第168話 空弧
その体幹だけで、人間の数倍の大きさの狐。
尾を九つ持ち、イズミたちの前でゆらゆらと舞う。
「お前は……? 妖怪……だよな?」
イズミの率直な疑問。
空孤は外見は動物であるにも関わらず、口角を大きく吊り上げ笑みと言える表情を作る。
「あたしゃ空孤ってんだ。ふ~ん……アンタがイズミかい? サスケの忘れ形見……」
「!? な、なんだお前! 父上を知ってるのか!?」
「知ってるも何も、この間話したばかりさね。ちょいとむさ苦しいけど、なかなかのいい男だったよ」
(……コイツ……戦う気がない……?)
(……)
普通に会話をする。
敵意が感じられず、不思議に思うイズミ。なおぽん吉、彼女の足元で震えているようだ。
「それよりも……」
そう言うと空孤、能面の傍に寄る。
「悪いねぇ。ムリョウは何もしないからさ。あたしが出たんだ。それ以上話すのはダメだよアンタ」
「ふふ……しっかりと……監視されていた訳か」
不動の能面が自然に話す。体に風穴が開いているにも関わらず、苦しみは伝わってこない。
ただ動けないところを見ると、その身にダメージがあるのは間違いない。だが他の能面も、傷付き倒れた後も普通に会話をしていた。何らかの謎があるのだろう。
「すま……ない……な、リュウシロウ。……話せなくなった……」
「!?」
能面が、リュウシロウに顔を向ける。そこで気付いてしまう彼。
「お前……ゴクザか!? ……そうか……近くに居たんだな」
モズを操っていた張本人であるゴクザ。どうやら上空に居たのだと思われる。
たしかに、光弾が放たれた場所は遥か上空であり、そこで気を練り術を作り上げていたのだと考えれば矛盾はない。
と、ここで空孤が口を開く。
「ムリョウの物語の根っこを言っちゃダメさね。……誰にも分からない、誰にも救えない……けどイズミだけが……それを成せるかもしれないんだから……」
「じ、じゃあボクに分かるようにきちんと説明しろ!!!」
柔らかに、語り掛けるように話す空孤。ゴクザは黙っているが、言葉は聞こえているようだ。そんな状況の中イズミが割り込む。
「……」
「……なんだ?」
決して険しくはない、むしろ優しげな雰囲気を醸す空孤。ゆっくりと彼女に近付く。
「あたしが言っちゃいけないんだよ。……それを話していいのは……物語の主役、ムリョウだけ……」
「??」
優しげながら、悲しげな雰囲気も纏っているように感じられる。だが、話す内容が理解が出来ない。
なお空孤の言い回しからすると、何から何まで話せるような印象だ。能面のような制限があるように見受けられない。
「……それに、出来ればあいつの悲しみ、辛さを……少しでも分かってほしいのさ。その為には……あたしが言っちゃいけない……悪いね、嬢ちゃん……巻き込まれたってのに、巻き込んだこっちがこんな事言っちゃってさ」
「あ、いや……じゃあムリョウに直接聞けばいいんだな!」
「ああ、それでいいよ。今あいつは体を休めてるから、次会うのはもう少し掛かるけどねぇ」
神妙な趣に、思わずイズミは躊躇ってしまう。
そして今度はゴクザに顔を向ける空孤。
「アンタもお疲れさん……これまでよく支えてくれたねぇ」
「主はいいのか? 我々ももう残り少ない……」
「何言ってんだい。アンタが気にしなくていいんだよ。……戻っても達者でな……」
「ああ……もっと力になれると思ったのだがな……すまない、空孤……」
この二人にしか分からない会話。だが、とても大事な話であることを皆は何となく分かっているようだ。
自身を貫いた相手と自然と話す……傍から見れば違和感でしかないが、ゴクザと空孤のみが分かる何かがそこにあるのだ。
ひとしきり話は終わったのか、ゴクザはリュウシロウにその能面を向ける。
「と言うことだ。……いろいろとすまなかったな」
「いいんだよそんなの。……お前、消えるんだな」
「ああ……」
このゴクザ、姿が見えない時は強大な敵。だが、会ってしまえば少し後悔の多い普通の人間……そのように見える。能面の中でも、彼は思うところが多いのだろう。それが何かは今となっては分からないが。
するとまもなくゴクザの体が朽ちてゆく。
空孤も含む、イズミ一行皆悲しげな面差し。
(……イズミの力を見るだけ……それだけだった)
やがて足が消える。次に腰に差し掛かり、時を置かず胴体も消え始める。
(しかし、思わぬ出会いがあった……ここだけは、主が知るところとしたかったのだがな……)
主、つまりムリョウ。ゴクザは能面の中でどのような表情をしているのだろうか?
ついには首も朽ち果て、顔に刺しかかっている。
(リュウシロウ……貴様なら必ず答えに辿り着……!?)
