第201話 例えばそんな未来
―???―
ここは何処だろう。
セピア色の景色の中、外では大きな畑にたくさんの野菜が実り、柵の内側で牛が放牧されている。そんな広い敷地に、ぽつんと平屋の一軒家。
そこで……
―さっさと起きろ!!―
―なんだよぉぉぉぉ、まだ早朝もいいところじゃねえかよぉぉぉぉ―
見たことあるようなやりとり。
一人は二藍色の髪を束ね、前に垂らしている女性。今声を張り上げた方だ。
年齢は二十代半ばだろうか。極めて美しく、色っぽさもある印象だ。
もう一人は灰色の髪色を無造作にしている男性。けだるそうに答えている方だ。女性より少しだけ年上か。
―そ、その……大事な話があるんだ―
―大事な話?―
満面の笑みで、幸せそうな女性。少しだけ恥ずかしそうにする。
―た、多分だぞ? いや、おそらくかな? 違うな……大方か……―
―意味はどれでも一緒だろ!? どこで悩んでんだよお前は!!!―
またしても見たことがあるようなやりとり。
意を決したのか、女性は姿勢を正して男性に向けて言い放つ。
―あ、あのな……えっと……あ、赤ちゃんが……出来たと思うんだ……―
―…………―
衝撃的な報告。男性は暫く固まるのだが……やがて、
―そっか! やったじゃねえか! はははは……あ、大声はいけねえよな、すまん―
―ふふふ、お前がそんなに喜んでくれるなんて予想しなかったぞ―
―あったり前だろ。……お、お前と俺の……こ、こ、子どもなんだし……よ……―
―え? あ……う、うん……えへへ―
男性は女性を抱きしめる。
女性は心から幸せそうだ。男性もニコニコし、幸せを噛み締めているように見える。
―な、名前……どうする?―
―え? ま、まだ早くないか? まったく……ボクよりも気が早いじゃないか……―
―え、う、あ……―
例えばそんな未来。
イズミは夢を見る。
微かに覚えている母のぬくもりと、父サスケとのたった数年の日々。
その後、サイゾウと暮らしたこと。
これまで無意識に思い出さないようにしていた彼女。その理由は……
―ちょっと待ったぁ!!―
初めてこの男が彼女に放った台詞。
男は周旋屋を名乗った。忍であるにも関わらず忍術が使えないという素性。
格好からどう見ても忍には見えない上に、すぐに軽口を叩くわ口は悪いわ、軽薄な男というのが第一印象だった。
だが彼には辛い過去があった。
兄二人、姉一人という構成で、皆から苛烈な暴力を受けていたという。
唯一の母もこの者たちの手により、生きてはいるがまるで屍のようになってしまった。
だから彼は努力をした。
強くなる為に、きょうだいを抹殺する為に、ありとあらゆる努力をした……が、報われなかった。
しかし、生きなければならない。
その為に生きる術を学び、あらん限りの知識を身に付けた。
それは彼女の下で遺憾なく発揮された。
自身は使えない忍術を、世の中を教えてくれた。
時に戦略を練り、仲間を有利に導き、彼の存在は彼女の中でどんどん大きくなっていった。
たまに喧嘩はするけれど、傍から見れば痴話喧嘩。
そんな関係が気に入っていた。決して悪いと思ってなかった。
やがて彼女は、その男が気になり始める。
仲間としてではない、異性として気になり始める。
だが彼女にその自覚はない。この気持ちは一体何なのかと自問自答しては、答えが出ない日々が続いた。
それが、サイゾウを思い出さなかった理由。
彼を思い出すことで、男の存在が小さくなるのではないかと、消えてしまうのではないかと……気持ちが薄れてしまうことを深層で理解していたのかもしれない。
それがどんな気持ちか、まだ彼女は分からなかったのだから。
しかし、徐々にその気持ちが何なのかが分かり始める。
それを確かめるべく、彼に意を決して告白しようとしたその時から……
彼女の感情は止まっている。
今度はサイゾウとの日々を思い出す。
最初は頼りになるお兄ちゃん的な存在だった。
自分に忍術のイロハを教え、寝食を同じ屋根の下で共にし、苦楽を共にした。
亡くなった父親と縁があるという、親からして関係が深い彼。
やがて彼女はサイゾウに対して、明確な好意を抱く。
だからこそ、別れの間際は泣きじゃくった。一緒に付いて行くとわがままも言った。
そして彼の取った行動は、彼女の記憶を変え幼馴染とし、キーワードを残して去るというもの。
これで不倶戴天の敵から逃れられるという、サイゾウによる最大限の配慮であったことは言うまでもない。
その後、彼は……彼女を導くために子だぬきとなった。
二度と戻れない危険を犯し、ただただ彼女を守るためにそのように動いた。
結果、子だぬきは彼女のかけがえのない友となった。
東の果てに居る間も、旅の最中も……ずっとずっと一緒だった。
だから子だぬきは彼女に懐いた。だがそれでも、彼女を守りたいという意思を持たなければ、彼は一生たぬきとして過ごさなければならなかった。
誰が出来るのだろうか?
