!」

 沙良がものすごい剣幕で怒鳴る。

「ちょっと待っ――」

 放電装置を拾い上げようとした俺を、さらに強い光が遮った。今まで地面にしか向いていなかった光の柱が、まるで意思を持ったかのように、ある一点目がけて群がり始めている。

 光が辺りを包む中、地面に這いつくばる形で放電装置を手繰り寄せ、なんとかスイッチを切る。縦横無尽に飛び交っていた火花と光の柱は治まったが、周りの様子が先ほどと違うことに気がついた。


 辺り一面火の海。

 噴出口の周りの木々や草が燃え、俺と沙良は炎に囲まれ、逃げ場を失っていた。

「どうしたの!? 何があったの!? 応答して、上射羽君!」

 俺にも何があったかわからない。ただ手元から火花が飛び散ったと思ったら、その火花が強くなり、気づけば炎に囲まれていた。

「何で火事になってんだ!?」

 気が動転して、強い口調で沙良に問いかけてしまった。しかし、沙良は呆れた顔をしていた。

「足元を見てみなさいよ」

 言われたとおりに自分の足元を見ると、そこには具象石が転がっていた。リゾマータを具現化するまん丸の石。放電装置を手繰り寄せた時に外れて落ちたのかと思ったが、違った。手元の放電装置にはしっかりと具象石がセットされている。


 迂闊だった。沙良が叫んだのも、先に気づいていたからだ。

 俺は完全に思い込んでいた。具象石が一つしかないと。

 見落としていた。近くに転がっていた、もう一つの具象石を。


 全く情けない。リゾマータが大量に存在する場所で、具象石を使用することは危険が伴う。リゾマータが少ない、安全な場所で反応を見るのが研究者として当たり前だ。御剣さんはその基本に従い、俺に指示を出したのだ。面倒くさい、そのくだらない理由だけで、俺は最低最悪な状況を作り出してしまった。

「具象石が二つあって、連鎖反応を起こしたわ。今は炎に囲まれて逃げ場なしね。すぐに消防を呼んでもらえると嬉しいんだけど」

 沙良が冷静な声で状況を報告する。何でこいつはこんなに冷静でいられるのだろう。俺は、テンパって何も考えられないというのに。

「アチャーやらかしたねカミィ、生きてる?」

 小林のふざけた声が聞こえてきた。

「今所長が消防に連絡してるけど、如何せんこんな山奥だ。かなり時間かかっちゃうと思うんだよね。なんで二人で協力してどうにか凌いでよ」

「今何が起きてるのかわかって言ってるんですか!? どうやって凌げって言うんですか?!」

「いやいや、騒いだってしょうがないだろ? それに元はといえば君が原因なんだから、そんな偉そうに怒られてもおじさん困るな」

「うっ……」

 確かにその通りだ。御剣さんの指示を無視した俺が、被害者面するのは間違っている。わかってはいる。わかっちゃいるけど、どーすりゃいいのよ!?

「とりあえず、俺もそっち向かうから。こんがり焼けないように気をつけてね」

 そう言って小林は通信を終了した。

 炎は先ほどより範囲を広げ、勢いをさらに加速させている。このままだと、この山が丸ごと焼けて坊主になってしまいそうだ。こちらにも炎が迫ってきている。暑くて汗をぬぐう。

 とにかく、自分達の逃げ場を確保しなければならない。でもそうすればいい? 今あるのは、リゾマータを測定する機械と役立たずの研究員とミディアムだけだ。何も浮かばない。何も思いつかない。立ち上る煙。目の前に迫る炎。もう一歩も進めない。

「どの国のリゾマータ研究者も、私を失望させてきたけれど、あなたはその中で最低ね。日本のレベルの低さを痛感したわ。この状況、どうせあなたは何もできないだろうから、動かずにジッとしていて。邪魔だから」

 背中合わせになっている沙良が、冷たく言い放つ。

 ――悔しい。腹の立つ物言いより、否定できない自分が悔しくてたまらない。だが彼女はこの状況を覆すことができるのだろうか? いくらミディアムといっても、この炎の中、自分達の安全を確保するのは容易でないはずだ。そもそも、何をしようというのか?

