第340話 白丸VS空弧
―ほとけのざより北 海岸線沿いの上空―
大空をとてつもない速度で駆る一匹の獣……空弧。
獣の面ではあるものの、一目で悲壮感が漂っていることが分かる。
(……ムリョウ……アンタだけを不幸にはさせないよ。あたしが何処まで生きられるかは分からないけど……少しでも……少しでも慰めてやるからさ……だけどその後は……)
ぐっと歯を食いしばる素振り。『口惜しい』……この面差しに当てはまるのはこの言葉である。
(人間たちには悪いけど……アレが世に出て来ることを考えたら、全員一緒に死ぬ方が幸せだろうね。……よく……決断したよ……アンタは誰よりも人間が……)
ここで思案を止める。そしてその場に停止。
見据える先は……
「おや? アンタかい。相変わらず一味の中で足を引っ張ってるんじゃないかとヒヤヒヤしてるよ」
「マヌケが。妾をあの頃のままだと思うな。……あの時の借り……ここで返させてもらうぞ」
なんと白丸。
そう、彼女はかつて空弧により屈辱的な目に遭わされた。その雪辱を晴らすべく、全ての妖怪における最強の一人に立ち向かう。
「ま……多少はマシになったみたいだけどねぇ。その程度で……邪鬼に手こずる程度の実力であたしに歯向かうっていうのは、いささか無謀なんじゃないかい?」
「何故それを……? ふん、まあいい。それを貴様が決めるな。余裕に塗れたその奢り高ぶった面……苦痛と悲壮に変えてやろう」
「ふー……」
空弧は、白丸の直近の戦いを見ている。その上で余裕の姿勢を崩さないのは、それなりの理由があるからなのである。軽くため息をした後、徐々に体毛が逆立つ。
そして……
「破ぁぁぁぁぁ!!!!!!」
気勢を上げ、円形の青白い気で体を包む。だが、あまりに強大な力の為か、円からいくつもの筋が外に走り太陽模様を描く。
最も近くにある海は、まるで逃げるように外海へと押し出され、上空での所作であるにも関わらず木がなぎ倒され、砂も空弧から離れようとするような動きをする。
「……」
だが白丸の面差しに変化はない。現時点で明らかな戦力差があるにも関わらず、僅かにも動じていない。何か策があるのか?
「……へぇ……ビビらないんだねぇ。あの時みたいに、震えて頭を垂れないのかい?」
「貴様……!! またしても妾を愚弄しおって……」
煽られた所為か、彼女も気勢を上げ空弧を迎え撃とうとする。だが、気勢だけで言うなら差は歴然。この強大な力を持つ狐の前では、如何に天狗といえどあまりに儚い。
「……ま、引っ込みが付かないだけだろうね。だけど、あたしゃ容赦しないよ?」
そう言うと、尾が大きく膨らむような動きをし、その先端は鋭い槍のような形となる。さらに口を軽く開け、無数に生えた牙を見せ、まさに臨戦態勢の風体。
だがそれでも白丸は臆さない。
「先手必勝!! 顕現せよ……」
彼女から文字が浮かび、それが形になる。
だが苦痛の面差しをする白丸。これまでの式神とは異なるのか?
(……この者相手に出し惜しみはしていられん!! 妾の力を上回るが……初手より自分の限界を超えねば……到底勝ち目は無い!!!!)