完全に体が消失するその間際だった。
(ふ、ふふ……この土壇場で……この力……本来は私の次だった筈なのだがな……この世界へ来て私の成長もあったか……)
ゴクザは何かに気付く……いや、何かが見えているようだ。
(そうか……リュウシロウ……まさか貴様が……)
そして、能面だけを残しこの世から姿を消す。
ー…………救……はな……ー
※※※
「……ようやく能面とまともに話せたのによ……ちぇっ、まったく……向こうでも達者にしろよ!」
これまでの、リュウシロウの能面に対するイメージは恐怖一色だったが、対話をし理解を深めることが出来た様子。
「ふ~~~~~~~~~~~~ん……」
「うわああああああああああ!?」
少ししんみりした後、顔を上げるといきなり空孤。それはリュウシロウも驚きを隠せないだろう。
「アンタ……面白いねぇ。なーんにも力を感じないところを見るとただの人間みたいだけど、あいつがあそこまで興味持つなんて……ふ~~~~~~ん……」
「な、な、なんだ……よ!」
なお、さすがに空弧は怖いようだ。
「そんで嬢ちゃん」
「な、なんだ?」
今度はゆらりとイズミの傍に寄る。
「ぜーんぶ知りたかったら、とりあえずほとけのざに行きな。アンタらが着く頃にはムリョウも回復してるさね」
「分かった。……そうだな、やっぱりムリョウから直接聞きたい。……えっと、空弧だっけ?」
「ああ。あたしはいつもムリョウと一緒に居るから、また会うだろうね」
「そっか。……あ、そうだ。このくらいならいいだろ」
ここでイズミ、何やら考える素振りをする。何か聞きたいことがあるようだ。
「あのさ空弧……ムリョウってどんなヤツなんだ?」
「ある意味一番難しい質問だわね……うーん、そうだねぇ。……とっても寂しがり屋……かねぇ?」
「さ、寂しがり屋……? アイツが聞いたら怒るんじゃないか?」
「あはは! そうかもしれないねぇ! ……ムリョウをよく知ってるから言うけど……あんた、仲間を大切にしなよ?」
まるで親が子どもに言い聞かせるような口調。確実に敵意がないと言えるだろう。その反面、ムリョウの謎がますます深まる訳だが……
「分かってるよ。ありがとう空弧」
「お、おやおや……礼かい。一応、あんたらの敵っちゃあ敵なんだよあたしは」
イズミの屈託の無さに少し戸惑う空弧。
「礼を言うのはこっちなんだけど……じゃあお返しにあどばいすをしてやるさね」
「あ、あどばいす……」
西国語を交えおどける空弧だが、途端にその獣の表情を強張らせる。
「そこに居る天狗だけは捨て置きな」
「!!!!」
天狗。つまりは……
「な、なんだと!?」
皆がここに集まってから、一度も言葉を発していない白丸。
ヒタキにあっさり負けてしまったことを、今の今までも気にしていたのだろう。
「お前たち人間はいろんな可能性を秘めているよ。イズミはもちろん、ゴウダイは東国の英雄、そこの金髪西国人もかなりのもんだねぇ……そこのちっこいのは初めて見るけど、ちゃんと自分の持ち味生かしてる感じがするよ」
一人一人に視線を置き評価する空弧。
その口調からしてとても敵とは思えない。そして、最後に視線置いた先はルーク。
(……?? なんだいこの間抜け面は。よく分からない男だわ……でも、どうしてだろうね……まるで……底が見えない……?)
「んあ?」
空弧は明らかに最強格。様々なものを見抜く力も備えているだろう。その上で、どうにも彼が推し量れないようである。なおルーク、今はアホ面をしている。
そして、何故か再びリュウシロウの間近に迫る空弧。
「なななななななんだよ!?」
「あんたも……よく分からないねぇ。その辺の奴よりは見抜く目を持ってるつもりなんだけど……ただの人間なのにな~~~~~んか期待させるものがあるよ。なんだろうね?」
「知らねえよ!? なんで俺が知ってると思ったよ!? 知ってたらもう何とかしてるっつーの!!!!」
「そうかいそうかい。まあ見つかるといいねぇ。……でもね、この天狗だけはもうどうにもならないさね。……既に覚えがあるんじゃないかい? 役立たずな自分に……」
「き、貴様ぁぁぁぁ!!!!」
この言葉に白丸は激高。あからさまに気勢を発し、臨戦体勢となる。
だが……
「あ、う……」
「あたしに喧嘩売るつもりかい? 身の程を弁えな」
気が付けば空弧の九つある尾の内のひとつが、彼女の首筋に突きつけられている。
(……速い……そしてこの気勢……限りなくムリョウに近い……)
イズミは、この束の間のやりとりで空弧の実力をある程度見抜く。『ムリョウに近い』……これだけで、かつての彼女なら絶望的なレベルだったであろう。
もちろん、今ではイズミよりも大きく実力で劣る白丸には見える筈もない。
「そもそも天狗じゃ天井が低いのさ。……あんたは邪魔だ。いずれここに居る者たちの足を引っ張る。今からでも去りな」
「ぐ……き、きさ……」
「そもそもアンタ程度の妖が、あたしと口を聞けるだけでもありえないのさ。あたしの姿を見たらビビって、跪いて、頭を垂れてりゃいいんだよ」
ここまで言われても、白丸はそれ以上言葉が出ない。あまりに妖怪としての強さが違い過ぎるのだ。
「ま、弱い者いじめはここまでにしとくよ。……嬢ちゃん、ついでにリュウシロウ。あたしは言ったからね?」
そう言うと、空弧は尾を引っ込め空へと消えて行く。
その姿が完全に消えた後、白丸は膝を付く。
「お、おのれ……!! 何も……言い返せなかった……!!! う、うう!!」
泣き崩れ、悔しさを見せる。
空弧にすべてを否定された彼女は……




