第493話 黒鬼の力
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一同は静観する。いや、それしか出来ない。
最初に人間、妖怪たちが戦った軍勢とは比較にならない数……それがまもなく東国を襲い、たちまち蹂躙される筈だった。英傑たちの力も及ばず……
この世の全ての戦力を投入しても、そしてそれらの者が例外なく万全であったとしても、覆せないほどの戦力差が今そこにあったのである。
だが赤鬼は、それを一瞬で切り伏せた。
そもそも出したかどうかすら分からない、見えないだんびらで全てを屠った。
「…………」
この場に居る悪魔の総大将と思われるバエル。
ただ呆然と青空を……いや、どちらかと言うと夥しい数の悪魔が居た筈の空間を眺めていると言った方が適切か。
他の、高位の悪魔と思われる者たちもただ空中であっけに取られている様子。次の言葉が出てこないような印象。
「…………」
もちろんのこと、人間や妖怪も絶句。
今自身たちの目の前で、絶対にありえない現象が起こってしまった。
前向きな気持ち、姿勢で居たところで現実は悪魔に蹂躙されていた未来が、たったの秒で覆る。
そして、それを成したのが紛れもなくこの場に居る鬼。その中の真紅の髪を靡かせ、軽い運動でもしたかのように振る舞う赤鬼その人であることを認識する。分かっていても声が出ない。
そんな中、いつも通りのこの者が前に出る。
「さーて、とっとと終わらせるか」
黒鬼。
装甲のような皮膚、重厚感のある出で立ち……もうこれだけでも只者ではないことが明らかである。実際只者ではない。
彼は軽く空を見上げ、五十余命程度だろうか。高位の悪魔と思わしき者たちを一瞥する。心底見下したような目で。
その中で一人の悪魔に視線を置く。
「……ひっ……」
その黒目と白目が逆転した眼に見つめられ、小さく悲鳴を上げてしまうバエル。ベリアルの本体は全てが黒目であり人間の様相と異なる眼など見慣れている筈なのだが?
つまりそういう問題ではないのだ。ようやく悪魔はこの折で、鬼の異常性に気付いたのである。
「……」
最初はただ眺めているだけだった。
(……ま、相手はカスしかいねーけど……人間と、妖怪……だっけ? どいつもこいつも引かねえ辺り、おもしれー連中じゃねーか……特にこの前に居る連中……)
「!」
ここで黒鬼、イズミたちの方向へ視線を変える。
その後ろに居る一揆の兵や妖怪たちは怯えるものの、彼女たち一向だけはその視線から目を逸らさない。凛とした面差しのまま、この最強の鬼の視線を受け止める。
だが、青鬼と赤鬼よりも異様な雰囲気を見せる黒鬼に、やはりイズミたちも恐怖を隠しきれない。
(へへ……なるほどな。こいつらがリュウシロウの仲間ってヤツか。いい顔してやがる)
リュウシロウ以外の人間に興味を持ったようだ。
彼の仲間であることから、自然な成り行きなのだろう。
そして、最後にチラリと眠っているリュウシロウに目をやる。
(その様子なら、おめーはこいつらの役に立ったんだな)
少しだけニヤリ。傍で彼を抱えているムリョウがビクっとしてしまう。
ただ視線を変えるだけ。
だが、そんな他愛のない一挙一動に目が離せない。
悪魔たちも冷たい汗をかきながら様子を伺っているようだ。
まもなく黒鬼の表情が変化していく。
(よくやったじゃねーか……)
(俺様たちが着くまで守りきりやがったな)
(だけどよ、着いた頃にはズタボロだったじゃねーか、てめー……)
(……)
その時、この場に居る者が誰一人例外なく凍りつく!
(どいつだ?)
