第58話 トムの過去②
「なんだ、また来てたのか」
「う、うん。ここはとても空気がきれいだから……ごめんなさい」
次の日。昨日のように魔術を練習した後だろう、同じように公園に来たトマスはまたしてもシェリーを発見する。
許しを得たからか、比較的見つけやすい場所で腰を下ろしていたようだ。
「だが、ここじゃ使用人に発見されて、いずれつまみ出されるぞ? もう少し目立たないところに居ろ」
「はう……ごめんなさい」
「だからいちいち謝るなって」
事あるごとに謝罪を挟むシェリーに、少々苛立ちがある様子のトマス。ただ、それ以上に気になることがあるようで、錆色に染まる町に目線を置きつつ彼女に話しかける。
「ここで身体を休めているってことは、やっぱり病気はあの町が原因なのか?」
「う、うん。たぶん……よく分からないけど……コホっ」
「ふーん……よし」
何か興味が沸いたのか、彼女に歩み寄るトマス。
「ど、ど、どうしたの?」
「身体を休めたら町を見せてくれないか?」
「いいけど……コホン。どうして?」
「僕はいずれプレジデントになる男だからな。民がどのような生活を送っているのかを知るのは当然だろう?」
彼は鼻を鳴らしつつ、少し自慢げにする。
(お父様から町に近付くなと強く言われているが……今なら大丈夫だ。何せ僕は人の上に立つ男になるんだし)
要は社会勉強のつもりか。
「す、すごいんだね! ……えっと……?」
「トマスだ。この名はきちんと覚えておけよ? フフフ」
「トマス君ね! ちゃんと覚えとく!」
子どもの戯れ言にしか聞こえないが、シェリーは信じた様子。
もう暫く彼女が落ち着くまで待ち、その後二人で町に向かったのであった。
※※※
「これが町か……初めて来たけど、遠巻きから見るよりはマシ……はっくしょん!」
トマスの住家から三時間ほど歩き、ようやく到着した錆色の町。
シェリーの歩行速度が遅く距離以上に時間が掛かってしまったようだ。
なお町全体の情景だが、近くで見る分には錆色一色というわけではなく、特に異様な雰囲気があるわけでもない。ただこの日は快晴だったようだが、今空を見上げると明るさは感じられるものの太陽を確認することが出来ない。ぼんやりと明るいというだけだ。
彼は、先ほどからクシャミが止まらない模様。
「大丈……ゴホッ! ゴホッ!」
「お、おい、お前の方こそ大丈夫か?」
彼女は、町に近付くにつれて咳がひどくなっていたようで、現在はこの状態である。やはり町そのものが原因か。
(そういや、呼吸がしづらいのに三時間も掛けて公園に来てたんだよな。そうしてでも、町から離れた方がいい訳か……)
「だ、大丈夫だよ。ごめんなさい」
「だから謝るなと言っただろ」
三時間掛けて、息苦しさに耐えてでも、町から離れた方が彼女自身は楽なのだ。
(しかし……)
トマスは町の中を見渡す。
(高い建物は全部工場だな。煙突はしっかりと錆色だ。下はそれほどじゃないけど。……それにしても……)
トマスの、汚物を見るかのような目。
その先には、錆ばかりのトタン屋根が張られているあばら屋がひしめき合い、ゴミがあちこちに散乱している。時間帯の問題があるのかもしれないが、行き交う人は少なく時折見掛けたところで生気の欠片も感じられない。シェリーのように、ひどく咳き込む人も少なくない。
と、ここで彼女の足が止まる。
「トマス君、ここが私のおうちだよー」
「え? ……ここが……?」
先ほど、彼が見渡した先にあったあばら屋とさして変わりない建物。入り口にドアらしきものはないようで、彼女はそのまま入って行く。壁はトタンや薄い鉄板、中には黄ばんだ紙のようなものを貼り合わせているという有様。床はそもそもなく、雨天時どのように対処しているかが気になるところだ。
「えっと、両親は居ないのか?」
「……え、えっと……コホン……お母さんはお仕事……」
シェリーは母が仕事と言った。ならば次に聞くのは……
「父はどうした?」
「……」
答えない。いや、答え辛そうといった印象だ。すでに答えは出ている。
「あ……! す、すまない……」
「ううん。そ、その……三年前に……」
「もういい。悪かった」
罰が悪そうなトマス。迂闊だったと反省しているようだ。
その後暫く雑談をするものの、彼自身もくしゃみのみならず咳まで現れたため、この日はシェリーをそのまま彼女の自宅に置き、家路へと向かった。
