五話『月英学園七不思議【下】』
日が沈み、いくつかの街灯が光り始めた頃。アマネたちは昼と同じように鉄柵をすり抜け、正面玄関まで来ていた。
「雰囲気あるねぇ」
「夜ってだけで何でも怖くなるもんな」
「もしかして怖かったりします?」
「ぜんぜん」
アマネとトウマの揃った声にそうだろうなと心の中で呟き、リンネは今夜することを口にした。
「今回することは七不思議の原因となっているものを浄化する、あるいは神片があるのなら回収することです。一応、僕の方で人避けと隠ぺいの結界は張っていますが、クオほど強いものではないので気をつけてください」
「りょーかーい。んじゃ、まずは正面玄関の鏡だな」
昼の時は室内靴に履き替えたが、夜では怪異が活発になるため動きやすさを考慮して土足で上がる。後できれいにすればいいだろうという考えのもとだ。
アマネが魔術で明かりをともし、視界の確保をする。
「えーと、夜に見ると幽霊が映るんだっけか。どれどれ……」
トウマが正面に立ち、アマネたちは鏡に映らない位置でその動向を見守る。
じいっと鏡を見つめるトウマの目に何かが揺らめいたのが見えた。それをよく見ようと顔を近づけた時、目の部分が黒く塗りつぶされたような男が大きく口を開けて、自分を飲み込もうとするような姿が見えた。
その瞬間、トウマは拳を握りしめ振りかぶって鏡を殴りつけた。
鏡が割れたような音と殴打音が同時に響き、その数秒後に手をどけた。
「うわーー!!な、何やってるんですか?!鏡を割る、なんて……あれ?割れて、いませんね……」
「鏡ん中にいたやつとその空間だけ割ったんだよ。限定的とはいえ空間作って住んでるっぽいからぶっ飛ばしといた。まーそんなに大きくなんないだろうけど、一応な」
「そう、ですか……。はあ、賠償金が頭をよぎりましたよ……」
「私たちだって成長して器用になってるんだからねー。昔みたいに何でも壊したりしないよー」
安堵の息をこぼし、リンネは冷や汗を拭う。気持ちを落ち着けるために深呼吸をし、トウマとアマネに向き直った。
「……この調子でどんどん潰していきましょうか」
「じゃあ、とりあえず三階の音楽室に行こっか。階段とトイレもあるし」
アマネの提案に頷き、音楽室へと向かう。三階へたどり着いた時、小さくなにかの音が聞こえた。
「これは、ピアノの音かな……?」
「やっぱ夜の方が出やすいなー」
アマネたちが音楽室へたどり着けば、はっきりとピアノの音が聞こえる。よくある物悲しい音色ではなく、優しく温かい感じるような音色だが。
それはドアを開けても止まることなく、演奏は続いていた。
「目が光るってやつは見間違いっぽいな。アマネの光が反射して光ってるように見えるから、それだろ」
「演奏は続いていますから、本物ですか」
ピアノの蓋は閉まっているが、それでも演奏は聞こえている。
「うーん、これは残留思念かな。音の感じからして悪いものじゃないと思う」
「残留思念というと、幽霊ではなくてこのピアノに留まった思いということですか?」
「うん。そんなに強いものじゃないんだけど、学園で七不思議が広がったからそれにまつわる感情に触発されて出てきたんだと思う。軽く浄化しちゃおう」
アマネがぱっと手を振って光の粒子が散ると、ふつりとピアノの音が止む。
「これでいいかな。じゃあ次はトイレに行こう」
「だな。いくぞーリンネ」
「はいはい」
音楽室からすぐそばのトイレに向かい、四番目の個室を確認に向かう。昼の時は同時に確認したが、片方ずつ確認することにしまずは女子トイレに入るアマネ。
昼に見たときと同じで異常はないので、今度はトウマは男子トイレに入る。
「トウマー、どうー?」
「おー、ちょっと待ってろ」
ガンッと何かをを蹴る音とグシャッと何かの潰れる音がした。
なんとも不穏な音が響いた男子トイレから、何食わぬ顔でトウマが出てくる。
「すごい音しましたけど、大丈夫ですよね?」
