葛藤とすれ違い
「……セシリア様、少し顔色が優れないようですけど、大丈夫ですか?」
舞踏会の中、隣にいた令嬢の一人が心配そうに私を見上げてきた。周囲には華やかな装いの貴族たちが溢れ、音楽が流れ続けている。私は薄く微笑みを浮かべ、気にしないでと首を振る。
「ええ、大丈夫です。少し疲れただけですわ」
それが本当なら、どれほど楽だっただろう。しかし、胸の奥にあるもやもやした感情は一向に晴れることがない。私は視線を無理やり逸らし、できるだけアレクシス王子とエリザベスが視界に入らないよう努めた。彼らの間には自然と生まれる親密さがあり、まるで運命に導かれているかのように見える。
王子とエリザベスが話しているのを見るたびに、心が痛むのだ。それは単なるゲームの進行だと頭では理解しているし、この物語がハッピーエンドを迎えるためには、彼らがうまくいくのが一番だとわかっている。けれど、どうしても心が納得してくれない。自分でもその理由がわからなくて、ますます混乱してしまう。
――私はただの婚約者にすぎない。そう、形式上のね。
王子が私に対して特別な感情を持っていないのは分かっているし、エリザベスこそが彼の運命の相手なのだと、ずっと信じてきた。それなのに、どうしてこんなにも胸が締め付けられるのだろう? 私が王子を目で追ってしまうことに気づいた瞬間から、この感情の正体に気づかないふりをするのが辛くなっていた。
「セシリア様?」
再び呼ばれた声に、私はハッと我に返った。声をかけてきたのは、王子の友人であるライナス・フォードだ。彼は柔らかな笑顔を浮かべて私を見つめていた。
「ライナス様、何か御用ですか?」
「いや、君が少し疲れているように見えたから、休憩に誘おうと思ってね」
ライナスの言葉に少し驚いた。彼はいつも社交界の人気者で、特に目立たない私に対してこうして気遣ってくれるのは珍しい。私は一瞬躊躇ったが、このままアレクシスとエリザベスを見続けているのも辛い。だから私は、ライナスの提案を受け入れることにした。
「……ありがとうございます。少し外の空気を吸いに行きましょう」
私たちは舞踏会の喧騒から抜け出し、外の庭園へと足を運んだ。静かな夜風が心地よく、少しずつ心が落ち着いてくる。ライナスは私の隣に歩きながら、優しい声で話しかけてきた。
「最近、セシリア様は何か悩んでいるようですね。もしよければ、僕に話してみては?」
その問いに、私は少し戸惑った。ライナスは私に対して特別な感情を抱いているわけではないだろうが、彼の気遣いが心に響く。しかし、私は彼に自分の胸の内を明かすことができない。私が悩んでいるのは、自分自身の婚約者に対する感情だからだ。
「いえ、そんなことはありません。ただ、最近少し疲れているだけです」
私はそう言って微笑んだが、ライナスの目は私の嘘を見抜いているようだった。彼はそれ以上は追及せず、ただ静かに夜空を見上げた。
「疲れている時は、無理をしないことが大切です。心に余裕がなければ、周りのことを冷静に考えられなくなる」
ライナスの言葉に、私はふと考え込んだ。彼の言う通り、最近の私は冷静さを欠いている。アレクシスとエリザベスの関係ばかりが気になり、自分の役割を忘れてしまいそうになっていた。私の目的は、この世界の流れを乱さず、断罪エンドを回避することだ。それだけに集中していれば、余計な感情など湧き上がってこないはず。
「そうですね……ライナス様、ありがとうございます」
私は再び微笑んでみせる。しかし、その笑顔は自分でもどこかぎこちないと感じた。ライナスは優しく微笑み返しながら、私に一礼してその場を離れていった。彼が去った後、私は再び夜空を見上げ、深呼吸をする。
「何を迷っているの……」
自分に問いかけるが、答えは出ない。けれど、このもやもやした気持ちは、もう自分ではどうすることもできない。認めてしまえば、全てが崩れてしまうような気がして、私はただひたすら感情に蓋をし続けるしかなかった。
翌日、私はまたも王子とエリザベスが一緒にいるのを見かけてしまった。彼らが並んで歩く姿はまるで絵画のように美しく、私の胸は再び苦しくなる。
「これが……正しい流れなのよね」
私は自分にそう言い聞かせる。彼らが結ばれることで、この物語はハッピーエンドを迎える。だから私は、王子に対する気持ちを捨てなくてはならない。王子はエリザベスと幸せになるべきだし、私が彼の気持ちを引き留めるわけにはいかない。
でも――。
「どうして、こんなにも彼を見てしまうの……?」
どうしても視線が王子を追ってしまう自分に、私は苛立ちを覚える。彼の優しい笑顔、エリザベスに向ける穏やかな表情を見るたびに、私の心は揺れ動いてしまうのだ。こんな感情を持つ資格なんてないのに。
そんな時、アレクシス王子が突然こちらを見て、私と目が合った。私は咄嗟に目を逸らしたが、彼は私に向かって歩み寄ってきた。
「セシリア、少し話をしないか?」
彼の声に驚きながらも、私は何とか冷静さを保とうと努めた。だが、彼の顔をまっすぐ見ることができず、私は視線を床に落としたまま答えた。
「……何でしょうか?」
「最近、君の様子が少しおかしい。何か悩んでいるのなら、僕に話してほしい」
彼の声は優しかった。その優しさに触れるたびに、私はますます自分の気持ちを隠し続けることが難しくなっていく。
「……悩みなどありません。ただ、少し疲れているだけです」
再び同じ言葉を繰り返す。けれど、彼はそれで納得しなかった。
「本当にそれだけか?」
王子は私の顔を覗き込むようにして尋ねてきた。私は胸の奥がズキリと痛むのを感じたが、必死にその痛みを押し殺した。彼に自分の気持ちを知られるわけにはいかない。知ってしまえば、全てが崩れてしまうから。
「ええ、本当にそれだけです。ご心配には及びませんわ」
私はできるだけ笑顔を作り、彼の視線を避けるようにして答えた。すると、彼はしばらく私を見つめた後、小さくため息をついて言った。
「……そうか。無理をしないようにな」
それだけを告げて、彼は去っていった。私はその背中を見送ることしかできなかった。