※※※
その後、両親が帰って来た以降も、トマスは両親の目を盗んでシェリーと共に時間を過ごすことが増えた。
自身の知らない世界。強く興味が惹かれたのだろう。だから彼女の話は新鮮だった。
この日も彼は、シェリーと一緒に公園で談笑をしていた。
「……って感じかなぁ? ゴホッ」
「なるほどな。たぶん、多くは製鉄所で一部化学工場なんだと思うぞ。あの煙はばい煙なんじゃないかな」
煙の下に住んでいるはずのシェリーだが、その煙の原因に対する知識はかなり乏しいようだ。トマスは違和感を覚える。
「母は何も言ってないのか? お前の症状を見たら心配するだろう?」
「なんにも。ゴホゴホ! 煙を吸って、ちょっとだけ身体が悪くなっただけだから、お昼は……ンッ! ゴホンッ! 町へ出てゆっくりしなさいってしか言われてないかなぁ」
(おかしいな。何も聞かされていないだけか……? 僕の考えが正しかったら、化学工場の煙は石炭などを燃やした時に出る硫黄酸化物だ。製鉄所のばい煙、灰じんに、化学工場からの硫黄酸化物……こんなもの、肺がやられて当たり前だ! だからこそ、建設前には十二分な説明があるはずだけどな)
現にトマスが町を確認した際、皆勤務時間であったためか人通りこそ少なかったものの、咳き込む人が少なくなかった。
シェリーの話は新鮮なものの、時に冷や汗をかくような話題も少なくなかった。しかも彼女は、それを当たり前のように無邪気に話す。
彼の違和感は、降り積もる雪のごとく増していった。
※※※
―ウインドブレード!!―
トマスは手刀を形作り、三尺程度の風の剣を生成する。
「す、すごーい!」
「ははは。こんなもの簡単だよ」
彼はフフンと鼻を鳴らし、とても満足気だ。
シェリーは瞳をキラキラさせて、尊敬と羨望の眼差しでトマスを見つめる。
初めてシェリーと会ってからはや一ヶ月。毎日のように、同じ時間帯に公園で会う……いや、もはや逢瀬と言っても何ら不自然ではない。
「トム君って……ゴホっゲホっ! 魔術が使えるんだね! ほんとに……ケホっ! すごい人なんだぁ!」
「と、当然……ん? トム?」
「あ、ゴホッ! ごめんなさい! トマス君よりトム君の方が可愛いから……ゴホンッ!こっちの方が呼びやすいし!」
「か、可愛い!? ぶ、ぶ、無礼……あ、いや、まあいい……」
シェリーの不意打ちに、耳まで赤く染まるトム。まんざらではないどころか、嬉しさすらあるようだ。
だが、彼の表情には暗がりが残っている。
(以前より症状がひどくなってるな……このままじゃシェリーは……)
強い不安を抱くトム。症状の悪化が目に見えて分かる以上、何かしらの手を打たなければ最悪の結果を招く。
(だが、そもそも町へは行くなという言いつけがあった以上、お父様の力を借りる訳にはいかないし、借りられる訳もない。僕が……僕に出来ることを考えなければ……)
※※※
さらに数日後、二人はいつものように公園で談笑をする。時間にして正午、話題のひとつが終わった辺りでトムが何かを、手持ちの袋から取り出す。
「ほら、昼食だ。いつも食べてないだろ?」
「ゴホ! え、え!? ダメだよ! そんなの貰えない!」
「いいから!」
「……!!」
トムの強い否定。シェリーはビクっと身体を震わせる。
「あ……! す、すまない。つい……ただ心配で……は!?」
「え……? 心配……?」
うっかりだろう。トムはまたしても顔全体が紅に染まる。さらに、『心配』という言葉と彼の反応を見たシェリーも、少しずつ紅潮していく。
これまで、日中は基本的に公園で過ごしている彼女。昼食らしきものは持ってきているようだが一口程度で、トムは足りているか疑問だったのだろう。
痩せこけている時点で足りていないのは明らかであり、ただでさえ病状は芳しくない。よって懸念は常に抱えていた訳だが、ついにそれが本格化したわけである。
つまりは栄養補給をして欲しいというトムの願いなのである。病を治す基礎の基礎だ。
なおこの場は、沈黙が訪れてしまっていたようだ。照れ臭いのか、先にシェリーが動く。
「あ、ありが……ケホっ! ありがとう!」
「……あ」
トムへのお礼を、満面の笑みでぶつけてしまった彼女。それが直撃した彼は……
(シェリー……)
優しく、柔らかな碧眼。その意味は愛情か、それとも憐憫か。若しくはどちらの意味も含まれているのか。
(後、僕に出来ることは……)




