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絶筆『夢幻の庭』

セントラルタワーの事件からさらに三週間後、東京の下町、倉庫街の一角にひっそりと佇む、一見すると何の変哲もない老舗質屋「大黒屋」の地下金庫が、次の舞台となった。オーナーは、古美術界の裏側で暗躍するフィクサー、山岡 義信。彼は表向きは誠実な質屋の主人だが、実際は詐欺ま働いて美術品を巻き上げ、裏ルートで高値で売りさばくことで巨万の富を築いていた。


今回アークスが狙うのは、山岡が五年前、病床の老画家から巧みな話術と偽の契約書で二束三文で騙し取ったとされる、夭折した天才画家、橘陽炎の絶筆『夢幻の庭』だった。その絵は、見る者を深い幻想へと誘うような、光と影のコントラストが際立つ傑作だった。


「その絵が、なぜこの男の手に渡ったのか…」


月森響はアトリエの薄暗い片隅で、山岡が所蔵する美術品のリストを眺めながら、静かに呟いた。響の祖父・静馬も、生前、橘陽炎の才能を高く評価し、その作品の正当な所有者を案じていたことを、響は手記で知っていた。山岡の不正な経緯を知った時、響の心に《アークス》としての使命感が強く燃え上がった。


予告状は、山岡の質屋のショーケースに、一輪の白い彼岸花と共に置かれていた。「真の輝きは、偽りの夢の中には宿らず。目覚めの刻、幻は消え、庭は姿を現す。――《アークス》」


盗難決行の夜。


大黒屋の地下金庫は、外部からの物理的侵入を完全にシャットアウトする設計になっていた。厚さ50センチの鋼鉄製の扉、複数の暗証番号と生体認証、そしてわずかな振動や温度変化にも反応するセンサーが厳重に張り巡らされている。金庫内には、赤外線センサーに加え、高解像度カメラが隅々まで監視の目を光らせていた。


金庫の扉前には、山岡自身が陣取り、その隣には、彼が個人的に雇った屈強な私設警備員、そして警視庁から派遣されたベテラン刑事、原田が、緊張した面持ちで立っていた。


「まさか、ここまで来るとはな…」山岡は汗を拭いながら、神経質に周囲を見回した。


「ご安心ください、山岡さん。この金庫はどんなプロでも破れません。それに、先日の事件を受けて、我々も万全の体制を敷いていますから」原田刑事は、自信ありげに言った。彼もまた、藤堂邸やセントラルタワーの事件の不可解さに頭を悩ませていたが、今回は「密室」での防衛に絶対の自信を持っていた。


その時、午前0時を告げる教会の鐘の音が、遠くから微かに響いてきた。


監視カメラが金庫内部を映し出すモニターを、山岡と原田刑事は食い入るように見つめていた。そこには、『夢幻の庭』が飾られた展示ケースと、その周囲を監視するセンサーの赤い光が映し出されている。異常はない。


その瞬間。


モニターに映る映像が、微かに揺らぐ。まるで、古いフィルムの映像のように、一瞬だけノイズが走り、色が淡くなった。


「ん?なんだ、今の…」山岡が呟いた。


「ノイズか?しかし、系統は正常だぞ」原田刑事もモニターを凝視する。


だが、モニターの映像はすぐに鮮明に戻った。そして、その映像を凝視していた山岡の顔が、信じられないものを見たかのように、歪んだ。


「お、おい!あそこに、誰かいるぞ…!」


山岡が指差したのは、モニターの画面。そこに映し出された金庫の奥、『夢幻の庭』の展示ケースのすぐ横に、一人の警備員が立っているのが見えたのだ。彼は、大黒屋が雇った私設警備員の制服を着て、無表情で絵画を見つめている。


「なっ……バカな!?金庫内に警備員など配置していないはずだ!原田刑事!」山岡が青ざめて叫んだ。


原田刑事も、モニターに目を凝らす。確かに、そこに「警備員」の姿がある。


「馬鹿な!我々以外に金庫内の警備配置はしていません!一体どこから侵入を…!」


その時、室内に設置された警備用の電話が鳴った。山岡が恐る恐る受話器を取る。


「もしもし!?…はあ?中に警備員がいるだと!?馬鹿なことを…!おい、お前、誰だ!?」


電話の向こうから聞こえるのは、まさしく、今モニターに映っている警備員と同じ声だった。「私です、田中です。金庫内の最終確認をしています。異常ありません」。


「馬鹿な!田中は今、入口の警備についているはずだ!お前は一体誰だ!?」山岡が叫んだ。 その瞬間、モニターに映る「警備員」が、ゆっくりとこちらを振り返った。その顔は、表情のない、まるで蝋人形のような薄気味悪さがあった。


「あれは…幻覚だ!山岡さん、目をそらすな!」原田刑事が叫んだ。


しかし、山岡は既にパニックに陥っていた。「幻覚だと!?そんな馬鹿な…!見ろ!奴が絵に手を…!」


モニターの中の「警備員」が、ゆっくりと『夢幻の庭』の展示ケースに手を伸ばした。すると、展示ケースのロックが、カチリ、カチリと音を立てて、自動的に解除されていく。


「まさか!遠隔操作か!?おい!システムを止めろ!」原田刑事が叫ぶが、管制室からの返答は「異常なし」の一点張りだった。


そして、モニターに映る「警備員」が、解除されたケースの扉を開け、ゆっくりと『夢幻の庭』を手に取った。絵画は、そのまま「警備員」の手の中で、まるで水に溶けるかのように、透明化していった。そして、「警備員」の姿もまた、次第に薄れ、完全に消え去った。


