第516話 彼女の名は
―ごぎょう町―
「そんで、空弧は何が好きなんだ?」
「そうだな……最近は西国の菓子にはまっていると聞いたが……」
「西国のモンか。ごぎょうにあったっけかな? ま、無けりゃほとけのざまでひとっ飛びすりゃいいか」
リュウシロウ、ムリョウが空弧への土産か、町に繰り出す。
現在時刻は後半刻程度で正午といったところ……往来には人通りも多い。
そしてこの二人は、他の英傑と比べても抜きん出て有名人である。
「おう! リュウシロウの旦那ぁ! 嫁さんとデートかい? こいつ持ってきな!」
「お? ありがとよ。うひょー、美味そうな饅頭じゃねえか!」
和菓子屋の旦那か、カウンター越しから饅頭を二つ投げつけてくる。リュウシロウはそれを取り早速開けつつ、もうひとつをムリョウに手渡す。
「……」
照れくさそうにペコリとする彼女。
相変わらず人見知りなようだ。
「おやおや、雷神様に時姫様。ご機嫌麗しゅう……」
「……!!」
今度は年配の女性が、深々とお辞儀をしてくる。
どうやらムリョウ、『時姫』という名で呼ばれるケースもあるようだ。同じくペコリとするのだが、やはり慣れない感じが前面に出ている。
なおムリョウ、不慣れということもありこういう場面が苦手なのか……
>_<
という顔をする。
その他いたたまれない時、また対応に困った場合などに見掛けることが多い。
つまりは、本人のキャパを超えるとそうなるようだ。もっとも、彼女自身それに否定的という訳ではなさそうである。むしろ嬉しいことのようだが、まだいろいろと追い付かないのだろう。
もっとも、町人からすればそんなことは知ったことではないのだが。
「お! ムリョウちゃんじゃねえか! 旦那は優しくしてくれてるか?」
「時姫さまだー! ねーねー、術見せてー!」
「あらあらムリョウちゃん、困ったことがあったらいつでも言ってねー」
「いやー、今日も可愛い……おっとこんなこと言ったら旦那に叱られちまう」
「……」
>_<
※※※
―東の果て―
上手くお目当ての品物は買えたのだろう、リュウシロウが大きな袋を手に持つ。
その後即飛んだか、東国の東の果てに到着したようだ。そう、ここは……
「よし、ここまで来れば私でも分かる。だが……この残滓は……」
「あ、ああ、俺も驚いた。そういやアイツ、東の果てから出て来たって言ってたからな……まさかここまでド田舎とは……いや、ガチで何もねえじゃねえか。仙人か」
二人が話す人物とは……もう決まっている。
「だけどよ、イズミがここから出たってのは分かったとして、なんでそこに空弧の気が感じられるんだ? それにもうひとつ……極限まで力を抑えてるみてえだが……」
「そこは疑問に思った。どういうことだ……? 空弧……」
そう話している内にイズミの住家が近付く。なおリュウシロウ、ムリョウ共に、イズミの正確な住家はこれまで知らなかった様子。
巨木の上に木造の家……相変わらずの佇まいである。
「……何考えてこんな所に家造ったんだよ……」
「う、うーむ……」
何も知らない者からすれば、この状況は呆れるだろう。
今さらの話ではあるが、わざわざ木の上に家を造る必要がない。
そして玄関前までやって来る。
リュウシロウは無造作に間口の扉を叩き……
「おーい、空弧居るかー?」
もうここに空弧が居ること前提で声を掛ける。居場所を極めて正確に把握することが出来るのだろう。
すると、家の奥から足音。
扉の前でそれが止まるや否や、キィと扉が開く。
「おや? リュウシロウにムリョウじゃないか。どうしたんだい?」
「え?」
「え?」
同じ姿勢で固まる二人。
それもその筈、現れるべきは空弧なのだが……目の前に居るのは花魁を思わせるような人間の美女。さらに注目すべきは、その手に生まれて間もない子を抱えていることである。
「え、え、えーっと……?」
「ち、ちょっと……待て……も、もしや空弧……なのか?」
ムリョウの言葉に、さも当たり前のような面差しをする空弧と思われる女性。
「何言ってんだい。あたしを見忘れるだなんて寂しいじゃないか」
「ええええええええええええええええええ!?」
さすがの彼女も叫んでしまう。リュウシロウは停止したままである。
「あ、そういやあんたの前じゃ人間に化けたことなかったさね」
「そ、そうだ! 私はそんなこと知らなかったぞ! それに……その赤子は……?」
たしかに、過去そのような出来事はなかった。さらにムリョウ、やはり空弧が抱える子が気になるようだ。
「ああ、あんたたちなら問題ないさね。ほら」
「!?」
空弧が子に手をかざすと、これまで一般的な人間の赤子だった筈が、突然耳と尻尾が生える。だがさらに特筆すべきは、耳はたぬき様で尻尾がきつね様という風変わりな容姿。
「ど、ど、どういうことなんだよ!?」
「いいから付いてきな」
まとまらないリュウシロウ。空弧に促されイズミの住家に入る。
すると……
(……? 誰だ? 見た目でけえおっさんって感じだが……)
「主が……リュウシロウか」
居間には、机に向かい腕を組みあぐらをかいて座る中年男性。巨体で、小太りといった印象である。なお彼のことを知っているようだ。
「なんで俺の名前を……」
「見ていた。主がイズミと旅を始めた以降からな」
見ていた? しかも旅の初期から。
