10ー2 襲撃
けたたましく鳴り響く警鐘を聞いて、すぐに席を立った。
視線が集まるけれど、恥ずかしいとか思っている場合じゃない。
「王都の結界が破られたことを告げる警鐘だ、総員退避を勧告する」
困惑していた女性教員に告げると、扉が壊れそうな勢いでそのまま走っていってしまった。
あれ、四組の学院生たちを避難させてくれないのか?
そういえば、こういう時にどこに避難するか、聞いた覚えがない。
まさかこの状況で、各自の家に帰れとか言わないよな?
「ヨー、なぁ」
怯える声に振り返ると、クサンデルが顔色を青くしていた。
王都で生活をする人々にとって、魔物は縁遠いもので、日常的に魔物の存在を感じることはない。
クサンデルや学院に通う人々にとって、今の警鐘が鳴り響いている状態は非日常なんだろう。
でも問題ない、オレにとってはごくごく普通の日常の一部だ。
むしろヴュルフさんに崩された精神的な足並みを、これで元どおりに戻せるような気がしている。
戦いたいわけじゃないが、日常だ、と自分に納得させることができる。
「行かないといけない」
「そりゃそうかもしんないけど、でも」
「大丈夫だ、慣れている」
王都には何重もの魔物避け結界が張られている。
弱い魔物なら、王都に近寄ることさえできない。
結界が破られたことが人為的なものでも、偶発的な自然発生でもやることは変わらない。
結界がなくなったら魔物が寄ってくるだろうし、一番の懸念は餌場を求める巨躯魔物、竜種の侵攻だ。
侵入してきたモノが第一隊の管轄外の魔物であったとしても、後で謝ればいいだろうと考えながら、クサンデルに笑ってみせる。
そう、魔物の駆除には慣れている。
「心配しなくてもすぐに解決する」
クサンデルたちに避難指示が出たら従うようにしてほしい、と声をかけて教室を駆け出した。
フロールと目があって、頷かれたのはなんでだ。
ロキュスとアルナウトは二人で盛り上がっているが、クサンデルの言葉なら聞くだろう。
着替え一式を持って最上階の学院長室へ急ぐ。
高年学科の一年四組がある古い建物、別棟には男子用の更衣室がない。
実働部隊の戦闘用制服に、人前で着替えるのは無理だ。
人前での着替えなんて、緊急事態だから仕方ないよね、でもやりたくない。
どう考えてもただの変態だと思われる。
普段の着替えだって印象付けないように気をつけているのに、級友の前で公開生着替えとかありえない。
「失礼するっ」
ノックすると同時に、返事も待たずに学院長室の扉を開く。
すると。
「あ、ギュエストどのぉっ!!」
「「「え……えっ??」」」
学院長室には、学院長と名前も知らない教職員らしい大人が何人もいた。
オレ=ギュエスト隊長だと知らない(だろう)他人がいたのに、学院長はオレの顔を見るなりビズーカーではなくギュエストと呼んだ。
信じられない失態だと気がついてるのか?
こんなところで、最悪のタイミングでオレの存在を広めるのかよ!!
