8ー3 公開鍛錬 前
「——それでは、初めてください」
拡声魔術具で鍛錬場の隅々にまで、よく響く女性の声が響いた。
それと同時に勢いよく飛び込んできたのは、以前に見た覚えのある第八隊の女性副隊長。
ムーンさんに対し、ものすごい勢いで怒鳴り散らしていた副隊長だ。
名前は知らない。
くすんだ紅碧色の髪を高い位置で一つに結び、しっぽのような髪を振り乱しながらこちらへと駆けてくる。
緊張しているのか興奮しているのか、強張っている顔が怖い。
何で女性から向かってくるんだ、と思いながら、距離が開いているのをいいいことにしばらく考えを巡らせておく。
女性を殴るのが倫理的にどうこうなんてのは、実働部隊に配属されてから知った世間の常識で、オレ自身にとっては(何で、女性を殴ってはいけないんだ?)という認識だ。
誤解のないように言うなら、女性だけでなく老人や子供や男性であっても、戦う術を持たない者を害するのはよくない、と思う。
何も女性だけを特別視する必要はないと思うのだ。
相手が何者であっても、戦う術を持ち戦うことに矜持と気概を持つ者に手心を加えるのは、逆に失礼なことにあたるのではないだろうか、とも。
どれだけ弱い相手であっても、立ち向かう決意を固めた者を嘲笑するのはいけないことだ。
少なくとも物語の中ではそうだった。
とはいえ世論で女性を殴るのが良くないというのなら、オレが本気でこの副隊長を殴り飛ばしたら、実働部隊の評判に傷がついたりするのだろうか。
となると、様子を見ながら避けるしかない。
「はあっ!」
鋭い声とともに、手刀が繰り出されるけれど、攻撃としての勢いはあまり鋭くない。
走ってくる様子からも、身体強化を含む〝熱〟属性の適性を持っていないのだろう。
とりあえず身体強化していなくても反応できる速さだったので、ごく普通に避けてみるが、相手は他隊の副隊長、隊長で総勢二十人。
未だに対人での手加減の程度がわからないので、こちらから攻撃できない。
昨日のベーン副隊長との決闘で、身体強化三割でも大丈夫と思ったが、治療術士のおっさんに「お前はバカたれか!」と叱られてしまった。
ベーン副隊長の状態は、外側からは分からなくても重症だったらしい。
(多分おっさんの腕が良いから)後遺症が残ることはないと言われたが、三割は強すぎた。
個々の適性によるとしても、上級隊員は上級竜種を個人で駆除できる(と思う)。
そんな奴らが全員でかかってきたら、戦い方が限られる。
普段から連携をとる練習などしていないだろうから、全員でかかってくる可能性は低い。
つまり、囲まれないように気をつければ、避けても逃げても、やりようはある。
相変わらず総隊長の考えは分からない。
この公開鍛錬への参加に何か理由があるのだろうとは、これまでのやり方から分かっていても、良いように使われるだけってのは、あまり良い気分になれない。
どうしてオレvs.全員で戦わないといけないのか、更に「発声発動の〝熱〟以外使うな」なんて制限を与えられているのか。
使用魔術の制限をかけられてるのはオレだけか?
ジリジリと包囲網を狭めてくる隊長たちは、何も魔術を発動していないように見えても、使用を制限されているかまでは分からない。
目の前に繰り出された、龍革の手袋に包まれた手刀を手の平で払い落すと同時に、背後に近づいてきていた……確か第三隊の女性隊長と男性副隊長二人が、明らかに身体強化をしている速度で飛びかかってきた。
発声発動したのかを聞きそびれた。
男性副隊長二人は、手に見慣れない形の武器を持っている。
柄は槍のように長いのに、先端が金属光沢のある半円になっていて、首にでも引っ掛けられたら簡単に窒息しそうな形だ。
「『身体強化:筋力強化』」
本部の上級隊員ならベーン副隊長と同じように三割で翻弄できるだろうと、強化された筋力を使って強引に体の向きを変え、その場を離脱しながら考えてみる。
ようは三割強化の状態で殴らなければいいのであって、逃げ回るのは問題ない……よな。
さて、オレに求められているのは何だろうか。
速やかに他の隊長たちを倒すこと?
それとも、時間をかけてお互いの技を見せ合うこと?
少なくとも一方的に囲まれて袋叩きにされる姿を見せる……では無いことを願う。
二つのうちのどちらかだろうとは思うのだが、残念なことにどちらを求められているのか分からない。
とりあえず、北側の鍛錬場の外壁まで走ってしまったので、追いつかれるまでの間で壁に背を預けて悩んでみた。
今のオレの姿は投影型魔術具によって、観覧席の人々にさらされているはずだ。
ほとんどの隊員の名前を覚えていないけれど、上級隊員には貴族が多いので下手に勝ってしまうと、また「復讐!」とか言われないだろうか。
謂れのない決闘を申し込まれるくらいなら、負けた方が楽だ。
第一隊は対人戦闘をする部隊ではないし、負けたところで困ることもないだろうから……よし、負ける方向で行こう。
そう決めかけた時、観覧席から聞こえる大勢の声に混ざって、かすかに既知の声が聞こえた。
「頑張れーっ」
誰の声かなんて、姿を見るまでもなかったが、一応、反対側の観覧席に目を向けてみた。
屋外鍛錬場の端から端まで、だいたい一クロタ半。
公開鍛錬には関係ないので、無発声で〝身体強化:視覚〟を発動して、声の出どころを調べる。
……なぜか、東側観覧席の最前列にフェランデリング学院高年学科、一年四組の全員が揃っていた。
男子十四人、女子十五人と引率らしいラウテルさん、もう一人はまだ名前を覚えていない教諭。
口々に何かを叫んでいるようだが、唇を完璧に読むことはできないので、所々を補完しながら内容を考えてみる。
クサンデルの口元から見て取れるのは——負けるな、頑張れ、か?