「前鬼!!!! 後鬼!!!!」
白丸の周囲に文字が集まる。とは言ってもこれまでのように広範囲に広がるのではなく、彼女の両隣二箇所に人間程度の大きさに集まっているのが分かる。
「それが新しいアンタの力かい? 面白いじゃないか……紛い物とは言え、そこそこのものを呼べるんだねぇ」
「ふぅ……ふん、言っていろ。行け……前鬼! 後鬼!!」
一人は手斧を持ち、小さな角を生やした人間の成人男性模様。もう一人は、徳利のようなものを片手に持つ同じく小さな角を生やした、人間の成人女性模様。この二人? が一度に空弧へ襲い掛かる。
だが目の前の狐はそれを見ていない。
視線の先は白丸。何故なら彼女、さらに文字を集めて何かを呼び出そうとしているからだ。
「いきなり命を賭けてるねぇ……気持ちは分からないでもないけどさ。持たないよ? アンタ……」
「妾の心配をする前に自分の心配をしたらどうだ。……顕現せよ!!」
前鬼、後鬼の召喚も相当白丸に負担を与えた筈。だが彼女はそんな疲労を無視し、さらに別の式神を呼び出す。
「愛宕権現!!!!」
今度は白丸の背後に巨体が現れる。式神の特性なのか、上空でも落ちずに彼女の居る場所を基準として立てているようだ。
「はぁはぁ……んっ……くっ! ぬあああああああ!!!」
そして、疲労が既に隠せないながらもさらに気勢を高める。
「あの辱めは……一日たりとも忘れたことは無かった!! いや……それ以前に自身以外の全ての妖怪を見下し、我が物顔で空を舞う貴様が気に入らなかった!! 今こそ……下克上の鉄槌を受けよ!! 今度は貴様が這い蹲る番だ!!!」
「……」
白丸を見つめ続ける空弧。特に今の言葉で揺さぶられる何かは無いようだ。いや、それどころか軽くため息。
「なんだい。そんなに不満だったのかい? それなら一言言ってくれりゃ、ちょっとは自粛したのにねぇ」
前鬼、後鬼が向かってくる。そして愛宕権現はその巨大な剣を振りかぶり、白丸自身も印を結び強化された術を放とうとしている。
それでも空弧の面差し、姿勢は変わらない。それどころか……
「あ~……でもそんなの無理だわね。どいつもこいつも、あたしを見ただけで平身低頭。アンタだって、気に入らないって言うけど……本当にアンタは空飛んでるあたしを見たのかい?」
明らかに煽っている。そして続く言葉は、その中でも最大級のもの。
「……どうせ力を感じてすぐに頭を垂れて、あたしの姿なんて見えちゃあいないんだからさぁ……ふふふ」
「!!」
両眉が吊り上がり怒りを……否、それは激怒。
「お、思い上がるなぁぁぁぁ――――――――――――――――!!!!!」
すでに三体の式神の攻撃は間近。瞬きもすれば空弧を痛め付け、切り刻む。
その筈だった。
「…………え?」
白丸の動きが完全に止まる。
印を結んでいた手もだらりと下がり、夢から覚めたような表情。
それも当然だろう。
気が付けば空弧の尾が九つに割れ、前鬼と後鬼を貫き、愛宕権現は切り裂かれているのだから――――――――
「ば……かな……」
まもなく三体の式神が消える。白丸だけはあえて攻撃しなかったようだ。彼女は構えも取らず、呆然とする。
その姿を見て、空弧はその笑みにより大きく口が割れる。
「うふふ。神さんの力を借りたらあたしに勝てると思ったのかい? 強くなった自分なら、あたしを這い蹲らせると思ったのかい?」
顔を崩すほどの破顔。
しかも、先程のよりもさらに気勢を上げ、ゆっくりと白丸に近付く。彼女に策はあるのだろうか?
※※※
場所は変わり、まだその場から動いていないルーク。
「白丸ちゃん、すげー剣幕だったな……去り際は言わなかったけど……」
なお彼は気付いている。
「空弧とリターンマッチだろうな……あの馬鹿でけぇ気勢は隠し切れねーよ」
つまり、ルークは引き止めなかったのである。
白丸の気持ちは百も承知。止めたところで止まらない。そこは自身と変わりがないことを理解しているし、自身もそうであるからこそ彼女の心が分かるのである。
さらにルークはあの経緯を知っている。彼女の性質的に、報復をしなければ気が済まないことも分かっているだろう。
もっとも、たとえそうだとしても、彼の白丸への想いからすぐに駆けつけそうではある。それをしないのは、それが出来ない理由が……
目の前にあるからだ。
「おい。もういいんだぜ? とっとと出て来いよ」
誰に言っているのか? だがその言葉に反応したのか、突如ルークの目の前に誰かが現れる。
「貴様たちには驚かされる。短期間で、よくもそれだけの力を身に付けたものだ」
現れたのは、漆黒の出で立ちに小尉の能面。
いつかこの場所で、圧倒的な力を見せつけたあの者だ。
「へっ……今からもっと驚かせてやるよ。……なあ……」
既に彼は臨戦体勢。瞳に炎を灯し、じっとりと汗をかき、その強い気勢を放つ。それもその筈、その相手は自身を徹底的に負かした者なのだから。
「アソウギさんよぉ!!!」




