Isn't this where we came in ?
彼が村を去り、最初の一週間、カティは浮かれながら待っていた。一か月ほどすると、村の中ではあまり姿を見なくなった。後からトリスに聞いたけれど、山の上からじっと遠くを見つめていたらしい。誰かをずっと待っていたけれど、その相手は決して現れなかった。
そして、三か月を過ぎて、カティは酒におぼれていた。
さすがに見かねた僕は、ある夜、彼女を慰めようとして酒場を訪れた。トリスは誘ってもないのについてきた。そういえば、居酒屋で飲むのはあの日以来か。
「隣、座るよ」
机に突っ伏していたカティは、顔をあげて僕を一目見る。
「……お好きにどうぞー」
それだけ言うと、再び腕を枕に顔を突っ込んだ。
心配で来たものの、どうやって慰めるかなんて考えてなかった。とりあえず店員を呼び、適当に注文する。
薄味の料理に、酔わせるスイッチとしての酒。どうせどれを頼んでも大差ないのだ。まったく、一人で飲みになんて来るもんじゃない。
「あー、なんだ、君も頑張ってたと思うぜ」
「……結果が出ないと、意味なんてないんですよ」
カティはぶすっとした表情でつぶやく。やれやれ、どうしようもないな。
「何言ってんですか、一回失敗したくらいでカティさんらしくもない。また次がありますよ」
「一回って言いますけどねー、私がその一回目を何年待ってたと思うんですか。8年ですよ、8年」
「それはー、……長いなぁ」
「長いでしょ!」
考え無しの慰めのセリフは、やはりカティには響かなかった。カティは顔を上げ、酒をぐっと口に含むと、ゆっくりと飲み込んでいく。
それ、僕のグラスなんだけど。まあいいか。
カティは言った。
「あのあと、調べたんですよ、ユースケさんのこと」
「へえ、なんて?」
「なんだかちょっと違うんだよねー、とかつぶやいたあと、ふっと消えちゃったんですって。それっきりです」
カティの顔は崩れ、涙がこぼれていた。くそう、なんであいつらばっかり、もういやだ。そんな言葉を繰り返しながら。
消えたと聞いて、なんとなく思い出したのは、例の白い部屋。――ああ、もしかして。僕が考えているうちに、カティとトリスはさらに酒を頼んでいた。
「そもそも立場が違うってことですよ。私たちは、どうせモブなんですから。仕方ありませんよ」
「そんなことわかってますよ! でも、それを言い出したら何もできないでしょう?」
カティは大きなため息を吐く。
「はー。こっけいですねえ、私たち。何してたんでしょうねえ」
「え? 私たちって、私たちも入ってるんですか? いつの間に?」
盛り上がっている女同士の会話に割って入るというのは、少なくない労力を必要とする。相手が酔っ払いだったとしてもだ。
「カティ、君はなんでそんなにプレイヤーを待ってたんだい?」
つまらなそうに答えるカティ。
「だって退屈じゃないですか。ここ。つまんないでしょ? 何も思わないんですか?」
そんな当たり前のことをなんで聞いてくるんだろう。彼女の顔にはそう書いてある。
「あなただって、わかってるんでしょ? 作り物の村で、作り物の仕事をして。それがずっと続くんですよ。バカみたいでしょう?」
どこかで聞いたようなセリフだった。……どこかで? いや、あの場所でだ。
「それなんだけどさ、言いづらいんだが――」
あの時の会話を思い出しながら、ゆっくりと喉から言葉を絞り出す。
「現実も、同じらしいぞ。変わらない会社に行って、変わらない毎日を送るんだとさ」
くりくりとしたカティの瞳が少しだけ大きくなり、すぐにまた寂しそうな表情に戻った。
「そうなんですか? ……つまんないんですね」
「まあ、どうせ栓抜きだからね、僕たちは」
「なんですか、それ」
「別に」
僕は、グラスの底にたまった、薄い味のウイスキーを飲み干した。まったく、酔うために飲むなんてバカなこと、するもんじゃない。
「これから、どうするんだい?」
「どうしましょう。このまま飲んだくれキャラに転向ってのも、いいかもしれませんね」
「じゃあじゃあ、村を出て冒険者になるってのはどうです? 別にプレイヤーを待たなくても、自分がプレイヤーになっちゃえばいいんじゃないですか?」
トリスの提案に、カティははっとしたように顔をあげた。なるほど、考えもしなかった。
カティは恐る恐るといった調子で口を開く。
「いいんでしょうか、そんなことして」
「誰かにダメって言われたんですか?」
「それはー、そう……、ですねぇ……」
彼女はゆっくりとウイスキーを飲み下した。
数日後の朝。うちの玄関のドアに、一通の手紙が挟まっていた。
カティからだ。
中には短く、感謝と別れの言葉が書いてあった。それと最後に、幸運を祈る、と。
彼女がこれからどうなるかわからないが、僕の知ったこっちゃない。
「いいんですか? 追いかけなくて」
小林が聞いた。
「いいさ、僕は僕だ」
「缶切りが言ったところで、かっこよさ半減ですね」
「ほっといてくれ」
――その日の夜。いや、次の朝か。とにかく僕は、白い部屋で目を覚ました。
ああ、何かこれ、覚えがあるな。
部屋の様子ではなく、この状況に関してだ。デジャブってやつだ。
「お目覚めですか」
淡々とした女性の声がする。ナカムラだ。いや、コバヤシだっけ?
