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第75話 到着

迫り来る蜘蛛。

さらにゴウダイは逃げようとするが……



「あ、あれ……?」



思うように足が動かない。

これまでの逃走と術の多用により、疲労が自身の閾値(いきち)を超えてしまったのだろう。



(そ……ん……な……)



絶望が足音を立てて忍び寄る。

ついには木を背にして座り込み、見開かれたその目で蜘蛛を見つめるのみ。

これまで逃げていた影響か、全身は砂、土まみれとなり、身体の至るところに擦過傷、切創が散見出来る。


そして今、そんな彼が取れる行動はこれしかなかった。



「おおおおお、お、おお願いしししし、します!!! たたた、たす、たすけて!!!」



懇願。

知能の有無が定かでない妖怪相手に、懇願という手段を取る。

蜘蛛は僅かに動きを止め、舐めるようにゴウダイに視線を送り……



「あ゛――――…………だぁめ~~~……」



最悪の一言を発する。

その体躯を八本の足で不気味に動かし、じりじりと彼に近付く。



「も、もうしません!! お、お願いたたたすたすけてえええええええ!!」



必死の命乞い。しかしそれも空しく、蜘蛛は無情にも大口を開ける。


家族を守るはずが、強くなるはずが、忍術を手に入れ何もかもが上手くいくはずが、誤った自信により無に帰してしまう。



(なんで……?)


(こんなところで……?)


(母さん……ユヅキ……ユウジン……)



もう思い描く何かも明確にならない。

ぼんやりと、目前の現実が自身に近付くのをゆっくりと眺めてしまっている。



「あ゛~~~~~~」



そして、人間の顔を崩すように大口を開けた蜘蛛が、ゴウダイを飲み込もうとした時だった。



ザンッ!



「あ゛?」



突然蜘蛛の、右半身の足がすべて飛ぶ。バランスを崩し、足が無くなった方向へ自然と倒れる。



「まったく、こんなところに子どもとはのう……」


「……え?」



辺りはすっかり暗くなり、声だけは確認出来るもののその姿を見ることが出来ない。

声を聞く限り老人のようだが、その正体が掴めない。


その者は、少しずつゴウダイに歩み寄ってくるのだが……



「あ゛、あ゛、あ゛じぃぃぃぃぃぃ――――!」


「ぬ? ……説教は後じゃの」



蜘蛛が残った半身の足を器用に動かし、勢い良くゴウダイの方向へ向かって来る。

だが老人と思わしき人物は何やら手を動かしている。まだ七歳の少年の目に映ったのは、つい先ほども自分がやっていた行動……つまり『印を結んでいる』シルエットだ。



「……忍法」



―猛勢・波状環!!―



「あ゛?」



練り上げられる気に風の属性が紐付けされ、放たれる。

気で圧縮されたような真円が蜘蛛の妖怪を……



「お゛ぼお゛お゛お゛お゛お゛!!??」



なんと、粉々にしてしまう。


それは圧倒的な力だった。

火の忍術を使えるようになったばかりの彼からすれば、そして蜘蛛に対して有効な術を持ち合わせていなかった彼からすれば、あまりに強大なものだったのである。



「…………あ」



そのためか、ただただ傍観。



「さてと、帰るぞい?」


「…………」



月明かりが、少しだけ老人を照らす。

背は七歳のゴウダイとほぼ同じという低身長。そして深緑を思わせる法衣のような服装と、頭にはあるべき毛髪がなくシワの多い……つまり、一般的な老人としか言いようがない風貌だ。


