「白兎の苦労」
ケルベロスの話を聞いた戦王は訓練を切り上げ、兵達に今日は休むように言った。白兎がしごき過ぎたのも結果的には良かったのかもしれない。
ケルベロスは現在風呂に浸かっているだろう。汗を流したら詳しく話をするために書斎に来るように伝えてある。それにしても、エルフがメンフィスに宣戦布告をする理由が戦王には思い浮かばなかった。エルフは王宮にあった本いわく、森の中で生活する民で領土拡大意識が他種族に比べてかなり低い。自然魔法との親和性が高く、特に植物や毒を操ることに長けていると書いてあった。宣戦布告をして来るあたりおとなしい種族ではなさそうだし、戦うにしても情報が少なすぎるのが現状だ。
コンコンコンと三度扉がノックされケルベロスが書斎に入ってくる。赤茶色の髪にはまだ水滴が付いている。
「とりあえずかけてくれ」
戦王はケルベロスをソファーに座らせる。彼女の向かいにはテーブルを挟んで白兎が座っている。いつもなら目を合わせた途端ゴングが鳴るが、今回は鳴らない。風呂に入って汗を流したとはいえ、ケルベロスの疲れは相当なものなんだろう。手短に済ませて早く休ませてあげようと思った。
白兎はケルベロスに緑色のお茶を注ぐ。
「これはなんですの?」
「薬茶よ。疲れているだろうから疲労回復効果のある薬草を煎じて入れたの」
ケルベロスはカップを顔に寄せ匂いを嗅いでみる。薬茶なだけあって独特な匂いが漂っている。犬の嗅覚を持つ彼女には厳しいのではないだろうか。少なくとも美味しそうには見えない。
「警戒しなくても大丈夫よ。匂い以外はあなたの好きなハーブティーベースのお茶だからきっと気にいるはずよ」
「本当はうんと苦くしてやりたかったのだけれど」と白兎は続ける。
少し不安はあるが白兎の薬や薬茶、薬湯に関する知識が確かであることはケルベロスもこの3ヶ月で理解している。王宮の奥にある温室で白兎が育てている薬草やハーブはどれも育成困難と言われているものばかりだ。味は半信半疑極まりないけれども、体にはいいはずだ。
「これはあくまで疲労回復の為」心の中で言い聞かせたケルベロスはティーカップを逆さまにし、一気に飲み干す。
「おいしい……」
マジか!と戦王は思った。
「だから言ったでしょう。あなたのことは嫌いだけど、私は薬に関して絶対に嘘は言わない」
ただ美味しいだけではない。走り続けてこわばった筋肉が解され、全身から倦怠感が抜けていく。認めたくないが白兎のおかげで元気が湧いてきた。戦王は元気になったケルベロスを見て笑みを浮かべる。
「処女のくせにやりますの」
前言撤回。もう少し疲れてて欲しい。
「ぶっ殺す!」
「ストーップ、ストップ。ウェイトウェイトウェイト」
ここで喧嘩をされてはたまらないので仲裁に入る。二人はにらみ合い腰を落ち着ける。
「それで、エルフは何のために宣戦布告して来たんだ?」
「領土が欲しいのではないでしょうか?彼らは砂漠が広がることを忌み嫌っていますし」
エジプト神話から生まれた獣人は砂漠の民で北欧神話から生まれたエルフは森の民。両者の仲が悪いのは容易に想像できる。
利権や領土拡大戦争を止めるのは案外簡単だが、宗教戦争を止めるのは非常に難しい。前者の場合追い返してしまえば終わるのだが、後者の場合そうはいかない。かつて十字軍とイスラム教徒が聖地エルサレムを争った時も血で血を洗う凄惨な戦争だったと聞く。
「そうではありませんの」
ケルベロスは膝の上で拳をギュッと握りしめる。
「あの蛮族どもは無垢な子供たちを奴隷として行くんですの。アヌビス様が国を収めてから過去二度メンフィスはアルフヘイムと争い負けていますの。その際持っていかれたものは7歳以下の子供たち3万人。連れていかれた子供たちは誰一人として大人になれず死にましたの」
「子供を奪う理由はなんなんだ?」
「奴隷として10歳までこき使った後はエルフ王の剣『グラム』の養分としてその生を奪われます。森の全てを支配するその剣が強化されるということは、森そのものもよりたくましく育つんですの」
「卑劣な……」
