6-13 王女と死神 中
朝が来た。
ハッキリ言って、あまり眠れてはいない。
起こった非現実を頭で整理するので、精一杯だった。
彼の手掛かり、痕跡が消えた今、本当に現実だったのかが曖昧になる。
「……」
ふと、気付けば、右の頬に触れていた。
続けて、流れるように舌に指を這わせていた。
「っ!?」
ハッとして手を離す。
「私は…何を…」
やはり、現実であった。と、思い出してしまう感覚が教えてくる。
それと共に、自分に呆れた。他者の感覚に飢えていたとはいえ、あまりにも鮮明に憶え過ぎていると思う。
「きっと、高位の存在に会ったから、憶えているだけ…きっと、そうに違いない」
自分に言い聞かせるように、口に出す。
確実に今の私は顔が紅くなっていることだろう。
突如、コンコンというノック音が室内に響いた。
同時に反射的に壁に掛かる時計に目を向ける。
「アトレ様、ロゼリアです。朝食とお身体を拭きに参りました」
「入っていい」
気付けば、メイドのロゼリアが来る時間になっていた。
まともに動けない私の世話をしに、決まった時間に来るのだ。
いつもなら、起きてから余裕があるように感じるのだが、時間感覚が明らかに狂っていたせいで、気付かなかった。
ドアが開き、栗色の髪のメイドが入ってくる。
「失礼します……アトレ様、何かありました?」
「っ……いえ、特に無いと思うけれど、少しだけ昨日、寝付きが悪かったくらい」
ロゼリアの感覚の鋭さに驚きながらも、取り繕い誤魔化す。
「そうですか…では、お召し物を脱がしますね」
ゆっくりと、身体を起こされ、ベッドに腰掛ける形になる。
服に手を掛けられ、脱がされる。そして、生まれたままの姿になる。
外気に晒された肌は、相も変わらず真っ白だ。日には晒されていないのがよく分かる。
「お身体、拭きますね」
濡れた布が、身体の表面を滑る。その冷たさが心地よくて、思考が落ち着いていく。
数分掛けて、全身を隈なく綺麗に拭かれる。非常に気持ちが良い。
「では、お召し物を着せますので、腕を上げてください」
「分かった」
服は、また別の物を着せられ、これで一段落。
「それでは、ご朝食をゆっくりお楽しみください。時間になりましたら食器を片付けに参ります」
「ありがとう、ロゼリア」
「当然のことですので。失礼致します」
パタリとドアが閉じられ、室内にまた一人になる。
何故か、私はその瞬間に溜息を吐いていた。
いや、理由は分かっている。使徒様のことをバレるのが怖いからだ。
「はぁ、そうそうバレる筈もないのに、ままならないもの」
頭を悩ませながら、ベッドの横の机に置かれた朝食を手に取る。
小麦の香る柔らかいパンを持ち、千切らずに口へと運ぼうと、
「私って、分かりやす――えっ!?」
した途中で視界に入ったものに衝撃が走り、パンをベッドの上に取り落してしまう。
即座に右手の袖を捲り上げる。
「何よコレ、どうなって……というか、何でロゼリアは何も言わなかったのっ」
二の腕から手首にかけて、巻き付くような蛇の模様が刻まれていた。
「――それは当然。貴方にしか見えていないから、ですよ」
「ひぁっ」
突然、後ろから手首を掴まれ、心臓が大きく跳ねる。
「ああ、すみませんね、突然現れて。少し仕事の前に時間があったので、言い忘れていたことを言いに来ました」
「し、使徒様、ビックリした」
「だから、すみませんって」
隔絶した存在の筈なのにやはり何処か、親しみやすさというか、触れていたくなるような雰囲気がある。
背中に感じる温もりが非常に心地良い。
「おっと、女性に気安く触れるのは、失礼でしたね」
昨日、普通に持ち上げてたから、今更ではないか、というのは口に出さないでおく。
「それで、言い忘れていたことって?この蛇の模様のこと?」
