第499話 鬼の目にも涙
膝から崩れ落ちるリュウシロウ。だがここで何かを閃く……のだが、それは到底叶えられないこと……
「な、ならさ! 皆で一緒に現世で暮らそうぜ!! そ、それなら……」
「……」
分かっている。
分かっているのである。そんなことは到底不可能であることを。
「……りゅー君……」
赤鬼がそっと地面に視線を置く。
そこには、既に鬼たちの力に耐えられずに死んでいく大地。
青鬼は近くの樹木を見上げる。
そこには、同じく鬼たちの力に耐えられずに枯れていく……
人間たちと鬼は、分かり合えることは可能だが共存することは出来ない。
現世で暮らすにはあまりにも……あまりにも力が強すぎるのである。
だが、そんなことは分かっているのだ。
「そういうことだ。じゃあ俺様たちは行くぜ……達者でな」
「……」
「……」
まもなく閉じようとしている地獄門に向かって踵を返す鬼たち。
だがそんなことは認めたくない。
リュウシロウは絶対にそのようなことを認めない。
「ふざけんな!!! い、嫌だ……せっかくまた会えたのに……もう二度と会えなくなるなんて……さ……!!!」
「リュウ゛……ジロ゛ウ゛……ずま゛ん゛な゛……」
「りゅー君……ごめんね。でも分かって……? もう……地獄門は……」
青鬼と赤鬼が宥めようとする。しかし……
「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!!! なんでだよ!! 行かないでくれよ!!!」
ついに大粒の涙を流し始めるリュウシロウ。
それを見てしまった青鬼と赤鬼も、絆されてしまいそうな雰囲気を示してしまう。
地獄で可愛がってきた末弟……離れ離れになることが寂しくない訳がない。
その後も彼は捲くし立てる。
「俺……まだまだ教わってねえことがあるんだよ!!」
「……皆に教えたいこともあるんだよ!!! 現世のこととか……仲間のこととか……もっともっと……」
「二度と会えないなんて嫌だ!!! 認めねえよそんなこと!!」
「何とか言ってくれよ!! 行かないでくれ!!!」
周囲の者たちも静まり返る。
掛ける言葉が見つからない。
青鬼、赤鬼もこれ以上何も言えない。
人間や妖怪たちはリュウシロウの気持ちを今知り、この二人の鬼はリュウシロウの気持ちを既に知っているのだ。
だがその時だった。
「甘ったれてんじゃねえぞ――――――――――――――――!!!!!!」
後ろを振り向いたままの黒鬼の怒号。
ここで振り向き、鬼らしい恐ろしげな形相をする。
「馬鹿かてめー? そもそも地獄に、生きた人間なんざお呼びじゃねえんだよ。つーかなんだ? もしかしててめー、俺様たちと仲良くなったつもりなのかよ。はん!! 人間如きが笑わせるぜ……」
「く、黒兄……」
「ああ? なんだよ人間。気安く呼ぶんじゃねえや。この期に及んでめそめそと泣いている野郎なんざに呼ばれる名前なんてねーんだよ。マジで殺すぞ」
初めて彼と邂逅した時のような……そんな雰囲気を漂わせる。
「ちぇ……こんなクズに勘違いさせちまった。おい青、赤、行くぞ」
「え゛!?」
「く、黒君……」
最後にリュウシロウを見下したような目線をし、二人を呼びつけ地獄門に向かっていく黒鬼。青鬼と赤鬼は、彼を気に掛けるような素振りをしつつ、黒鬼の下へ歩いて行く。
「…………」
ぼろぼろと涙を流し続けるリュウシロウ。
もちろんそれは、黒鬼の暴言が理由ではない。そんなことは理解している。何せ四桁年数の時を共に過ごして来たのだから。そう、これは……
あまりも分かりやすい突き放し。
まだ泣いている彼……だが、それは悲しさよりも悔しさが勝っているかの印象。
最後の最後で失望させるような真似をした、自分自身が情けないと思っているのかもしれない。
「う、うう……ぐ……うう……」
本来であれば、さらに成長した自分を見て欲しかったのだ、褒めて欲しかったのだ。
だが、二度と会えないという状況となり、結果情けない姿を晒してしまった。そんな自分が嫌になっていることだろう。
「……」
沈黙し、そのまま歩き続ける三鬼。
このままでは、何も言えないまま永遠の別れとなる。
だから涙を拭いて立ち上がる。
凛をした面差しを作り、大地を踏みしめて身体を起こし、大きく息を吸う!
