11ー4 白い尊貴
オレの人生を初めから奪っておいて、これからも思い通りにうごかせると、なぜ思うことができるんだ。
こいつら全員、頭のネジがどこかに吹っ飛んでるんじゃないのか?
「『×××××××××××』、冗談にしても面白くない」
この場にいるオスフェデア王国の人々、以下近くにいるのだろうが姿を見せていない教師たちにも伝わるように、声を響かせるため?の魔法を唱える。
ああ、喉が痛い。
痰が絡むような違和感を覚え、咳をすると血の塊がこぼれた。
魔法を使いこなせていないせいで、体に負担がかかっているんだろう。
「はぁ?……そいつがお前の返事か?」
「オレが普通じゃない理由がやっと分かった。
全部、あんたらが仕組んだことだったのか」
「人聞き悪いこと言ってんじゃねぇぞ、おれらはなんも仕組んでなんかねぇ。
お前に人を殺すために必要な技術と心得を、きっちりと教えてやっただけじゃねぇか」
目を細めるアンヌンツィアータの顔を見て、決別はすでになされたのだと知る。
そうだ、彼女は反論、反抗されるのが何より嫌いだった。
彼女の言葉はいつでも正しくて、彼女の決定が教師たちの指針だった。
今、彼女の中でオレは仲間になるかもしれない元教え子、から、殺すべき相手になったのだろう。
暗黒を灯す瞳が、ゆっくりと笑顔の中に埋もれていく。
指がゆるりと宙を撫でて、足が台を踏み鳴らす。
「『××××××××××』」
「『××××××××××××××××』!!」
何を言われるか分からないまま、確か魔法を反射できる魔法?を唱えたけれど、何をしても一度も勝てずにいた師である彼女に、一切の鍛錬をしなかったままで追いつけるはずもなかった。
オレは、自分が叫んだ詠唱の意味すらも理解していない。
心臓なのか、拵臓なのか、それとも肺なのか、胸が引き絞られるように痛む。
その場で踏ん張ろうとしたけれど、痛みで集中が途切れたせいで、体を動かすための魔法が解除されて倒れてしまう。
息が、できないっ。
「っ、ぁぁっっ」
呼吸ができずにもがき苦しむオレを見て、ふんと鼻を鳴らしたアンヌンツィアータは、ゆっくりと手を伸ばし、踊るように足を踏み鳴らし、そして口を開く。
「そんな未熟な共鳴詠唱じゃおれには勝てねぇよ、こちとら千年はこれで食ってってるんだ、まだまだ負けてらんね」
見下ろす視線は害虫を見る目だ。
ああ、頼むから動けよ、動かないと踏みにじられる。
「ベニー、楽しんでるとこ悪いが、こっちを先にやってくれ」
「えぇ?いいところなのにぃ」
ストラックヮダーニオが、するりとパーピの腕から抜け出してくる。
日焼けした裸足の足が木でできた台の上をこすり、その顔は興奮に上気して、黒い瞳が潤んでいた。
見覚えがある、これは最高に機嫌が悪い時の顔だ。
気絶するたびに叩き起こされながら、死ぬ直前までなぶられる時の予兆であり、おそらく今回に限っては、死ぬまで続くのだろう。
サイッテーだ。
◆
みしり、ぼきりと骨がへし折れる音がした。
これが幻聴ならどれだけいいか。
「がふっ」
壁に背中から叩きつけられて、勝手にあふれでた声とともに、大量の血が口からこぼれた。
吐血の量から考えて、間違いなく内臓がいくつか負傷している。
どこが痛いのか分からないほど、全身が痛む。
体内の魔力回路が回復していないせいで、魔素結集魔法しか使えない。
魔法しか使えないだけでも最悪な状態のに、魔法を唱えるたびに痛む喉から血を吐くせいで、体を動かすための魔法の維持が精一杯のオレには、ストラックヮダーニオの打撃を避けることさえできない。
痛む体に鞭を打って、なんとか立ち上がるだけで精一杯だ。
なぜ立つのかって?
立たなければ、文字どおり蹂躙されるしかないからだよ!
「ぎ、ぅっ」
どこもかしこも痛すぎて、動いてもいないのに、いや、動けないのに変な声が漏れる。
呼吸をしても苦しいし、息を吸うだけで気絶しそうに痛いのは、折れた肋骨が肺に刺さっているからかもしれない。
魔法で内傷治療をするのは、どんな言葉だった?
本当にアンヌンツィアータの言葉通り、オレは未熟だったらしい。
「おりこうさんになったかヨー?」
ゆるい口調で、歪んだ口元には笑みを貼り付け、目には狂気を灯しながら、ストラックヮダーニオが周囲に響く声を放つと、視界に映る人影が増えた。
その数、六人、いや、もっといる。
見知らぬ大勢は、サヒーラ傭兵団の傭兵なのか。
アンヌンツィアータみたいな化け物が、まだこんなに大勢いるのか?
