第37話 天津国の鬼伝説
「もう遅過ぎるよな……」
「ぽん……」
すでにとっぷりと日は暮れ、川沿いの路上でも人はほとんど見掛けない。
老人と話し込んでしまったからだろう。何せ父の話、時間を忘れてしまうのも仕方がない。
気が付けば、川沿いの提灯の灯りは消えており灯篭のみで、かなり薄暗くなっている。
「もう今日は帰ろうか。明日も早いし……ん? あそこ……まだ光がいっぱいだ」
イズミの目線の先……それはどの町にもある神社、その入り口である。
はこべら町の場合は、川沿いの路上から里山方面に神社が建設されており、巨大な鳥居を潜った先の長い階段を上ることで辿り着ける。
階段の最初から境内まで、短い間隔で灯篭と提灯が設置されており、しかもまだ全てが灯されているのでとても明るいのだ。
「……」
「ぽん!?」
彼女の口がVの字になる。
ぽん吉は、イズミが何を考えているのか分かったような雰囲気だ。
「すずしろ町からず――――っと気になってたんだ。どの町にも神社ってあるよな」
「……」
「しかもめっちゃ大きいし、いつも参拝客でいっぱいだし、お参りする以外に何かあるのかな?」
「……」
「…………………………行ってみないか?」
「ぽん――――!?」
予感的中のようで、ぽん吉は悲痛な叫びを上げる。
イズミは何の警戒もなく鳥居を潜ろうとするが……
「ぽ、ぽん!」
ぽん吉が嫌がる。とても嫌がる。と言うより、足が震えている。
「どうしたんだ? ただの神社じゃないか」
「ぽ、ぽん! ぽぽぽん!」
「ここはやばい、やば過ぎるって……暗いだけじゃん。早く行くぞ」
ぽん吉と押し問答をするイズミ。
鳥居の前で延々と言い争いをしていると、一人の男性が近付いてくる。
「おいおい! 何やってんだアンタ!!」
「ん?」
「ったく……たまに遅れちまったらコレだ。はいはい、参拝時間はとっくに過ぎてるよ。帰った帰った」
有無を言わせない男性。年齢は三十代くらいだろうか。
鳥居の端から端までを麻縄で縛り、『絶対立入禁止』と明記した看板を立てる。
「参拝時間って……たかが神社だろう? 何で立入禁止にするんだ?」
「……はあ?」
疑問を抱いたのはイズミの方だが、むしろ男性の方が強い疑問を抱いたような雰囲気。
「お嬢ちゃん、俺をからかってんのか?」
「??」
「ん? ……ここが七つ町の神社のひとつって……分かってて言ってんだよな?」
「???」
「マジか……何処から来たんだよ……」
イズミは頭の上に疑問符だらけとなるが、男性も負けじと疑問符が頭に浮かび上がる。
彼は頭をぽりぽりと掻き、ため息交じりで話し出す。
「まあ何だ、『七つ町の夜社、丑の刻には鬼酒場、狂い哄笑恐ろしや、あゝ恐ろしや』って唄があってな。丑三つ時になると、神社は鬼が酒盛りをしながら馬鹿笑いをするって言い伝えがあるんだよ」
「七つ町? 鬼? ……妖怪か?」
人間以外は妖怪という認識が強いイズミ。初めて聞く『鬼』という単語に対して、不思議そうに小首を傾げ、る。
「七つ町ってのは東国の主要町だ。すずな町とか、ごぎょう町とか……街道沿いの七つのでかい町を言うんだ。ちなみにはこべら町もな」
「すずしろ町もなずな町も……ってことか」
「そうそう。んで鬼ってのは、妖怪なんて生易しいものじゃない。……ん〜、そうだな。ほとけのざ町をさらに西に行くと、鬼の運河っていう海があるんだが……これは知ってるか?」
「ああ。その海を超えたら西国があるんだろう?」
「そうだ。だが西国ってのは最初から海を渡った所にあったんじゃなくて、元は陸続きで東国も西国も無い一つの大陸だったんだ」
「ははは、そんな馬鹿な」
あまり信用していない様子のイズミ。出所が言い伝えであるため、この反応も仕方ないところである。
しかし……
「実際、他の言い伝えなんかで陸続きだったことが謳われたり、古い文献でもそれを仄めかしている記述が多いことから、元は一つの大陸って説の信憑性はかなり高い」
「待て待て。何がどうなって海が出来たんだ? 天変地異でも起こらない限り無理だろ」