先ほどの声は、やはりクサンデルのものだったのか。
どうしようか。
適当に盛り上げてから流れに任せるが、一番労力のいらない方向だと思っていたのを、方向転換せざるを得ない。
クサンデルは実働部隊の隊員になる、という夢を持っている。
ここで本部実働部隊、第一隊の隊長であるオレが、その場の勢いで無様に負けるのを見せてしまっては、今後の友情が心配だ。
人のできたクサンデルのことなので、一対二十で袋叩きにされた程度で負け犬と思われることはないと思うが、負ける姿を見せること自体が負けた気がする。
ここは総隊長の思惑は放っておいて、本気で一方的で圧倒的な勝ちを狙おう。
良いとこを見せたいって思える相手を得たことは、悪くないよな?
それまで三割でかけていた〝身体強化:筋力強化〟を、四割に上げる。
〝身体強化:視覚〟は必要なので維持したままにして……一度解除して、発声発動し直した方がいいんだろうか。
まあいいか、攻撃系の魔術じゃないから問題ないだろう。
足に力を入れると同時に、周囲の景色が霞んで流れていく。
すれ違いざまに、第八隊の女性副隊長の首筋に、瞬間的に大量の魔力を叩き込む。
これは教師の一人に教わった、対人の無手による無傷昏倒法だ。
体内の魔力の流れを総括管理している脳を、一時的に魔力過多の過剰興奮状態にして、無傷で気絶させられるという小技だ。
簡単に言うと、人工的に脳震盪のような状態を引き起こす方法になる。
——余裕ブッこかれて無傷で倒されるのは、武人にとってはすっごい屈辱だから、プライドをへし折ってやりたい相手に使いなさい♪——って言われたが、そんな意図はない。
今回に限っては都合がいいから使うだけだ。
ちなみに、頭部に触れて脳に直接魔力を叩き込むと、脳内の魔力回路が破壊されてしまうことがあり、最悪の場合は廃人になってしまうので、頭はダメだ。
会得難易度は高いけれど、首筋から脳に魔力を流し込むのが一番安全だ。
手足などの末端から脳まで魔力を流し込むのは難しいし、体幹では臓器を傷めてしまう。
この無手昏倒方は筋力強化を使用するのが前提で、首に触れる時の力加減が難しいが、廃人にしてしまうのは嫌なので真面目に練習したのを思いだす。
「かはっ」
第八隊の名も知らない副隊長が、向かってきた勢いのまま膝をついて倒れこみそうになるところを、頭を打たないように支えて、武器を突きつけて飛びかかってきた三人組にも同じように魔力を叩き込む。
一つ言い訳をしておくがこれは、魔術ですらない。
ただの魔力運用の一種なので発声は必要ない。
うん、総隊長に言われた通り身体強化以外の魔術は使ってない。
魔力そのものを使っているだけだ。
「面妖な術を!!」
三人組を昏倒させて、顔面を強打しないように支えていた間に、筋肉大盛りの大男二人に囲まれる。
そんなに無造作に近寄ったら、懐に入られてしまうと気がついて欲しい、体格がどれだけ違うかわかってないのか。
いや、第一隊だけでなく、他の部隊だって魔物相手の駆除を行うために、鍛錬して己を磨き上げているのだ。
衛兵でもあるまいし、人と戦う技術を磨いているはずがないか。
「……っ」
漏れる自分の呼気が魔術具で拾われて、鍛錬場に鋭く響くのを聞きながら、宙を駆けるように走り抜ける。
すれ違うように、大男二人とその後ろでこちらを狙っていた女性二人の首筋に触れる。
魔力の運用鍛錬を、毎日真面目にしていてよかった。
下手な魔術を使って怪我をさせてしまうと、この後の任務に差し支えてしまう。
……あ、身体強化だけにしろというのは、怪我を減らすための配慮なのかもしれないな。
それにしても、ニュマン副隊長とフィンケ副隊長の習熟度をものさしにして、上級隊員の強さを測っていたけれど、思っていた以上に簡単に倒せてしまう。
圧倒してやろうとは思ったけれど、ここまで思い通りだと見せ場が足りなくないだろうか。
今更方向転換してもな、と悩みながら、構えている上級隊員たちを筋力強化した動きで翻弄しながら、次々に昏倒させていく。
上級隊員達相手でも筋力強化は四割で余裕だな、と感じ始めた頃、見覚えのある大男がオレの前に進み出た。
見覚えのある笑顔を好戦的に歪めて。
お年玉をいただいた気分です、ありがとうございます