大勢いても、顔と名前が繋がるのは六人だけだ。
オレに合成弓を向けているのは、狩人にして魔物の専門家ザホヴァル。
属性特化型魔術の知識教師で、実技はからっきしだったのに、今はこちらに黒い杖を向けているクレーンプット。
アンヌンツィアータは害虫を見るような顔をしてこちらを見ているし、マントイフェル士はいつもと同じ無表情。
ストラックヮダーニオは、血のついた拳の握り具合を確かめながら瞳を輝かせ、パーピは服をはだけさせたまま、お預けを食らった犬のような目をしている。
十二年をかけて、オレに戦い方を教えて育てた教師たち。
勝てる気がしない。
それでも、ここで膝を折るのは嫌だ。
「友を殺すくらいなら、死んだほうがマシだっ!!」
「あ、そ」
「っ!?」
右肩への突然の衝撃に体勢を崩して後ろに倒れながら、肩に突き刺さった矢を力任せに引き抜く。
刺さったままでは動かせないので抜くしかないが、鏃のかえしで引き裂かれた肩が熱を持つ。
使い慣れない魔法では、威力の調節ができない。
というか、調整とかできるのか?
「『××××××××××××××××××××ッ!!』」
もっと早く動け!と集中が途切れて解けかけていた、体を動かす魔法を再度唱えたけれど、教師たちが格上なのは変わらない。
反対の肩にも矢が突き刺さるのを感じながら、後ろに転がって体を起こそうとしたが、顔を上げる前に全身を地に叩きつけられた。
「わしは言うたぞ、従順に育てるにはめのとが必要であると」
「はいはい、ごめんって、飼い猫がニャゴニャゴうるさいからって手をケチったのはおれだよ」
腹ばいで地面に叩きつけられたせいで見えないけれど、背中の上から降ってくる声は、記憶の中にある冷静なそれと何も変わらない。
戦えると思っていなかった治療術士のマントイフェル士が、オレの背中を踏みつけているらしい。
近づいてくるのすら見えなかった。
どれだけ、差があるんだよ。
勝てないのは当然だとしても、これはあんまりだ。
「せっかく育てたもんを殺してしもうては、勿体なかろうが。
反抗期は厄介だからの、チョチョイと頭の中をいじってやりゃ素直になるわい。
『×××××××××××××××××』」
「『××××××××××××××××』っ!」
マントイフェルが軽く言う酷い内容に、反射的に叫んだけれど、端から勝ち目などないのかもしれない。
鍛錬を欠かしたことはないし、奢っていたつもりはないのに、勝ち筋が見えない。
オレはここで死ぬのか?
——嫌だ。
死んでもいい、死ぬのは構わない。
死んでもいいけれど、ここで諦めるのは嫌だ。
でも、オレの力は全然足りない。
誰でもいいから、助けてくれ。
力を貸してくれ。
このまま、自分の意思で何も成さずに終わるのは、嫌だ!!
大切な人たちを守りたいんだ!!
音のない、光のない中で、声がした。
いや、声ではないかもしれない。
しかし、確かにその声が言った。
『 、 、 、 』
その声は、とても暖かく力強かった。
優しさは感じなくても、守ることを知る者の声だ、と感じた。
「 」
なんと答えたのかは、覚えていない。
「そんなバカな!!」
「劣化体を仮とはいえ共生させておいたはずだ、どうやって?
いや、そんなことよりも穏健派が何の用だ!?」
——筒に息を吹き込んでいるような、奇妙な響きの声が嵐のように吹きすさぶ中で目の前にいるのは、同胞たちと融合することを選んだ、彼方の人たち。
なるほど、同一化して飲み込んだ後は黒くなるらしい——
『 』
——彼らの選択に同意ができず、残念ながら袂を別つこととなったが、それは此方の世界での関係であり、実際の我々にはなんの問題もない。
言い争いくらいは以前からしていた記憶があるが——
『 』
——しかし今はそんなことはどうでもいい。
ここで黒く染まった彼らを消してしまった場合でも、現地の人類種族の肉体がいくつか失われるだけだ。
そもそもわたしたちが取り憑いた時点で、此方の人類としての枠を逸脱してしまうので、世界をあるべき形に戻すという意味では、ここで彼らを消しておかなくてはいけない……多分——
『シライソンキ 』
「な……主幹だというのか、何故、主幹が自らこのような場に出てくる!」
『 。
、 』
何が起きているんだ?
