「暖かい手」
黄昏時も終わりに差し掛かり薄暗くなっている中、風呂から出てきた戦王は書斎で本を読みながら白兎を待っていた。本によると人類の状況がここまで悪くなったのはどうやらここ半世紀でのことらしい。パラパラとページをめくっている途中で廊下から怒り混じりの足音が聞こえる。
「戦王様?私の裸体を見てただで済むとお思いですか?」
ろくに髪を乾かしていない湯上りの白兎は戦王の座る机を叩く。叩くたびに水滴が舞っている。顔が赤く染まっているのを見る限り、浴室での一件を相当気にしているらしい。嫁入り前の身なので当然といえば当然である。
「だから言っただろ?その大きな胸を見られたぐらいで騒ぐなよ。それに僕はそんなんじゃ欲情しないから安心して」
「それはそれで女として傷つくんですけど!」
白兎はモジモジしながら胸を強調するように腕を組み体を捩じらせる。自分で言うのもどうかと思うが、顔はどうであれ、平均値以上の体を持っていると思っていたので、ここまであからさまに欲情しないと言われるとショックなのだ。
「そんな閑話休題は置いといて本題に入ろう」
平行線をたどりそうな話を無理やり切り上げた戦王は机の上に山積みになった紙の束からいくつかの冊子を取り出す。書類を抜き取ったせいで一つの山がまるまる床に落ちるが戦王は気にしないことにした。
「まずはこれからだな」
その冊子には「ウルク憲法草案」と書いてある。
「これは…画期的なものですね。」
「画期的……か。」
二人の反応は対照的だった。全ての人が君主と法の元平等に扱われ、裁かれることが常識になるのは素晴らしいことだと感じる白兎。そんなこともやろうとしなかったのか失望する戦王。
「この憲法を通すことで裁判にはある程度の基準が生まれる。例えば殺人を犯した場合、貴族であろうと平民であろうと死刑から懲役30年の間で刑罰が決まる。これまで行われてきただろう不当な裁判は無くなると考えている。他にも色々利点はあるけどわからないところはあるか?」
白兎は筆で書かれた憲法を斜め読みしていく。
「この学び舎というのはどういうものなのでしょうか?」
「それは6歳〜16歳までの少年少女達を集めて様々なことを学ばせる所だ。」
「それは良い考えだと思うんですが、通いたい人だけ通うというのでは駄目なのでしょうか?」
「駄目だ」
戦王はやはりきたかと思い即答する。
「通いたい者だけでは通いたくても通わせてくれない者が絶対に出る。親というものは案外残酷なものでな。強制をしないと大切な労働源である子供をわざわざ学び舎なんかに送り出さないんだよ。特に農民の子供はな。しかし、それでは駄目だ!貴族だけではなく、農民の子もある程度の知識を身につけることでこの国の可笑しさに気づくことができるようになるだろう。そして、一部の勇気あるものはその状況を変えたいと思い立ち上がるだろう。『この国を変えていきたいと。』その意識を作る事こそこの国を永遠に繁栄させることに他ならない。僕だって不老不死なわけじゃない。後50〜60年もすれば地獄へ落ちる。その先の平和な世界でこのウルクを繁栄させるには国民の意識なのだよ。平和な世界を築くのと意識を変えるには時間がかかる。従って僕がこの国のためにやることは二つ。平和な世界を作ることと国民の意識改革。ここから先はもう言わなくてもわかるね?」
白兎は彼がここまで考えていることに驚愕した。自分の生きている範囲以降のことも考え、この世界を本気で変えようとしている。そして、私は確信した。
「戦王様。感謝します」
白兎は膝をつき目の前に座る彼女が思う至高の賢王に平伏する。
「貴方が来てくれたことで私が今日まで授かっていた亡き主の命を全うできました。そして今より私の全てを貴方様に捧げます。貴方の描く世界を実現するためこの因幡白兎に何なりとお命じ下さい」
目の前で平伏された戦王は顔を上げるよう言う。
「立派なことを言ったように聞こえるかも知れないけどそれまでの過程はとても褒められたもんじゃない。平和を得る為には暴力を使うしか僕には無いと思う。力なき我らが力を持つものに勝つ為には何が必要だと思う?」
立ち上がった白兎は軽く顎に手を当て考える。
「武器…でしょうか?」
自信なさげな白兎に向け戦王は「正解だ」と笑顔で答える。
「そしてこれが軍備強化計画書だ」
戦王は「海軍」「陸軍」「空軍」と書かれた計画書を並べる。白兎は手始めに「海軍」の計画書を手に取り中を見てみる。
「この戦艦や戦闘機というのはなんですか?」
「海から陸を攻撃したり、海獣を仕留める為に作るものだ。戦闘機は空から敵を殲滅するための兵器だ。」
「ふーん」と相槌を打ちながらさらにページをめくって行く。
「この国の人口の半分を占める失業者にはこの軍事工場で働いてもらう。とはいえ初めから大型兵器を作れるわけじゃ無いから、初めは亜人相手にそこそこ防衛ができるように小銃や機関銃の製作から始めて技術の下済みをするよ」