もっとも、今のところ彼女はそれを知らない。
だが、サイゾウとの記憶は今やはっきりとしている。
彼を大好きだったことも……
※※※
―ボクは……リュウシロウに、サイゾウに……どういう気持ちを抱いているのかな?―
黒い球体の中で、未だ夢を見るイズミ。
―すずな町で、ボクはリュウシロウに大切な言葉を言おうとした気がする……―
すずな町の祭りの一件を思い出そうとしているようだが、少し欠落が見られる。
―何を言おうとしたんだっけ……? 忘れるくらいなら、大したことはないのかな?―
―ボクはどうしたいんだろう? ……会いたい……あれ……?―
―……誰に? 誰に会いたいのかな……?―
―分からない……自分の気持ちが……分からないよ……―
―え? でも、今はそんな場合じゃ……何を考えてるんだ……?―
―怖い……ボクはどうなるんだろう? 怖い……―
―このまま消えそうだ……嫌だそんなの……―
―言わなかった……誰かに頼ると自分が弱くなりそうで……―
―ずっと言えなかった……―
―『助けて』って……―
―でも今は言いたい……誰かに頼りたい……―
―誰……か……―
「助け……て……」
朧気な意識の中で、かろうじて声を出すイズミ。
その声は届く。
「イズミちゃん!!!!!!!」
術が解かれ、球体から落ちる彼女を受け止めるサイゾウ。
「……え?」
「大丈夫かい? イズミちゃん……僕は……ここに居るよ……」
次第に自分を抱きとめた者の顔の輪郭がはっきりする。
それは事情を知らない彼女からすれば驚くべき出来事。
「う、嘘だ……どう……して……?」
「本当だよイズミちゃん……良かった……本当に良かった……」
またしてもサイゾウの顔がぼやける。
でもそれは、きちんと彼を彼と認識した後だから何ら問題はないのである。
その原因は、自身の涙なのだから。
「サイ……ゾウ……」
「サイゾぉぉぉぉ――――――――――――――――!!!!!」
そのまま何も言わず、柔らかな笑みを浮かべながらイズミの頭を撫でるサイゾウ。
彼女は彼の胸で泣く。ただ泣く。
初めて助けを求めた彼女に手を差し伸べた男の胸の中で、いつまでも泣く。
この時点で、イズミとリュウシロウが共に進む未来は消失した。
ありえたかもしれない未来。いくつかの道筋の内、二人が共に歩む道は閉ざされた。
闇に消えたリュウシロウ。
このゴウガシャの一件が人生の分岐となり、彼はさらに過酷な道を歩むことになる。
だがそれは、決して後ろ向きに考えるものではない。
たった一人?
否。
彼には、既に運命的な出会いがあった。
それが彼を強くする。
それがリュウシロウという男に、途方もない力を与える。
『助けて』が言えない彼女を救えるまでに……
『雷神』と呼ばれるまでに――――――――――