うんめいの、出会い
僕が作ったぬいぐるみが売れた時のことは、一年前のことだけど、詳細に覚えている。なにせたった一つしか売れなかったから。
先代の部長、甲斐麗奈先輩が作ったぬいぐるみは正直言って、ダントツ可愛いかった。女子小学生でもなんでもない、健全な男子高校生の僕が抱きしめたくなるくらいに。
それもそのはず、甲斐先輩の作ったくまのぬいぐるみは、全国ぬいぐるみコンクールで金賞を受賞した。伝説のくまのぬいぐるみと言っても過言ではない。しかも甲斐先輩はそのくまのぬいぐるみを超人的速さで生み出すことができる。暇さえあればぬいぐるみ製作に費やした結果文化祭で並んだ伝説のくまの数は、千三百個。それが完売したのだからもうすごすぎる。美雨と美濃の作ったぬいぐるみも悪くなかったけど伝説のくまと比べたら見劣りしていた。それでも、時たま売れていた。
一方、僕は。『何あれ、センスなくない?キモ』と通りすがりの女子高生に笑われ、女子小学生からはそもそも存在すら認識してもらえなかった。今思えば、不恰好なうみがめのぬいぐるみに、よくランドセルを背負わせようとしたもんだ。当時の僕は一体何を考えていたんだろう。売れずにただただ居座りつづける歪んだうみがめたちを眺めるだけの時間が文化祭一日目、二日目と過ぎて言った。途中で、『人手は足りてるからどこか見に行ってきたら?』と甲斐先輩に言われたが、断ってずっと座っていた。諦めたくなかった。誰か一人くらい買ってくれるかもしれない。
僕は絶対にその人の顔を忘れないようにしよう。そう決めていた。もしかしたらめちゃくちゃ可愛い女の子かもしれないなあ。
なんて想像も虚しく、文化祭終了間近の三日目の午後四時ごろ。未だに一個も売れず、放心状態になりかけながら、僕のぬいぐるみを買ってくれそうな人がいないかお客さんを目で追っていた僕は声をかけられた。
『あの、これください』
三十代後半くらいか、四十歳くらいだろうか。乱れた髪を一つにまとめた女性が、僕の作ったぬいぐるみを手にしていた。やつれているように見える顔は、ぎこちない笑みを浮かべていた。
『こちらの方がきれいでバランスも崩れてないですので……』
僕はそう言って目立つ位置に置いていた改心の出来のうみがめを手に取った。そもそも裁縫技術が乏しくて左右非対称だったりする中で、まだましなやつ。女性が持っているのは、口元は歪んでいてヒレ……と言うか前足の大きさが左右で少し違う失敗作。おまけに赤のフェルトがきれたのでピンクのフェルトであわててランドセルをつけたのでそのあたりも雑。
『いえ、これでお願いします。ピンクでないと駄目なんです』
『あ、そうですか。……お会計は二百円になります』
僕は、お金を受け取った後、ピンクのランドセルを背負ったうみがめを袋に入れ、女性に渡した。手が震えた。僕のぬいぐるみが、売れた。しかし、そのことの喜びが湧き上がってくる前に、僕のネガティヴ思考がある考えを提唱してきた。あの女の人、凄い疲れてそうに見えたし、ストレス発散の標的なんかに使われたりするんじゃないか。だとしたらいくら僕の駄作とはいえ、かわいそうだな……。
しかし、それ以外考えられない。あの女の人は、甲斐先輩のぬいぐるみにも、美雨のにも美濃のにも興味を示していないようだった。おそらく、可愛いぬいぐるみを乱暴に扱うことに抵抗があったのだろう。だから僕のうみがめのぬいぐるみの中でもさらに出来の悪いやつを選んだ。……うん。きっとそうだな。僕の中で結論が出た。
……しかし。
ピンクでないと駄目なんです。
その一言が、少し引っかかった。
「ふう……」
僕はため息をつき、自転車をこぐ脚に力を入れた。目の前の坂を登れば後は家まで下りか平らな道しかない。この坂が僕の下校における最難関だ。
ゆるくカーブしている坂の途中に、小さな崖のようになっているところがある。昔、この坂を自転車で下っている時に、ガードレールに激突して、自分は崖の下に飛んで行って痛い目にあった。それ以来、この坂を下るスピードは、控えめにしている。
……ん?
僕は毎日上から眺めている崖の下の景色に、異質なものがあるのに気がついた。
なんだ? あれは。 僕は自転車を止めて、その物体に焦点を合わせる。
え……?
感動の再会。崖の下の低木に引っかかっていたのは、あのピンクのランドセルを背負ったうみがめだった。そして……
「あ、あぅ……ふぇ……」
な、なんか声が聞こえるんですけど。怖い。幽霊かな。声のする方を見ると、茂みをかき分けながら進む一人の女の子がいた。りすとやまねと同じ年くらいに見えるから、ちょうど小学校三年くらいか。ピンクのリボンがついたヘアゴムで二つに結んだ髪。それとマッチしているうすピンクのワンピースには、細かい葉っぱや小枝がついている。
「ちょっ。そんなところ入って大丈夫?」
僕が声をかけると女の子はびくっと振り向いて、そして僕の作ったぬいぐるみを指差し、信じられないことを言った。
「あ、あの……、私のたからもののぬいぐるみを落としちゃって、木に引っかかっちゃって……」
僕ももうおしまいだ。自分のぬいぐるみが愛されて欲しいという願望があまりに強すぎてついに幻覚を見るようになったか。そこまでくると正直もうどうしようもないな。僕は首を振り、自分の頭をこつんと叩き、そしてほおをつねる。そして改めて見ると……まだいる。
どうやら幻覚ではないらしい。僕は自転車を降り、ガードレールを乗り越えて、近くにあった長い枝を手に取る。斜面を降り、茂みをかき分けていき、ランドセルを背負ったうみがめをつついて落とした。拾って女の子に渡すと、涙目だった女の子はぱあっと顔を輝かせた。
「ありがとう……ございます!」
頭がどっか別の世界に行っちゃうのかと思うくらい可愛かった。
無事崖の上に返ってきた僕と女の子は、二人揃って、服についた葉っぱや小枝を落としていた。一通り落とし終えた女の子は、ピンクの小さな手提げ袋に、ランドセルを背負ったうみがめをていねいにしまった。
「……ぁ!」
不意に、女の子が小さな叫び声をあげた。
そして、僕の鞄をまじまじと見つめて、
「このぬいぐるみ、自分でつくった?」
僕の鞄についているうみがめのぬいぐるみを触る。
僕が作ったうみがめのぬいぐるみの、ランドセルを背負っていない、つまりノーマルバージョンだ。自分で作ったぬいぐるみをつけてるとか、よくよく考えれば痛々しいが、これをつけた当時はのりのりでつけた覚えがある。そのままつけっぱなしだったな。
「そうだよ。僕、ぬいぐるみ作りが趣味なんだ。ちなみに……」
僕は女の子の手提げ袋に視線をやり、
「実は、そのうみがめも、僕が作ったんだよ」
と言うと、女の子は、あわわわわ……と震え始めて、
「うんめいの、出会い……」
とつぶやいて僕を潤んだ瞳で見つめてきた。
ものすごく感動されてしまったみたいだ。