8ー1 某新人隊員の一日
あけましておめでとうございます
俺は実働隊補佐部隊、王都南区支部で四年間を勤めあげて、今年ついに本部の実働部隊に入ることができた。
これはとても幸先がいいことだ。
レドゥン学院にいた頃から夢に描いていた、誰もが憧れの目で見る進路であることは間違いない。
しかし本部で過ごしたこの半年で、周囲の環境だけでなく、俺自身の自己評価も大きく変わった。
両親は「戦争が終わったのに、危険な仕事に就くなんて」と言ってきたけれど、俺は英雄と呼ばれたかった。
けれどそんな気持ちを持てたのも、自分の実力を弁えず、世間なんて知らない学院生の頃までだった。
今では、俺は英雄になんてなれっこないと分かってる。
世間には、俺なんて爪の先で弾き飛ばせるような猛者がいて、実働隊の本部には、そんな人々が大勢そこらを闊歩していた。
きっと俺の実力じゃ、隊長どころか副隊長にすらなれない。
本部異動直後に、子供としか思えない体格の同期入隊らしい隊員に、全員がボコボコにのされて。
全く歯が立たないことで、上には上がいるのだと思い知る。
思い知っていたとはいえ、まだこの時点では、夢を失ってはいなかった。
いつかは上級隊員になれるかもしれない、と希望を捨てきれなかった。
その心さえも、今日へし折られた。
本部内ですら滅多に姿を見せない、第一隊の隊長のギュエスト氏と、第二隊の副隊長のベーン氏の決闘騒ぎは、それだけのものだった。
◆
本部待機(といってもどこの隊にも所属していない、新人の俺たちには出張任務なんてない)の明朝当番中は、帰る前に朝昼勤務の同期隊員たちと鍛錬場の整備を命じられていた。
帰って寝る前に肉体労働はきつい、と思っても、命令では逃げられない。
どうせ整備係が仕事をさぼってるせいで、新人にとばっちりがきてるに違いない。
手抜き仕事しかしない整備係の怠慢を、誰か上に訴えてくれないだろうか。
同期の隊員たちと、整備用品倉庫から持ってきたスコップやレーキで、せっせと凍った泥を引っ掻いていると声をかけられた。
「失礼」
「なんだよ……っギ、ギュエスト隊長?!おはようございますっ」
突然声をかけられたので、邪魔すんなよ、と思いつつ振り返ったそこには、事務部隊の女性隊員よりもさらに背の低い、フードを目深に被った人物がいた。
防寒用の支給コートの前を全て閉めて、顔が見えないほど深くフードを被っているので、一瞬誰だ?と思った。
けれど、これだけ背が低い上に素顔を隠すような怪しい格好をしているのは、本部内でたった一人だけだ。
見間違えるはずがない、というか初めて近距離で見た。
服装云々よりも、並みの女性よりも背が低いくせに、すっげぇ渋い声ってなんか変だ。
とっさに最敬礼をすると、ギュエスト隊長らしき人物は、男らしい渋い声で話を続ける。
「凍った泥を取り除いてもらいたいが、頼めるか」
会話をしながら、みるみる内に周囲の泥の下から顔を出した壁に驚き、これが隊長クラスの実力なのか!?と驚いた。
俺だって入隊以来、無発声の魔術発動の練習を欠かしていない。
魔物相手に魔術なしで戦える人間なんていないから、命がけで習得するしかない。
王都外任務についていくために必要不可欠な鍛錬であり、これが出来るようにならないと配属希望先が実働部隊でも統括部隊に回されてしまうという。
最悪の場合は支部に出戻りの前例もある。
毎日、疲労で頭痛がするまで練習しているので、同期の中でも一、二を争う魔術発動速度と精度だと自負している。
それでも、会話しながら魔術を発動することなんてできない。
魔術の発動には、アホみたいな集中力が必要だ。
意識して思考術式回路を構築し、ほとんどすべての処理能力を使って、やっと発動するものなのに。
会話しながらや、歩きながら発動位置を見もせずに無発声発動するなんて、何年経ってもできる気がしない。
この時点で、ギュエスト隊長の姿に気がついたらしい、周囲の奴らが興奮して近寄ってくる。
「了解しましたっ!!」
俺だけでなく、他の奴らまで集まって、大興奮で与えられた仕事へと向かおうとする。
ギュエスト隊長に話しかけられたのは俺だ!
負けてたまるかっ!
「ぎゃーつめてぇっ」
油断していたので、泥の下のわずかな段差に足を取られて、思い切り氷混じりの泥たまりの上をスライディングすることになった。
今日の俺はツイているんじゃないのかよ!
