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オリオンの涙

藤堂邸の事件から二週間後、東京の夜景を一望できる超高層ビル「セントラルタワー」の最上階にある、黒川 豪造のペントハウスが、再び騒然とした空気に包まれていた。黒川は、一代で巨大な不動産帝国を築き上げた辣腕の実業家として知られる一方、その強引な手法と、政界との黒い噂も絶えなかった。彼のコレクションの中でも特に有名なのが、かつてとある小国の王族が所有していたとされる、「オリオンの涙」と名付けられた巨大なブルーダイヤモンドを嵌め込んだ、絢爛豪華な黄金の短剣だった。


この短剣もまた、戦後の混乱に乗じて、当時の政界の実力者を通じて不当な形で黒川の手に渡ったという囁きが、美術品愛好家の間で長年語られていた。そして、案の定、《アークス》は次のターゲットとして、この「オリオンの涙」に目をつけたのだ。


予告状は、一週間前に黒川の元に届けられた。「夜空を彩る星の涙、不当なる者の手に輝くは許されず。その輝きを、真に仰ぎ見るべき場所へ。――《アークス》」


藤堂邸の事件を受け、警視庁は今回の予告状をより深刻に受け止めていた。セントラルタワー周辺には厳重な警戒態勢が敷かれ、黒川のペントハウスには、最新鋭のセキュリティシステムに加え、多数の私服警官が配置されていた。


盗難決行の夜。


ペントハウスの最上階、厳重なセキュリティドアの奥に設けられた特別展示室の中央に、「オリオンの涙」は、強化ガラス製のケースの中で妖しく輝いていた。四隅には高感度センサー、天井には赤外線カメラ、そして床にはわずかな振動も感知するセンサーが設置されている。室内の温度と湿度も厳密に管理され、まさに鉄壁の守りだった。


その部屋の中には、黒川自身と、彼の秘書、そして警視庁から派遣された中年の刑事、村田が、緊張した面持ちで立っていた。


「まさか、こんな高層階まで来るとは思えんがな…」黒川が腕を組み、不安げに呟いた。


「ご心配には及びません、黒川様。このビルは最新のセキュリティシステムで守られており、外部からの侵入は不可能です。それに、我々警察官も中に配置されています。あの怪盗とやらも、さすがに諦めるでしょう」村田刑事は、自信ありげに答えた。藤堂邸の事件は前代未聞だったが、今回は万全の体制だと信じているようだった。


その時、室内の照明が、ごく僅かに、本当に一瞬だけ、揺らいだように見えた。


「ん?気のせいか?」黒川が目を凝らした。


「何もありませんよ、社長」秘書が答える。


午前0時を過ぎ、満月が雲の切れ間から覗き始めた頃だった。


「異常なし、ですね?」村田刑事が念のため、室内のセンサー類のランプを確認する。全て緑色に点灯しており、異常を示すものはなかった。


その次の瞬間。


「オリオンの涙」が収められた強化ガラスのケースが、まるで内部から何かに押されたかのように、静かに、しかし確実に、数センチメートル浮き上がった。


「なんだ!?」黒川が驚愕の声を上げた。


「一体…何が…!?」村田刑事も目を丸くする。


浮き上がったケースの下には、何もなかった。しかし、次の瞬間、浮き上がったケースはゆっくりと元の位置に戻り、そして……中の「オリオンの涙」が、忽然と姿を消していた。


「うそだろ……!?」黒川は、信じられない光景に言葉を失った。彼はケースに駆け寄り、何度も叩きつけた。「おい!どこへ行った!返せ!」


村田刑事も慌ててケースを調べたが、ロックは完全に施錠されたまま。ガラスにも、破壊された痕跡は一切ない。まるで、透明な手がケースの中から短剣だけを持ち去ったかのようだった。


「警備システムは!?センサーは反応しなかったのか!?」村田刑事は、インカムに向かって必死に叫んだ。


「管制室!一体何が起こった!?最上階の警備状況を報告しろ!」


しかし、管制室からの返答は、昨夜の藤堂邸と酷似していた。「センサーは全て正常値を示しています!侵入者の痕跡もありません!ですが…確かに、展示室内の短剣が消えています!」


その報告に、村田刑事は顔面蒼白になった。高層ビルの最上階、厳重にロックされた室内、そして正常に機能しているはずのセキュリティシステム。一体、どうやって?