「青兄ぃぃぃぃぃぃぃぃぃ――――――――――――――――!!!」
「!!」
まず呼びかけたのは青鬼。
振り向かない三鬼だが、構わず言いたいことを言う。
「俺……地獄で最初に会ったのが……青兄で……良かった……!! すげえ優しくて、いろいろ知ってて……何でも相談出来る……自慢の兄ちゃんだった!! 優しすぎるところが……あるけど……それが俺には嬉しかった!! だからこそ……俺は……地獄が大好きになったんだよ!! ありがとう青兄……俺がそっちに言ったら……また……また一緒に料理しようぜ!!!」
「リ゛……リ゛ュウ゛ジロ゛ウ゛……」
振り向かない青鬼。
だがその向こうでは滝のような、溢れんばかりの涙を流し続ける。
地獄で最も最初に仲良くなったのはこの二人。
青鬼は閻魔からの叱責から救われ、人間の……リュウシロウの優しさを知った。リュウシロウは自分を気遣い、常に案じてくれる青鬼の優しさを知った。だからこそ彼は、鬼という存在を受け入れられたのだと言える。強面でも、こんなに温かな気質を持っているのだから。
「赤姉ぇぇぇぇぇぇぇぇぇ――――――――――――――――!!!!!」
「!!」
次に呼んだのは赤鬼。
「赤姉は……最初は怖かったし、内心俺はビクビクしてた……でもすげえあったかくて、いつも俺を包んでくれて……たまに慰めてくれて……だから俺は前に踏み出せたんだ!! 今の俺があるのは……紛れも無く……赤姉のおかげなんだよ!! 少なくとも……俺から見りゃ……優しくて綺麗で自慢の姉ちゃんだったぜ!! へへ……地獄に戻って俺が居なくても……しっかり野菜食えよな!!!」
「も、もう……りゅー君……馬鹿……なんだから……」
赤鬼もまた振り向かず、そのまま歩き続ける。
俯いてその面差しは分からないが、明らかにその目からは雫……
初めて会った時こそは、彼女の気分次第で殺される可能性があるような状況だった。だが人間というものに、女性というものに関心があった赤鬼に、リュウシロウは人間目線でそれを教えた。彼女の深層については不明な部分があるが、ひとつだけ言えるのはそんな彼女に人間であるリュウシロウは包まれ、後押しされ、強くなる為の第一歩を踏み出せたのである。
「……」
そして、最後に伝えなければならない者……それは黒鬼。
だがリュウシロウ、次の言葉が出ない。この二人は特に仲睦まじかった……それだけに伝えないことは多いか。
「……」
「……」
暫く経っても思いを口にすることが出来ない。
その間も、黒鬼は真っ直ぐ地獄門へ向かっていく。何も言わず……
「……」
一体どれだけ伝えたいことがあるのだろう?
そして、その内容とはどのようなものなのだろう?
まもなく地獄門は閉じる。
実のところ、伝えられることは数少なくなるだろう。
「……」
だがまだ言えない。
あまりにも、言いたいことが多過ぎるのだ。
だからこそ彼は……
「黒兄ぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ――――――――――――――――!!!!」
何も反応せず、ただ黒鬼は歩き続ける。
しかしそんなことは構わない。言いたいことを言う。リュウシロウは黒鬼に対して、今伝えなければならないことを、伝えなければ一生後悔することを……その口ではっきりと言葉にする。
「俺が死んで地獄で会ったら……」
ここで彼の涙は全て止まる。
キッと、その追い付きたい、追い越したい背中を見つめ、握り拳を差し出す!
「そん時こそ、地べたに這い蹲らせてやるからなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――――――――――――――――――――――――!!!!!!」
たったこれだけ。
だが、この一言に込めた思いは幾千万。
歩き続ける黒鬼。
だがその口元が僅かに見えた。
「へへ……バーカ」
そう……少しだけ緩んだ口元。確かに彼は今、笑った。
「一極年……早ぇんだよ……」
彼の面差しの全貌は分からない。
だが見えてしまった。
今、一瞬だけ見えてしまったのだ。
キラリと輝く雫が……地面に落ちたのを――――――――
リュウシロウを、現世最強にまで押し上げたのは紛れも無くこの黒鬼。現世、地獄のみならず、狭間の世界から見えたありとあらゆる全ての世も含めての最強中の最強……そんな無敵の鬼が最も可愛がった人間であるリュウシロウ。
これからも鬼たちは、地獄において永遠とも言える時を過ごすのだろう。
彼の居ない地獄……鬼たちにとってそれはそれは退屈なものなのかもしれない。だがどうってことはない。何故なら……リュウシロウのその寿命が尽きた時に、きっと地獄で再会することになるのだから。
今の黒鬼の一言……それを残して、三鬼たちは地獄門へと消えていった。
そして、丁度限界だったのだろう。そのおどろおどろしい門は閉じる。その後は、そこに何もなかったかのような空。その向こう側の景色もはっきりと見え、本当に地獄門は消え去ったのだと認識させられる。
「……」
今は強い面差しをするリュウシロウ。
「……大丈夫だぜ黒兄……もう、今度こそ……情けねえ涙は流さねえからさ。地獄で安心しててくれよ……青兄も……赤姉も……」
「……リュウシロウ……」
そんな彼の横顔をじっと眺めるムリョウ。
(……お前が強い理由が……これではっきりした。身体だけではない、鬼たちに心も鍛えてもらったのだな……そして鬼たちも……リュウシロウのことを愛していた……家族のように……鬼たちがああなのは、きっと……)
その眼差しは、心からの敬慕。
彼は鬼に鍛えられ、鬼は彼に教えられた……そういう関係であることを知る。
その後皆は改めて悪魔を撃退したことを喜び、幸せを分かち合う。
この一件で人間と妖怪の距離が縮まったようで、仲良く会話をする者も散見される。
今、すべての戦いが終わった。
この時点で、イズミが旅に出て丁度一年。激動の年だったのは言うまでもないだろう。
長いようで短かった……所感としてはこのような印象だと言える。彼女たちのこの一年はあまりに多忙だったからだ。
ひとつとなった仲間たちも、後はそれぞれの道を進むだけとなる。
それはこれから長い時間を必要とするものであることから、個人で取り組むことになるだろう。そう、ここからは一人一人が旅立ち、帰り、自身の成すべきことをするのだ。
だがまだ一人、早急に取り掛からねばならないことがあるようだが……?