戦王はドス黒いオーラを放つ。国の宝である子供たちを奴隷にし、使い潰すことが彼には許せなかった。終戦後、平和な世界の未来を切り開いていくのは国を良くしていきたいと強く思う子供たちである。そのために彼は教育を始めた。
「戦王様、どういたしましょう?」
「大平和共栄圏加盟条約に基づき集団的自衛権を行使する。これよりウルク王国はアルフヘイムへ宣戦布告し、同盟国の期待に応えることとする!ケルベロス、決戦の日時と場所は」
「はっはい、メンフィスとアルフヘイムの南東国境グレーテで1ヶ月後です」
1ヶ月……不十分な武装を完全に整えるには足りないが、最低限戦場に立てる兵士を鍛えるには十分だ。相手の数次第では極大魔法の使用も視野に入れる必要があるだろう。多くの血が流れるだろうが知ったことではない。冬美の願いは僕にとって絶対。これだけが僕の生きる意味なのだから。
「戦王様、笑みが怖いですよ」
白兎に声をかけられて戦王は思案の世界から引き戻される。知らないうちに趣味の悪い笑みを浮かべていたらしい。
ーーいけないいけない、人を殺すことに楽しみを覚えるなんて昔の僕じゃないか。
「ケルベロスは僕とメンフィスへ、白兎は留守番だ」
「なんで私はお留守番何ですか?」
白兎は少し声を荒げる。何故自分が置いていかれるのか疑問のようだ。
「僕がいない間この国を任せられるのは君しかいない。大丈夫、必ず戻って来るから」
戦王は白兎の肩に手を置きさとす。納得した白兎は片膝立ちになり、戦王の手に口づけをする。戦王は照れ臭そうに笑う。
「あなたに神々の加護があらんことを」
神々の加護か。その言葉を使って自分は何万人もの人を地獄に送ったんだけどな。でも、雷神と契約を交わしている僕にはぴったりなのかもしれないね。
「行って来る」
戦王はケルベロスを両腕で抱えて窓から飛び降りる。あっという間に彼の姿は見えなくなった。
ウルク王宮から700kmのところにあるメンフィス王宮までは戦王の能力で1時間程の距離にある。白兎は高速での空の旅を怖いと言うが、ケルベロスは楽しそうに笑っている。純粋に空の旅が楽しいのか、惚れた青年に抱かれているのが嬉しいのか、はたまたその両方なのか戦王にはわからなかった。
戦王はメンフィス王宮に着いてすぐアヌビスのもとに向かう。相変わらず砂漠気候のメンフィスはもの凄く暑く、戦王の額には汗が滲んでいる。こんなに日差しが強いのに日焼け一つしていないケルベロスの肌は努力の賜物だと思う。
「戦王様、いつになくやる気ですね」
「今回は血生臭い戦争になりそうだからね。僕とて手を抜くわけにはいかないよ」
ケルベロスから見て戦王は静かなる闘志を燃やしているように思える。自分と戦う前もこうだったのかはわからないが、戦争のことになるといつになく頼もしい。この世界で最も魅力的な才能である。もっとも、本人は忌むべき人殺しの才だと思っているようだが。
ドアをコンコンコンと3回ノックしてアヌビスの書斎に入る。いつもならアヌビスの部屋は整理整頓されているが、今は散らかっている。よく見てみると殆どが戦略書や戦術書だ。何冊か拾い上げて見てみると、どれも騎兵と歩兵に刃や槍を持たせて戦う中世以前のものだ。ゲリラ戦や塹壕戦を戦い抜いてきた戦王には馴染みのないものばかりである。
「お前から見て今回の戦は勝てると思うか?」
アヌビスは真剣な面持ちで聞く。
「判断するには情報が少ない。エルフが得意とする戦術、兵士の人数、地の利、こちらの兵数、士気、それら全てを見てからでないと結論は出せない」
「そうか、では何から話そうか」
戦王はアヌビスの目の前に椅子を移動させ座る。ケルベロスだけ立たせておくのも戦王の良心が痛むので、となりに椅子を持って来させて座らせる。
「まずはエルフの使う戦術と戦略についてかな」
戦術と戦略は同じようで全く異なるものである。戦術とは戦闘で兵士の使う技のことであり、戦略とは盤面上で練る作戦のことだ。基本的に戦争の勝敗は戦略の優劣で決まる。精巧に積み上げられた戦略の前では戦術など無意味に等しい。
しかし、何事にも例外はある。何を隠そうと元いた世界では彼自身が例外だった。将棋に例えるなら詰み寸前の盤面を将棋盤ごとをひっくり返す起死回生もしくは、反則の一手。それがエルフにもあるのか。あるならどのぐらいのものなのか知っておく必要があった。