それとも憧れの人に話しかけられただけで、今日の分の幸運は使い切ったのか。
「やれーっ」
「話しかけられて羨ましいんだよ!」
「埋まってろっ」
集まってきた奴らが泥をスコップでかけてくる。
やめろ、それは雪じゃなくて泥だ!
起き上がって逃げ出そうとするが、防寒用コートの中に水が染み込んでくると、本当に冷たい。
泥まみれになるからやめろ!
アホだろ、お前らっ!
「お前ら何やってんだよ、仕事中だぞー」
「ギュエスト隊長に敬礼!申し訳有りませんっ!!」
遠くの方で、いっつもリーダーぶってるボスが何か言ってるが、今はこっちを助けろよ!
「ぐぁああぁやめろぉぉおぉ」
「もっとやれやれっ」
「お前ら、ギュエスト隊長の前で恥ずかしいことするなよっ!」
関係ない奴らにまで笑われて、恥ずかしすぎるだろっ。
こんなことでギュエスト隊長に顔を覚えられでもしたら、お前ら全員泣かせてやるからな!
「出てきてもらえないだろうか、ジェレミー叔父さん」
——突然、ギュエスト隊長が、何かを言い出した時は何が起きたのかと思った。
そしてそれに応えるように、何もない空中から男が現れた時は、驚くことしかできなかった。
敵わない。
そう思ったのは、男がどこに隠れていたのか、どんな方法で隠れていたのか、想像もつかなかったからだ。
「お客人を確認、これより任務を開始する」
ギュエスト隊長が冷静そのものの口調で、肩の通信機にそう告げると、すぐに雪かきをしていた新人全員に個別通信が入った。
「——総員、即時屋内に撤退せよ」
理由なんて聞いていたら死ぬ。
その直感に従って、俺たちは本部の建物内へと駆け込んだ。
ギュエスト隊長と謎の男を、その場に残して。
鍛錬場に残ったギュエスト隊長と男は、何か話しているような様子だったが、男が腰に提げていた鞘からサーベルを引き抜くと、隊長の雰囲気が変わった。
その場を動かないギュエスト隊長の周囲に、ありえない速度で土でできた槍状のものが次々と隆起していく。
どちらも言葉を発しているように見えないが、魔術を発動しているのはギュエスト隊長なのだろう。
それを避ける男も異常だが、突っ込んでくる男に対して、ギュエスト隊長は両手を脇に下げたまま構えすらせずに突っ立っている。
まさか、負けるのか?
愛読しているローデルス誌では、ギュエスト隊長は実働隊本部最強!と何度も取り上げられている。
その人が、こんなにあっさり負ける?
嘘だろ、と見守っていた俺たちは、意外なものを見た。
手を両脇に垂らしたまま一歩も動かないギュエスト隊長に対し、男が突然逃げるように後ろに下がり、胸元をかきむしり始めたのだ。
何も見えなかったが、ギュエスト隊長が攻撃をしたのだろうか?
正直な感想を述べるのなら、無発声の魔術を使用した戦いが、ここまで静かで地味だとは思わなかった。
風に煽られたのかフードが取れたギュエスト隊長の姿は、遠目ではあったけれど、ローデルス誌の絵姿そっくりの、目に痛いほどの黄色い髪をしていた。
大きな偏光グラスのゴーグルと、鼻まで引き上げられたネックウォーマーのせいで、顔は隠されているが、やはり本人なのだ。
その後の結末はあっけなかった。
ギュエスト隊長が、鍛錬場の半分以上を埋め尽くす規模の、ありえない数の土の槍?を地面に次々と作り出し、男は周囲を囲まれて動けなくなる。
現れた時のように、姿を消して逃げることはできないらしい。
ギュエスト隊長が負けないのなら謎の男のことはどうでもいい、そんなことよりもどれだけ魔術の練習をしたら、あんなに大規模の魔術が発動できるようになるのかを知りたい。
どう考えても、魔力切れで倒れないのがおかしい。
「 」
「 」
男を動けなくした後、また、二人は何かを話しているようだったが、男が突然倒れた。
そこに本部付きの〝オーガのボック〟と呼ばれている治療術士長が駆けていく。
俺には、あの緊迫した現場に駆けこんでいく胆力なんてない。
◆
侵入してきた男を倒した後、鍛錬場の整備を始めたギュエスト隊長は魔術を連発していた。
一体、この人の魔力総量はどれだけあるのだろう。
本当に人なんだろうか。
〝どう考えても、魔力欠乏か術式領域野の疲労で倒れているはずなのに〟と思ったのは、俺だけではなかったらしい。
突然、上級隊員の制服を着た大柄な男が、ギュエスト隊長の元へ向かっていった。
それは、新人の俺たちでも知っている、数少ない上級隊員だった。
