それぞれの覚悟
足取りも重く、ソルシェ家の屋敷へと戻る。
屋根裏部屋ではいつの間にかシュシュがそばにいて、沈んだ顔の私を気遣ってくれた。彼女は励ますように周りをくるくると飛んでくれているけれど……私はこれからのことで頭がいっぱいになってしまっている。
「シュシュ、私……どうしたらいいのかしら……」
屋敷中の掃除をして、干していた洗濯物を取り込んで、そろそろ義母達の食事も作り始めないといけないのに、身体が言うことを聞いてくれない。
この屋敷を離れるということは、ブレアウッドの森からも離れるということ。ルディエル様との別れも意味していた。それを思うと、胸の奥が絞られるように苦しくなった。
(ルディエル様が誰かと結婚されるのなら、今のうちに身を引かなくちゃ……今なら迷惑をかけずにすむから)
それなのに、ルディエル様と会えなくなるというだけで、私の心は暗く沈んでゆく。
これからは義母達から離れて、自分のために生きていける。父の残してくれたお金も少しならあるし、今すぐにでもこんな家離れられる。
どちらかと言えば明るい未来が待っているはずなのに、ルディエル様のいない未来を想像するだけで、これからの人生が無意味なものに思えてしかたがない。
アレンフォード家は、いつの間にか私の居場所になっていた。
ソルシェ家で義母に冷たくあたられても、ミルフィに何もかも奪われても、屋敷の仕事で身体がボロボロに疲れていても、ルディエル様や精霊達との時間を過ごすだけで、私の心は救われた。
当たり前のように迎え入れていただけて、どれだけ助けられていただろう。
ルディエル様のことだから、これから先だれかと結婚したとしても、幼なじみである私のことはずっと大切にし続けてくださるに違いない。精霊達だって、変わらず歓迎してくれるだろう。
けれどそれでは駄目なのだ。離れたくはないけれど、結婚生活の邪魔をしたいわけじゃない。ルディエル様の足枷になりたくない。
なにより……その姿を近くで見て、私は耐えられそうにない。
(引っ越すとしたら、どこがいいかしら……ねえ、シュシュ)
この地を離れることになったら、シュシュともお別れしなければならない。彼女はブレアウッドの森で生まれた精霊だ。他の街へ連れていくわけにはいかない。
「シュシュ……たとえ離れ離れになっても、私はずっとあなたのことが大好きよ」
シュシュが大好きだった。ブレアウッドの森も、優しく可愛らしい精霊達も、居心地の良いアレンフォード家も。
私はルディエル様を取り囲むすべてが大好きだった。
◇◇◇
一方、翌日のアレンフォード家。
窓から見える青い空を、風の精霊が飛んでいく。上空を吹く風に乗るその姿は、まるでツバメのように軽やかだ。
森に住む木の精霊達とは違い、風の精霊は街から街を行き来している。そのため行く先々の情報に長けていて、時々うちにも寄ってきては、よその精霊守達のことを教えてくれた。なかなかお喋りな精霊なのだ。
(ネネリアにも見せてやりたいな。風の精霊はまだ見たことがないだろうから)
先程までうちに寄っていた風の精霊によると、伴侶選びに難航していたとある精霊守が、とうとう婚約したらしい。相手は精霊に選ばれた明るい女性。喜びに湧いた精霊達は、お祭りムードであちこちを飛び回っているという……
そして最後に、風の精霊からも急かされてしまった。『おまえもはやくしろ』と。
(俺だって、早く結婚したいのは山々なんだが……)
屋敷の修繕ももうすぐ終わる。あとはネネリアの部屋となる二階の角部屋と、主寝室が残るのみだ。
彼女の部屋は本人の好みを聞いてからにするとして……主寝室はなかなか手をつけることが出来ないでいる。二人で寝る部屋だ。考えるだけで沸騰しそうになるのだ、頭が。
あの部屋でネネリアと同じ部屋で夜を過ごし、同じ部屋で朝を迎える。彼女のやすらかな寝顔を眺める日々を思うと、俺の理性は持ちそうになかった。
(抑えろ……ネネリアを怖がらせては駄目だろう)
俺はなにより、彼女に嫌われたくなかった。欲を出せば、ネネリアが離れていってしまう気がして。彼女がどう思うかを恐れ、なかなか想いを伝えられずにいたが……今なら受け入れてもらえるのではないかという微かな期待が芽生えつつある。
まだ屋敷は未完成だが、ネネリアもここを気に入ってくれている。指輪は渡しているのだから、プロポーズだけでも早くしなければ。『いつまでもここに居たいくらい』と言ってくれた、ネネリアの気が変わらないうちに。
彼女の気持ちを縛るつもりは無い。ただここで一緒にいてくれるだけでいい。少しずつ、俺のことを好きになっていってくれれば……
(よし……今日、今からでもネネリアに会いに行こう)
今度こそちゃんと伝えるのだ。
俺の気持ちと、指輪の意味を。
彼女との暮らしに思いを馳せていると、屋敷にシュシュがやって来た。シュシュはネネリアの屋敷に出入りしているブレアウッドの精霊だ。精霊守である俺よりもネネリアの味方をするほど、彼女はネネリアのことを溺愛している。
「……なんだ?」
そんなシュシュの様子がどこかおかしい。のんびりとマイペースな彼女が、パニック状態となりぐるぐると俺の周りを飛び続ける。こんなことは初めてだ。
「落ち着いてくれ。一体どうしたんだ」
シュシュは俺の声にやっと落ち着きを取り戻すと、やがてぽたぽたと涙を流し始めた。
同時に、先程まで青く晴れていた空からは雨がぽつぽつと降り始める。精霊の涙。シュシュが、悲しみの中にいるということだ。
胸騒ぎがする。シュシュが悲しむ、それは――
「……ネネリアに、なにがあった?」
――ネネリア、いなくなった
屋根を打ち付ける雨はどんどん強くなっていく。
シュシュは、雨音に消え入りそうな声で呟いた。