その混乱の中、室内の隅に立っていた黒川の秘書が、突然、何かを見つけたように声を上げた。


「あ…あれ…?」


秘書が指差したのは、展示室の隅に置かれた、傘立てだった。その中には、数本の傘に紛れて、見慣れない、黒いシルクハットが一本、無造作に立てかけられていたのだ。


「これは……一体?」黒川が訝しんだ。 村田刑事はハッとした。「まさか……これが、奴の……!」


その時、秘書の背後を、何かが一瞬、通り過ぎたように見えた。それは、まるで黒い影が一瞬だけ具現化したような、本当に短い間の出来事だった。


「今……何か見えませんでしたか?」秘書が振り返り、周囲を見回す。


黒川と村田刑事も、目を凝らして室内を見渡したが、誰も何も見ていない。


(あれは……)


秘書の背後を一瞬通り過ぎたのは、響が生み出した初期段階の分身だった。それは、注意を逸らすための一瞬の撹乱。本物の響は、透明化した「オリオンの涙」を既にその手に収め、壁をすり抜けるように、静かにペントハウスを後にしていた。


翌朝、この前代未聞の盗難事件は、瞬く間に全国ニュースとなった。


テレビのニュース番組:「前回の藤堂邸の事件からわずか二週間。今度は、セントラルタワー最上階の黒川豪造氏のペントハウスから、秘宝『オリオンの涙』が忽然と姿を消しました!警備システムは完璧に機能しており、侵入者の痕跡は一切なし。一体、犯人はどのようにして…!?」


画面には、夜空に聳え立つセントラルタワーの夜景と、呆然とした表情で報道陣の質問に答える黒川豪造の姿が映し出されていた。


黒川豪造(記者会見):「信じられん……本当に、目の前から、何の前触れもなく消えたんだ!あれは私の宝だ!警察には一刻もも早く、あの怪盗を捕まえてもらいたい!」


今回の事件は、前回の「義賊」的な要素は薄く、単なる富裕層の所有物からの盗難という点で、世間の反応はやや複雑なものとなった。


SNSの反応:

•「また《アークス》か!今度はただの金持ちのコレクションを狙ったのか?」

•「あのセキュリティをどうやって突破したんだ?マジシャンか何かか?」

•「黒川も、過去には色々黒い噂があったからな…自業自得じゃないか?」

•「警察は何をやっているんだ?二度もこんな手口でやられて!」

•「高層ビルの最上階から消えるなんて、もはやSFの世界だな」

世論は、怪盗の神出鬼没な手口に対する驚きと、警察の捜査能力への疑問、そして被害者である黒川に対する複雑な感情が入り混じるものとなった。


新聞各社も、この不可解な事件を大きく取り上げた。

•大手一般紙『読売新聞』:「超高層階の密室から消えた宝石『オリオンの涙』。連続する怪盗アークスの犯行か。警備の死角、あるいは超常的な力?」

•経済紙『日本経済新聞』:「黒川豪造氏所有の宝石盗難、企業イメージへの影響は?美術品を巡るリスク管理の重要性」

•週刊誌『週刊現代』:「《アークス》は実在する魔法使い!?科学では解明不能な盗みの手口を徹底検証!」

特に週刊誌などでは、今回の事件のあまりの不可解さから、「《アークス》は人間ではないのではないか」「何らかの超常的な力を使っているのではないか」といった、半ばオカルトじみた憶測記事も登場し始めた。


警視庁では、冴島漣を中心に、特別捜査本部が設置され、徹底的な捜査が行われていた。


「監視カメラの映像、やはりあの瞬間だけノイズが走っています。意図的な妨害工作でしょうか」


高橋刑事が、解析された映像を見ながら報告する。


「侵入経路は?屋上、非常階段、エレベーター、全て異常なし。窓も完全にロックされています」別の刑事が頭を抱える。


「内部の人間による犯行の可能性は?」冴島が尋ねた。


「黒川氏の秘書、警備員、そして我々警察官全員のアリバイを確認しましたが、全員、事件発生時は持ち場を離れていませんでした。それに、あの手口は、内部の人間だけでは不可能でしょう」


冴島は、現場に残された黒いシルクハットを手に取った。安物のようにも見えるが、どこか独特の雰囲気がある。


(藤堂邸の時もそうだった。彼は、必ず何かしらの『痕跡』を残していく。それは、挑発なのか、それとも……)


彼の脳裏には、月森響の穏やかな表情が再び浮かんだ。高層ビルのペントハウス。厳重なセキュリティ。そして、何もない空間から消える宝石。科学的な捜査だけでは、この謎を解き明かすことはできないだろう。


そして、数日後。「オリオンの涙」は、とある地方の、かつてその宝石を所有していた王族の末裔が経営する小さな博物館の、人目のつかない場所に、匿名で届けられているのが発見された。宝石と共に添えられていたのは、一枚の古びた便箋に書かれた、簡潔なメッセージだった。「星の輝きは、あるべき場所でこそ、その真価を発揮する」。署名は、もちろん《アークス》。


世間は再び、《アークス》の「義賊」的な行動に注目し始めた。強欲な実業家から奪い、歴史的正当性のある場所へ返す。彼の行動は、単なる犯罪ではなく、一種の社会的なメッセージを帯び始めていると考える者も現れた。


しかし、冴島漣は、その裏に隠された、より深い目的があるのではないかと感じ始めていた。《アークス》は、ただ美術品を盗んで返しているだけではない。彼の行動は、常に何らかの「意図」を感じさせるのだ。そして、その意図は、徐々にではあるが、彼が追い求めるべき「真実」へと繋がっているような気がしてならなかった。


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