この世界で戦王は決して最強ではない。もし白兎以上の実力者がいるのなら、あらかじめ策を講じておかないとまだ見せていない手札を必要以上に切る必要が出てくる。ウルクがある程度成長するまでは自分の実力を隠蔽し攻めにくくさせておきたいのだ。
「エルフの使う武器は弓だ。弓の平均射程は100m〜130mぐらいだが、彼らの弓の射程は200m。できる奴ともなれば250m先の敵を討ち取る。その類稀なる弓の腕を生かした防衛戦を得意としてる。具体的には森に篭っての迎撃戦だな」
戦王は今の話を整理する。おそらく遠距離から指揮官を撃ち抜き、崩れた部隊に突撃をかけて各個撃破。人数が少なく一流の狙撃手がいるフィンランドの部隊で行われていた戦略だ。風の噂で聞いた話が本当ならその一流の狙撃手は500人以上の敵を殺し、倍以上の数の敵部隊を押し返したと言われている。たしか、白い死神とか呼ばれていたっけな。
「僕が得意とする戦いは攻城戦や対艦戦。一体多数や拠点攻略には覚えがある。だから頼りにしてもらって構わない」
アヌビスはほっとする。メンフィス軍の得意戦術は身体能力を生かした歩兵戦である。機動力は騎兵並だが、エルフに対してはかなり相性が悪い。兵士の数はアヌビスの魔術でドーピングすることもできるが突破口となる一手が無いのだ。
「ただ、1つ懸念がある。エルフの王のみが使える宝剣『グラム』の力をお前が凌げるかと言うことだ」
「エルフの王はそんなに強いのか?」
「わからない。何度か奴らと戦をしたがあの王が本気を出したところを見たことがない」
戦王はうーんと喉を鳴らし、考え込む。彼はアヌビスに話を聞けばもっと情報を得られると思っていた。戦略については十分だが、まだまだ情報が足りない。エルフの兵力、エルフ王の力、そのほかにも知りたいことはたくさんある。
「アヌビス、今すぐ一万騎用意できるか?」
「可能だ。数が多いのが我々の自慢だからな」
メンフィスの総兵力は100万騎。ウルクと違って多数の国家と接しているため全部を動かすことは出来無いが、数が多いと言うのはそれだけで脅威だ。
「では5日後アルフヘイムに偵察攻勢をかける」
「待て待て戦王」
アヌビスは血相を変える。
「彼らの指定して来た決戦は1ヶ月後だ。今我々が動けば戦時条約違反だ」
「ああ、なんだそのことか」
戦王はやれやれと言いたげだ。
「たしかにメンフィスに対して示された決戦日は1ヶ月後だ。でも、僕達ウルクには決戦日の指定はしていない。そしてここにいるのはウルク国王。後はわかるな?」
「悪人が……」
全てを察したアヌビスは思ったことをそのまま口にする。
戦王の考えはこうだ。まず、戦王がアルフヘイムに対して本日付で宣戦布告。続いて、アヌビスが用意した一万騎をウルク王国軍の援軍として進軍する。これならメンフィスが直接兵を挙げたわけでは無いので戦時条約には抵触しない。単身でアルフヘイムに攻勢をかける戦王の援軍といえばエルフたちも文句は言えまい。ルールの間隙を突いた立派な悪知恵だ。
「悪人で結構、友好国を救うためならなんでもするさ」
ハハッと戦王は笑う。年寄りの策士の浮かべる悪い笑みだとアヌビスは感じた。腕がたち、頭も回る。敵に回さないように立ち回って本当に良かった。もし、彼と全面戦争をしていたら今頃人類の国境は今よりもこちら側にあっただろう。
「では策を練ってくれアヌビス」
「私がか?お前が練った方が確実だろう」
「僕はエルフのことをよく知らないから、今回ばかりは頼むよ。その代わりと言ってはなんだが殿は僕一人で務めるから」
「了解した」
戦王はいやらしい笑みをこらえる。彼の本当の目的はアヌビスの力量を見ることだ。敵以上に味方の実力を知らなければ今後の作戦立案にも支障が出てくる。もっと言ってしまえば彼にとって、今回の偵察攻勢自体がアヌビスとメンフィスの力量を測るテストに過ぎない。エルフの実力はそのついでだ。
ーーさて、僕もやるべきことをやらないとな。
「では策が練れたら呼んでくれ」
戦王はケルベロスとアヌビスを部屋に残して自室に向かう。