ふわりと漆黒の気勢が上がる。
(おめーをそんな風にしたのは……)
そして、黒鬼の装甲のような外皮が立ち上がり、メキメキと音を立ててその形状を変化させていく。
「……黒君!?」
その様子を見ていた赤鬼が、即座に近くに居たイズミたちの前に立つ。
そしてだんびらを抜き、黒鬼の前で何かを防ぐように気勢を纏わせ差し出す。
「……え?」
この動きにはイズミも反応。
何かをしようとしている赤鬼の背中を見る。それに気付いたのか……
「あのね……黒君、ちょっと本気になっちゃったみたい。青君もお願い!」
「わ゛、わ゛がっだ!!」
続いて、青鬼も気勢を上げる……のだが、先ほど東国を包んだ結界の時の比ではないほどの濃厚な青で自身を染める。
その後、東国と言うよりも人間や妖怪を守るように、個々に対して結界を張る。
「い、一体何が……」
「力が大き過ぎて……もう何をしているのか……」
トムもサイゾウも、最早次元の異なる力を把握することが出来ないようだ。その疑問に応えるように、赤鬼が彼らに振り向いて言葉を続ける。
「もしね、このまま黒君の力が放たれちゃったら、それだけでこの世は消えちゃうわ。守ってあげるからそこから動かないでね?」
「は、はい……」
直立しているアメリアが思わず返事をしてしまう。
どうやら黒鬼、現世で力を解放する様子。リュウシロウが一時的に瀕死になったことが、彼の怒りに火を付けたようだ。
「りゅー君を傷つけられて、よっぽど腹が立ったのねぇ」
「あばばばば! 当゛だり゛前゛だな゛! ……ぞれ゛に゛じでも゛……黒゛兄゛の゛あ゛の゛姿゛は久゛じぶり゛だぁ!」
もっとも、まだ鬼の強さを見せ付けたのは青鬼と赤鬼。
端からその雰囲気により最強を見せ付けている黒鬼だが、その全貌を人間たちは知らない。だからこそ気になるのだろう。イズミが恐る恐るだが赤鬼へ話し掛ける。
「あ、あのさ……あの黒い鬼って……お前より強いのか?」
「……ん? あたし?」
だが口調はいつも通り。特に赤鬼は気にしている様子はないが、人間側から話し掛けられることに慣れていないのかいささか戸惑っている雰囲気。無理もないだろう。彼女は地獄から外へ出たことがないのだから。
「そうねぇ……」
「……」
少し考える素振り。時折黒鬼を見ながら考えていることから、正確に判断しているか。
そしてその答えは……
「悔しいけど、たぶんあたしが十人居ても傷ひとつ付けられないかなぁ? 頑丈なのよね黒君」
「!!!!!!!!」
つまり、黒鬼の戦力は赤鬼の十人以上。しかも傷ひとつ付けられないと述べていることから、それを遥かに超える力を持っているものだと考えられる。たった一人で、無限とも言える悪魔を屠った彼女よりもずっと、ずっと強いのである。
イズミはその場で崩れ落ちる。目を丸くしながら。きっと、もうその力を想像することすら出来ないのだろう。
その間も、自身の形状を変化させていく黒鬼。
全身がパンプアップし、ところどころ刃物な形状となった外皮……触れる者を皆傷付けるようなフォルムへと変貌する。
それでもかなり抑え込んでいるのだろうが、外皮の隙間から極めて濃厚な黒色の気勢……多くの人間や妖怪はそれを目視しただけで気を失う。
「あ……あ……あ……」
さすがに悪魔でも理解出来たか。
だが遅すぎる。自身の力を過信していたとは言え察する力が弱すぎる。
もしかすると、天を突き抜けるような大きさの岩を、岩と気付かずただ動かない壁だと勘違いしていた……そういう思考を捨てたような思考だったのかもしれない。
まもなく黒鬼が歩き出す。
「てめーら……落とし前、付けさせてもらうぜ?」
もう分かる。
『絶対に勝てない』
眼を怪しく輝かせ、飲み込むような黒い気勢を放つこの鬼。
今だからこそ言えるが、虚喰いなどリュウシロウの言う通り鼻息で消し飛ぶだろう。それだけの説得力を持っている。
だからこそ恐怖する。畏怖する。
バエル……何とかその場に立ち止まっているが、既に足が震えている。
「な、何のことだ!! わ、わ、そもそも我々は貴様など……」
「俺様のことはどうでもいいんだよ。リュウシロウの……」
そして、あまりにも恐ろしく力強いその拳を見せて言い放つ。
「……貧弱な弟のよォ……」
「落とし前ってぇのは……」
「兄貴が努めるもんなんだよォォォ!!」
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『最強』
この言葉は物語の中で何度も使われてきた。
人間最強。
忍最強。
妖怪最強。
東国最強。
西国最強。
この世で最強。
そんな生温いものではないのだ。
最も強いことを意味するこの文言は、この黒鬼の為にある言葉だと言っていいだろう。
これより人間は知る、妖怪は知る、悪魔は知る……森羅万象すべてにおける真の最強を。