彼らだけが知っている
森の澄んだ空気に別れを告げ、街に戻った瞬間――
「ネネリア遅いわ! どこに寄り道していたの!」
ソルシェ家の屋敷からは怒鳴り声が飛んできた。
あたりはもう夕暮れ。
慌ててソルシェ家の屋敷へ帰ったのだけれど、私の帰りが遅いことに腹を立てた義母はわざわざ玄関で待ち構えていたらしい。彼女の目はつり上がり、早く私に怒鳴りたくてたまらないという顔をしている。
遅いといっても、まだ日暮れ前。義妹であるミルフィはまだまだ遊び歩いている時間なのだけれど――
「申し訳ありません。最近、精霊守様が一人きりになられたので、心配になり森まで様子を見に行っておりました」
「そんなことどうでもいいわ! それより、私達の夕食はどうなるの? こんなに遅く帰ってきて本当に気の利かない子ね」
「今すぐご用意します。少しだけお待ちくださいね、時間までには間に合わせますから。それでは」
私は聞き慣れた小言をさっさと切り上げ、機嫌の悪い義母へ背を向けた。私が何を言おうと、義母の機嫌が収まることは無い。この家では“先妻の子”というだけで気に入られないのだから。
やはり義母はまだまだ言い足りないようで、「どうせ遊び呆けていたんでしょう!」などと、嫌味をどんどん投げつけてくる。
とてもじゃないけれど付き合いきれなくて、私は義母から逃げるようにキッチンへと急いだ。
(あの機嫌の悪さ……もしかして、またミルフィの縁談が断られてしまったのかしら)
義母の機嫌が悪い原因は、なんとなく分かる。
最近は、ミルフィの縁談が上手くいっていない時がほとんどなのだ。
十六歳となり適齢期を迎えた義妹のミルフィだが、なかなか縁談がまとまらないらしい。義母が精力的に動いているにもかかわらず、縁談はことごとく流れてしまうのだ。
相手に権力者の跡継ぎや資産家の息子を望んでいる時点で、そもそも分不相応だと思うのだけれど。
(きっと妥協はできないのよね……一生に一度のことだから、当然といえば当然かもしれないけれど……)
しかし我がソルシェ家は、取り立てて何の売りもない家なのである。むしろ、蓋を開けてみれば貧しいくらいで。
街の役人であった父が生きていた頃は、それなりに裕福であったのかもしれない。けれど父が亡くなり、私達へ残してくれていた財産も、義母とミルフィが湯水のように使ってしまった。
義母が開いた贅沢なお茶会、ミルフィが着飾って出かける街のパーティー……見栄ばかりを優先した日々の積み重ねが、じわじわと家計を追い詰めていった。
そのため、今や我が家は使用人も雇えないくらい困窮する始末。私が家事をすることで、やっとこの家は回っている有様だ。
(私も『金持ちの家へ嫁ぎなさい』って、二周りも違う男性と結婚させられそうになったことがあったけれど……)
その時は、『私が嫁いでしまったら、この家の家事は誰がするのですか?』と彼女達を黙らせ、事なきを得たのだった。そのくらい、義母もミルフィも自らが家事をするつもりは無いらしい。
「まあ……私はそのおかげで結婚しなくて済んだから良かったけど。ね、シュシュ」
私は彼女達のための肉を焼きながら、隣へ向かって微笑んだ。そこには、いつものように精霊がふわふわと漂っている。
白くて、手のひらサイズの小さな精霊だ。私は小鳥のように可愛らしい彼女のことを、親しみを込めてシュシュと呼んでいる。
シュシュとは言葉を交わせないけれど、私から一方的に話すことはできる。私がシュシュに語りかけると、彼女もにこにこと笑ったり、頷いたりと、反応を返してくれるのだ。
なぜか、この家でシュシュの存在に気付いているのは私だけのようなのだけれど。
可愛らしいシュシュの存在と肉の焼ける香りに、私の気持ちも落ち着きを取り戻した。私は夕食の盛り付けにかかりながら、シュシュと話を続ける。
「結婚と言えば……ルディエル様も、近々ご結婚をお考えのようだったわ。シュシュはなにか知っている?」
つい、今日の出来事を思い出したのだ。精霊守を継いだ途端に屋敷の模様替えを始めたルディエル様と、結婚を急かす妖精達。まるで結婚相手に目星がついているかのように。
私はシュシュにたずねてみた。小さいとはいえ彼女も精霊だし、もしかしたらアレンフォード家の屋敷についても知っているかもしれない。
案の定、私の問いかけにシュシュは大きく頷いている。ルディエル様の結婚について、精霊たちの間では広く知れ渡っていることなのだろうか。
「シュシュも知っているのね? ルディエル様のお相手も?」
シュシュはキラキラと透ける羽を震わせながら、コクコクと頷いている。
「ど……どんな方? この街のお方なの?」
私の質問攻めに、シュシュはくるくると回転しながらもずっと頷き続けている。
精霊は嘘をつかない。ということは……
「えっ……この街に、ルディエル様のお相手がいらっしゃるの!?」
予想外のことに、私は驚いた。
森に住むルディエル様は、ほとんど街へ降りてくることがない。そのため幼い頃から知り合いも少なく、当然恋人の影もなく、心配してお節介を焼いていたくらいだった。
そう思っていたのに……いつの間に、そんな特別なお相手を見つけたのだろう。私の知らないところで、ルディエル様は密やかに関係を育んでいらっしゃったということなのだろうか。
「……ねえ。どんな方なの? ルディエル様が選んだお相手って」
私は動揺をごまかすように、平静を装いながらシュシュへ話しかけた。
けれどシュシュは揺れる羽をきらきらと輝かせて、私の肩に止まるだけ。もう何も答えてくれることは無い。
「シュシュ――」
「ねえ、お腹空いたんだけど! 食事はまだなの!?」
シュシュから肝心のところを聞き出そうとしていたとき、食卓から義妹ミルフィの声に遮られた。彼女も、やっと街から帰ってきたようだ。明らかに機嫌が悪そうな声を聞けば、今日も縁談かなにかが上手くいかなかったのだろうと察しがつく。
こうきったとき、ミルフィと義母から八つ当たりされるのはいつも私だ。勘弁してもらいたい。
話が逸れたせいで、気まぐれなシュシュはもうどこかへ飛んで行ってしまった。せっかく、ルディエル様のお相手について聞き出せると思ったのに。
(……でも、精霊からこっそり聞き出すなんて卑怯かもしれないわね)
幼なじみとはいえ、ルディエル様のことならなんでも知りたいだなんて――そんなのは傲慢なのかもしれない。
ルディエル様にも精霊達にも、私には知られたくないことだってあるだろう。私が、ソルシェ家でどのような扱いを受けているのか知られたくないように。
彼らには彼らの、私には私の、交わらぬ日常がある。そのことを考えると、なぜか少しだけ胸の奥がチクリと痛んだ。