ちょっときて〜
昨日は結局パフェ五つを奢ってしまった。だけど、あれから話し合い、ぬいぐるみ劇をやるということ以外にも、今後の方針が細かく固まって来たので僕としてはかなり有意義な時間が過ごせた。高くついたけど。
というわけで早速文化祭作業を開始しよう……と思いきや、今日は教育研究会という先生たちがなんか色々する行事があるらしく、四時間授業で放課後活動はなし。
「まだ十二時半ですよ」
「ほんとだ。今日は家に帰って脚本がんばんなきゃ」
「私は今日は放送部の人たちと、機材を買いに行くんです」
「へ〜! 楽しそうだねー」
前を歩く美雨と美濃の後ろ姿を眺めながら、僕は下駄箱へと続く廊下をゆっくりと歩く。
「優は今日どうするの?」
美雨がこちらを振り返った。
「あ、いや、今日は、ほたる児童館に行こうかなと思ったりしてて」
「また? ただ可愛い小学生に会いたいだけなんじゃないの?」
「やっぱり、これはひどくなってますね」
……って美雨と美濃から言われると思ったから話には入らず後ろを歩いてたのに。
「違うよ。家だとぬいぐるみが落ち着いて作れないんだって」
母親は僕がぬいぐるみを作ることを阻もうとしてくる強敵だ。
くだらない。まずそのどうしようもない成績をなんとかしろ。そんなことしてるなら、洗濯と掃除やっといて。
みたいな感じで攻撃力が高すぎて僕はなるべく逃げられるなら逃げたい。そして、そんな僕に無料で超落ち着く場所を提供してくれるのがほたる児童館だ。しかもミシンがある。だからぬいぐるみ劇をやらない日でも、早く帰らなきゃいけない日はたまに行く。
「ふーん。成績を上げればそんなにうるさく言われなさそうだけどね」
「それはごもっとも……」
「今度勉強教えてあげますよ! 私こう見えてもテスト得意ですし」
「ありがと……ほんとにお願いするかもしれない」
文化祭作業の一部が家にお持ち帰りになることは、これから忙しくなることを踏まえればほぼ確定している。忙しくなる前に家族と良好な関係を築くことは重要だ。
美雨と美濃と別れ、僕は一人自転車で、ほたる児童館へと向かった。早めに漕ぐと、あっという間に着く。
「ふぅ」
一息ついて、ほたる児童館の赤い屋根を眺めると、少し懐かしくなる。僕も小学校の頃、ほたる児童館に通っていた。今も通ってるっちゃ通ってるけど。
時刻は十二時四十五分。
まだみんな授業中だから、さすがに誰もいないだろう。梨田さんと二人はちょっと緊張するな……とまあそんなことを考えながら自動ドアを通り抜けると、部屋の端っこで一人、座っている女の子がいるのに気がついた。僕は靴を脱ぎ、ていねいに揃えて下駄箱にしまうと、そちらへと向かう。
「あ、こんにちは……」
声をかけるのに少しためらって、僕はそう小さく呼びかけた。
「……うみがめさん」
その女の子、えりかは静かに振り向いた。一切音がしない部屋で、互いの目が合う。
「どうして、ここに?」
えりかが尋ねてきた。
「ぬいぐるみを作ろうと思ってね。家だと母親がうるさくて集中できないからさ」
「なんのぬいぐるみ、作るの?」
「うーん。まずは、雲とか、草とかからかな。ぬいぐるみ劇で使うんだ」
「……紙とかにはしないの?」
「うん。ぬいぐるみ劇は、完全ぬいぐるみワールドにしなくちゃ」
「なるほど……」
えりかは感心したようにうなずいた。
僕はえりかが床に広げているノートの教科書に目をやる。見覚えのあるレイアウト。僕も小学生の時使っていた、みどりねこ漢字スキルだ。
「漢字、やってるのか」
「うん……漢字、苦手だから。私、学校行ってないから勉強苦手」
そうだ。今は授業中の時間なはずだ。だけどえりかはここにいる。
えりかのノートには、マス目に、いろんな漢字が書いてあった。運ぶ、泳ぐ、速い……
あまり綺麗な字ではないけれど、ノートのマス目いっぱいに大きく書いていた。
えりかは、黙々と漢字の続きを書き始めた。
僕は少し間を空け、裁縫道具を広げ、作業をはじめようとしたその時、
「あ、羽有くん〜」
梨田さんが奥から出てきた。
「こんにちは」
「ちょっときて〜」
「え?」
梨田さんは僕の腕を握り、身体に引き寄せる。そんなに腕を胸元に近づけると触っちゃいそうなんですけど。
抵抗する理由もないので梨田さんに従い、奥の部屋まで来た。端に小さなキッチンと冷蔵庫があり、真ん中にはテーブルと椅子。
おやつを食べる場所に使ったり、たまにみんなでやる調理実習に使ったりしているらしい。僕はこれで入るのは三度目くらいか。
「ごめんね。ちょっと羽有くんにお願いがあって」
梨田さんは僕の腕を放すとそう言った。
「お願い……なんでしょうか」
「うん。あのね、えりかちゃんに、学校楽しいよ〜ってそれとなく言ってくれない?」
梨田さんは、冷蔵庫からオレンジジュースの紙パックを出して、三人分注ぐ。
「ああ、つまり、それはえりかに学校に行ってもらうため……」
「そうね〜私も何度か学校の話をしてみたんだけどあんまり聞いてくれなくて」
「……そうですか。でもだったら僕だと尚更ダメなきが……僕、小学生の頃から結構ぼっちで、三年生くらいからぬいぐるみを作ってて……正直小学校の楽しさを語れる自信はないです」
「そうなのね……でも、たまにでも、楽しいって瞬間はあったんじゃない? 六年間通ったんだよね?」
「まあそうですけど……」
僕は思い返す。あまり覚えていないけど、少しは楽しいと思える瞬間が学校生活の中にもあったかもしれない。
……例えば遠足で行った水族館は、本当に楽しかった。あの時は周りの人と楽しく過ごせた記憶がある。そう、あの時から、海の生き物をぬいぐるみにすることが多くなったんだよな。
「ね、だから少し話してみてね。えりかちゃん、羽有くんのこと警戒してないみたいだから。話聞いてくれると思うよ〜」
梨田さんは僕にコップに入ったオレンジジュースを二つ渡し、自分の分のコップに口をつけた。
「いきなり来たのに、ジュースなんかいただいてすみません」
「ううん。たくさんあるからいくらでも飲んでね。じゃ、私はちょっと遠くから見守ってるから頑張ってね〜」
梨田さんに軽く背中を押され、僕はえりかのところへと向かった。