オレの腕が、何箇所も骨が折れているはずの腕が、勝手に動く。
まるで踊っているようにゆらゆらと揺れ、喉から歌のように声が溢れる。
『 クダケチレ、ミタマヲクダケ 』
「おのれぇ、腰抜けの穏健派がァ!!」
自分の口から、自分の声で、全く知らない言葉が出るのを聞きながら、目の前で怯えるように顔を引きつらせ、そして逃げだす教師たちを見ていた。
ただ一人だけ、最前列にいたストラックヮダーニオの前に、盾になるように飛び込んできたパーピが、驚いた顔のままで砂像のように崩れていく。
声も上げずに崩れていくパーピを振り返ることもなく、サヒーラ傭兵団だと思う黒い集団は、動かない人々の中へ飛び込み、信じられないような勢いで建物の影へと姿を消した。
——この肉体の持ち主には申し訳ないことをしている。
彼の記憶によるところの育ての親の一人を、その手で分解させてしまった。
そうしなければこの少年が殺されていただろうが、それでも心が痛む——
パーピの体が砂のように崩れた後に残ったのは、長い間日に晒され続けていたような白骨だけ。
まるで夢と現が混ざって、幻でも見ているような気分だ。
——せめてもの詫びに、事態の収拾まで請け負うことにしようか。
これから、この少年とは長く付き合うことになるのだからな。
さて、人の声の出し方とは、どのようなものであったか——
『—— ゥ ィコ、ォこ——この地に住まう全ての方々へ、同胞の起こした悪意の謝罪を致す。
我が名はシライソンキ、こちらではセイレイと呼ばれているモノだ」
自分の体が勝手に動いて、萎えているはずの手足が、折れているはずの手足が、見たことのない作法でゆったりとした仕草で頭を下げる。
自分の声なのに自分で話していないことを感じながら、それに耳を傾ける。
周囲は静まり返っているけれど、アンヌンツィアータの魔法は解けているのだろう。
過呼吸気味の荒い呼吸音が、どんな感情からか歯が打ち鳴らされる音がかすかに聞こえる。
「どなたか返事をして頂きたい、事と次第によっては、この地の周辺をカンゲンせねばならぬ。
この地に住まう貴方方は、クロイヒセンの手駒であるのか?」
「違う!」
ゆったりと自分の顔が動いた先には、げっそりと痩せたヴュルフさんの顔があった。
オレがいる位置からは遠すぎるけれど、その顔色が悪いことだけは見えた。
一体何があったのか、と思っていると、ヴュルフさんは人ごみをかき分けるように最前列の金属製の柵に飛びついた。
「この国に住む者の中に黒賤が混ざっていないとは言い切れないが、私は違う!
どうかお願いだ、ヨドクスを返してくれ!!
その子は巻き込まれただけで、何も悪いことなどしていない!
頼む、頼むからもうその子から幸せを奪わないでくれ!」
ヴュルフさんは何日も寝ていないのか、目の下に青黒い隈を作り、頬がこけた顔には鬼気迫るような悲壮感が漂っている。
その言葉の意味を理解すると、胸の奥がふつふつと音を立てた。
ゆっくりとスープが温まっていく時のように、胸の奥が暖かくなっていく。
ヴュルフさんのことを勘違いして、恨んでしまったことが恥ずかしくなって、なんて言ったらいいのか分からないが、これが嬉しいという気持ちだとは分かる。
本当に、オレのことを心配してくれたのだ、と素直に思えたことが嬉しい。
疑っていた自分が愚かだったと、知れたことが嬉しい。
「申し訳ないが、それは出来かねる。
この少年は己の意思でわたしを受け入れた、滅びのその時以外で離れることは叶わぬ」
——互いに後悔するとは言ったはずだが、この少年にも説明をせねばならんな。
わたしが砕かれし時が、少年の最後の時であると——
「ヨー!!」
何人もの声がして、ゆるりと視線が動くと、そこにはクサンデルたちが立っていた。
人ごみの最前列、金属製の柵を両手で握りしめて、全員が土気色の顔をしている。
生きていた。
生きていてくれた。
オレは失敗しなかった、失敗していなかった!!
でもヴュルフさんといい、クサンデルたちといい、どうしてこんな不健康そのものの顔をしているんだ?
生きていてくれたのは嬉しいけど、なんでやつれてるんだ?
オレが使った魔法の影響か?
「今は眠る少年に変わり、歓喜を伝えよう。
彼は大切に思う人々を守れたことを知り、心安らかになった」
え??なんか、オレの口が勝手に喋ってる内容が、かなり恥ずかしい!!
オレの気持ちが、全部、この、喋ってるこいつに伝わってしまうとでも思っておいたほうがいいのか?
「……この処刑を不当なものとし、中止とする。
白い尊貴様の御言葉を証とし、ヨドクス・ギュエストの身柄を解放する」
上から聞こえた声に、視線が動く。
背後に続いていた石の壁は、巨大な建物の一部だったらしい。
三階以上の高さはあるだろう遥か上、バルコニーのように張り出した場所に、何人も老年の人物がいるのが見えた。
全員の顔色が悪いのは何でだ?
オレが知らない内に病気でも流行ったのか?
「君の体が治るまで、しばし休眠することにしよう。
知っておいたほうが良い知識を君に送っておく、巻き込んでしまって本当にすまない」
不意に風が吹いて、頬を撫でられたような錯覚を覚える。
思い通りにならなかった体の感覚が戻って、手足が萎えていたことを思い出すよりも前に、全身の痛みで意識が飛んだ。