「我が名は、実働部隊第二隊副隊長フスターフ・ベーン。
ヨドクス・ギュエスト、貴殿に復讐決闘を申し込む」
明らかに周りにも聞かせるつもりで、張り上げられた大声。
ギュエスト隊長は、その場でベーン副隊長を見上げている。
ベーン副隊長がでかいせいで、ギュエスト隊長が子供にしか見えない。
俺たち新人隊員にとって、ベーン副隊長は、うっとうしいけれど無下にできない相手だった。
支部で研鑽を積んで本部に異動してきた、エリート路線を歩む俺たちに、面と向かって「役立たずの庶民は、足元でぬかずくのが当然の行為だ」と言ってくるお貴族様だからだ。
気に入られたら出世できるかもしれない。
隊付きの隊員になれるかもしれない。
そんな希望が見えるせいで、誰も強く出られない。
それを良いことに、毎日のように誰かが絡まれて、近接格闘訓練という名の一方的な暴力行為を受けている。
ベーン副隊長が、ギュエスト隊長の魔力切れを狙っているのは明らかだ。
今までの態度を思えば、それくらい平気でやるに決まってる。
ベーン副隊長の家は伯爵家。
庶民出身の隊員では、束になっても報復を避けることはできない。
しかし。
「実働部隊、第一隊隊長ヨドクス・ギュエスト氏と、実働部隊、第二隊副隊長フスターフ・ベーン氏、ベーン伯爵家嫡男の復讐決闘の正当なる開始を、今ここに宣言致します。
ベーン氏の立会いは実働部隊、第二隊所属ヒュープ・アッペル名誉男爵家次男が致します」
事態は止める間もなく進んでいく。
誰もが手と口を出せない中で、時折、ベーン副隊長とギュエスト隊長の声が聞こえてくる。
どうして決闘なんか受けたんだ!?
ギュエスト隊長は狂っているのか?
「復讐と言ったが、なんの復讐だ?」
……ええと、もしかして、ギュエスト隊長は頭がおかしいのか。
強いだけでなく、戦いが大好きでイかれた戦闘狂なのか。
受け答えが貴族に対する態度じゃない時点でおかしすぎる。
この国で生まれ育っていて、貴族の風習を何一つ知らないなんてことは、ありえない。
学院で上流階級向けの特殊法律を学び、数少ない愚かな貴族を敵に回さないように、と必要な知識と慣習を習うのに。
——そんな風に不安になっていたが、ローデルス誌のギュエスト隊長最強説は本当だったらしい。
無知で最強って、まずくないか?
「思い返したが身に覚えがない、なんの復讐だ?」
「ひぎゃあああああっっっ」
拳を止められた上に悲鳴をあげて、情けない姿を周囲に見せたのは、ギュエスト隊長の三回りは体格の大きなベーン副隊長だった。
いつも傲慢な態度のベーン副隊長が、体の小さなギュエスト隊長にやり込められている姿を見るのは、とても痛快だった。
さらにギュエスト隊長は、俺たち、庶民出身のヒラ隊員たちを歓喜させてくれた。
「決闘を受けるのはいいが、一つ条件を出す。
自分が決闘に勝った場合、ニュマンに誠心誠意の謝罪をしてもらう。
ニュマンは庶民上がりの泥臭い副隊長などではなく、とても有能で代わりのきかない人物であり、自分には過ぎた副隊長だ」
渋い声が静まり返っている鍛錬場に響き、誰もが内心で歓喜の雄叫びをあげていたはずだ。
俺も喝采をあげていた。
いつか、第一隊で働きたい!
この人に必要とされたい!
この人は、俺たち庶民出身の隊員を差別しないのだと。
英雄の子であっても、俺たちを利用して使い捨てにしないのだと、誰もが興奮で胸を打ち振るわせていただろう。
その後の展開は圧倒的すぎて、早すぎて、目で追えなかった。
気がついたら、ベーン副隊長が地面と口づけしていた。
いくら何でも、強さに差がありすぎないか??
そこにあったのは、赤子の手をひねるような一方的な展開であり、ベーン副隊長の今後を心配になるような蹂躙劇だった。
「や、やりすぎですっ!!!
治療術士を、大至急呼べーっ!」
……前言撤回する。
ギュエスト隊長の補佐は、俺には無理かもしれない。
あの化け物じみた強さを持つ隊長に、真っ当に意見したニュマンとかいう副隊長は、本当に隊長の言う通りすごい人なのだろう。
俺には、そんな胆力はない。
迂闊なことを言って、ベーン副隊長の様な目には会わされたくない。
「何やってんだぁああああっ!!」
オーガのボックの再登場に、ギュエスト隊長が後退ったように見えたのは、気のせいじゃないと思う。
最強でも、鬼は怖いのかもしれない。




