第251話 ムリョウVSアスモデウス
ここは東国の北の果て。
すでに時期は初冬、平地はまだ寒さを感じられる程度の気温であるが、山々には雪化粧が見られ冬を強く思わせる。
標高が高いのか、周囲には動物らしき気配もない。そこへこの世の生物とは思えない、異形の姿をした者がその場にある横倒しになった木に腰を掛ける。
(……人間を侮り過ぎたか。あの場に居た者たち……それぞれが特異な力を持っている……十全に力を発揮出来ないとは言えベリアルたちを倒す程の力を。……ふむ、これは私の落ち度だな)
なんと、そこには少し前にイズミたちから逃走したアスモデウス。人間の情報をまるで仕入れず、勢いのまま攻め込んだことを反省しているように見える。
彼は、そのように安易な考えで行動するようにはとても見えないし、かと言ってその場の感情だけで行動するような激情型にも見えない。一体何がそうさせたのかは気になるところである。
(……まずは使い魔で、この世界のシノビという存在を調べておくか。数日あれば、東国と呼ばれるこの地に居る人間のことは分かる。その後、バアルたちを呼び寄せよう。……ふん、私としたことが……)
「……む?」
思案を続けるアスモデウスだが、ふと付近に目をやる。何かの気配があったようだ。だがその場には誰もおらず、何ががやって来るような雰囲気もない。だが悪魔は何かに勘付いている。そうでなければあえて何もない場所に視線は置かないだろう。
そして、その違和感は的中する。
「貴様か……この度現れた無作法者の親玉は」
「!?」
それは不意に現れる。何の兆候もなく突然その場に、まるで空間でも移動して来たかのような経緯を思わせるような登場ぶり。
その者は……
「の、能面!? 何故……」
「私を探していたのだろう? ……内々のクズ共はアレに任せた。私は外からやって来たくだらぬ生き物の……その余りを処理しよう」
なんと、現れたのは般若の能面ムリョウ。
たちまちアスモデウスの面差しが変わる。まさに怒りの形相。長年の恨みつらみを持つかのような雰囲気。
かつてイズミたちに立ちはだかった悪魔もそうだが、何故悪魔たちはこれほどムリョウたちに恨みを持つのか。
「ふ、ふははははは!! まさか貴様の方から現れるとはな!!! 我々に怯え、潜んでいたのかと思いきや……」
「はて? 不要な物を処分するという行動に、怯えるという要素はない筈だが? ……それにしてもまさか逃亡するとはな。余計な仕事を増やさず黙って殺られていればいいものを……」
尊大なムリョウ。目前の悪魔は激情に駆られる。
「貴様ぁぁぁぁ――――――――!! 我々を愚弄したその罪……」
「地獄で贖ってもらう……だろう? もうそれは聞き飽きた。……それにしても一人か……ククク、随分イズミたちに痛めつけられたようだな……ククククク」
アスモデウスという非常に強力な悪魔に対し、小馬鹿にするような態度。そして、すでに丸裸にされてしまった経緯を知られている。
「ふん! 私一人居ればいい。……フフ、貴様を始末し、まずはひとつ目の目的を達成させていただくとしよう……」
そう言うと、ルークに見せたような様相に変化し、恐ろしい程の気勢を放つ。
「……」
それをムリョウは観察する。
この場には二人だけ……誰も戦いの邪魔をする者はいない。
ここへ来て初めて、ムリョウという謎の人物の力が明らかにされる。
「死ねぇぇぇ――――――――!!」
爪を立て、雪が積もる地面を、雪のみではなく地面ごと抉り取りながら突進。彼に纏う、膨大な黒い気が万物を跳ね除ける。
トムやルークと戦った時の比ではない。これが上位の、そして強力な悪魔を束ねる者の真の実力か。しかもこれで『本体』とやらを備えていない……一体どれだけの力を秘めているのか。
広げた手を突き出すかのような攻撃。
さらに気を纏っているのもあり、その範囲は一突き一突きが人間の体の大きさ程のものとなっている。さらに極めて高速。その余波により、ひとつの山は既に雪化粧から荒地へと変貌。
「くっ……!!」
「……」
だが当たらない。ムリョウは明らかにそこに居る。極めて高速の攻撃を、毎回人間大の大きさで放っているにも関わらず、何故か当たらない。
アスモデウスはこの現象に歯噛みする。
しかし、攻撃はますます激化。やがて……
ザシュッ!!!
「!」
ムリョウの肩を、悪魔の攻撃がかすめる。衣類が破れ出血が見られる。
「フ、フハハハ!! どうだ能面!! そこまで避けたことは褒めてやろう! だが……時間の問題だなぁ?」
「そうか。肩を掠めたことがそれほど嬉しいか。随分と殊勝だな」
「なんだ……と……?」
アスモデウスも焦りがあったのだろう。苛烈な攻撃を、意図も容易く回避するムリョウに苛立ちが見られた。そこでようやく、クリーンヒットとは言えないとしても攻撃が命中するという状況。思わずまろび出た言葉だと考えられる。
「超越忍術……白金朧……」
―金剛八雲―ー
金忍術の三文字か。
ムリョウの体に、淡い白い光が折り重なるように漂う。
「何をしたのかは知らんが……その肉を削り取ってくれる!!!」
またしても勢い良く襲い掛かるアスモデウス。しかし、目前の敵は動かない。
いや、動く必要がないのだ。
バキィィィィ!!!
