第31話 イズミの過去③
サイゾウがイズミと出会って三年。
~町へ通じる獣道付近~
ドゴッッォォォ!!
「――――!!」
彼女の拳がめり込んだ結果、巨大な青坊主が倒れる。
すぐに起き上がるが、足元がおぼつかず再度倒れ込み、慌てて茂みの方角へ這いずろうとする。必死にその場から離れようとするあたり、戦意は喪失しているのだろう。
「もうこれに懲りて、人間には手を出しちゃ駄目だよ!」
青坊主をキッと見つめ、警告をするイズミ。この言い方だと、襲い掛かったのは妖怪側か。
逃げる青坊主は頭を何度も下げつつ、やがてその姿をくらませていった。
彼女の力忍術はさらに磨かれ、付近の妖怪ではもはや敵にすらならなかった。
東の果ては、とある事情により現れる妖怪こそ少ないものの、人前に姿を現すのはいずれもある程度の齢を重ねた実力を持つものばかり。
そんな相手ですら敵ではないのだから、実力としては相当の域に達していると言えるだろう。
サイゾウが声を掛ける。
「本当に強くなったね、イズミちゃん」
「う、うん、ありがとう。ボクが強くなったのも、サイゾウ君の……おかげだよ?」
「?」
少し俯き、しおらしく振る舞うイズミ。さらに、これまでは自身を『私』と呼んでいたのに、ある日を境に『ボク』となったようで……サイゾウは、そんな彼女に違和感を抱いているようだ。
(イズミちゃん、やっぱり最近おかしいなぁ……)
近頃のイズミ、どうにも様子がおかしく彼もそれを認識している。
近付くと距離を置こうとする、かと言って彼女から近付いてくることもある、よく目線が合う、話しているとよく声が上ずる、会話中よく俯く割に機嫌が良さそう、毎日風呂に入っている、毎晩櫛で綺麗に髪を梳かしている……などがあるようだ。
(元気が無さそうに見えるけど絶好調だし、傾向としては悪くないんだよね。……それにしても……)
サイゾウは、以前のような活発さが見られないものの、妙に機嫌が良くほんのりと頬が桜色になっているイズミを一瞥する。
(まだ十三歳半ば……か。前から思ってたけど、信じられないほど可愛いよね……違う意味でも危ない目に遭いやすいんじゃないだろうか……?)
美しく成長したイズミを目の当たりにした結果、サイゾウは新たな不安の種を抱える羽目となったようだ。
「サイゾウ君、そろそろ行こう? うふふ」
「お、おほぅ……あ、いや、そ、そうだね!」
笑みから明るい笑顔になったイズミ。それはたった一秒程度の過程だが、直視していたサイゾウの目には非常に眩しく映ったようだ。
そしてその日の晩。
食卓に並べられる食事……今回の当番はイズミのようだが、以前と比較しても格段に上達している……と思いきや、
「いつもごめんね。結局今日もほとんど手伝ってもらっちゃった……」
「いいんだよ、気にしないで。少しずつ上手になっていけばいいさ」
基本的に、食事はサイゾウがメインでするかイズミを手伝うかの二択で、つまりはほとんどは彼任せのようだ。
「うん、頑張るね! し、し、し……将来のた、た、ためにも……」
自然に言うつもりだったのだろうが、肝心な台詞となるとこの体たらく。
しかし、サイゾウはすでに何か考えごとをしており、悲しいことに全く伝わっていない。
(後二年か、早いもんだな。イズミちゃんも強くなった……そして、まだまだ強くなれる)
いつものように様々な思いを馳せる彼。
ただ『後二年』という文言……どうやら彼には時間制限があるようだ。
(僕が知るサスケさんの力忍術……残りの二年で、必ず全て伝えてみせる……!)