「消えた……絵が……絵が消えたぞぉおおお!」山岡は、モニターに映し出された何もない空間を指差し、絶叫した。彼の顔は恐怖と混乱で真っ青になっている。


村田刑事も、呆然と立ち尽くしていた。目の前で起こったことは、論理では説明できない。幻覚。透明化。そして物理的な痕跡を残さないロックの解除。


(これが…《アークス》の…)


その時、金庫の奥から、微かな、しかし確かな「パチリ」という電気的な音が聞こえた。まるで、小さな回路が繋がったかのような音だ。しかし、音源は不明瞭で、どこから聞こえたのかも特定できない。


響は、幻覚の魔法で警備員たちを欺き、その隙に透明化した絵画を手に金庫を脱出していた。あの「パチリ」という音は、彼が金庫の奥に隠された、山岡の不正を証明するデジタルデータが収められた小型デバイスの起動音だった。


翌朝のニュースは、藤堂邸、セントラルタワーの事件を超える衝撃をもって報じられた。


テレビのニュース番組:「今回の怪盗アークスの犯行は、前代未聞の『密室幻影盗難』と名付けられました!厳重な地下金庫から、警備員の目の前で絵画が消え去った模様です!」


画面には、恐怖に震えながら証言する山岡の姿と、その証言を信じられないといった表情の原田刑事が映し出されていた。


コメンテーターC(心理学者):「これは、高度な催眠術か、集団幻覚か…。人間心理の盲点を突いた、非常に巧妙な手口と言えるでしょう。しかし、それが単なるトリックで片付けられるのかは…」

コメンテーターD(元警察官):「警察の捜査能力が問われる事態です。これほどまでに不可解な事件が立て続けに起きるとなると、市民の不安は増大するばかりです」


世論は、これまでの《アークス》に対する「義賊」としての評価に加え、「もはや人間業ではない」「本当に魔法使いなのでは?」といった、オカルトめいた憶測が飛び交い始めた。同時に、警察への不信感も高まり、捜査本部は大きなプレッシャーに晒されることとなった。


新聞の見出しも、その驚きを隠せない。

•大手一般紙『読売新聞』:「怪盗アークス、地下金庫から消えた幻の絵画!『密室幻影盗難』に警察困惑」

•美術専門誌『ART CHRONICLE』:「橘陽炎 絶筆『夢幻の庭』消失。その真価、そして不当な所有者への警鐘」

•週刊誌『ムー』:「【特報】怪盗アークス、その正体は超能力者か宇宙人か!?失われた古代文明の魔法か!?」


特に週刊誌では、橘陽炎の絵が持つ「幻想」というテーマと、今回の幻覚の魔法が結びつけられ、より一層の神秘性が煽られた。


警視庁捜査一課、特別捜査本部。冴島は、疲労困憊の原田刑事の報告を聞いていた。


「…以上が、現場での状況です。私も、山岡も、間違いなくそこに『警備員』を見た。しかし、いかなる監視カメラにも、その姿は残っていない。そして、絵画も…」


冴島は、腕を組み、深く考え込んでいた。幻覚。透明化。物理的痕跡なきロック解除。そして、美術品はワープ。これまでの三件の事件で、それぞれ異なる魔法が使われている。しかし、その根本にあるのは、物理法則を無視した「消滅」と「操作」だ。


「彼は…確実に進化している。手口が、より洗練されてきている」冴島は呟いた。


「警視、この事件も、前回と同様、山岡氏の不正の証拠が見つかりました」高橋刑事が報告した。


「何だと?」冴島は顔を上げた。


「地下金庫の奥に、壁に隠された通信ポートが発見されまして。そこから、違法な美術品取引の記録、偽造された契約書、そして政治家への裏金の詳細を示すデジタルデータが回収されました。どうやら、あの一瞬の停電のような現象で、装置が作動したようです」


冴島は、目を見開いた。あの「パチリ」という音。あれは、魔法の作用だったのだ。《アークス》は、盗難の過程で、不正の証拠が隠された場所を特定し、魔法でその作動を促すか、あるいは警察がそこに注意を向けるような仕掛けまで施していたのだ。


「…やはり、だ」冴島は立ち上がった。 「《アークス》の狙いは、美術品そのものじゃない。彼は、美術品を盗むことで、その裏にある『不正』を暴き、その人物を社会的に葬り去ろうとしている。そして、その不正の証拠を、我々警察に『発見させる』ように仕向けているんだ」


彼の言葉は、冷静でありながらも、確信に満ちていた。


「彼が警察を誘導したというのですか?なぜ?」高橋刑事が驚いて尋ねた。


「彼は、我々が『法』という枠組みの中でしか動けないことを理解している。だから、我々が合法的に動ける『証拠』を、彼自身が用意しているんだ。それは、彼自身の存在が、我々にとっての『法の限界』を突きつけているということだ…」


そして、その日の夕方。山岡義信は、過去の数々の美術品詐欺と、巨額の脱税の容疑で逮捕された。世間は「義賊アークス、またも悪を裁く!」と沸き立った。


響は、アトリエの片隅で、届けられたばかりのニュース記事を静かに読んでいた。記事には、山岡の逮捕と、『夢幻の庭』が、数日後に匿名で、橘陽炎の遺族が設立した小さな美術館に届けられたことが報じられていた。


(これで、また一つ…)


響は、記事から目を離し、自身の指先を見つめた。幻覚の魔法。その力が、彼の内に確かに宿っているのを感じる。それは、冷たくも温かい、不思議な感覚だった。力を得るたびに、彼の使命感は強固なものになっていく。


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