彼は最後にと言ってもう一冊冊子を取り出す。また山積みになった書類の束が崩れるが戦王は気にしていない様子だ。白兎は国力強化をしてくれるのはありがたいのだが、どうやったらこんなに部屋が汚くなるのか教えてもらいたいと思った。まだ一週間たっていないのにもかかわらず、机の周囲はすでに足の踏み場が無い。この調子だと一ヶ月後には床が見えなくなり、三ヶ月後には部屋に入れなくなりそうだ。
「戦王様、書類を分類して片付けておきますので今日はお休み下さい」
「いやいや、今日も設計図を書こうと思うからもう少ししてから寝るよ」
「明日のこともあるので今日はお・や・す・みください」
これ以上部屋を散らかされてはたまらないと思った白兎はドス黒い笑顔浮かべる。
「わかったよ、僕は休むから後はよろしく」
そう言った戦王は寝室へと消えていった。
「さて、これは大仕事になりそうですね」
夜もふけきった頃には大方片付けが終わり書斎の椅子に座り休憩する。白兎はどうせ引き出しの中も汚くなっているのだろうと思い開けてみる。しかし、意外なことに引き出しの中は散らかっておらず、代わりに一本の小刀が入っていた。その小刀は真紅の鞘に収まっており鍔にはススキの模様が刻まれている。抜刀してみるとその刀身は魔法を使わず、見事に鍛えられており美しい刃紋が浮かんでいる。
「魔法を使わずにここまでいい剣を鍛えられるなんて。本当に日本という国の技術力は素晴らしいわ。」
月明かりに照らしていると、青く輝く刀身に文字が刻まれているのに気づく。
「なんて読むんだろう」
白兎は戦王のいた世界を半年間さまよっていたため大抵の漢字は読めるつもりだったが、苗字や名前は難しいらしい。
「豊葦原冬美僕の婚約者だった少女の佩刀だよ。」
「すいません戦王様。勝手に覗いてしまって」
白兎は戦王が部屋近づいて来るのに気づかなかったことに驚いている。彼女の耳は飾りではなく本当のウサギ並みに音を拾える。にもかかわらず、戦王の気配に気づかなかった。否。気づけなかったのである。
「寝付けなくて来ただけだから気にしなくていいよ。その刀綺麗でしょ?」
白兎は無言でコクリと頷く。彼女の真っ白な髪は月明かりに照らされ煌めいて、窓辺に移るシルエットは非の打ち所のない曲線美を映し出す。
「その刀は僕と冬美がお互いのことを想いながら今日みたいな満月の日に鍛えたもんなんだ。刀の名前は『恋刀澪美』」
戦王は机の上に座り白兎を見つめる。視線に気づいた白兎は顔を赤らめスカートの裾を掴むと体をくねらせる。戦王の手が白兎に向かって伸びる。白兎はついに来たかと思い目をとつむり身構える。白い肌、ふくよかな胸、ピンク色の薄い唇、それら全てを引き立てる月の光、理性が吹き飛んでしまってもおかしくないだろう。
「そんなことしないよ。君の初めては僕みたいな人殺しが奪っていいものじゃないからね」
戦王はこれまでに無い優しい笑顔を浮かべ白兎の頭を優しく撫でる。白兎が少し残念そうな顔をしたような気がしたが気にしないことにした。
「どうして私が処女だとわかったのですか?」
「僕が手を出すと思って震えてたからだよ。経験のある女性なら震えずに自分からキスしてたと思うよ」
そういうと戦王は再び白兎の頭を撫でてる。彼の手は戦場に立っていたものとは思えないほど柔らかく小さかった。数多の屍の上に立つ男の手には思えなかった。
「あぁそうそう、その刀君にあげるよ。これからも僕の右腕として頑張ってね」
後ろ手に手を振った彼は部屋から出ていった。
僕の朝はそんなに早くない。元日本軍の総司令の立場にいた者としては意外に思うかもしれないが、あれは戦功を挙げているうちに勝手についてきただけである。むしろ、僕は世間一般的に見ても遅めの時間に起きる習慣がある。
「はぁ〜もう朝か」
日の傾きから見て時刻は8時。僕はまだ寝ていたい衝動を抑えてベットから出る。コンコンコンと三回ノック音がし、ドア越しに白兎が声をかけてくる。
「お目覚めですか?戦王様」
「起きてるから入っていいよー」
僕が入室を許可すると白兎は『失礼します』と言いモーニングティーセットを抱えて入ってくる。
「えっ⁈」
しかし、部屋に入って来た彼女はその場で硬直する。
「ななななななんで服を着てないんですか〜」
一瞬の硬直の後全てを察した白兎は慌てて部屋を飛び出す。僕は基本的に下着の締め付けられる感覚が嫌いなので寝るときは全裸だ。さらに彼女は男性の朝特有の生理現象もセットで目撃した。
「あぁそうか、普通の人は裸で寝ないのか」
こうして国の運命をかけた日は波乱の幕開けとなった。
今回は内政に関することが多かったですが、次回から獣人王国との戦争に向けて動き出します。戦王がどのようにして戦うのか策を練る回になると思います。拙い文ですが次回も楽しみに待っていてください。