そのためか、自分がイズミにしてやれることは全てやっておきたいのだろう。
言葉には出さないが、瞳を見ればその力強い意志が伺える。
その後まもなくいつもの優しい目に戻り、照れつつ意識的におしとやかに振る舞うイズミを見ながら彼は思う。
(いつか……一緒に、サスケさんの眠る地に行けたら……いいな……)
※※※
サイゾウがイズミと出会って四年後。
彼曰く残り一年はあるのだが、どういう訳か異様な様子を見せている。
(何て事だ……!! 気勢は抑えていた。ということは目視で見つかったか……! でも、それなら何故襲って来ない……? 配下ということで何か制限があったのか……? でも、何にせよ見つかったことには変わりない……)
間借りしているサスケの部屋で、頭を抱えるサイゾウ。
(あと一年は問題なかったはずなのに! もうここを突き止められるのも時間の問題だ。強大な結界も、あくまで奴の気を逸らすためだけのもの……奴が意識を僕たちに向けてしまえば意味はない! くそ! 後一年……心残りだ……)
何者かに存在を気付かれ、焦る。
だが、どういう経緯で狙われていることに気付けたのだろうか。
(不幸中の幸いなのは、まだ正確な位置がバレていないところだ。奴はまだなずな町辺り……風忍術で正確な情報を得るには遠すぎる。僕が今すぐここを離れれば、少なくともイズミちゃんはまだ守られる! そうと決まれば……)
気持ちが固まったのか、部屋を出ようと襖を勢い良く開ける……と、
「うわ!!」
「わっ!」
襖を開けたところにイズミ。お互い思わず声を上げてしまう。
「びっくりした……どうしたの? ごはんの準備出来てるよ?」
「あ……」
彼女はにっこりと微笑む。その愛らしい面差しを見たサイゾウは、一瞬だけ心が揺らいだようで言葉に詰まる。
「い、イズミ……ちゃん……」
「?? サイゾウ君何か変だよ?」
今ある暮らしを、幸せな日々を、自ら手放さなくてはならない現実。
彼女を守るためだとしても、こんな理不尽なことがあるのかと思わざるを得ないだろう。
しかし彼は意を決する。
「よく……聞いてほしい」
「……う、うん」
これまでにない雰囲気をサイゾウから感じる。明らかに異常事態だと察したイズミは、少し緊張感を抱きながらサイゾウの話に耳を傾ける。
「急な話でごめん。僕は今日……いや、今すぐここを発たなければならない」
「…………え?」
彼女はみるみる血の気が引く。
「……う……そ……」
「詳しくは言えないけど、危機が差し迫っている。僕はそこに行かなくちゃならない」
イズミの肩を持ち、強い眼差しで漠然ではあるものの説明する。もちろん彼女が納得する訳がない。
「じゃあボクも行く!」
「ダメだ。……イズミちゃんの実力じゃ、むざむざやられに行くだけだ」
「それでも……!!」
イズミは引かない。そしてサイゾウ自身、こういう展開になることは予想していた。
何故なら……
(ありがとう、イズミちゃん……去年くらいから、君が僕のことを想ってくれてるのに気付いた。だから……きっとこうなるんだろうなって)
「サイゾウ君……?」
何も言わず、イズミの頭を撫でるサイゾウ。
とても悲しそうな目で笑顔を作った後、彼女の額に指を当てる。
「あ……」
イズミがその場に崩れようとするが、サイゾウはすかさず抱える。何らかの忍法を使い、意識を失わせたようだ。
(もし君が奴に見つかれば、一目散に捕えに来るだろう。その点僕なら……拷問の果てに殺されるくらいで済むかな?)
