第441話 時の庵⑤
その後、毎度のように暗闇を歩くリュウシロウ。
表情は少し強張ったように見える。ムリョウの内面を知るごとに、苛立ちが増しているような印象である。
「私は……」
「!」
突然の彼女の声。ゴクザの次、それは……
「ただ、人が怯えずに……暮らせる世にしたかったのだ……」
「ゴウガシャ……の時代か」
時忍術を使う能面の一人、ゴウガシャを名乗っていた彼女。
茶室内で立ち上がっており、そのか細い声色とは裏腹に縁側に居る彼を睨みつける。
このムリョウは出会った当初から様子がおかしかった。能面の中でも、危険な者であるという認識が蔓延っていた。……それは何故なのか。
「……」
だが何かが引っ掛かる。
これまでは自身の呪縛を解く為に奔走していた彼女。だが今の台詞は、自身ではなく『人』と広義のものとなっている。
明らかにこの時代から異変を伴っているムリョウ。リュウシロウはその頭脳をフル回転させる。
「お前が、イズミの忍術で虚喰いに手ぇ出した結果……今なんだろ?」
「……」
本来は言いにくいことなのだろう。だがズバリ。
だがリュウシロウ、そこは特に気にする様子はない。
「まあそれはどうでもいいってこった」
「……何?」
「たしか虚喰いって何やったところで再生すんだろ? もしイズミがその場に居たとしても、三文字の力を全力で出せたとしても、野郎が消える前に無属性をその身に写しちまうだろうがよ」
ムリョウ、この発言で俯く。薄々は感づいていたような素振りである。
「だが……他に手は無かった。私が可能性を摘み取ったことに相違はない」
「摘み取った? 違うだろ。意味の無え手段だったって、早めに分かって良かったじゃねえか」
「な、何を言う!!」
無属性による攻撃が、虚喰いを倒せる唯一の手段だと信じて疑っていなかった……それと同時に、あれだけ壮大な化物を無属性というだけで倒すことが出来ることに懐疑的であったという気持ちが同居する。
しかし、それで倒せなければ終わり……縋るしかなかったのだ。
それによりリュウシロウの言葉を否定しようとするのだが、これと言って否定をする材料が見当たらない。ムリョウは歯噛みしている。
そんな彼女に何か察するところがあったのか、彼は囲炉裏にまで上がり座り込みさらに話す姿勢。
「……そっか……ゴウガシャ……お前の時代で、ようやく虚喰いと再会出来たんだな。今、ぜーんぶ繋がっちまったよ」
「!!!!!」
これまでムリョウは、次元の異なる世界に蔓延る化物を探すという、出口の見えない迷路に迷い込んでいた。
よって、虚喰いが人間には手に余る存在であることなど、そもそも分かる由が無かったのである。最初に見たトカゲのまま、そのイメージのまま時が過ぎていたのだ。
その事からゴウガシャ時代……つまり、出来事から二千二百年後の彼女に至るまでは、あくまで自身が不老不死であることに対する絶望感により、様子がおかしかったということなのである。
だがこの彼女はそこも含めて、突然絶望が上乗せされているように感じる。それは何より、自身が死ねない身体である以上の恐怖や懸念がそこにあったのだ。そしてそれは自身だけの問題ではない、この世全てに関わるような出来事……だからこそ、自身だけではなく『人』という括りで物事を考え始めたのである。
「だけどよ……何かおかしいぜ。虚喰いとその時代に出会ったって件が突然降って沸いたって感じだ」
「……」
ここでリュウシロウ、俯くムリョウが自身に目を合わせるまで待つ。
「そう……ムリョウは、お前の時代に時忍術に目覚めたんだ。ま、使ってる忍術を見りゃ分かることだけどな」
「……」
「ただ、なーんで時忍術に目覚めたかって話だぜ」
過去の彼も語っているのだが、時忍術というのはその存在だけは知られている。だがその詳細は謎に包まれ、伝承として残っているのみ……そんな不思議な忍術である。何故それを使えるのか、どういう系譜なのか、疑問は数多くあるだろう。
「わ、私は……この……時代に……」
もっとも、肝心のムリョウはひどく言い辛そうにしている、この時の庵で全てを明かそうとしている彼女であるにも関わらず、思うように言葉が出てこないという印象だ。
だから、もう現時点で全てを把握したリュウシロウが口火を切る。
「たしかお前ってさ、地獄に行ったことがあるんだろ?」
「あ、ああ……」
「お前はそこで……」
『地獄』というキーワード。これでムリョウは怯えているような面差しをする。だからこそ分かる。彼だからこそ分かるのだ。
「鬼に会ったんだ」
カッと見開かれる彼女。
逸らしている目を、少しずつリュウシロウに向けていく。