東国でそのようなことが出来るのは……
「……何者だよおっさん……」
「……」
そう、この男はこの東国という世の観測者であり、見届ける者。
「儂の名は茶釜。……イズミにはたぬ右衛門と呼ばれている。リュウシロウ、この度は真にご苦労だった……主には感謝してもしきれんな……」
その名はたぬ右衛門。なお茶釜という本名があるようだ。
リュウシロウに謝辞を述べるのだが、彼はそれどころではない様子。
「イ、イズミから聞いてたけどよ、でけえたぬきじゃなかったのかよ!?」
「ま、まあそこはいろいろとあってな……」
何か口篭るたぬ右衛門。そこへ、ぬっと空弧が割り入る。
「子どもこさえるのに、妖怪の姿のままじゃ身体が違い過ぎてどうにもならないからねぇ。そこで二人共人間の姿になったってわけだよ」
「はあああああああああああああああ!?」
と言うことは、空弧が手に置く子はつまり……
「ど、ど、どういう流れなんだよ!」
「お、お前とたぬ右衛門殿は、不倶戴天の敵同士だったのでは……」
やはりまだまとまらない。
たしかたぬ右衛門と空弧は何度も手合わせをしていた筈。
「ああ、もう何やっても茶釜に勝てないから、そんじゃ守ってもらおうって嫁入りしたんだよ。世も平和になったし……そんで何より、もうあんたは私の手から離れているからさ……」
「空弧……」
「でね、やっぱ嫁入りしたからには子どもこさえようって……まああたしから言い出したんだけど、ほんと茶釜は……その……見た目通りたくましくてねぇ……」
この台詞と同時に頬を赤らめる空弧。
もしかすると、もともとそれなりに気があったのかもしれない。なおたぬ右衛門、同じく少し赤くなり余所見をしている。
「狐の嫁入りをリアルで見られるとは俺も予想外だったぜ……つーか、そもそも空弧がメスだったってのが意外だったんだけどな……つーか、こんな短い期間で子どもが産まれる仕組みをまず知りてえぜ……」
「ま、まあ空弧が幸せならそれで構わんのだが……と言うより、狸と狐で子が生まれるとは……常識を覆された気分だ。いや……妖怪という部分が作用しているのか……うーん……」
おそらくその常識は合っているだろう。たぬ右衛門と空弧が特殊なだけで。
「そういえば……」
話題を変えたいのか否か、たぬ右衛門がリュウシロウに視線を置く。
「地獄門が閉じる寸前……閻魔が主のことを気に掛けておった。儂に、よろしく頼むと言っておったわ……」
「親父が……? そっか……へへ。まったく、変わらねえな……」
彼には嬉しい報告である。優しい笑顔を見せ、鼻をこする。
同時に皆のことも思い出しているのだろう。
「地獄の者か……鬼とはまた異なるのだな」
「ああ、そういやムリョウは知らねえか。地獄の王で、亡者を裁くっていう途方もねえ仕事をしている俺の親父だよ」
「!」
そのまもなく、リュウシロウとムリョウの会話が始まったのだが、ここで空弧が疑念を抱いたような面差し。
「なんだい。あんた、まだリュウシロウに本名を伝えてないのかい?」
「……」
そういえば、ムリョウという名は彼女が数奇な運命に巻き込まれた後に付けた、言わば偽名と呼べるもの。さらにこれまで、本名という話が出なかったことから伝えていないようだ。
「別にいいんだぜ? もっと落ち着いてから、ムリョウがその気になるまで待ってるっての」
「別に……構わない」
リュウシロウ、あえてこれまで聞いていなかったようだ。ムリョウはやぶさかではないようだが?
「……私はこの世に生を受けた後、ユキと名付けられた」
「お、おい、無理すんなよ?」
ユキ……それがムリョウの本名か。
彼は気遣うのだが、どうやら彼女がこれまで本名を明かさなかったのは別に理由があるようだ。
「問題はない。そうではないのだリュウシロウ」
「?」
「その……なんと言うか……」
言い辛そうなムリョウ……だが神妙さはない。発言自体に問題があるというニュアンスではなく、個人的な意志からのもののように見える。
「ムリョウが……いい……」
本名ではなく、ムリョウと呼んでもらいたい?
「私がこの名であったからこそ、お前との邂逅を果たしたのだ。そしてお前と出会ったことから、これまで否定したかった三千年はむしろ受け入れたいものへと変わった。その過程はムリョウという名で過ごしたのだ……だから……ムリョウがいい……」
少し俯いている彼女。これがわがままだと考えているか。
そもそもムリョウ、聞かれれば答える、そしてこの気持ちも明かす予定だったのだろう。リュウシロウがこれまで何も聞かなかっただけで。
「へへ、そっか! じゃあこれまでと変わりなく、だな」
「……う、うん!」
このやりとりに、たぬ右衛門と空弧が顔を合わせ微笑む。
と、ここでリュウシロウ、何か言い忘れていたことがあったようだ。
「あ、そういや……肝心の家主は何処行ったんだよ?」
「ああ、先日一度だけサイゾウと帰って来てな……『南へ、行けるところまで行って来る』と言い残してまた旅に出たな」
またしても目を剥く彼。
「なんじゃそりゃああああああああああ!?」
「サイゾウも難儀だな……イズミと付き合うのはさぞ疲れるだろうに……」
リュウシロウ、ムリョウ共に呆れているような雰囲気。
一体彼女たちは何処へ……?
残り一話