「多分?四番目にいたっぽかったからドア蹴破って怪異潰しといた」
「ドア蹴破って?!」
ひっくり返った声を上げてリンネは確認をしにいく。そこで彼が見たものは、ドアの機能を果たしていない一枚の壁だった。壊れているのはドアのみで個室のトイレに傷はなく、リンネはグッと言葉を飲み込んだ。
「ドア、なので……まだ良しとしましょう……!」
「悪い。あそこで潰しとかないと移動して面倒そうだったからさぁ。修理費、俺んとこから引いていいから」
「はあ……。まあ、大方は詠さんがなんとかしてくれるでしょうし、まずは解決を目指しましょうか」
大きく息を吐きだして気を取り直したリンネに続き、屋上へ続く階段へと向かう。アマネの光で照らされてなお、そこはほんのりと暗く感じた。
「四番目を飛ばすと違う世界に行くってやつだっけ。どっちが行く?」
「アマネでもなんとか出来るだろうけど、俺の方がいいんじゃね。境界を灼いたり空間燃やしたりした方が、あとあと面倒じゃなさそうだし」
「たしかに。じゃあトウマよろしく」
「違う世界の認識が幻覚の可能性もあるので、すぐに燃やそうとしないでくださいね」
「おー」
トウマは軽く返事をして、一つずつ段を上がる。一、二、三、と足を進め、四段目を飛ばして五段目に足を置く。しんとした静寂の中、彼はこちらを振り返った。
「……なんもねぇんだけど。これもただの噂っぽいな」
「だね。まあ、違う世界に連れて行くなんてかなりの労力がいるし」
「幻覚を見るわけでもなさそうですね。では……とりあえず開かずの間の方へ行きましょうか」
もう一つの七不思議である徘徊する下半身は特定の場所に現れるものではなく、捜索にも時間がかかりそうだと考えたリンネの提案に二人は頷く。
三人が一階に下りた時、かすかに音が聞こえた。
ぺた、ぽた、ぺた、ぽた。
「何の音でしょう……足音のようなものと、水音……?」
「ってことは、徘徊する下半身かな?」
「ぽたぽたいってるけど何の音だ?」
音の主は段々とこちらへ近づいて来ており、こちらが視認できる距離でぴたりと止まる。
廊下の真ん中に制服のズボンをはいた下半身らしきものが見える。らしき、というのはそれがどろりとロウのように溶けているからだ。
「なんか……溶けてね……?」
「聞いた話では下半身と言われていただけで、溶けているとは言っていませんでしたね……」
「進化中、だったり?」
トウマ、リンネ、アマネと言葉を続け、止まっている溶けた下半身っぽいものを見つめる。
視線に気づいたのか否か、それは前後に揺れ、倒れ込む瞬間――腰のあたりからにょっきりと腕を生やし、腕が前足、元の下半身が後ろ足の四つ足になった。
「……もしかして、これはあまり良くないのでは……?」
リンネの言葉を皮切りにしたのか、その腕足怪異はバタバタバタと距離を詰めてきた。
「うわ距離詰めてきた!ひとまず走れ走れ!」
「えー、リンネ無害っていったのにー」
「僕だってこんな話聞いていませんが?!」
一階の廊下を駆け抜け、アマネとトウマはリンネを引き連れて広い場所へと向かう。見通しが良く戦いやすい中庭へ。
「ひとまず捕まえてからどうするか考えよっか。一応、まだ加害の意思があるかどうか分かんないし」
「そうだな。捕縛はお前のほうが得意だから頼むわ、俺だったら燃やすだろうし」
「僕は戦闘向きではないので、ここはお任せします」
中庭の中央まで走ってきた三人は、まずアマネが前になり、トウマとリンネが後ろという並びになる。
前にいるアマネはなにもない空間から身の丈のほどの杖を出現させ、それを掲げた。
「天より落ちし力よ、光を鎖となし彼のものを捕らえよ!」
アマネの詠唱が終わると同時に、追いかけて来ていた腕足怪異が中庭に入りこちらへと近づいてくる。しかし、何も無い空中から光る鎖が現れ怪異を捕らえた。腕と足をばたつかせ、逃れようと暴れているがその鎖が弱まることはない。