「ええ、それは死蛇紋といいましてね。まあ簡単に言えば死へのカウントダウンです。それが最大まで進行した時に、貴方の死ぬ準備が整います。通常は、呪術的な呪いのものですが、薬で強制的にそれを起こしているわけですね」
「成程……」
「それは、僕と貴方以外には見えないので、特に見た目は気にしなくても大丈夫です」
「確かに、目立つからそれは嬉しい」
改めて、まじまじと模様を見てみれば、少し格好良くも感じれた。
少し一般の感覚からはズレているかも知れない。蛇は『蛇の王の伝説』があるから、悪く思われがちだけど、私はそこまでではない。
「それでは、僕は仕事があるので行きます。また、後で」
「はい、使徒様」
そう言い切る瞬間には、彼は居なくなっていた。
最初から、そこに居なかったかのように。
だからこそ戸惑ってしまうのだ。あまりにも現実感が薄いから。
「……朝食、食べよ」
だが、現実なのだと再度脳に刻みながら、パンを再度手に取り、私は口へと運んだ。
時間が過ぎ、丁度昼を過ぎた頃。
ノック音が響く。
この時間は、メイド達も誰も来ない筈なので、少し不審に思った。
「アトレ、ボクだ。コーセルトだ」
「兄様?入って良いですよ」
率直に言って、かなり驚いた。
だって、既に見放されたと思っていたのだから。
ドアが開き、青い髪に端正な顔の、私の兄が入ってきた。
少し久しぶりに見る兄は、凛々しくなったように感じる。
兄は、来客者用の椅子をベッドの前まで持ってきて、寝る私の横に来て座る。
「済まない、アトレ。兄でありながら、お前に会いに来れなくて」
「いいえ、大丈夫です。兄様」
先ず、真摯に頭を下げる姿を見て、見放されてなどいなかったと自分の認識を改めた。
「唯の言い訳に過ぎぬが、実はだな。ドーカス公爵家の不正が遂に見つかったそうで、公爵家の面々の処刑やお取り潰しに関連して、兄上達は勿論、ボクまで駆り出されてしまって時間が喰われた。公爵家のお取り潰しなど、例のないことで、全く忙しなかった」
「そういうことだったんですか……」
私には、そんな情報全く入ってきていない。
まさか、公爵家が潰されるなんて、大事が起こっていたとは想像もしていなかった。
何もかもが、下向きに考えすぎていたのかもしれない。
この情報を知っていれば、私は踏みとどまっていたかもしれないと思った。
しかし、私は、既に使徒様に殺してくれと願ってしまった。もう、死から逃れは出来ない。
「済まない、こんなこと話しても仕方がないな。もっと、明るい話をしよう――」
兄の言葉がまとも入ってこない。
見放されていなかったという安堵と、死ぬことが決まっている後悔と、そして嬉しさ。
確かに見放されてはいなかったが、家族の重しなのには変わらない。
ならば、やはり死んだ方が良いのだろう。
大切にはされていても、必要とはされていないのだから。
一瞬揺らいだ死への決意が再度固まる。
そうして、迷いを拭い捨て、兄の話に集中する。
今は、兄に魔法の教師がついたという話だ。
どうにも、かなりの曲者のようだが、良い人ではあり、とても強いらしい。
コレほどまでに笑顔で兄が、誰かを褒めている所は見たことがないので、死ぬ前に会ってみたいと漠然と思う私であった。
◆投稿
次の投稿は10/2(月)です。
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◆蛇足
語り部「意外と公爵家の崩壊ってデカイことだったんだな」
蛇の王「まあ、一見の身分で言えば、平民のライトの視点では重大さは分からぬよなぁ」
語り部「だよなぁ、ぶっちゃけライトは興味ないし」
蛇の王「にしてもライトの奴、色々と仕込んでいるな?……それと白槍は?」
語り部「ん?疲れたから寝るって」
蛇の王「では次話の語り部は誰がやるんじゃ?」
語り部「きっとそれまでには戻ってくるから」




