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世界で一番優しい檻

 精霊が泣きやんだことで、ブレアウッドの雨も嘘のようにぴたりと止んだ。

 街の人々はやっと胸を撫で下ろし、徐々に以前の日常を取り戻しつつある。


  

 私はというと――ブレアウッドに戻ったあの日から、アレンフォード家に住むこととなった。ルディエル様からの強い申し出があったためだ。

 

 しかし、いざこの屋敷で暮らし始めると、どこにいても精霊達の視線を肌で感じる。まるで檻の中で監視されているような。

 おそらく見張られているのだろうなあ……と思う。勝手に街を出て、彼らを絶望させた代償は大きかった。一度失った信用を回復するにはまだまだ時間がかかりそうだ。

 

 一度ソルシェ家へ戻り、色々と片付けを済ませたいとも思ったのだけれど、ルディエル様にはそれも強く止められてしまった。「もうあの家に行く必要は無い」と。


「でも、屋根裏部屋にはまだ私の私物が置いてあるのです。そのままでは勿体なくて」

「では、俺が取りに行くことにしよう。ネネリアをあいつらに会わせたくはない」

「あの……ミルフィ達はどうしてるのでしょうか」

 

 私がここに戻っていることは、きっと義母達も分かっているだろう。なのに、あちらからは何の動きもないのが不気味だった。


 義母もミルフィも生活能力は皆無。食事の用意もできない人達だ。彼女達には嫌な思い出しかないけれど、野垂れ死んで欲しいわけではない。

 あの人達とは縁を切るつもりで家を出た。ただ、私という雑用係がいなくなった今、彼女達がどうやって暮らしているのか――気にしないつもりだったのに、ふと考えてしまった。 

  

「私、義母からはてっきり、ソルシェ家へ戻ってくるように言われるかと思ったのですが」


 私はまだ、「ネネリア!」と怒声が飛んでこない日々に慣れないでいる。こんなにも平和でいいのだろうかとさえ思う。それはすべて、アレンフォード家に住まわせていただいているからなのだけれど――

 

「あいつらのことは……精霊に目を光らせて貰ってるよ」

「え!? 精霊が?」

「ああ、本人達に精霊は見えないが、そのように伝えてある。そうしたら渋々ながらも家事や仕事をやり始めたようだ」


 あの二人が家事をしているなんて驚きだ。ゴミひとつ捨てられなかったあの人達が。想像できない。


「だから、何も心配は要らない。ネネリアは余計なことを考えなくていいんだ」

「は、はい……?」


 たしかに、ミルフィなんかは精霊をとても怖がっていたから、監視の効果は絶大だろう。


「ありがとうございます、ルディエル様」

「ああ。それと、今朝届いたこの手紙も一応渡しておくが……」

「あっ! グレンさんからですね!」

  

 私の心残りはもうひとつ、セルヴェイルにも残っている。

 働いていた食堂のことだ。女将さんには一ヶ月の間、何から何までお世話になっていた。

 なのに、挨拶もしないまま出てきてしまったのだ。

 

 グレンさんは別れ際に『俺から言っとく』と言ってくれていたけれど、無断で出てきたも同然だった。そのことで気を揉んでいたのだけれど。


 そんな私に、今朝、風の精霊から手紙が届いた。

 私は、すぐにグレンさんからの手紙だと分かった。 


「……よかった、女将さんにもちゃんと事情を伝えて下さったみたいです。迷惑をおかけしたので気掛かりだったんですけど、また遊びにおいでって言って下さっていてホッとしました。それと、部屋に残したままの荷物も送って下さるって」

「ねえ、ネネリア」

「はい?」

「グレンって誰」


 ルディエル様は、グレンさんの手紙をスっと取り上げると、私の目をジトリと見つめた。


「あ……ご紹介がまだでしたね。グレンさんはセルヴェイルの精霊守様なのです。時々くる風の精霊、あの子はグレンさんのところに住んでいて」

「ネネリアはあっちでも精霊守と仲良くなったの?」 

「えっ」

「グレンとかいう男と、どういう関係?」

 