「……あっさり捕まったってことは神片持ちじゃないな」
「ただの怪異、ということですか?……進化したらしいのに?」
いまだ杖を持ったまま怪異に近づくアマネの近くに行く二人。遠目で見てもだいぶアレな姿は、近くで見れば一層不気味に感じる。
「これ……ただの怪異だ。たぶん、核となるものはあったんだろうけど、この学園に漂う感情を長い間吸った集合体の怪異だと思う。」
「この核が神片ならこんな拘束ぶち破ってくるけどな。まー、推測だけど学園に漂う幽霊が核だったんじゃね」
「ええと、ただの幽霊案件だった……ということですか?」
「まあ、神秘怪異課の仕事だな」
「ちゃちゃっと浄化して、開かずの間見て帰ろっか!」
リンネの安心したような、申し訳ないような顔を見てアマネはそう明るく言い、ぱぱっと詠唱をすると腕足怪異は光の粒子になって消えていく。
それを見送ってから開かずの間に行き、昼と変わりない状態――むしろ昼よりも清々しいのを確認し、異常がないとして、彼らは月英学園を後にした。
**
翌日。詠に呼び出されたアマネ、トウマ、リンネの三人は月英学園でのことを聞かれていた。
「お前たちが終わった後に私も見て片付けもしておいたけど、不穏な気配はなかったようだね。今回は神片の関係ないものだったけど、ご苦労さま」
「すみません、僕の勘違いで……」
「いや、神片は何処にだって落ちているし出現するものだ。それに、今回は学園に貸しを一つ作った……それだけでも十分じゃないか」
にやりとした笑みを浮かべる詠にリンネは拍子抜けしたような顔をしたあと、力が抜けたような表情に変わる。
それを横目で見つつ、それで?とトウマが問いかけた。
「結局、何が原因で七不思議なんかの話が広まったわけ?」
「おや?トウマは分からなかったかい?お前たちは原因を見ているじゃないか」
「えー……?もしかして、腕足怪異?」
「ご名答。アマネが浄化したそれが原因だろう」
詠は一呼吸置いてから、七不思議が広まったであろう原因を話し始める。
「学園、学校というものは良くも悪くも感情が渦巻く場所だ。特に月英学園は地位が高いものや金のあるものが多く通っていて、蹴落とすための種を探っているようなものたちもいるわけだ。――まあ、こういう人間は何処にでもいるから、月英に限ったことではないけれど。
話がそれたね。そういった感情が蓄積され、学園を漂っていた数多の無念と融合して集合体の怪異になったんだろう。
そこら辺を漂っている思念なんて魔力を持っていても見えないものだ。だけど集合体になって力を増し、徒人にも見えるようになった」
魔力を持っていない人間に集合体となった怪異が目撃され、それを周りに話したのが始まりだった。
その話は二人、四人、六人へと伝わっていくうちに変わっていき、足を見た、トイレの個室になにかいた、鏡に変なものが映った、ピアノの音が聞こえた、というものが足されていってしまった。
「そうして、月英学園には七不思議が生まれたのだろう。人間、未知のものは怖いけれど型にはまるものだとその怖さが和らぐからね」
「なるほど……。七不思議が急速に広まったのも、そういった背景があるということでしょうか?」
「月英だったから、というのもあるだろう。彼らにとって噂でも情報であることには変わりないからね、自分だけが知らない話があるなんて彼らにとっては苦痛だったんだろう」
「人間ってこわいねぇ」
「なー」
「長く生きているとそういう部分も可愛く思えてくるものだよ。
さて、では今回の一件はこれで解決だ。リンネは経過観察も含めて約束通り一ヶ月よろしく頼むよ」
こうして月英学園での七不思議は大きな騒動になることもなくひっそりと解決されたのだった。
後日、一ヶ月の代理保健教員を終えたリンネからも再出現の兆し無しと報告を受け、詠はアマネたちが提出した報告書に【済】の印を押した。