「学院長先生」
すでに意識が仕事に傾いているので、表情は動いてはいないと思うけれど、不注意すぎるだろう!と睨むと、そこで初めて自分の失態に気がついたのか、泡を食って挙動不審になる学院長。
手遅れだって。
ラウテルさん同様に頼りにならないと思っていたけれど、まさかここで大失態を犯すなんて思いもしなかった。
学院長以外には誰もいないと思っていたので、今のオレは学院の制服で、髪色を偽装した生徒の姿だ。
あとで騒ぎになるのは間違いないだろう。
学院長室にいた数人の教職員の中には、一人だけ見知っている男性がいる。
関わり合いになりたくない教職員の堂々たるナンバー1、一年一組の担当教員のプッテンだ。
プッテンは学院長の言葉が信じられないのか、驚愕という言葉を貼り付けた顔で、真っ白になって震える学院長とオレを見比べている。
ギュエストって苗字はオスフェデアのものではない。
そこから、実働隊のギュエスト隊長を想定するのは難しくないだろう。
選民意識が強い人物だという印象で、仲良くなることに意義が見出せないでいたから、どんな性格かは分からない。
緊急事態にも関わらず、変なことを主張する人物でないことを祈るだけだ。
少なくとも、今この場で説明を求めないだけの常識はあるらしい。
「部屋を借ります」
緊急事態に騒動の種を増やされたことに対して、文句を言う時間も惜しい。
早く状況を知らないといけないのだ。
学院生の制服のまま魔物と戦うなんて、絶対に嫌だ。
ヴュルフさんの言葉を信じて良いのなら、借金は存在しないのだろうが、わざわざ学院の制服一式をダメにして買い直す必要は感じない。
実働部隊の戦闘用制服との性能差は考えるまでもない。
呆然と口を半開きにしたまま、壊れたように頷く学院長の横をすり抜けて、いつか着替えに使った休憩室へと入る。
急いで学院の制服を戦闘用制服に着替えて、偽装用の装飾品も外して手提げ鞄にまとめた。
戦闘に必要な装備品を確認してから、ボディバッグの中身も目視で確認する。
ゴーグルをはめてから、イヤーガードを首にかけて部屋を出ると、途端に視線が集中するのを感じるが、視線に含まれている感情を斟酌している余裕はない。
何か言いたそうな顔で、目を剥いて見られても反応に困る。
王都外任務では使用しないので、ネックウォーマーは持ってきていない。
戦闘用のコートは着ているけれど、フードはかぶっていない。
素顔を知られてしまった以上、隠しても無駄な気もする。
それでもとりあえず変声用の魔術具だけは起動しておく、もう様式美ってことにしておこう。
「学院長、学院にいる全校生徒と教職員を含めて、他の学院の方々もフェランデリング学院に集めて欲しい。
人命がかかっているので急いで頂きたい。
あと、荷物を預かってもらえるだろうか」
今は隊長なので!と不遜な物言いで押し通して、返事も待たずに鞄を押し付けてから、以前使わせてもらった固定通信魔術具へと急ぐ。
学院長に荷物を預けたものの、高価な偽装用魔術具と転移陣用マーカーを置いていくのは心配だ。
もしも魔物が侵入してきて戦闘になった場合、壊れてしまう可能性が高いので、誰かには預けなくてはいけないけれど。
紛失されたら困るな。
ああ、他の場所で着替えようと思わなかったオレが悪いのか。
非常事態だからこそ、連携が取りやすい教職員室に集まっていると思ったのに!
◆
通信機の向こうの実働隊本部は慌ただしかった。
本部でも何が起きたのか把握しきれていない、と通信隊員に平謝りされたが、知りたいのはそんな情報じゃない。
王都のどこの結界が破られて、どこに魔物が侵入してきているのかが知りたいのだ。
オレには空を飛ぶことなんてできないし、身体強化して走るくらいしか移動手段がない。
馬なんて乗ったことないし、馬車を操るのも無理だ。
即座に駆けつける手段がない以上、事前情報がないと動けない。
結界が破られたということは、結界を張っている魔術具が破壊されたということだ。
複数の結界用魔術具が一度に壊れることは考えられないから、絶対に何者かが関与している。
それを調べるのはオレの仕事ではないし、調べる技術も知識もない。
修理と結界の復旧作業をしている間、王都は無防備になる。
何重もの結界を張るということは、修復にも時間がかかるということだ。
今の時点で王都を守る結界は機能していない。
結界が機能していなければ、どこから魔物が侵入してきてもおかしくない。
