4 森林って謎に涼しいよね
森の中だと涼しい理由を何故か知ってだろうか。木々が生い茂っているとフィトンチッドとかいうのが作用するかららしい。
どこかの大学がそういうデータを出したっていうのをテレビで見た。
あれはデマだね。間違いなく。
この石畳の両脇に木が生い茂っているのに僕が汗ダラダラなのが根拠だ。論文出した所を訴えてやる。
僕らは石畳を登り始めてから既に10分経過していた。参道入口の観光地然とした賑やかさは鳴りを潜め、宗教霊山の雰囲気を漂わせ始めている。
先程まであった赤提灯は消え、視界に入るのは青い空、石畳の階段、周囲を取り囲む木々くらいのものだ。
ボロボロで苔のついたちょっと腐ってる木の欄干を頼りにサッサっとお婆さんが横を通過していく。
もしかして僕っておばあさんより体力ないんだろうか。
「ねぇ、下層までもうちょいって言ったやつ誰?ぶん殴っていい?」
「私もちょうど殴りたいと思っていた所だから頬突き出してもらえる?」
「マジで勘弁して今殴られたらしんじゃう」
ミラは表情ひとつ変えずに歩いている。口では憎まれ口を叩きつつも僕の遅さに合わせてくらているのか、ペースは同じくらいだ。
さてはて道は相変わらず緩やかな石段が続いている。
登っても登っても石の階段、汗のしみとぼやきが石畳に吸い込まれていくのが見えてため息をつく。今からでも遅くないから夏にやる任務は肉体労働系なしにするべきだと思う。
にしても、暇だ。ミラは基本歩きスマホNG派だし僕だって宗教施設でスマホいじるなんて不躾なことはしない。
「ねぇー暇だからさなんか賭けてゲームでもしようよ」
「今一応任務中ですけど」
「いやほらさ、僕らカップル(っていう設定)じゃんか、仲睦まじい所を世界にアピールしていこうよ」
暇を潰す為、もとい任務に溶け込む為に続けて言う。
「無言で山道登ってるカップルなんて怖いだけだって」
僕が言うと、ミラはため息をつきながら肩をすくめた。
「じゃあなに。肩でも抱いて歩く? それとも突然キスしてインスタライブでもやる?」
「そういう強火なのじゃなくて! もっとこう、ほら、和やかな感じでいきたいの」
「和やか……って、どういうの?」
ミラは少しだけ眉をひそめて、僕をじっと見た。
「んーじゃあ下層に着くまでにここから何段つくか当てっこしよう」
そう言いながら少し先を歩いていたミラまで小走りで追いつき足元を指差す。
「はいはい。まぁいいけど。それで、何を賭けるの?」
「負けたほうが、次の休憩でアイスおごるとかどう?」
「貴方が『幸運』使わないならいいわよ」
「やだなぁ、僕がアイスのために変質切るわけないでしょ!安心してよ」
僕の言葉に形の良い眉を歪め訝しげにこちらを見る。なんだよ言いたい事があるなら言えよ。
僕がアイス如きでズルすると思ってるんだろうか。失礼なヤツだ。
「ま、そういう事だよ。じゃあ先僕の予想ね」
「んーー、75段ってところかな。」
ミラは少し考え込んで、続けて言った。
「私は80段。意外と長い気がするのよね、ここ」
「OKじゃあ予測した段数に当たった方が勝ちね」
ミラが無言で頷き、二人で数えながら登り始める。
石畳の一段一段に足を置き、数が増えるたびに意識が少しずつ集中していく。
何気ないけど、妙に緊張する瞬間だ。
60段を数えた頃、階段の終わりが見えた。
「……あれ? 意外と早くない?」
僕がぼそっと言うと、ミラが一瞬だけ横目でこちらを見てにやりと笑った。
「まだ分からないわよ。最後の最後に踊り場があるかもしれないし」
確かに。こういうのって、踊り場を挟んで後半戦が始まることもある。期待と不安が入り混じる中、僕らは黙々と数え続ける。
68、69、70。
残りわずかだ。僕の脳内では「あと5段でジャスト75!いけるぞ!」という応援団と、「あと10段あったらミラの勝ちだな」という冷静な解説者が戦っている。
71、72、73。
息が少し乱れてきた。でも段数を数えるという不思議な遊びのおかげで、疲労よりも勝負の方に集中できている。
74、75、76──。
「……っ!」
階段の終わりが、すぐそこにあった。僕のカウントが正しければ、もう少しで80だ。僕はちょっとだけ祈り始めていた。頼む、終われ。ここで終わってくれ。
──77、78、79、80、81、82。
そして、最後の一段を踏んだとき、ミラがぴたりと立ち止まった。
「82段、まぁピタリではないけど私の勝ちね」
彼女は肩越しにこちらを見て、涼しい顔で笑った。
「私の勝ち。アイス、楽しみにしてるわ」
「仕方ないな…まさか僕が運勝負で負けるなんて…」
ミラにいつも勝てない僕が唯一勝てる運ゲーに敗れるなんて。僕は何で勝てばいいんだよ。
「あなたがどうせ適当に決めると思ったから、だいたいの段差の高さと距離から割り出したの。」
「何が悲しくて貴方相手に運勝負しなくちゃならないのよ」
ミラはそんな自ら負ける手なんて打つわけないとでも言うかのように肩をすくめ手をぶらぶらさせている。
流石に作戦立案担当は伊達じゃない。
この策士め。
だが、素直に負けを認める僕じゃない。
どうにかして運ゲーで負けたと言う事実をもみ消すべく話を変えようとして辺りをみまわす。
すると視界の中にお誂え向きなものが飛び込んできた。
道の脇にある控えめな案内板だ。
観光地あるあるの、木製でナチュラル志向なやつだ。半分苔むしてるけど、内容は読める。
⸻
→ 下層(参拝区域)まで正面約100メートル
茶屋・水場あり。宗教的施設のため、節度を持って行動してください。
⸻
しめた!これで誤魔化せる。
「あ、ほら!ミラそんなことより下層が近いらしいよ!」
そう言い残して下層の門に向かって走り出す。
負けを認めなければ敗北ではないのだ。
華麗なる暗殺者に敗北はあり得ない。
そんな僕の様子を見て呆れたような顔をするミラも後を追って走り出した。