 ルディエル様が疑惑の目で私を見ている。

 彼が嫉妬深いことはもう知っているけれど、どうやらグレンさんとのことも誤解されているような気がする。私は慌てて弁解した。


「ただお店のお客様として話してただけですよ!」

「それにしては、ずいぶんと親しいようだけど?」

「いえ、グレンさんにはちゃんと婚約者がいらっしゃいますよ。精霊が選んだ女性で、それはもう溺愛していて」

「婚約者がいる男と、手紙を送り合うほど仲良くなったんだね、ネネリアは」

「――ですから! 私が好きなのは、ルディエル様ですってば!」

 

 何を言っても疑われる。嫉妬深過ぎるルディエル様に、私は少しだけ腹が立った。思わず大きな声が出てしまって、そんな私に彼は目を丸くしている。


「す、すみません、怒るつもりは――」

「――初めて、ネネリアから『好き』って言われた」


 意に反して、ルディエル様は口を覆い、顔を真っ赤にして固まってしまった。


「ねえ、ネネリア。俺のこと好きなの?」

「えっ?」

「もう一度聞きたい、言って」


 ルディエル様は急に距離を詰め、私の顔を覗き込んだ。間近にせまる彼の顔は、頬を染めながらも嬉しそうに笑みを浮かべている。


「あ、あの」


 そういえば私は、ルディエル様に好きだと伝えたことがなかった。

 もしかしたら、彼の嫉妬や不安はそんな私の態度が原因なのかもしれない。ならば、ルディエル様が望むとおりに言葉にしたいと思うけれど――


(改めて言葉にするのは恥ずかしいものなのね……)

 

 だって、期待のこもったルディエル様のお顔がすぐそばにあるのだ。その美しい瞳で、早く早くと無言でせがまれて、私はますます言えなくなった。


「精霊達がいると恥ずかしい? なら、姿を消してもらうから」

「そ、そういうわけでは」

「お前達、見られているとネネリアが緊張する。二人きりにしてくれないか」


 ルディエル様がそういうと、室内を漂っていた精霊達は本当にすぐ姿を消してしまった。私の告白に協力的過ぎる。


(そんな風に気を遣われたら、なおさらドキドキしてきたわ)

  

 それでも赤い顔で口ごもる私を見て、ルディエル様はフッと笑う。そして私の頬を両手で包み、諭すように呟いた。


「……俺は、これからは何でも言葉にして伝えていこうと決めたんだ。ネネリアがまた迷わないように」

「あ……」

「ネネリアとずっと一緒にいたいから。だから、ネネリアも何でも言ってほしい。嬉しいことも悲しいことも、俺に腹が立ったことでも。俺はネネリアの気持ち、すべてを知りたい」


 彼から伝わってくるのは、なんでも受け止めたいという不器用なまでの覚悟。

 まっすぐなルディエル様の気持ちが私の中に流れ込んできて、不思議なくらい恥ずかしさは無くなった。


「……ありがとうございます、ルディエル様。私もずっと一緒にいたい。この森と精霊達と、ルディエル様とともに」

「ネネリア……」

「私、ルディエル様が好きです」

 

 私の生まれて初めての告白を、ルディエル様はこの上なく嬉しそうな微笑みで受け取ってくれた。その甘い笑顔にホッとする。


 しかしホッとしたのも束の間――間近に迫るルディエル様の顔に、私の胸は再びうるさく騒ぎ始めた。

 キスされる。覚悟をしてぎゅっと目を閉じると、意外にも彼の唇は赤い頬に落とされた。


(ほ、頬?)


 安心したような、少し残念に思うような……そんな心地がしてゆっくりと目を開けると、蕩けるような瞳と目が合った。

 余裕のないルディエル様の、切なげな眼差し。これまで隠されていた、ありのままの表情。

 とても愛しい。


「嫌?」

「……嫌なわけありません」 

  

 やがてどちらともなく近付いた唇は、お互いの想いを何度も何度も伝えあって――

 私達は、幼なじみの関係に終わりを告げた。


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