「地獄に行ったことがある、何かに怯えている……こんだけで大体予想は付くぜ。ま、お前の場合は正確に言うと見た程度なんだろうけどな。アレだろ? 虚喰いをどうにかしたいが為に、同じ次元の違う地獄に行って手掛かりを得ようとしたんだろ? 若しくは……あわよくば力を借りたい……そんなところだったんだろ」
「……その……通りだ……だが……」
「そんで、お前はひょんなことで鬼を見掛けたんだ。驚いたろ? マジで歩く超常現象だぜ。そんな相手だ……お前は直ちにその場から逃げ出したんだ」
ムリョウが地獄へ訪れたことがあるのはこれまでの通り。特に何をしたという発言も情報もないことから、逃げ出したというのは事実なのだろう。
「ああ。恐ろしかった……何をされたところで私が死ぬことはない。もう……死に関して何も思うところは無かったのだ……そんな私が……心から生き延びたいと……何が何でもこの場から逃げたいと……思ってしまった……」
不老不死になったことで、死に対して無頓着となってしまった彼女にそのように思わせられる鬼。一体ムリョウは何処でどのような鬼を見たのだろう。
「……あの……黒い目……漆黒の形……今でも忘れない……わ、私は……心から……恐怖した……のだ……」
「!!」
身体を抱えながら震え、涙を溜めながらようやく当時の出来事を口にする彼女。
黒い目、漆黒の形……リュウシロウは直ちにピンと来る。
(おいおい……地獄に来ていきなり黒兄見たのかよ……そりゃ怖いに決まって……いや、怖いどころの騒ぎじゃねえな……千年近く引きずるのも分かるぜ……)
この情報が事実なのであれば、ムリョウが見た鬼はなんと……黒鬼。
他に漆黒の鬼など存在しない。この反応も仕方がないだろう。
「……そりゃご愁傷サマだぜ。初っ端から一番見ちゃいけねえもの見やがって……とことん不遇なのな、お前って」
「……」
「でもよ、話してみると案外アホなんだぜ? ニンジンは残しやがるし、唯我独尊極まりねえし、一人称俺様とかふざけてんのかって……」
黒鬼を深く知るリュウシロウ。フォローになっていないフォローをする。
そんな、地獄のことを満面の笑顔で話す彼にきょとんとした面差しをするムリョウ。
「そうか……お前は地獄に……」
「ああ。おかげさまで……」
そう言いつつ、電撃を指に伴わせるリュウシロウ。
「こうなれたぜ?」
きょとんとした面差しから、呆れたような印象となるムリョウ。少し気が紛れたようだ。
その後少し間を置き、彼が言葉をさらに続ける。
「きっと、その衝撃はとんでもなかったろうよ。追い詰められたお前は、そこで新しい力に目覚めたんだ」
「……私としても、きっかけはそれしか思い浮かばないな。しかし、まさか時を操るなどという常識破りなものとは思わなかったが……」
「現世じゃなく、地獄ってのが作用したのかもな。次元は違うわ、あそこは現世基準で馬鹿みてえに時間の流れが遅えわで、それも関係してんじゃねえかって思ってる」
つまり、地獄という環境が彼女に時忍術を与えた……そういうことなのだろう。真相はきっと分からず仕舞いなのだろうが。
「で、時忍術を知ったお前は……狭間の世界に入り込むことが出来たんだ。だが……」
「ああ……とても手に負える状況じゃなかった。そこからは、どう虚喰いを討伐するかを悩み続ける日々だったのだ」
ゴウガシャ時代のムリョウの、行動原理やその心理が完全に明かされた。
鬼に怯え、追い詰められた結果時忍術を習得。だがそれが功を奏し、虚喰いと再び相まみえることが出来たのだが、相手は既にとてつもない化物となっていた……そういうことだったのである。
「フッ、私がお前に伝えることよりも、お前に教えられることの方が多かったな……」
そう話している内に、彼女の面差しに変化が見られる。
張り詰めた印象から、これまでのゴウガシャ時代のムリョウからは考えられないほどの温和なもの……リュウシロウと時の庵で再会したことで、その心が大きく変化したようだ。
そこで何を思ったのかは分からないが、彼女が何かに気付く。
「!! そうか……サイゾウが私に伝えたかったものは……」
「ん?」
「いや……なんでもない。さあリュウシロウ、次に……行くといい……」
もう笑顔を作ることは出来ない。
だが、少しだけ柔らかな表情を作ったまま消え行くムリョウ。その間際に彼女は思う。
(誰かを……想う気持ちか)
この時のムリョウの視線は……もちろんリュウシロウ。
(今なら、少しだけ分かる気がする。そして、サイゾウの『これから』という意味も……)
最後は目を瞑り、心で彼を見送る。
(これから……そう、主……貴女が……)
「……?」
その身体が全て消える刹那、またしてもリュウシロウは先にもあったあの視線に気付く。だが今はその意味が分からない様子だ。
(お前と出会うまで……後八百年か……フフ、待ち遠しいな……)




