2 移動工程を詳しく
世界安定補完総合機関、通称『組織』
僕が所属している『組織』は俗にいう秘密結社だ。
世界中にさまざまな構成員をかかえ、世界の調停役を担う裏の機関。
圧倒的な力を誇り、社会や世界が壊れない、均衡が崩れないギリギリのバランスを保つ。ということを目的としている。
そんなちょっと厨二心をくすぐられる組織で僕はスパイとして生計を立てていた。
まぁスパイと言っても基本的には、暗殺をしたり、情報を取ったり、超能力もどきを秘密裏に回収したり…『組織』内の危険事を一手に引き受ける何でも屋に近い事をしている。
中でも一番面倒なのが、
超能力もどき――『変質者』の回収。
現実世界の現象をズラしてしまう捻じ曲がった人達。世界のバグに対する総称にして、『組織』が大嫌いな世界の均衡を崩すトリガーになりかねない存在。
これまであったのだと、人の心を読んできたり、気分が天候と一致する人がいたり。全くもって迷惑極まりない。能力バトルものの漫画じゃないんだからいい加減にして欲しい。
最近、能力バトル漫画を読んでも感動しなくなってきてるのが職業病って感じがする。
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東京駅の構内は平日の午後にしては割と混んでいた。夏休みはまだだというのに少し騒がしいのは夏の風物詩のような気がして世間よりも季節に疎い僕でも少し楽しい気分になってくる。
ホームのアナウンスが絶え間なく流れ、カメラを手にした外国人観光客の姿もちらほら。
そんな喧騒の中、僕とミラは新幹線の乗車口へと足早に向かっていた。
「ねぇ、ミラ。この牛タンうにいくら海鮮弁当が1200円ってかなりお得じゃないか?」と僕がいうと、
「貴方ねぇ、旅行じゃなくてこれ仕事なのよ?わかってる?」と、ミラは少し呆れたような声で答えた。
それに呼応するように彼女の足元でハイヒールが軽快にカツカツと響く。
のぞみ74号ってなんかのぞみ無しって感じがしてなんか気分悪いな。なんてことを考えつつキャリーを新幹線に詰め込み自分の席を探す。
「えーっと、Dの8らしいよ」
「……私がCの8だから、隣ね」
ミラがそう言いながら、きびきびとした所作で自分の座席に腰を下ろす。彼女のバッグが膝の上に収まると、もう仕事モードに切り替わったようで、端末を取り出してカタカタと操作を始めた。
ミラも少しは新幹線を楽しめばいいのに。
僕は新幹線が好きだ。小さな窓が切り抜く風景は何処か非日常な感じがして、手前に置いたお茶のペットボトルもいつもより特別な感じがする。
──とはいえ。
「今回、僕ら一応カップルで旅行ってことになってるんだよね?」
僕がそう言うと、ミラは端末の画面から視線を動かさず、まるで機械のように返事をした。
「そうです。だからくれぐれも“恋人っぽく”振る舞ってください。手をつなぐくらいは状況次第で必要になるかもしれませんし」
「なるほどね。じゃあ、そろそろ“ねぇダーリン、抹茶アイス食べたいな〜♡”とか始めてほしいな、なんて」
「その発言、あとで本気で上にバディ解消掛け合いますよ」
ミラはぴたりと端末を閉じて、静かにため息をついた。それから窓の外に流れ始めた街並みに視線を送る。列車が動き出すときのあのわずかな振動とともに、車内の空気が微かに変わる。非日常の旅の幕開けを、物理的に感じる瞬間だ。
「……でもまあ、空気感としてはそのくらいでいいです」
ミラが静かに付け加えた。僕は一瞬きょとんとして、彼女の横顔を盗み見る。
「ん? なにそれ、照れてる?」
「いいえ?」
「いや、完全に“旅の始まりに少し浮かれてます感”が出てたよ。ほら、こういう非日常の中で、上司と部下っていうより男女って感じになるっていうか、ね? 旅行ってそういう魔力あるよね」
「ありません。少なくともあなたとでは」
ばっさり斬られた。
新幹線はもう既に東京の雑踏を離れ、郊外ののんびりした住宅街の上を駆け抜けている。速度が上がり、窓の景色はどんどん流れていく。小さな踏切、川の土手、見慣れない駅のホーム。見知らぬ風景の数々がスライドショーのように切り替わっていく。
ミラは鞄の中から小さなポーチを取り出し、そこから目薬とリップを順に差す。それを見ながら、ふと妙なことを思う。
──よく考えたらカップルを装って、京都に暗殺旅行ってなんかちょっと華麗なスパイ感あるな…
男女二人組のスパイ映画感あるなこれ。ちょっとワクワクしてきたぞ。
謎の協会の中枢を統べる生きた神…相対するは謎のエリートスパイ。
信者が守るも、男は華麗に神を殺し颯爽とさっていく…いいね。
「……そういや、『生き神』についての詳しい情報って、現地で収集するのがメインなんだっけ?」
僕が口を開くと、ミラは再び端末を開いて何かを確認しながら頷いた。
「はい。外部にはほとんど情報が出ていません。“正体が不明”というより、“正体が曖昧”というか。信者すら内容を正確に知らない可能性もあります。終身協会自体については──」
ミラはそこで言葉を切り、少し思案するように眉を寄せた。
「──『協会』そのものが情報の遮蔽装置みたいなものです。教義も構造もはっきりしないまま、実態だけが膨らんでいる。公式の登録もない。活動報告もない。にも関わらず、資金の流れだけは不自然に潤沢」
「資金源は?」
「追跡不能。ダミー法人を三重、四重に経由していて、痕跡がほぼ残ってない。あれは──金が集まっているんじゃなくて、“誰かが意図的に集めさせている”形跡があります」
「誰かねえ……」
ミラは無言のまま画面を閉じ、わずかにため息をついた。彼女の肩にかかった髪が、列車のわずかな振動でゆれる。僕は思わず視線をそらして、窓の外に流れる田園風景を見た。
もう都会は遠く、視界の端には麦畑とため池、低く横たわる山の線。心なしか空気の質感すら変わったような気がする。
「生き神、か……」
ぼそりと呟くと、ミラがこちらに顔を向けた。
「その呼び方、気になるんですか?」
「うーん。なんか、その、“生きてる神”ってだけで、すごく漫画的じゃない?」
「……またそれ?」
ミラは呆れたように言いながらも、ふと真顔に戻って僕の目を見た。
「でも、冗談抜きに、これまでの『変質者』の回収任務と比べても、今回の任務には異常なレベルで“未知の要素”が多いんです。正直、協会の輪郭もつかめてない。ましてや、生き神なんて──」
「“人間”なのかどうかもわからない」
僕がそう言うと、ミラは一瞬、何かに反応したように目を細めた。
「その可能性も、ありえなくはない。少なくとも、“普通の人間”ではない何かが核にいるとは思ってます」
「うわぁ。ますますワクワクしてきたなぁ。カップルで京都行って、正体不明の“神”を殺すって……これもう映画化できるレベルでしょ。タイトルは──『神を殺した夏』、みたいな」
「……そのタイトル、少しだけセンスあるのが腹立ちます」
ミラが軽く苦笑した。
新幹線は名古屋を過ぎ、京都までの残り時間がぐっと短くなっていた。窓の外には、どこか懐かしいような瓦屋根の家々が見えはじめている。もうじき、任務の地に到着する。
ただの「旅行客」を演じながら、「神の暗殺者」として京都に降り立つ──
そんな背徳的で、そしてやけに浮ついた非日常が、少しずつ現実の輪郭を持って近づいてくる気配があった。