いくら寝ぼけていたって、現実と夢との区別くらいつく。見ている瞬間は気付かなくたって、あとからよく思い出してみたら色々破綻しているだろう? それの延長さ。
仮想現実だって、似たようなものだ。あの世界では、五感を完全に再現することはできない。技術的な問題ではなく、安全性の観点からだ。過度の脳への干渉は危険だとかで、法律でも上限値が設定されている。それは、特に二つの感覚において顕著だ。
すなわち、味と香り。
枕元に置いた、シトラスの香水。星間連絡者はしばしば、香水依存症になる。
不安なのだ、この真っ暗闇の宇宙の中で、本当に今自分がいるのが現実なのかどうかが。
「おはようございます、そろそろ次の星につきますよ」
その女性は、僕のベッドの傍に立っていた。そうだ、僕の本当の――現実の?――職業は、貿易宇宙船の乗組員の一人。
今は、次の星につくまでの冷凍睡眠中。こんなに長い旅は久しぶりだった。
声をかけてくれた女性は、人間ではなくロボットだ。見た目は人間そのものだが、髪をかきあげるとすぐわかる。首の後ろにジャックがあるからだ。
もっとも彼女の場合は積んでいるAIがポンコツなので、会話をすればすぐに人間ではないことがわかってしまう。独特な冷たい雰囲気といえば聞こえはいいが、単に素っ気ないだけだ。まったく、高い金を出して買ったというのに。
ちなみにロボットは会社とは関係なく、個人の所有だ。僕のように長旅をする宇宙船員の大半は、大抵、一人くらいは所有している。実務的な役目としては冷凍睡眠中のイレギュラー対応だけど、それよりもずっと大切なのが、長時間の旅にも文句ひとつ言わずに話し相手を務めてくれるということだ。
いわば人生のパートナー。星住みの連中たちにはこの気持ちは一生わかりっこないだろう。やはり人間、いつの時代も、最大の敵は孤独なのだ。
「今回の夢はどうでした? たまにはこういうのも悪くないでしょう」
「ひどかった。全然寝た気がしない。君は僕の貯金だけじゃなくて、やる気まで奪うつもりかい?」
「そんなこと言われても、普通の夢でいいと言ったじゃないですか」
そうだったろうか。そうだった気もするが、それにしてもあれは何か違うだろう。
「普通って、退屈なんだなあ」
そうだ、今回の睡眠は、僕に日々の単調さを意識させただけに過ぎなかった。
似たような毎日を繰り返すのなら、生きてる意味ってあるんだろうか。そりゃがんばって出世したり、もっと面白い仕事もあるのかもしれないけど。
何気ない独り言のつもりだったのだけど、彼女の耳はその言葉をしっかりと拾っていたのだろうか。
「ご存知なかったんですか? 日々の繰り返しの中で、小さな喜びとか満足感を集めていくのが人間なんですよ」
「ロボットの君に説教されるとは思わなかったよ」
「なんですかそれ」
ほっぺたを膨らませる彼女を見て、思わず笑みがこぼれた。
「小さな喜びもいいけどさ。でも、どんなに頑張って仕事をしても、死んじゃったらそこでゼロになっちゃうのって、やる気がなくならないかい? 僕が生きた証みたいなものが残るならともかくさ」
モブの悲しみってやつだ。今からどうあがいたって、主人公にはなれそうにないから。
ところが、彼女は変なことを言い出した。
「なに言ってるんですか。そんなこと言ったら、文明自体意味なんてないですよ。10億年後には地球は太陽に飲まれちゃいますし、銀河系だって寿命はあります。みんな最後にはなくなっちゃいますよ」
いきなり跳ね上がった桁数に、僕はぽかんと口を開けて呆れてしまった。
「でっかい話だなあ」
「でっかい話ですかねえ」
そういえば。
彼女の素っ気ない態度が、いつの間にか気にならなくなっている自分に気付く。慣れちゃったのかなあ。
老人を、昔一緒に仕事をしていた老人を思い出した。
使いづらい旧式の運転席を、文句を言いながらも得意げに操作していた。
僕がひん曲がったレバーをうまく上げられないのを見て、「コツがあるのさ」って言いながら、軽く動かすんだ。その時の顔は、やけににやにやと嬉しそうだった。
ただ、レバーだけならともかく、運転席が丸ごと取り換えられたなら、僕だって少しの寂しさを感じることだろう。
「AIの載せ替えって、いくらくらいかかるのかな」
彼女をもう少し殊勝な性格にするために頑張るってのは、悪くない理由かもしれない。見た目は気に入ってるんだ。見た目で選んだからね。
気付けば彼女のことばかり考えていた。女性としてではなく、愛着を持った道具としてだけど。
ふとある考えが頭をよぎった。
もしかして彼女は、このためにあんな夢を見せたのだろうかと。
おしまいです。
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