「う!? ぐう!!」
なんと、逆にその爪が破損する。右手の爪が粉砕し、多量に出血する。
「ぬおおおおおおおおおお!!」
返す刀で左手で攻撃。だが結果は同じ。今度は爪が根本から千切れ落ち、アスモデウスの面差しがたちまち苦痛に歪む。
「バ、バカな!?」
「終わりか?」
そう言うと、ムリョウは無造作に近付く。そして……
ズドォォォォ――――――――!!
「は……が……」
術で固めた拳で殴るだけ。それでも十分なダメージがあったようで、悪魔がふらふらとした足取りへと変わって行く。
「くっ!」
だが、すかさず羽を広げ空へ舞う。
「ぬああああああ!! 死ね!! 能面!!!!」
―堕天!!―
「!?」
ズゥゥゥゥ――――――――…………ン……
とてつもない圧力がムリョウを襲う。二人が居た山が、たちまち平地となる程の威力。
「……む。隠し玉を持っていたか……」
重みにより動けない。もっとも、この攻撃によるダメージはそれほど無いようだ。
切り札の筈。だがアスモデウスの面差しは、焦燥感から勝利を確信したような印象。まだ隠し玉があるのか。
「フフ、逃れられまい!! ふう……ま、まさか地上でこれを使うことになるとは……だが、貴様を殺せればそれでいい!! 喰らえ!!!」
―悪魔王の左腕!!―
「!?」
能面越しで視線は分からないが、明らかにその攻撃を注視している。これまではそのような素振りはなかった。ムリョウですら警戒する程のものなのか。
「貴様の罪は重い。……どういう理屈か分からんが地獄へ訪れ、人間風情でありながら多くの者を葬った。……我々を愚弄しおって……ただで死ねると思うな!!」
「お前たちが襲い掛かって来ただけだろう? 私は火の粉を振り払っただけ、そして迷い込んだだけに過ぎん。そもそも……地獄違いなのだ。私の力では、本当の地獄には辿り着けない……」
「ええい! 何を訳の分からんことを……もういい。貫かれたまま地獄へ引きずって行ってやる……」
その言葉を最後に、人間程度の大きさの黒い手が現れる。その瞬間、アスモデウスは多くの汗をかき、疲労感が強く感じられる。それほどの技か。
そして……
ドボォ――――――――!!
「!!」
その腕でムリョウの腹部を貫通。能面の隙間から出血。吐血があるようだ。
「フハハハ! 終わりだ能面!!」
「……」
勝ち誇るアスモデウス。客観的に見れば勝負ありだろう。
だが、相手をするのはあの能面。しかもムリョウなのだ。
「さすがだな。生ぬるい方の地獄ではあるものの、そこで大いなる公爵を務めるだけのことはある」
「き、貴様!? まだ話せ……」
ごく自然に話す。腹部を貫かれているにも関わらず、苦痛や悲壮感は感じられない。
「さて、そろそろ処分と行くか」
「バカな!? 何故だ! 何故動ける!? サタン様の腕に貫かれながら……」
ムリョウ、自身を貫いた手を持ち無理矢理引き抜く。そしてそれを掲げると、ボロボロと朽ちて行く。何かをしたのだろう。
「もうイズミは目標に達した。貴様らは蛇足だ。……消えろ」
―撃天焔破刃!!―
白熱化した炎の刃。だが、アソウギの物よりも遥かに大きく、遥かに洗練されている。
「……あ……」
そして、アスモデウスを素通りしたかの印象。だが実際には異なる。
「う、うがああああああああああ!?」
何故なら、彼の体が真っ直ぐに、中心からズレ始めている。しかも切り口を焼くという、悪魔の再生能力を無効化しながらである。
(い、いつの間に!? まずい! まずいまずい! この……このままでは……!!)
どうするか思案するアスモデウス。だが体の崩壊が既に始まっている。
「あ、ああああ!? き、貴様ぁぁぁ!! ゆ、許さん!! 貴様は必ず……必ず……う、うあああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!」
最後に断末魔を上げ、ピタリと動きを制止。そのまま落下していき、何処ぞへと落ちてしまう。
まさに圧倒的な強さ。何故これほどの実力を持つムリョウが、自身の目標に対して攻めあぐねているのか……それは今後明らかにされるだろう。
「……」
少しの間。何かに気付き、急いだ様子を見せてその場からムリョウは去っていく。
何かがあったようだが、それがイズミたちとの争いに発展することになると、ムリョウ自身もこの時は気付いていなかった。