彼女の言い分はごもっとも。実際のところ天変地異でも、東国と西国を広大な海で分かつなど難しいだろう。
「それに、西国が東国に姿を現したのは最近だろ? ってことは、最近になるまでお互いを見つけられないくらい広い海って意味じゃないか。何をどうしたらこんなでっかく陸地が分かれるんだ」
「そこで鬼の登場だ。何かの拍子で現世に現れた鬼が、戯れに手を振るった時に大陸が分かたれた……そう言われている」
「あはははは! 御伽噺じゃないか。でも面白いな! 一度手合わせ願いたいものだよ」
もはや内容は御伽噺の世界。イズミはそう信じて疑わない。
当たり前である。向こう岸が見えない規模の破壊をするなど、たとえムリョウだとしても到底不可能と断言出来るからだ。
もっとも、ムリョウの実力を完璧に把握している訳ではない。しかし陸地を分断する、しかもそこを運河にするなど、もう強いかどうかとかどんな強力な忍法を使うのかという次元の話ではないのだ。
だが男性は特に表情を変えることなく、元より彼女の今の反応を予想していたような雰囲気だ。
「『天津国の鬼伝説』……って知らないよな?」
「知らん」
「今は皆この国を東国って呼んでいるけど、かつては天津国という名があったそうなんだ。その時に出来た御伽噺らしいが……小説から絵本まで幅広く題材にしてるから、一回目を通してみな。……つーか、東国の人間なら誰でも知ってる筈なんだけどなぁ」
つまりは『常識』。人里離れた森の中で、人生の大半を過ごしたイズミには無いものである。
「何はともあれ、もうここから先は立入禁止だ。時間も遅いし、早く帰りな」
「まだ丑三つ時には早いじゃないか」
「たまにアンタみたいなのが居るから早めに締めるんだよ!」
「なんだ! ボクの所為みたいに! ……ま、分かった。今日のところはやめておくよ」
「今日だけじゃなくて、明日も明後日もその次もまたその次も、ず――――っと夜は来るな!」
「ぶー」
結局神社には入れなかったイズミ。ふてくされながら踵を返し、元来た道を戻る。
男性の話に、どの程度信憑性があるのか分からない。だがあくまで言い伝えでしかなく、出来事が出来事だけに眉唾ものと思うのが一般的な感性だろう。
「つまんないな。……でも昼ならいいんだから、明日にでも行ってみようかな。ぽん吉も明日一緒に……うん? ぽん吉?」
「……」
男性と別れた後、即座にイズミへ飛び乗ったぽん吉。何も言わずに小刻みに震えている。
「……? なんだ、まだ怖いのか。でもそんなに暗い所怖がってたっけ? 高い所ならまだしも……」
「……」
彼女が神社の鳥居を潜ろうとした以降、ぽん吉はひどく怯えた様子のまま……楽観的なイズミでも、さすがに気掛かりになってきたようだ。
「本当に……お前がそんなに怖がる何かが……あの神社にあるのか?」
「ぽん……」
動物の本能は侮れない。
思考、学習、経験に影響されない反射とも言えるその行動は、当該動物が生きていく以上で必須になることが少なくない。
すなわち、本能に従うことはその動物自身の命を守る、または生き長らえる手段のひとつになる訳である。
一方で人間は、理性で本能を押さえ込んでしまう状況が多い、また強いられる場面が多いことから、動物のそれよりも比較的鈍いと言わざるを得ないだろう。
イズミとぽん吉は長い付き合いである。そんなぽん吉がここまで怯える……先ほどまで大笑いしていたイズミもその面差しは強張り、知らず知らず鬼の存在を心の引き出しにしまう。
「特に何も感じないけど……ぽん吉が言うならなぁ。さっきの奴が言ったようなとんでもない代物じゃないとしても、何かがあるのかもしれないな」
何度神社の方角を見ても、イズミは特に感じるところはないようだ。
なお、これまでを振り返ってみても、神社の存在には気付いていたものの特段気に掛けていなかった、また近付きさえしていなかった。
少しだけ引っ掛かるものを残して、イズミとぽん吉は宿に戻るのであった。
「天津国の……鬼伝説……か」