「今日は空気が乾燥してるわね――」

 独り言を言い出した沙良が気になり振り替えると、沙良は目を閉じて、両腕を前へと伸ばしていた。何をしているのか、何をしようとしているのか、俺には理解できなかった。なんか朝から理解できないことがいっぱいだ。自分の無知がさらけ出されている気分だ。

 沙良はそのまま動かない。少し心配になり、声をかけようと沙良の肩に手を伸ばすが、そこで不思議な感覚に囚われた。よく目を凝らして見ると、沙良の華奢な肩は淡く光って見えた。肩だけではない。頭から足の先まで光って見える。噴出口の光が反射しているのかと思ったが、周りは炎で赤く染まっていて、噴出口の光など見えなくなっている。沙良が――沙良の体が、噴出口と同じ、淡く白い光を発しているのだ。こんな状況で、こんなことを思うのは不謹慎かもしれないが、光を放つ沙良は、とても神秘的で美しかった。

 人間が発行するというとんでもない現象に驚き心拍数が上がったのか、それとも、美しく光る沙良に興奮したのか、元々炎にあてられ汗をかいていた全身から、さらに汗が吹き出てきた。それもひどい量の汗。ぬぐってもぬぐっても、頭から顎にかけて水滴が次々と滴り落ちる。防護服の中はサウナのような蒸し暑い状態になっていた。

 ……少しおかしくないか? いくらなんでもこの蒸し暑さは異常だ。激しく動いているわけでもないし、興奮したからといって、ここまでの汗が出るとは考えにくい。何かが起きている。

 もう一度沙良に目をやるが、相変わらず美しい光を身に纏いながら、目を閉じて集中している。しかし、その時気になったのは沙良ではなく、その先に見えた炎だった。明らかに勢力を失い、弱々しい炎になりつつある。あんなに轟々と、メラメラと燃え盛っていた炎が、ゆっくりと静まってきている。

 まさか、沙良がミディアムとしての力を使っているのか? でも何をしているのかわからない。わからないが、これならなんとかこの場を脱出する事が出来そうだ。

「よし! 一番炎が弱まっている所から抜け出そう! ほら、急いで!」

「まだよ。山を火の海にしたまま自分達だけ逃げるなんて。無責任もいいとこだわ」

「無責任って――じゃあどうすんだよ?! これ以上どうしようもないだろ!」

「こうするのよ」

 そう言うと、沙良の体を纏っていた光がさらに強さを増す。

 突然風が吹き上げる。ものすごい上昇気流だ。俺はバランスを崩し、よろけてしまった。

「さっきから何やってんだよ!」

「……あなた本当に頭が悪いのね。私に出来ることは一つしかないでしょ?」

 まだ風はすごい勢いで吹き上げているが、沙良は両手を下げこちらに向き直っていた。体を包んでいた光も消えている。今まで光っていた所為か、沙良の姿が暗く見えた。いや、暗くなったのは沙良だけではない。周りも、空もなんだか薄暗い。不思議に思い空を見上げると、そこには大きな雲が青空を遮っていた。

 ――積乱雲。積雲が強い上昇気流によって成長し、山のように立ち上がり、時には成層圏にまで達することがある巨大な雲。その性質は、輪郭がはっきりしていて、非常に暗く、雲の内外で雷を発生させ、雲の下では激しい雨をもたらす。

 降ってきた。激しい雨が地面に打ちつけ、炎を消し去ってゆく。俺達の周りで燃え盛っていた炎は完全に消えた。俺は、防護服越しに見える雨を眺めながら呆然としていた。

「これって……」

「水と風のリゾマータを具象化して起こした雨雲。ある程度条件が揃っていないと出来ないことだけど、運が良かったわね」

 空を見上げながら話す沙良は、何故か悲しげな表情だった。それは初歩的なミスで大惨事を起こし、その上何の役にも立たなかった、俺に対する失望の表れだったのかもしれない。でも何故か俺は、もっと別の何かに対して悲しんでいるように見えた。