オレの専門は魔物の駆除。
今回に限っては巨躯魔物にこだわるつもりはない。
越権行為だと言われたら謝るか、人命第一!と開き直ることにする。
「わかった、とりあえず第一隊のフィンケ、ニュマン副隊長に北区、学院地区の守備を行うことを伝えて欲しい。
学院地区の人員を、可能な限りフェランデリング学院に集めている、と頼む」
「畏まりました!」
魔物の侵入経路が判明したら学院に連絡が入るだろう、と良い方向に考えてふと窓の外を見ると、そこにはポツポツと黒いものが見えた。
雲の下を王都へ近づいてくる、黒い飛影。
無発声で〝身体強化:視覚〟を発動すると、それは巨大な翼膜を持つ魔物、竜種だった。
「……よりによって、上級か」
体の三倍はある巨大な翼膜は、風の魔術を息をするように操って空を飛ぶ竜種の特徴。
流線型の頭の先端に備わった鼻先が動いて、眼下に広がる肥沃な餌場を確認し、飛ぶために進化したような透明な眼瞼の奥が食欲にギラつくのが見えた。
風を効率的に切り裂いて進むための細い頭蓋、強靭な長い首、渡り鳥のように軽量化されているのに、硬い鱗と被毛で守られた頑強な胴体。
巨大な体格を見るだけでも、下級や中級の竜種と比べるべくもない。
上級飛竜種の〝飛空爆火竜〟だと判断したものの、入り組んだ狭い場所で戦うにはもっとも向かない相手だ。
中級と上級に区分される竜種は、ブレスと呼ばれる遠距離攻撃手段を持つ。
咽喉部の魔核に溜め込んだ魔力を使い、口腔を発動基点にした長距離貫通型の攻撃で、人の身にそれを防ぐ手段はない。
王都の中でそんなものを放たせるわけにはいかない、しかし問題がある。
四年の間、竜種の相手ばかりしてきたオレなら、上級竜種でも駆除できるが、問題なのは窓から眼下に見える、家々が連なった王都の街並み。
こんなところに巨大な体躯を持つ竜種を落としたら、確実に死者が出る。
「ギュエストさん!」
呼ばれて視線を向けた廊下の先には、ラウテルさんと数人の教職員だと思われる人々。
おそらく外部へ通信をしにきたか、学院長室に来たか帰る途中だろう。
普段聞き慣れない、さん、付けで呼ばれるのは落ち着かない。
ラウテルさんと一緒にいる人々の視線と表情が、なんでこんなところに実働隊の隊員が?と言っているような気がするが、説明する時間もないし、嘘を組み立てるのは苦手だ。
「学院全体、校外にも放送を流したい」
「は、はいっ」
ひどく怯えた様子のラウテルさんを見て、怖いに決まっているよな、と普通の人の感覚がわからない自分に落ち込みかける。
時間がない、遊んでいる暇もない。
この学院地区を守らなくては。
「校内にいるすべての人を一箇所に集めて欲しい、できれば校庭に近い建物内に」
「え、とそれでしたら食堂ですね、ですが食堂は校庭側の一面がガラス張りなので危険だと思います。
ガラスは強化されていますし、距離はありますが講堂の方がよろしいかと」
「校庭の近くで」
「あ、はい」
放送室に連れ立って行く途中で、何をするつもりか、なぜ食堂に避難しなくてはいけないかをざっくりと話す。
本当なら学院にいる人々を危険に晒したくはないけれど、竜種を呼び寄せるには餌がいる。
人という潤沢な魔力を持った、竜種の好物が。
「一箇所に人を多く集め、空を飛んでいる竜種をおびき寄せて、死骸を校庭に落とす。
竜種は独自の探知能力を持っているので、寄ってくるはずだ。
被害が少なくなるように留意するが、高位階魔術を使用するので近寄らぬよう通達して欲しい」
「はいっ」
放送室で送信用魔術具の前に座り、心を鎮める。
クサンデルたちを守らないといけない。
戦う前にこんなにおかしな形で緊張するのは初めてだ、でも、ここで竜種を駆除するのは仕事、仕事でしかない、私情を挟んで心を乱すな。
「学院地区内各員に通達する。
自分は実働隊本部、実働部隊第一隊隊長ヨドクス・ギュエスト、現在王都に竜種の接近が確認されている、早急にフェランデリング学院の食堂へ避難せよ。
騒がずに速やかに移動するように、以上」
放送が無事に校外に広がっているのかは不明だが、二回同じ内容を繰り返した後で席を立ち、ラウテルさんに「後は任せます」と伝えると、放送室の外へ出てそのまま窓を開いて、縁に足をかけて飛びだした。
「ここは四階っ——」
背後で声がしたような気がするが、足元から生やした〝土柱〟の上に着地すると、そのまま六階立て以上の高さまで伸ばした。




