水族館に、行きたいの?
「羽有という危険人物が頻繁にこんな所に来ているとは」
僕たちは、図書室から猛スピードで脱出し、避難していた。
場所はお察しの通り、ほたる児童館だ。
この時間は、大勢の子どもたちが自由に動き回りまくっている。その中に、えりかの姿はなかった。梨田さんに聞いたところ、泣いて帰ったあの日以降も、お昼前に何度か来ていて比較的元気だそうだ。少し安心したが、やはり、僕は心の中で責任を感じていた。
「うゆゆー、隣のお友達だれ?」
「いつも見かけない人だねー」
りすとやまねがくっついて来る。見上げて来るのが、なんか、もうね。可愛すぎ。僕の腕に顔が当たってほっぺたが変形しているところとかね。ああ、なんか顔が緩んできた。怪しい顔になってそう。
「君たち、この人に近づくとよくない」
稲城が注意する。
「なんだよ。あ、この人は、同級生の稲城。新しいぬいぐるみ部員だよ」
「おおー、部員増えた〜」
「よろしくー」
りすとやまねが稲城に元気にあいさつ。
おい。なんかいつもと違って優しい顔になってんじゃんかよ稲城。
「みんな〜おやつ用意したからね〜」
梨田さんがポテトチップス、クッキー、グミ、チョコレート……と、とにかく色々乗っている大きなお皿を持ってきた。
途端。おやつの時とかにしか広げない折りたたみ式の低いテーブルに、人がぎゅうぎゅう詰めになった。
向こうでスポンジの剣で剣道の真似事みたいなのをしていた男の子たちもこっちにきた。
男の子のうちの一人がチョコレートに手を伸ばすと、
「あっ」
少し遅れて手を伸ばした隣の女の子と手がぶつかった。男の子の方が先にとったんだけど、男の子は女の子に優しくチョコレートを手渡してあげる。すげえ。モテそう。
少し離れたところで裁縫セットを出しながら、僕はそんな様子を眺めていた。美雨と美濃はさすがに遠慮は少ししてるみたいだが、お菓子を一緒になって食べている。
普通の女子高生はこんなにお菓子に群がるのか、それとも単に美雨と美濃が特殊なだけなのか。僕には残念ながらわからない。
稲城は、相変わらずパソコンを開いていた。
「うゆゆ、ちょっと相談していい?」
いつの間にか、僕のところにりすとやまねが来ていた。どうしたんだろう?りすもやまねもお菓子大好きだったはずだけど。
「相談……?」
「うん。その、私たちね、えりかちゃんとお友達になりたいなーって思ったりしててー」
やまねがポケットに手を突っ込みながら言った。
「友達か」
「うん。だって、えりかちゃんって、ぬいぐるみ好きなのかな〜って。うゆゆのぬいぐるみを宝物にしてるんでしょ〜」
「まあ……」
「私たちがうゆゆのこと知る前から、うゆゆのぬいぐるみを持ってたってことは、うゆゆのぬいぐるみのファンの一人目ってことになるよねー。私たちは二人目と三人目ってわけー」
「そうなるね」
ほたる児童館でのぬいぐるみ劇を始めたのは去年の文化祭の後だ。その時に、りすとやまねと初めて出会った。
りすとやまねも、僕が今までプレゼントしたぬいぐるみをいくつか、大切に持ってくれている……と思う。文化祭直後と比べてファンが三倍になったってことか。一×三=三だからね。
「それでね。うゆゆにお願いなんだけど……やまねんあれ出して」
「えっ、えっとー、あの、お母さんがくじで当ててもらった、これなの、ですけど……」
やまねがポケットから取り出した数枚の青い紙。これは、チケットか……?
僕はやまねからそれを受け取る。
それは水族館のチケットだった。
「水族館に、行きたいの?」
僕はチケットの枚数を数える。四枚。
「そうなのー。でも、えりかちゃんに断られそうで不安というか……だから、えりかちゃんと仲がいいうゆゆが誘ってほしい、です。お願い、します」
なるほどそういうわけか。でもな……どうしよう。
それにチケットが四枚ってことは……。
「これは、えりか以外にも誰か誘うってこと?」
僕は四枚のチケットを扇形に広げる。
「誘わないよ〜。わたしと、やまねんと、えりかちゃんとうゆゆで行きたいんだ〜」
あ、僕ですか……。うーん。
「そっか。水族館は僕好きだけど……でもな……梨田さんに相談した方がいいんんじゃない?」
「ううん。うゆゆと行きたいって思ってるー」
「そうか……」
じゃあ、しょうがないな……。
僕は、自分の分とえりかの分の二枚をポケットの中から財布を出して中に入れ、二枚をやまねに返した。
「わかった。僕からえりかを誘って見るよ」
とはいったもののな……。
えりかが泣いて帰った日から、えりかとは会ってないから、どうやって話しかけるかだよな……。というかそもそもどうやったら会えるんだろう?
……梨田さんに聞いて見るか。
聞いてみると、明日はぬいぐるみ劇があるからきっと午後に来ると思うとの答え。ぬいぐるみ劇、見に来てくれるといいんだけど……。
「優、そろそろ作業始めよ」
「お菓子充電完了しました!」
声の方を見ると、お菓子を食べたいだけ食べたと思われる美雨と美濃が、遊んでる子たちの邪魔にならないところで裁縫セットやミシンを準備していた。ほたる児童館に来てしまった以上、今日は木材作業はできないから、僕もぬいぐるみづくりをしよう。稲城は……まあそっとしておくか。
午後六時半ごろに僕たちは作業を終えた。
今日はかなり捗った。
いつもの通り美濃はバス。僕と美雨は自転車。稲城は電車通学だから駅の方に歩いていった、んだと思う。
「明日さ、えりか来るかな……」
「さっきからなんでそんな心配してるの? えりかちゃんが泣いて帰っちゃったから?」
「それもそうで、あと実は……」
僕は美雨に水族館の話をする。
「え……それは、まずい」
……そう言われると思った。男子高校生一人と、女子小学生三人だもんな。えりかが来てくれればの話だけど。
「まあちゃんと保護者ですアピールして頑張ればいいんじゃない? それにしても、ふーん、水族館かあ……」
「……うん、水族館」
あれ? なんか美雨のほっぺが少し膨らんでいる。いつもは柔らかそうな美雨のほっぺだけど、今はゴムボールくらいの強めの弾力になっていそうだ。これはもしかして……
「……美雨、水族館行きたいの?」
「べっ、別に! そういうことじゃないし!」
「あ、そう。でもやっぱり僕一人じゃ怪しまれるし、一緒に行かない? あと、美濃も誘うか。稲城は……興味なさそうだな……」
「そうね……行こうかな……?」
あれ? あまり乗り気ではない?
信号に引っかかったので、僕たちは一旦止まる。僕はポケットの中の財布を開き、チケットを取り出してみた。
「あ」
実はこの時、僕は初めてチケットをよく見た。だから、今気づいたのだ。
「どうした?」
「これ、次の日曜にしか使えない日付指定のやつだ……」
「え、私、その日用事あるから行けない……まあ、とにかく楽しんで来てね」
美雨は優しい口調でそう言ってくれたが、どこか残念そうで、そして寂しそうだった。その寂しさには、単に水族館に行けないということ以上のことが隠れている気がした。