 その後、雨でずぶ濡れになっていた沙良に、俺が着ていた防護服を無理矢理着せた。臭いやら動きにくいやらで、さんざん拒否されたが、迷惑をかけておきながら、雨に打たれっぱなしの女の子をそのままにしておくのは、俺自身が嫌だった。最終的には土下座をして頼み込むという、間抜けな方法をとったが、沙良も渋々、防護服を着ることを受け入れてくれた。そして俺達は、小林が来るまで具象石の捜索を続けることにした。ずぶ濡れだし、これ以上迷惑をかけたくないと思った俺は、下山を提案したが、「小林がこちらに向かっているのだから、下手に動くべきではない」と、却下された。

 すれ違いになればさらに面倒なことになるし、この辺りの炎は沈静化しているので危険はない。具象石も電気を流さなければいいだけの話。それならここに残り、出来ることをするべきだ――と、付け加えられた。

 本当に、沙良はどこまでも冷静で、仕事に真面目だった。

 そして、俺はどこまでも馬鹿で、気の利かない役立たずだった。

 結局、具象石は二つしかなかった。沙良から聞いた連鎖反応の状況から考えると、俺が放電装置にセットしたのは雷の具象石で、近くに落ちていたもう一つは火の具象石だったようだ。なんとも不運な組み合わせだが、沙良から「よくあることよ」とあっさり言われてしまった。

 二つとも回収し終え、具象石も残っていないことが確認できた所で、声を掛けられた。気づけば雨はやんでいた。

「いやー良かった良かった。二人とも無事だね」

 へらへらしながら、ずぶ濡れの小林が姿を見せた。なんというタイミングで現れるんだこいつは。まるで俺達の作業が終わるのを待っていたかのようだ。

 ――にしても小林との通信が終わってから、結構な時間が経っている。いくらなんでも遅すぎじゃないか。ここは、重い測定器を背負っている俺でさえ、三十分程度で着くような場所なのに。

「運良く雨が降ってきたから大丈夫だと思ってね。歳の所為もあって、途中で小休憩とか入れてたのよ。やっぱ日頃から運動しとかないと、いざって時に困るね。はあ、疲れた」

 どこから突っ込んでいいのかわからないが、とりあえず「あなたは最低な人間です」ということを、口にして伝えた方が良かったのかもしれない。疲れていた俺は、もうどうでもよくて小林の話を聞き流していた。

「ところで二人とも、トランシーバーちゃんと着けてる? 理花ちゃん怒ってるよ」

「あっ……」

 イヤホンは耳から抜け落ちて、肩から垂れ下がっていた。そう言えば、小林の通信を最後にトランシーバーが鳴った記憶がない。汗をぬぐった時に外れて、そのまま気づかなかったようだ。

「これ着けてると集中できないのよ」

 沙良は自主的に外したようだ。――リゾマータを操るとき邪魔だ、というのが理由らしい。

 恐る恐るイヤホンを耳に着ける。

「理花ちゃーん。カミィがイヤホン着けたよ」

 小林の通信が切れるよりも先に、女性の声とは思えない怒号がトランシーバーから響いく。

「上射羽あぁぁぁぁ!!」

「…………はい」

「さっさと戻って来い!」

 通信はそれだけだった。ただ、それだけでこの先、俺に待ち受けている運命がどんなものなのかはっきりとわかった。短い人生だった。

「じゃあ、カミィの公開処刑もあることだし、帰りますか」

 そう言う小林が歩き始めるより先に、今回の功労者、ミディアムであるところの沙良・アムンセンは、そそくさと下山を始めていた。小林に対しても、俺に対しても、何も言わず。自分の役目は終わったと言わんばかりに歩き始めていた。

 防護服は着たままだった。

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