あははは、まあ、そういうもんだってことだね
「今日はありがとうね〜」
午後七時ごろ。梨田さんに見送られ、僕たちは、ほたる児童館を後にした。
近くのバス停からバスに乗って家に帰る美濃と別れ、僕と美雨は自転車で、街灯の灯りにほどよく照らされている道を並んで走る。美雨の横顔をちらりと見る。
「優」
美雨がこっちを見た。名前単体で呼ばれると、なんとなく緊張する。
「私が、ぬいぐるみ劇の脚本書書いてみようかなと思うんだけど。文化祭向けに」
「え?」
美雨が……脚本を書く……。
美雨は中学の時のあのことがあって、物語を書くことをやめたのだ。以前、美雨は、僕に嬉しそうに脚本を見せてくれた。そして、その物語をどんな気持ちで書いたのかを、場面ごとに一つ一つ説明してくれた。
だけど、今は書いていない。今やっているぬいぐるみ劇の脚本は、すべて甲斐先輩が書いたものだ。
だから、美雨が再び書く気持ちになったなら、僕は嬉しい。でも、単純には喜べない。脚本を書くことで、美雨がまた傷ついてしまうかもしれない。いや、今の状況ではそんなことはないはずなんだけど……。
「優、聞いてるの?」
「あ、ああ、聞いてるけど……その……」
「もしかして、私のこと心配してる? その必要はないよ。私もう完全に立ち直ったから。その上で、部屋も手に入ったことだしぬいぐるみ劇を……そう、児童館でやっているのよりも対象年齢をあげて、やるっていうのはどう?」
それには僕も賛成だ。ぬいぐるみ部ができることは現段階では、ぬいぐるみ販売と、ぬいぐるみ劇の二つ。ぬいぐるみ販売の売り上げが見込めない以上、消去法で、ぬいぐるみ劇しかないだろう。前に集客が見込めないという結論になったが、それはストーリーを工夫することで解決できる可能性がある。
「美雨が書いてくれるなら……僕はすごい賛成だよ」
僕がそう言うと美雨は笑顔になった。後ろに流れる黒い髪は綺麗だった。
「よし、私、超がんばって書くからね!」
その後は、美雨とはあまり話さなかった。
美雨と別れてから、十分ほどで自宅に到着。
「ただいま」
台所にいるであろう母親に向かってそう言い、二階の自室へ入る。
「早く風呂入んなさい」
母親の声が下から聞こえたので、素直に従って風呂へ。風呂から上がって、静かな食卓で箸を動かし、夕食を済ませる。再び自室に戻り、椅子に座ったと同時に、机の端でスマホが鳴った。この音は、電話だ。
電話なんて珍しいな、と思い画面を見ると、意外な人からだった。
「もしもし」
『優くん。久しぶりだね。私、覚えてる?』
覚えてる?って聞かれるとは……。僕の記憶力は相当ないと思われてるっぽい。まあ、実際ないけど。
「もちろん覚えてますよ。お久しぶりです、甲斐麗奈先輩」
『フルネームでありがとう。いや、もしかしたら、美雨っちの胸があれからさらに成長して、毎日がドキドキで、私のことなんて忘れちゃったかと心配になってね』
なんだ? その心配。まあ最近さらにちょっと大きくなった気もするけど……
「大丈夫です。そんなことに気を取られたりはしないですから」
『となると、つばきちゃんがまさかの大逆転してたりは?』
「しません」
『ああ〜』
「で、あの、どうして電話して来たんですか?」
『静岡での生活にも慣れたし、文化祭準備も始まってるだろうからそろそろかなって思ってね』
甲斐先輩は、夏休み前、家の都合で静岡に引っ越した。東京郊外のこんなところよりはいいところなのかなと思っていたが、引っ越し前の下見に行った甲斐先輩は、あんまりここと変わらないと言っていた。
「そっちの高校は、どんな感じですか?」
『うーん。ふつうっちゃふつうだね。ほとんどの人はもう部活も引退して勉強してるしね。友達ができたのは良かったと思ってる。小さな女の子が好きでついでにぬいぐるみが好きな人はさすがにこっちの高校にはいないね』
「そんな人渚ヶ丘にもいませんけど」
『え? 優くん退学したの? 何があった?』
「いや、なんで、そっちにいくんですか?」
『あははは、まあ、そういうもんだってことだね』
意味不明だ。
「あのー、で、本題はなんでしょう?」
『本題ね、まあ、そうね、美雨っちを応援してあげてってことかな』
「それは、脚本……」
『美雨っちね、本気で脚本書こうと思ってるよ』
「あ、はい。そうみたいですね」
美雨のつい一時間半前の言葉が頭をよぎる。で、甲斐先輩が美雨の気持ちを知ってるってことは……
「美雨、甲斐先輩に相談しましたね」
『……そこは想像に任せるね』
まあ、きっと色々話したんだろう。
「わかりました。美雨のこと、応援します」
どういう風に応援するかとかは考えていないけど、とりあえず僕はそう返した。
『よかった。じゃあ、文化祭見にいくからね。じゃあね』
「はいまた……って静岡から見に来るんですか?」
『そうだよ。新幹線で行けばそんなに時間かからないからね』
まじか。新幹線でわざわざ……なんて優しい先輩なんだ。
「ありがとうございます!」
ものすごく感謝していることが電話の向こうに伝わるように、気持ちを込めて、大きな声で僕はお礼を言った。