第39話 波久部良養生所
~はこべら町 北山道~
はこべら町より北側は森や里山が多数だが、その合間を抜けるように山道が整備されている。
東国は七つ町だけに非ず、街道沿いの南北に小さな町や村が点在しており、そのひとつに向かう経路となる。
もちろん街道と比べて整備状況は芳しくないため、中には獣道のようなものも少なくないのだが、今リュウシロウが歩く山道は比較的立派なようだ。
とは言え……
「ふう……しんどいぜ……」
はこべら町から一時間程度、すでに彼は疲れている様子。
「昼頃には帰れるな。ま、書置きもしたし大丈夫だろ……お、ようやくようやく」
目的地が見えてきたようだ。
民家だろうか、建屋が三十程度の集落とその端に、集落の規模に似つかわしくない非常に大きな屋敷が大規模な石垣の上に建設されている。
そこからさらに少々歩くと、石垣の上へと向かう階段が設置されており、これがまた長い。
「ほんと長えよな。ま、環境は最高だから仕方ねえか」
階段を上ると瓦屋根の正門があり、右手の柱に『波久部良養生所』と記載さている。どうやら東国の病院的な何かのようだ。
正門を超え、段差のない石板が敷き詰められた通路を進むと、やがて引き戸のある玄関らしきものが見える。
敷地は広大で、玄関が見える建物は母屋なのか最も大きく、さらには同敷地に倉庫や離れもいくつか点在しているようだ。
リュウシロウは目前の引き戸を引き、特に躊躇いもなく中に入った。
「こんちゃー」
慣れた感じの挨拶。定期的に通っているかのような印象を受ける。
入った先は、比較的間取りの広い玄関たたきと上がり框、その先は床板が続き、左手は窓越しに事務所のような空間があり、そこには看護棒を傍らに置いた看護衣を着用する女性が勤務しているようだ。
「あらあらリュウシロウさん。今回はお早いですねー」
「ああ。埋蔵金が見つかってね」
看護婦と思わしき女性は、リュウシロウのことを以前から知っている様子。
なお、埋蔵金=イズミ。
「うふふ、お変わりないようですね」
「先生居る?」
彼には目的の人が居るようで、辺りを見渡しながら話す。すると奥から……
「リュウシロウ君かーい? ちょっと待ってねー」
男性の声。かなり奥から聞こえてくる辺り、どのようにリュウシロウの訪問に気付いたのか。
その後暫く待って……
「やあ、お待たせお待たせ」
「悪いね。忙しいところ」
現れたのは医師のようだが、山葵色の着物に身を包み、ボサボサの頭をしている風来坊のような姿。しかし二十代前半のようで、非常に切れ長の目にシャープな顎、一見細身の筋肉質で長身という、つまりは二枚目の優男。
「先生じゃなくって、『どくたあ』って言ってくれないかなー?」
「はいはい。西国かぶれも度が過ぎると、自慢の腕に支障が出るぜ?」
「厳しいなあ、リュウシロウ君は」
リュウシロウはそのまま床板に上がり、医師に案内されて行く。
「……容態は……」
「まあ……変わりなくってところだね。決して良い意味じゃないけど」
広大な養生所、その最奥と思わしき一室の前に二人は立つ。
その脇には『燕の間』と記載された木板があり、宿のような印象があるがこれが部屋の名前のようだ。ドアをノックする。
コンコン……
「入るぜ」
そう言うとリュウシロウは引き戸の取っ手に手を掛け、そのまま引く。
入った先にはベッドの上に座り一点を見つめる、灰色の髪を背中の下辺りまで伸ばしている五十代くらいの女性の姿がある。
ただ様子がおかしいようで、彼が部屋に入っても何も反応がなく、虚ろなままだ。
彼はベッドの傍らに置かれている、木製の椅子に腰を掛ける。
「よ、母ちゃん。元気か?」
※※※
「……」
医師はそっと引き戸を閉め、その場を後にしようとするが、同時に看護婦が現れる。
「テツ先生」
「『どくたあ』と呼んでって言ってるじゃないかー」
「ああもう! めんどくさいなあ! どくたあテツ!」
「ん! なんだい? ふふん♪」
看護婦、少しだけイラっとした様子。テツには拘りがあるようだ。
「雀の間の患者さんですけど、みぞおちの辺りをとても痛がっているようで……」
「心窩部痛だね。胃炎にしては痛みが強すぎるし、たぶん膵臓や胆管かな。どのみち『おぺ』が必要だから、今日の昼一から始めようか。早く来てもらって良かったよ、ほんとに」