イズミを抱え歩き、自室に運び寝かせるサイゾウ。
「イズミちゃん……君は、目を覚ましたらきっと僕を追ってくるだろう」
何かを決意したような表情。枕元に座り、右手を彼女の顔の上に掲げる。
「だから、僕のことを最初から知らなかったことにして欲しいんだ……」
そう言うと、サイゾウの右手がぼんやりと輝く。
「君と一緒に修行したこと、君と共に泣き合ったこと、綺麗な夕焼けを二人で見たこと、森の中を案内してくれたこと、個性的な料理を二人で味わったこと……そして……君が僕のことを好きだという気持ちも……何もかも忘れて欲しいんだ……」
彼の右手の輝きがさらに増す。
「う、う……」
「……残りの年月でもっと強くなれば……奴は君に利用価値を見い出す。それなら殺されることはない」
何かの忍法か、光を当てられて苦しむイズミ。
彼の言うとおり、これまでの思い出を消されてしまっているのだろう。
だが……
「? ……おかしい。消失しない……」
輝く手を介して記憶の状態が分かるのか、イズミの記憶が消失しないことを訝しく感じるサイゾウ。
その理由はすぐに分かった。
「サ……イゾウ君! いや……いや! 行かない……で! うあ……いや……だ! わ、たし……も……」
「!!」
彼が思うよりも遥かに強かった、自身に対するイズミの想い。
「……イズミ……ちゃん……ありがとう。……そして……ごめんね……」
気が付けば彼も多量の涙が頬を伝い、床を濡らしていた。
右手の輝き方が変化し、最後はイズミの頭部を包み込む。
すると、彼女は寝息を立てすやすやと眠り始めた。
それを確認したサイゾウ、軽く微笑み彼女の涙を拭ったあと、その場を後にしようとする。
(結局、僕の存在を君から消すことは出来なかった)
部屋出て居間に出ると、たぬ右衛門がサイゾウを見る。
彼はたぬ右衛門に一礼した後、玄関を出てイズミの住家を後にした。
(ここへ来た時から、最悪の事態を想定して準備をしていたのに、それでも完全に記憶を消せなかった)
その後、彼は町へ向かう獣道に至る、
俯きながら、時折イズミの住家方面を向きつつ走り続ける。
「だから、君の記憶を変えることにした。僕と君の出会いはもっと小さな頃……そう、幼馴染だ。そんな恋心なら……僕を思い出せたところで、失われるのもきっと早いだろう。奴の言うこの世の危機も、抽象的にだけど置いておくことにした」
走る。ただ走る。
「幸せだった。夢みたいな毎日だった」
サイゾウはさらに加速する。その際、彼の顔からいくつもの光輝く雫が舞い落ちる。
「イズミちゃん……幸せにね……」
そして彼は印を結び、気が指先に集中したと同時に身体が透け始め、
「さあ、ムリョウ! そんなにお望みなら……相手をしてやるよ!」
最後に消えた。
※※※
~イズミの住家~
「う~ん……」
寝かされていたイズミが起きたようで、ボーっとしている。
「あれ? 何でこんな時間に寝てるんだろ?」
違和感があり、辺りをキョロキョロする彼女。すると、
「ぽん……」
「あ、ぽん吉……ボク、いつの間に寝てたんだ? ……え? 言葉遣いがおかしい? そんなことないよ」
そこに居たぽん吉が、不審な様子でイズミを伺う。以前と明らかに口調が異なっているためか、それとも他の理由があるのかぽん吉は戸惑っている様子だ。
「すごく良い夢を見てた気がする……何か、幸せな気持ちでいっぱいなんだ……あれ? 何だろコレ」
そう言った後に起き上がろうとするイズミだが、枕元のすぐ側の床で何かを見つけたようだ。
「……濡れてる? 雨漏り? ううん、違う」
「……」
木板がただ濡れているだけ。しかし彼女の頬に、自然と涙が伝わる。
「あれ……? 何で……悲しいの……かな……?」
木板の濡れたところへ、落ちる雫が重なる。
大切な何かを失ったと、直感的に理解しているのだろう。
しかし、彼の言うとおりまだ全ては消えていない。何もかもを失った訳ではない。心はそれを認めていない。
奥底では、今だ諦めることなく燻り続けていた。