老人は、おもむろに話し出す。



「……近頃すずな町の南の集落に、妖怪が出没するという話を聞いての。間に合ってよかったわい」


「あ、あ、あの……あの……」



まだ思考がまとまらないゴウダイ。

何とか短い時間で、今一番老人に言いたい言葉をひねり出す。



「あ、ありがとう……」


「礼には及ばん。それよりも、帰ったらお説教じゃのう」


「う、うん……ごめんなさい」



その後、会話をしながら二人は歩く。

その途上で、ゴウダイが使用したであろう術の残滓がいくつか残っており、老人はそれを興味深く観察している。



「火忍術か……その齢で目覚めるとは、なかなか筋が良さそうじゃわい」


「…………」



蜘蛛に追い詰められた所為か、それとも疲労の所為か、未だにぼんやりとするゴウダイ。

足取りは少々重く、時折ふらつく場面も見られる。


それでも、同じ忍として老人には言っておきたいのか、歩くよりも言葉を優先する。



「母さんを……ユヅキを……ユウジンを……守りたいんだ……」


「む?」


「うちは貧乏だから……忍になればお金が……手に入るから……え?」



ふらふらをする彼を、老人は黙って背負う。

特に何も言うことなく、そのまま歩みを進めていく。


暫し無言。


だが、ゴウダイはまだ言い足りなかったのか、再度口を開き始める。



「強くなりたい……強くなれば……みんなを守れる……楽させてあげられる……」


「……」



彼が話し始めてからは押し黙っている老人。

しかし、ここでようやくその口から言葉が発せられる。



「そうじゃの。もう少し大きくなったら……一揆へ来るとよい」


「え? ……いいの?」


「もちろん。一揆はいつでも、やる気のある若人を応援じゃ。ふぇふぇふぇ」



少し元気を取り戻したゴウダイ。

背中から下り、今度は老人を少し前にして歩く。なお彼はここで気になったことがあったようだ。



「あの……」


「フウマじゃ。一揆の門を叩く時、ワシの名を言うといいじゃろ」


「あ……は、はい!!!!!」



夜道を歩く老人と少年。

少年はいつまでも、そのとてつもなく大きく見える、本当は小さな背中を見つめ続けていた。




――――――


――――――――


――――――――――




ーはこべら町 近郊ー



(あの後、母さんにこっぴどく叱られたな……)



走り続けるゴウダイ。場所はすでにはこべら町近郊だ。

どうやら彼は丸二日近く、飲まず食わずで走り続けていたようだ。



(その後ウキョウが生まれ、タイゾウも生まれ……そして、十三歳になったと同時に一揆の門を叩いた……)



無我夢中で走る彼。

やがて思い出から、自問自答へと変わりゆく。



(あれから俺は強くなったのだろうか……? 一文字で抜擢とは聞こえがいいが、適当な穴埋めに過ぎんのは誰の目から見ても分かるところだ)



そしてまた日は上り来る。

現時点で丁度丸二日。予定より大幅に早くはこべら町へ辿り着くゴウダイ。



(だが俺は諦めん。守りたいものを守るために……守りたいものを守れる強さを……必ず手にしてみせる!)



改めて意思を固め、疲れきった身体に鞭を打ち歩を進める。

なお町に入ったからか、周囲を見渡しつつ慎重に行動をしている印象だ。

フウマ、または他の忍の姿があるのかを確認しているのか。



(……こういう場合に風忍術は便利なんだがな……火は、気の効いた術がないから困る)



フウマを探したいのだろう。

風忍術があればそれも可能だが、彼が使うのは火忍術。そのような便利な術はないようだ。


その後、朝を迎えたはこべら町。

温泉街ということもあり、他の町のように仕事に出る者は少なくさほど人気がない。

それでも茶屋は早めに開かれるようだ。神社に向かう長い階段に入る斜交いの水茶屋(みずぢゃや)は、すでに茶立女(ちゃたておんな)が支度を整えている。



(そういえば飲まず食わずか。随分と汗をかいた……一杯だけいただくとするか……)



そう思うとゴウダイ、水茶屋の方へ向かう。



「すまない。茶と塩漬けの桜をいただけないか?」


「あ、はい! かしこま……り……ま…………」



朝から元気良く応対する若い茶立女。振り向き、ゴウダイの姿が視界に入り始めたと同時に、どんどん硬直していく。



「ゴ、ゴ、ゴウダイ様ぁぁぁ!?!?!?!?」


「ん? あ、ああ……気にしないでくれ。はこべら町に少し用事があってな……」



一気に顔面が紅潮してゆく茶立女。

その素っ頓狂な声に驚いたのか、同じく水茶屋の関係者と思わしき若い女性がさらに数人現れる。



「え? え? ええええええええええ!?」

「キャ――――!! ゴウダイ様!!!!」

「お、お、お、お、おはようございますぅぅぅぅ!!!」


「え? あ、お、お、おはよう……えっと……」



華武羅番衆は、そしてゴウダイという名は、東国中に知られている様子。彼はしどろもどろだ。

なお注文をして、一分も掛からない程度ですぐに提供されたのだが……



「…………」



彼も硬直する。

何故ならそこにあるのは茶、梅干、漬物、佃煮、干物、煮豆がズラリ。



「し、塩漬け…………」



ただ、彼は塩漬けの桜を口にしたかった模様。だが叶わず。

妙に民から人気のある男、それがゴウダイであった。

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