「……げっ! お、おぺ……ですか? お薬では……」
看護師が嫌そうな素振りを見せる。おそらく『おぺ』にはまだ慣れていないのだろう。
しかしテツ、眉を吊り上げ別人のように看護師に言う。
「駄目だ。抗生物質で改善の可能性もあるけど、原因疾患を突き止めないと結局同じことの繰り返しだ」
「は、はい……」
「昨日、あそこの家族さん……見えてたね。まだ小さいお子さんが五人も居たよ。あの子たちが泣く姿は見たくない。それは僕の矜持……いや、忍道が……忍道が……」
「……あ、やばい」
テツ、やたら顔が紅潮している。看護師はそれを見て、何かを知っているのか警戒をし始めた。
「許さねえんだよ!! 人をぶち殺すクソ病共は、ありったけこの俺様がぶち殺してやんよ!!」
「先……いや、どくたあ……口調戻ってますよ……?」
「あ、ごめんねー♪」
※※※
~燕の間~
「でさ、話してみると西国を全く知らねえって分かってさ、一体どんな田舎に住んでんだよって思わず突っ込んじまったよ」
「……」
「一緒に居るたぬきも面白いんだぜ? 見た目子だぬきなのに、十六年以上生きてるとか一体どんなミステリーだよ」
「……」
「西国人は西国人で、もう何言ってんのか分かんねえ。そもそも俺の知ってる西国人で、そんな言葉使ってんの見たこと無えよ」
「……」
リュウシロウは、これまでの出来事を母に話す。
もっとも会話は一方的で、いくら彼が話したところで彼女からの反応はない。
ただじっと一点だけを見つめ、どことなく微笑んでいるような面差しのままで、そこから微動だにしない。
そのまま構わずリュウシロウは話を続ける。
すると、入口の引き戸が開きテツがゆっくりと近付いてくる。
「どうだい? リュウシロウ君」
「ま、変わり映えしねえって感じかな」
リュウシロウは母のこの反応を予想していた……と言うより、長らくこのような状態なのだろう。
「でもよ、せっかくここまで回復したんだ。今後もっと回復する可能性はあるだろ」
「その通りだ。一年前までは寝たきりで意識も無かったんだからね。それを考えたら劇的な回復だし、さらなる回復の見込みだってある」
何も知らない者が見れば、ベッド上に座りボーっとしているだけ……に見えなくもない。テツは続けて話す。
「当時の負傷は完治しているんだけどね……何と言うか、心だけを何処かに置き忘れてしまったかのような印象なんだよ。すまない、抽象的で……」
「はは、いいよいいよ。ここまで回復したってだけでも十分奇跡だぜ。ありがとよ先生……じゃなかった、ドクター。もう一回奇跡が起こるのを期待してるよ」
「……」
笑顔だが、少し寂しさが垣間見えるリュウシロウ。
テツは自分自身に不甲斐なさを感じたのか、拳に入る力が強くなる。
そんなテツを後目に、リュウシロウは懐から何かを取り出して彼に手渡そうとする。
「これは……」
「とりあえず、当面の目標分になったんでね。渡しておくよ。だから悪いけど……もう暫く……頼むよ……」
しっかりと受け取ろうとしないテツの懐に、有無を言わさず何かを突っ込むリュウシロウ。
「いいんだよ支払いなんて。シオリさんが元気になってからのんびり……え!? こ、これは……」
懐に入れられたものを取り出し、中身を覗くと……
「小判じゃないか!? ……さすがにこれは……」
小判が複数枚……テツは大いに驚き返そうとするも、リュウシロウは受け取らない。
「銀じゃ嵩張るからな。使うの面倒かもしれねえけど。……頼むよ、母ちゃんが安心して療養出来る場所はココしか無えんだ……」
「リュウシロウ君……」
頭を垂れている……いや、うなだれているようにも見えるリュウシロウ。渡された小判に、彼の思いの丈が詰まっているように感じるテツ。
「分かったよ。まったく……責任重大だね。シオリさんのこと、引き続き任されたよ」
「すまねえ。……落ち着いたらまた来るよ」
そう言うとリュウシロウは席を立ち、最後に母を一瞥して部屋を後にした。
開けた窓から風が入る。
シオリの髪をなびかせるが、やはり彼女に反応はない。
少しだけ浮かべている笑みによるものか、風の気持ち良さを感じているようにも見えるが、特に外を気にすることもなければ事象に気を払う素振りもない。
彼女は夢を見ているのかもしれない。
幸せだったいつかの記憶を何度も何度も繰り返す、長いようで短い夢を。




